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プロの占い師が集う[占いブログ]
占い師プロフィール

『面相天書』という現代の人相書を読んで

2006-01-04

『面相天書』という書名から、気付かれた方がいるかもしれないが、これは日本で出版された占術書ではなく、香港で最近出版された観相書である。昨年末、香港在住の友人が送ってくれた本の一冊だ。
近年、日本でもそうであるが、中国でも観相(人相)書が、あまり書かれなくなった。たまに、こうして出版されたものを読んでも、素晴らしいと感じるものは少ない。そういう中では、貴重な本の一冊と云って良い。この本の特徴は顔面総部位に対して、年齢を当てはめていることで、顔面の52部位に対し数え年の年齢を当てはめ解説している。
近年、日本では本格的な人相(観相・面相)書が少なくなってしまったので、顔面総部位などと云っても通じない人が多いかもしれない。顔面総部位というのは、顔面に対して地域区分を引くように、表わす意味内容によって仮想線を引き、それぞれの区域の役割を定めていく観方で、中国では紀元前から行われていた手法である。最初は、正中十三部位と云って、顔面中央に縦の線を引き、髪際から頤の先までを十三分割して意味を与えた。これが最初の顔面区分となった。
さらに、これが発展して、十三部位それぞれの横も細分していって、機械的に十分割したために、顔面は百三十部位となった。現代の観相家で、この事実を知っている人が何人いるだろか。実は中国における観相学上の百三十部位というのは、機械的な十分割の結果として生れた観方であって、経験的に生れたものではないのである。したがって、その観方は長続きせず、現代においては、この著者のように52部位にまで縮小・簡略化する者まで出て来ている。実際、古典的な観方は、重複するようなところが多く、実践的とは云えなかった。ただ、この本は各部位に対する仮想線が引かれていないだけに、初心者にとって、やや各部位が判りづらいと云う欠点を持つ。さらに、各部位に年齢を当てはめる観方は、古典的流年法を理解させる上では貴重だと思うが、年時判断に傾きすぎるという弱点を感じさせる。顔面という年々変化していくものを捉えて、固定的な年時の当てはめは無理があるからだ。
そうは云うものの、顔面総部位を語るだけでも、レベル的には日本の観相書よりもはるかに高い。また、図解を沢山用いて、判断も箇条書き的に整理し、若い人達でも理解しやすいよう工夫してあるのも大変良い。日本でも、もっと本格的で判りやすい観相学書が出版されることを、若い研究者のためにも願わずにはいられない。

Posted by 0075 05:49:26Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

繰り返される予言

2006-01-02

本当かどうか知らないが、正月特番でギャラが五千万とも囁かれる細木数子のTV番組を見た。番組中しつこいほど何度も繰り返された彼女の言葉「30年後、日本は滅亡します。日本人は難民になります」何とも、穏やかではない。しかし、何回も聴いているうちに「おや、そう云えばこのセリフ、過去にも聞いたことがあるなぁ…」と、呟いてしまった。
例えば「ノストラダムスの大予言」が、そうであった。今になってみると、なぜか妙に懐かしい響きのある「ノストラダムスの大予言」。さらにもう少しさかのぼると、オーム真理教・麻原による「ハルマゲドン大予言」が、そうであった。麻原の場合は、自らが予言していた亡国の年月、自らの身は刑務所に有り、自ら創設した宗教団体は崩壊してしまっていた。さらに、もう少しさかのぼると、日本に大地震が来ると予言していた新興宗教の教祖が、その年月日、割腹自殺してしまった、という事件もあった。日本だけでなく、古今東西、亡国予言は的中したためしがない。大体、私はこの番組を企画したテレビ朝日にも疑問を感じる。
元旦から、何度も、何度も繰り返し流すようなセリフであろうか? 個人のことに対してであれば、何を語ってもかまわないが、国全体や国民を対象として、3時間も4時間も、繰り返すような予言ではないだろう。しかも、占い上の言葉と云っても、占いの上からの根拠は何も示されてはいない。彼女は、自分の言葉の与える影響力というものについて考えたことがあるのだろうか。人気があるから、テレビの視聴率が取れるから、何を云ってもOKで、しかもその言葉を後押しするかのように、編集で何度も何度も繰り返させる。
大体、占いに対する説明も、出演者の芸人達を、まるで自分の占い教室の生徒でもあるかのように扱って解説していたが、いつから説教坊主のようになってしまったのであろうか。まあ、傲慢さに掛けては、私も人のことは云えないが、彼女を見ていて、ああいう風にだけはなりたくないなぁ…と、しみじみ思ったものであった。

Posted by 0075 08:29:20Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

『奇門遁甲ビジネス開運方位術』を読んで

2005-12-29

『奇門遁甲ビジネス開運方位術』(安藤成龍著・アスペクト刊)という長ったらしい書名の本を読んだ。何故「ビジネス」という名称を加えたのか知らないが、内容的には必ずしもビジネスに偏っているわけではない。
近年は「奇門遁甲」という占いも、それなりにメジャーなものになって、知られてきてはいるが、どんな占いか知らない…という人の方が、まだまだ多いに違いない。一言で云えば、古代の兵法から進化した占いである。多分、これはプロ占い師であっても、知らない方が圧倒的だと思うが、この占いは元々は戦術であって占術ではない。
これは、本書の中身とは何の関係もないのだが、ついでなので記しておきたい。「奇門遁甲(きもんとんこう)」という名称は、現代的に解釈すると「神王を宮殿内から逃れさせる戦術」といった意味合いになるのだ。つまり「遁甲」とは「逃れる甲」の意で、ここで云う甲とは「頭(かしら)」又は「首領」の意味を持つ「甲」なのだ。元々、甲骨文字としての甲は「頭骸骨のひび割れ」に由来した形象である。一般の書物で「種子の発芽」に由来していると説明しているものが多いが、誤解である。つまり、戦いにおける頭で、古代では王そのものに当たる。
日本でも、戦国時代は影武者を立て、危うくなると、首領は城内から一目散と逃げ出そうとした。それと全く同じである。
次に「奇門」とは何かというと、文字通り「奇なる門」で「不思議なる門」の意だ。実際には、刀剣を意味する「庚」に負けない十干の門を意味する。庚に負けないのは「乙・丙・丁」の三干である。したがって、これらの三干を「三奇」とも呼ぶ。五行理論的に考えると、丙・丁は「火」で、庚の「金」に勝てるが、乙は「木」で負けそうに思える。ところが、乙は庚と干合するので、一体化し負けないのだ。両方を合わせると「奇門遁甲」とは、本物の王を秘密の門から城外へと逃れさせ、いずれは敵に打つ勝つための兵法…と解釈できる。だからこそ、諸葛孔明が、或いは真田雪村が、必死で研究した戦術として語り継がれているのだ。
まあ、そういったヘンテコな占術なのだが、平安時代以降、我が国でも大いに普及し、明治初期まで継承されていた。それが、明治中期から大正、昭和の前半までは完全に途絶えて、昭和四十年代から、再び中国から輸入された占術なのである。
そう云ういわく付きの占術が「奇門遁甲」なのである。
さて、本書の中身だが、その奇門遁甲を使った方位術を、具体的に365日分詳述されている実用書で、初心者にも判りやすい。何よりも、これだけの分量、原稿を書くのは大変であったろう、と思う。そういう点では廉価でもあり、素晴らしい。但し、一つだけ、著者は当然この本を手にする人達が、九星気学にも興味のある人達と気付いていたはずである。そうであるなら、何故、九星気学でなく奇門遁甲なのか、もう少し説明を加えるべきではないだろうか。一般の九星気学による暦を所有している人達にとって、同じ方位が全く違った意味合いで記されていることに疑問を抱かないはずがないからだ。早い話が、どっちを信用して良いのか、判らないはずだからである。九星気学の方が一般的である以上、奇門遁甲の優位性(?)を説明する義務がある。
或いは、説明し出すと面倒なので、あえて解説しなかったのかも知れない。ただ、本書では奇門遁甲らしく(?)、年盤はあまり意味がないかのようなことが記されている。そのようなことを記す以上、やはり説明責任はある…と言わざるを得ない。ただ、実用的であること、判りやすいこと、挨星法という占法技法を一般書に取り入れた点などは高く評価したい。

Posted by 0075 11:55:59Comments(0)TrackBack(1) │占い師のひとりごと

『チベット占星術序説』を読んで

2005-12-28

『チベット占星術序説』(黒門著・東洋書院刊)という本を読んだ。サブタイトルとして「本邦初公開」と記されているが、確かに、このような形の「占星術」は、日本で始めて公開される内容だろうと思う。私は昔『密伝ラマ占星要門』というタイトルからして難しそうな和訳書を読んだことがあるが、それ以来のチベット占星術の本だった。そして、こちらの本の方が、はるかに理解しやすい。
そして、古典的な占いを研究する上で、大変参考になった。実占書というより、研究書として大いに価値がある。特に、私が大変興味深かったのは、チベット占星術における暦法、推命方法、そして何よりも九星の配布と判断方法である。私はインドや中国の古典占星術に関しては相当研究したが、チベットに関しては先の和訳書でギブアップしたので、それ以来全く関わって来なかった。それだけに、非常に興味深く読ませていただいた。
私の勘では、この著者も、チベット占星術は、まだ研究途上であって、おそらく実占的に試みているわけではないだろう。ただ、インド占星術が知られるようになった今日、こういう本は貴重である。惜しむらくは、チベットにおける中国系占星術に偏っていて、インド系占星術の記述が少なすぎる点にある。もし、中国系占星術に的を絞るなら、例えばチベット系の推命方式や、九星判断を、より具体的に、より実占的に、記述して欲しかった。そうすれば、研究書としてだけでなく、実占書としても貴重な書物になったことだろう。
それにしても、この書物は、我々が抱いてきた陰陽五行理論・十干十二支・九星・八卦等について、根底から覆す理論と方式が存在していることを教えようとしている。
本書によると、チベットの暦日では、六十干支は単なる循環ではない。例えば日干支は、通常、甲子日―乙丑日―丙寅日―丁卯日―戊辰…のように進んでいくのだが、チベット暦日では、甲子日―丁丑日―戊寅日―辛卯日―壬辰日…のように進んでいく。しかし、よくよく考えると、後者の方が十干の五行循環という点では合理的である。
九星の暦法配置も全く異なり、それ以前に五行が異なる。九星の二黒・三碧が「水」、一白・六白・八白が「金」、七赤、九赤が「火」だと云われても、これまで日本の九星に親しんできた方は、にわかに納得しがたいに違いない。
私が、この本をここであえて取り上げたのは、1人でも多くの占術家や、占いを好む人達が、占いというものを、もう一度見直す時期に来ているのではないか、と思うからである。あまりにも単純に、伝統的な一つの見方・捉え方だけで、それが占いの全てでもあるかのように、決めつけ過ぎていないだろうか。もっと、さまざまな占いの根本的な見方・捉え方が、存在していることに気付いて欲しいのだ。
そして、そういう新しい研究のキッカケを与える可能性があるという点で、この本を高く評価したいのだ。

Posted by 0075 18:00:52Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

自分自身への予見

2005-12-11

今朝から4日間ほど旅行に出るため、その分、急いで占い原稿を仕上げなければならなかった。結果的に、何人かのお客さんは断ってしまった。もともと多くないお客さんを断るのは、自ら収入源を絶っているようなものだが、旅行の方を優先してしまう。私は会社勤めの時代から、仕事よりも私生活優先で生きてきている。先日もイベント屋さんから「私達は皆が休んでいるとき、働く因果な商売ですよね」と云われたが、黙っていた。反論すると厄介だし、かと云って同調するようなことはしてきた覚えがない。
「それで、1月1日なんですけど…」ファッションビルでの元旦占い鑑定会への出席依頼だった。先日も、別なところから来た正月三が日のイベントを断ったばかりだった。以前、元旦からのイベントに出席して、その一年散々だった思い出がある。前年オープンしたばかりのデパートでのイベントだったが、北海太鼓がうるさくて、占う側も占われる側も、何を云っているのか聞こえないのだ。あれでは占いにならない。しかも、1月2日は腹痛になってしまい、結局3日目はキャンセルせざるを得なかった。もともと乗り気でなかったイベント出演だっただけに、気持が乗らないで出演するのは止めようと決めたものだ。昨年も、あまり気乗りしないまま、12月末に地方のイベントに出演した。そうしたら車の事故に遭い、瞼が腫れあがって、お岩さんのような状態のまま占わなければならなかった。どうも、私は年末年始は、サラリーマンのように休んでいるのが良いようなのだ。
「一年の計は元旦にあり」という言葉があるが、云いえて妙とでも云うか、本当にその通りだと思う。元旦とは必ずしも限らないが、年末年始の状況は、そのまま新しい年を予見させる。だから、年末年始に変な仕事を入れると、その年はろくな事がない。これはもしかしたら、私の勝手な思い込みなのかもしれないが、現実にこれまでそうなのだから、妙なイベントの仕事は入れたくないのだ。
大体、正月になると、どう云うものか私は幼年時代を思い出す。故郷が懐かしくなり、少年の頃の気持や映像が、一気にあふれ出してくる。連れ戻されてでもいくように、現実の生活や前向きな気持ちが失われてしまうようなところがあるのだ。以前、この時期に詩の雑誌に投稿して、巻頭を飾ったことがある。北海道の真冬の情景と男女間の情景とを重ね合わせたその詩は、美しいイラストが加えられたせいもあって、我ながら感動的な詩になって巻頭を飾っていた。
このブログにも、詩を書こうか、という気になることがないでもない。ただ、あまりにも長い間、詩と云うものからも、詞と云うものからも、遠ざかっている私は、その第一歩を踏み出せないでいる。

Posted by 0075 04:30:47Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

真夜中に起き出す私

2005-12-03

眠い目を擦りながら、一度、目が覚めると、3時であろうと、4時であろうと、起き出してしまうのが私だ。ちなみに今日は午前3時25分に起きた。
北海道の冬の朝は寒い。今はすぐストーブが点くようになっているから、部屋の中が暖まっていくが、それでも、真冬の寒さは起き出すことを躊躇させる。にもかかわらず、ロボットのような単純さで、目が覚めたら起きる、という行為を決して止めない。もちろん、オンライン占い用の原稿執筆や、友人への手紙や、途中になっている本を読むことや、このブログなど、色々やらなければならないことがあるから起き出すのだが、もう少し寝ていれば良いの…と、我ながら思う。
朝早く起きるのは、少年時代からの習慣かもしれない。勉強も、夜中よりは、朝早く起きてしたものだ。北海道の真冬の朝は寒い。今でこそ、すぐストーブにも火が点くが、昔はストーブに灯油を入れたり、石炭を入れたり、マキを入れたりして、火を起こすところから始まったものだ。それでも、夜中遅くまで勉強をするより、朝早く起きてする方が好きだった。今など、誰に起こされるわけでもなく、絶対に起きなければならない状況でもなく、本来ならゆっくり寝ていても良いのに、貧乏性なのか、それが出来ない。
良く云えば、天性の努力家なのだ。他人には優しいが、自分に厳しいのだ。まあ、そう云ってでもおかないと、単なる新聞配達少年のように思えてしまう。真冬に生れたのに、私は冬は好きではない。寒いのもそうだが、何より、雪道の滑る路面が嫌いだ。スキーもスケートもやったことがない珍しい北海道生れは、冬など無くなれば良い、と思うこともある。いつか、暖かい南国で暮したい。
もしも、あと十数年して、それなりの(?)財産が出来たら、暖かい海外で気ままに暮してみたい…と、思うこともある。ただ、性格的に几帳面なところのある私は、海外向きではないかもしれない…。北国の厳しい寒さの中で育ったから、或いは貧しい、恵まれない少年時代を過ごしたから、こうして朝早くから起き出し、平気なのかもしれない。
いや、単純に、朝5時代からやっている株のテレビ番組を見たいから、起きるようになっただけだろうか…。原稿の締め切りが近付くと、益々朝早くなって、その内午前0時ごろになって、起き出すようになったら…夜型の人たちと、まともに会話が出来るようになるのかもしれない…。

Posted by 0075 04:22:02Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

広告屋さんに寄りきられる

2005-12-02

私は基本的に広告を出すのは好まない。出来れば、広告代などと云う余分なものは出したくない。それに、何よりも嫌なのは、広告を出すと、次から次へと種々な広告屋さんから、これこれに広告を出しませんか…と云った電話が掛かってくることだ。
実は、何週間か前に、ある雑誌社から広告出向の依頼があった。私は最初、出す気持ちは全くなかったのだが、そこの社長から高級寿司店に誘われ「付き合いだと思って出してくれ」と頭を下げられ、嫌と云えなくなった。そうしたところ、案の定、別な広告屋さんから電話が掛かってきて、スポーツ新聞で占い広告の特集をするから、一枠載せさせて欲しい、と懇願された。
「一枠、いくらなの?」
「4回掲載で4万円です」
「高いな、やっぱり止めとくよ」
「波木先生は、私のこと忘れていらっしゃるかもしれませんが、私は大昔の先生のこと、鮮明に覚えていますよ。長い付き合いじゃないですか。判りました。特別、先生に関しては、3万円でどうですか?」
「……」
「じゃ、2万6千…円で、どうですか?」
「ずいぶん下げるんだね」
「ほんとに、特別です。」
「じゃぁ、枠の中の一番上にしてくれる?」
「ええ、良いですよ。一番目立つ所を確保します」
「そうだねぇ」
「お願いしますよ」
「う〜ん、しょうがないなぁ」
「ありがとうございます。じゃぁ、担当者から改めて電話を入れさせます」
どうも、丸め込まれたような感じでスッキリとしないが、なぜか、昔のことを出されて受入れてしまった。別に弱味があるわけでもないが、あの頃の日々が蘇ってきたせいだった。
あの頃、私はまだ札幌に移ったばかりで、何とかしてお客さんを増やそうと必死だった。だから、広告営業にも、自分の方から頼み込む形だった。あの頃を思うと、今の生活が妙に堕落しているように思える。お客さんは、適度に来れば良い。自分の時間がなくなるかもしれない広告が出ることを恐れながら、その一方で、どうせ出すなら目立つ形にしたいと、矛盾したことを平気で云っている。あの頃の私は何所へ行ったのだろう。

Posted by 0075 09:40:05Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

耐震偽装と運命学偽装

2005-12-01

姉歯建築士による耐震偽装問題が広がりを見せている。生命を預かる職業として、行なってはならないことを行っていたことは弁明の仕様がない。設計建築士だけでなく、検査機関も、建設会社も、不動産会社も同罪であり、暗黙の了解を得ていた、と推測されても仕方がないだろう。
耐震偽装だけでなく、手術ミスなどの医療機関、運転ミスなどの交通機関等、生命を預かる期間による事故・トラブルが続出している。
あまりマスコミが追求しない分野に運命学偽装がある。つまり「占い」を装った「霊感商法」全般に対する種々のトラブルである。「占い」を語りながら、或いは看板としながら、実際には「開運」「神仏」「風水」「祈祷」「浄霊」に関する高額な商品を、強引に販売した結果のトラブルである。最近は、これらに加えて、精神療法とか、心霊療法、無許可セラピスト行為が加わることもある。
基本的に、占いを求めて来る人たちの心は、ナイーヴで傷つきやすい。強引に勧められると、断りきれずに、受入れてしまう場合も多い。もちろん、商品にしろ、療法にしろ、本人が自分の意志で受入れたものであれば、本人の側にも責任はある。ただ、こう云うものは公的なチェック機関がないだけに、いったん了承してしまうと、後になってのキャンセルや返品は利かないケースも多い。つまり、泣き寝入りしてしまうケースが多いのだ。
私は、何も、売る側、買う側、双方が納得の上で販売し、受入れたものをどうこう云うつもりはない。例え、それが効果のないものであったとして、或いは極端に高額なものであったとして、双方が納得済みの場合、商売である以上、文句をつける筋合いのものではない。
問題は、それらの商品や療法がトラブルを引き起こしたとき「占い」を謳っていることで、占いそのものまでもが胡散臭い目を向けられることにある。本来、占い師の仕事は、占うことであって、商品や療法を売ることではない。したがって、占われる側も、占い師の本来の仕事は「占うことのみなのだ」ということを踏まえたうえで、占い師の元を訪れて欲しいのだ。もちろん、占いを通じて、悪い出来事を避け、良い出来事を呼び込むための方法を教えることは可能だ。問題に対しての対策を、占い・運命学というものを通じて示唆することは出来る。時としては、それに伴う商品の販売ということも、稀にはあるかもしれないが、それは本来の業務ではない。占いの境界線は、微妙であるため、後でトラブルに巻き込まれない為には、占う側も、占われる側も、それ以上の行為に踏み込まないことである。
占い師は、人間の運命という、ある意味では生命の次に重要なものを取り扱う仕事であるということを、占いに携わる誰もが意識しなければいけないし、又、占われる側も、人任せで黙っていても幸福を与えてくれるのが占い師だ、などという誤った概念を持たないよう、トラブルに巻き込まれないためにも、伝えておきたい。

Posted by 0075 16:59:24Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

占いハウスの経営

2005-11-30

その話は去年から始まっていた。ある経営の傾いた占いハウスのオーナーが、私に「経営を引き継いでくれないか?」と、打診してきたのだ。私は迷った。そして、一度は、引き受ける方向で考えもした。だが、オーナーとの話し合いの中で「現在の店舗を、そのままの名称や形態で引き継いで欲しい…」というオーナーと「やる以上は、私のやり方に変えさせて貰う…」と云う私の主張とは平行線となり、結局、お断りすることにした。
こうして、いったん、占いハウスの経営は宙に浮いた格好になった。だが、話の過程で、わざわざ人のものを引き継がなくても、最初から自分でスタートさせる形の方が、気持ち良く始められそうなのに気付いた。幸いと云うべきか、その話が来たお陰で、私は自分の知り合いや教え子の占い師達に声を掛け、何人もの方から「波木先生が占いハウスを経営するなら、ぜひ参加させて欲しい」という意思表明を頂いていた。つまり、多くの方達が、最初に躓く人材に関しては、私の場合すでに決まりかけていたのだ。したがって、その話が宙に浮いたことで、今度は声を掛けた方達に対して、どうすべきか…迷うことになった。つまり、手っ取り早く、新たな気持ちで、単独で占いハウスの経営に乗り出すか、それとも、慎重に様子を見て、時期を待つべきか…今一歩、踏み出せないで居るのだ。
たまたま昨日も、ある関係者の方とその話しになった。その方によると、最初に話を持ってきたオーナーの方は、何とか私の代わりを見つけ出そうと必死になっているようだ。私の方は、もう、そこを引き継ぐ気は完全に失せている。
私が経営する場合、売り上げの4割を私が頂く、と云うことで占い師の方達には既に伝えてある。占い時間、占い占法、占い料金など実占に関しては、すべて個々の占い師さんのやり方で行って貰う。したがって、一般の占いハウスのように統一料金のようなことはしない。極端な話、1人から1万円を取っても良いし、千円で見ても良い。そういうやり方を貫くつもりだ。元来、占いに統一料金的なものを設定すること自体、私に云わせればおかしい。過日も、オンライン占いの製作会社と話し合ったとき、どうして一律にしようとするのか、理解に苦しむことを伝えた。こう云うものは、趣向品と同じで、さまざまな料金設定がある方が自然なのだ。私は、自分自身が、あまり拘束された中で仕事をすることが好きではないので、自分が経営する場合でも、占い師の方達にそれぞれ自由にやってもらいたいのだ。
もちろん、このようなやり方が、経営としてどうなのか…正直なところ、判らない。失敗する可能性も、もちろんある。だからこそ、慎重になって、なかなか踏み出せないでいる部分もある。一時期、占いハウスは全国的にも増えたが、今また減少しつつあるように思う。物珍しい時代は過ぎた。占いハウスとしての魅力よりは、占い師個人の魅力や実力の時代に入りつつあるせいだろうと、私は思う。ただ、私は、若い方達になるべくチャンスを与えたいと思っているので、いずれは経営に乗り出すだろう…という予感はある。
多分、運命の神が、私にとって、もっとも良い時期や場所を、提供してくれるまで、もう少し待っていろと、云われているような気がしてならない。

Posted by 0075 09:15:12Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

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