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プロの占い師が集う[占いブログ]
占い師プロフィール

占いハウスの経営

2005-11-30

その話は去年から始まっていた。ある経営の傾いた占いハウスのオーナーが、私に「経営を引き継いでくれないか?」と、打診してきたのだ。私は迷った。そして、一度は、引き受ける方向で考えもした。だが、オーナーとの話し合いの中で「現在の店舗を、そのままの名称や形態で引き継いで欲しい…」というオーナーと「やる以上は、私のやり方に変えさせて貰う…」と云う私の主張とは平行線となり、結局、お断りすることにした。
こうして、いったん、占いハウスの経営は宙に浮いた格好になった。だが、話の過程で、わざわざ人のものを引き継がなくても、最初から自分でスタートさせる形の方が、気持ち良く始められそうなのに気付いた。幸いと云うべきか、その話が来たお陰で、私は自分の知り合いや教え子の占い師達に声を掛け、何人もの方から「波木先生が占いハウスを経営するなら、ぜひ参加させて欲しい」という意思表明を頂いていた。つまり、多くの方達が、最初に躓く人材に関しては、私の場合すでに決まりかけていたのだ。したがって、その話が宙に浮いたことで、今度は声を掛けた方達に対して、どうすべきか…迷うことになった。つまり、手っ取り早く、新たな気持ちで、単独で占いハウスの経営に乗り出すか、それとも、慎重に様子を見て、時期を待つべきか…今一歩、踏み出せないで居るのだ。
たまたま昨日も、ある関係者の方とその話しになった。その方によると、最初に話を持ってきたオーナーの方は、何とか私の代わりを見つけ出そうと必死になっているようだ。私の方は、もう、そこを引き継ぐ気は完全に失せている。
私が経営する場合、売り上げの4割を私が頂く、と云うことで占い師の方達には既に伝えてある。占い時間、占い占法、占い料金など実占に関しては、すべて個々の占い師さんのやり方で行って貰う。したがって、一般の占いハウスのように統一料金のようなことはしない。極端な話、1人から1万円を取っても良いし、千円で見ても良い。そういうやり方を貫くつもりだ。元来、占いに統一料金的なものを設定すること自体、私に云わせればおかしい。過日も、オンライン占いの製作会社と話し合ったとき、どうして一律にしようとするのか、理解に苦しむことを伝えた。こう云うものは、趣向品と同じで、さまざまな料金設定がある方が自然なのだ。私は、自分自身が、あまり拘束された中で仕事をすることが好きではないので、自分が経営する場合でも、占い師の方達にそれぞれ自由にやってもらいたいのだ。
もちろん、このようなやり方が、経営としてどうなのか…正直なところ、判らない。失敗する可能性も、もちろんある。だからこそ、慎重になって、なかなか踏み出せないでいる部分もある。一時期、占いハウスは全国的にも増えたが、今また減少しつつあるように思う。物珍しい時代は過ぎた。占いハウスとしての魅力よりは、占い師個人の魅力や実力の時代に入りつつあるせいだろうと、私は思う。ただ、私は、若い方達になるべくチャンスを与えたいと思っているので、いずれは経営に乗り出すだろう…という予感はある。
多分、運命の神が、私にとって、もっとも良い時期や場所を、提供してくれるまで、もう少し待っていろと、云われているような気がしてならない。

Posted by 0075 09:15:12Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

回転する人々

2005-11-27

占いを教えている生徒さんがカタログを持ってきた。私が紹介した占い用品専門店から、カタログを取り寄せたらしい。私に、どの易占用具を購入すれば良いか、確認して欲しいと言う。その専門店の占いグッズは、他店と比べると、驚くほど安い。ただし、あまり品物としては良くない。だから、私としては、あまり勧めたくないのだが、本人が直接頼む分には構わないと思うので、紹介している。
占い用具の価格というのは考えもので、高価だから良いともいえないし、安いから当たらないと云うものでもない。私なども、易占用具などは今から25年以上も前に、購入した物をそのまま使っている。ただ、あまりちゃちなものはプロ占術家である以上、見た目も良くないので、勧めたいとは思わない。ただ、最初練習用として持つのであれば、どんなに安いものでも構わない。筮竹を竹ひごで、算木を小さな木片で、筮筒を小さな花瓶を利用し、自分ですべて製作した生徒さんも居るが、占うという目的だけであれば、その方がむしろ思い入れが入っているので的中する可能性もある。
タロットカードなどの場合、絵を描くのが得意な方は、自分自身で制作してしまった方が、魂のこもった占いが出来るに違いない。実際、私自身も作成しようとしたが、あまりに制作費が掛かりすぎるので、途中で止めてしまった経緯がある。ただ、私の知り合いの女性占い師の方は、元々画家志望だった方だが、オリジナルのタロットを製作していて、それで占っている。欧米でも、そういう占い師の方は多い。
私はさまざまな種類のタロットカードの中から、自分が気に入ったカードを探し出すこと自体が楽しいので、現在は自分がタロットの本でも執筆しない限りは作成しようと思わなくなった。タロットが好きな人にとって、カタログの何十種類、何百種類もの中から、自分のお気に入りを見つけ出すのは、それだけで楽しいものだ。一時期、集めもしたが、生徒さんにあげてしまったものも多く、現在では手元に十種類くらいのカードしかない。私の場合はエジプト系のカードが多く、金色の浮き出し文様のカードが一番のお気に入りだが、このカード実占には使えない。どうしてかというと、滑りすぎて、スプレッドの本来の位置にきちんと留まっていてくれないのだ。
「タロット」という言葉の秘教的な意味の中に「回転する人々」と云うのがある。確かに、タロットの図柄の多くはさまざまな人物像である。そして、タロットのシャッフルは、回転させながら行う。すなわち「回転する人々」なのだ。そして、その回転する人々が、守護麗でもあるかのように、未来の言葉を告げに来る。そう考えると、まるでカード(回転する人々)が、無数の先祖集団のように思われてくる。
「回転する人々」には、もう一つの意味がある。これはカードの中の「運命の輪」とも重なることだが「運命」という舞台装置の回転の中で、徐々に表舞台に現われて行く人と、その入れ替わりのように裏舞台に消えて行く人と、歌舞伎の回り舞台のように「人間の運命」と呼ぶ名の人生は、次々と主役が交代するように作られている。
自分は今、回転する舞台装置の中の、どの位置に居るのだろうか…そのような意識に立つと、カードを回転させるごと、無数の先祖集団が渦を巻いているように思えて…タロットの神秘に改めて触れるに違いない。

Posted by 0075 06:03:18Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

運命はどこまで変えられるか

2005-11-26

経済雑誌の1月号を買ったら、2005年末から2006年にかけての日経平均株価の予測が、4人のプロアナリストによって掲げられていた。ところが、その予測がおかしいのだ。年内は、13500円〜14500円で動くと予測し、2006年も12000円〜16000円位の間を推移する―と見るアナリストで占められている。
何故おかしいのかと云うと、もう既に11月25日付終値で14784円に達しているからだ。つまり、280円あまりも1ヵ月以上も前に、彼らの年内予測値を超えて来ているのだ。どうしてこのようなことが起こるかと云うと、雑誌の性質上、原稿は11月初旬に書かれたものだからである。ハッキリ云えば、彼らの想定外の上昇だった、ということになる。とは云うものの、それを予測するのが彼ら経済アナリストの仕事ではないのか。彼らを批難したいのではなく、将来の予測というものは、このように難しいものなのだ。
ちなみに、今度は去年の経済誌から、20人の相場のプロ達が、今年2005年の日経平均を予測している記事があるので記してみると、20人のうち10人が今年の平均株価を12500円〜13000円位であろう、と予測している。20人の内、ただ1人だけが14500円に達すると云い、10500円に下落する、と的外れな予測をしたアナリストも二人いた。つまり、20人ものプロ達が予測して、誰一人も昨日までの日経平均14784円を予測できなかったのだ。
何故、このような事実を書いたのかと云うと、人間の常識的な予測は往々にして、現状認識に捉われすぎる―ことに気付いて欲しいからである。つまり、あくまでも今現在の状態を基準として考えてしまうから、将来の大きな変化、変身と云うものを想定できなくなってしまうのだ。人間の運命を考える場合でも、現状認識に捉われすぎると、大胆な未来予測が出来ない。多くの人が、自分の運命について、諦めてしまうのは、この点にある。
けれども、人間の運命も株価の予測と同じで、今現在、例えどのような環境に居たとしても、どういう状態であったとしても、そこから抜け出す意志さえ強く持っているなら、いくらでも運命を変えていくことは可能なのだ。運命は変えられない、などという思い込みこそが、運命の改善を不可能にしているのだ。だから、そういう間違った思い込みだけは、ぜひ止めるべきだ。運命はいくらでも変えられる。現状認識に縛られなければ…。
つまり―運命だから、ここから抜け出すことは出来ない―という思い込みさえ捨てることができれば、驚くほどの変化・変身を遂げることが可能になっていくのだ。日本の平均株価は、日本の経済に先行して動く性質を持つ。奇妙なことに、経済の実態は株価の後にやって来る。構造改革や行政改革をやり始めたことで、日本全体の意識が変わり、日経平均が動き出した。同じように、不運に喘いでいる人は、先ずは意識改革が必要なのである。つまり、変われるんだ…という思い込みが必要なのである。そこから、運命の変化が始まる。
本人の意識が変わらなければ、どんなに占い師が頑張ったところで、運命的環境は変わらない。その代わり、本人さえ変わろうと努力し始めれば、そして変わっていく未来の自分の姿をイメージする想像力さえ持っているなら、間違いなく未来の運命は変わっていく。現状認識以上に変わっていく。大きく飛躍し、別人かと思うような姿になって活躍しているあなたを、私はこの眼で見てみたいのだ。

Posted by 0075 10:32:10Comments(2)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

友人占い師の出版

2005-11-24

私の友人占い師から「出版が決まりました」という喜びのメールが届いた。出版社巡りを止め、企画書を出す形に変えて、6社目でようやく出版の運びとなったらしい。そこは専門性の高い占いの本を出版してくれる数少ない出版社で、4500円の箱入りの本になるらしい。もっとも、1300部の出版で、その内の300部は買取りといって、彼自らが買い取る形での出版だ。こういう単行本の売れない時代においては当然のことなのかもしれない。
実は、私自身も、その出版社の社長から声を掛けられていて、もう6年も前に出版の話は決まっていた。ところが、その当時私には私生活上で色々な出来事が起こり、執筆どころではなくなってしまっていた。書き出した原稿は、途中でストップしたまま今も私の手元にある。確か半年で書き上げる約束をしていたため、私としては期限が切れたものを今更書き続ける気にもなれず、約束を破ってしまった後ろめたい気持だけが今もくすぶっている。
確かあの時、社長は「波木先生の好きなように書いて良いよ。本格的なものの方が良い。図解も全部、波木先生が描いたものを使うよ。ただ、手相だけよりも、手相・人相合わせた形のものが良い。A5箱入りの豪華本にするよ」そう、あの時も、箱入り本にすると云ってくれていた。私は内心、箱入り本というのは、あまり売れそうもなくて不満だったが、豪華な本というのも捨てがたく、了解することにした。実際、その後も、その出版社は占いの専門書を何冊も出し続けていた。それらを見る度、こういう本は一般的には売れないだろうなぁ…と思いながらも、約束を果たせないでいる自分に苛立ったりもした。私は約束した2年目くらいから、本当はもう執筆できる時間は取れるようになっていたのだが、遅刻してしまった学校をサボってしまう生徒のように、原稿用紙を開くこともなくなってしまっていた。今、また新しい雑誌社から出版の話が来ている。そちらの方は、企画から編集まで、元々が出版社なだけに全部お任せで、私の方は執筆するだけの大衆向けの本になる予定だ。否が応でも書かなければならない形の方が、私のような怠け者には相応しいのかもしれない。低俗な私は、売れない専門書より、売れる企画本に手を出してしまった悪い仕事人のように、うつむきながら企画内容が届けられるのを待っている…。

Posted by 0075 05:46:26Comments(0)TrackBack(0) │その他

だから、波木星龍は嫌われる

2005-11-23

実は、全く同じタイトルで、今書き上げた文章が、投稿・確認しようとしたら、画面から消えてしまった。最近、どういうものか、同じようなことが起こる。昨日だか、一昨日だったかは、確認画面が投稿場面にどうしても切り替わらない。切り替わるのに5分以上掛かるなんて、何か変。これは、私のパソコンのせいなのか、或いは、霊さんのせいなのか、このブログの機能のせいなのか判らないが、まあ同じことを長々書くのも面倒なので、同じタイトルながら、全然別のことを記すことにした。
昨日、私の占いサイトを制作しているスタッフの方から、電話があった。「波木先生のサイトのユーザーの方達を分析しますと、先生独自の…と云う部分に興味を持たれる方が多いようで、その部分を今後、強調していこうかと思っています」
私は昔から、個性が強い、と言われてきた。以前、木星王先生が「波木さんのオリジナルを前面に出したい」として、特集ムック雑誌を出そうとしたことがある。ただ、その中に私が韓国やロシアなど海外の占い事情を取材して、独自の切り口で解説する―と云う部分があって、その費用概算の見積もりを出したら、急に雑誌企画全体を没にしてしまった。土台が無理な企画で、通訳付きの取材で韓国やロシアの占い事情を見て歩くとすれば、最低でも1週間くらいは掛かるだろう。ところが彼の頭には2、3日しかなかったらしい。そして、何を勘違いしたのか知らないが、それから急に、彼は私と距離を取り始めた。大体、雑誌の中で前宣伝をしておいて、勝手に企画を取りやめてしまうのだから、私も我が侭だから人のことは云えないが、彼もそうとう我が侭で気分屋のようだ。
ところで、私には、こういう経験が多い。つまり、最初は私のことを絶賛しながら、後になって、急に私を批判し出すような方達である。私は基本的に、本音でものを云う。或いは本当のことを書く。そうすると、必ず困る人たちが出てくる。占いの世界は、本当のことを云われたり、書かれては困る人たちが山ほどいるのだ。だから、本当のことを云ったり、書こうとすると、それはもみ消されてしまうのかもしれない。まぁ、それなら、それでも良い。
ところで、この投稿は一瞬にして消えてしまうのだろうか? それとも、ちゃんと、投稿できるのであろうか?

Posted by 0075 07:33:21Comments(2)TrackBack(0) │その他

巣立っていく占い師たち

2005-11-22

そこには、私がかつて教えた人たちの顔が、晴れやかに写っていた。ある雑誌の記事広告特集だ。
何年か前、そこで「大人気のタロット教室」を主宰していると記されている女性占い師は、悩みを抱えた1人の相談者でしかなかった。暴力夫から自立したいのだ、と私に訴えた。私は彼女の中に占い師としての素質を見出し、タロットを教えることにした。もう1人「占い研究室」の主催者として記されている女性占い師も、私から占いを学び、短期間でプロとして巣立っていった人物だった。占い師名も私が名付け親だった。もちろん、プロとなるお祝いに無料で名付けてあげたのである。
私は、私から学び、私から巣立っていった人たちが、プロとして大きく成長していく姿を何人も見てきた。不思議なもので、私が占いを教えた人たちは、最初危なっかしいスタートを切っても、やがて独自のスタイルをどんどん築き上げ、個性派の占い師として脚光を浴びていくケースが多い。「本当に私なんかがプロになっても大丈夫でしょうか…」などと云っていた人物が、数年後には、まるで波木星龍なんて占い師なんか知りません…とでも云いたげに、自信を持ってマスメディアに登場してくる。それで良いと、私は思っている。
私は、私の教えた方達が、プロ占い師として、少しでも多くの悩める人たちの幸福の導き手になってくれれば、私としての役割は多少なりとも果たしているように感じ、そのことには嬉しさを感じる。だが同時に、その占い師たちにとっては、もう私の役割は終わってしまったのかと思うと、妙な寂しさも禁じえない。
私の占いの教え方は独特なので、実践タイプの人は比較的早くプロになる。逆に、慎重型の人は、占いそのものの奥深さを感じ取って、立ち止まり、悩み、プロとなることに躊躇してしまうケースも多い。ただ、そういう方でも、いったんプロとなれば、徐々に実力を発揮し、個性は占い師として成長していく場合が多い。
占い師には、鑑定のみに優れている方もいるが、占いの教授に優れている方もいる。占いの執筆に優れている方もいる。これらの中でも、占いを教授すると云うことは、プロ占い師を育て上げ、世の中に送り出し、その結果として多数の人たちが、その方に人生を預けるようになるのだから、ある意味では一番責任が思い。
私は、教えるとき、一切教科書というものを使わない。自分が書いた本も使わない。すべてぶっつけ本番で、1対1の形でホワイトボードを使って教えていく。ノートに書き取るのも、テープに録音するのも自由だが、書きなさい―とは一切云わない。以前、大勢の人たちを一堂に集めて教えたこともあったが、そういう教え方だと、個々の吸収力に差があるので、こういうものの教え方としてふさわしくない、と思うようになった。
占いは、占いそのものの知識や技術を教えることももちろん大切だが、その前に人間の運命というものに対しての考え方の基本と云うか、姿勢と云うか、その部分を身につけさせることの方が、はるかに大切だと私は思っている。多分、そういう部分を本能的に吸収するから、私から巣立っていった占い師の方達は、独自のスタイルを確立されていくのに違いない。
以前は、私は「波木流」とも云うべき私独自の見方、判断の仕方を、世の中に流布して欲しいと真剣に思ったものだ。けれども、最近は、むしろそれぞれが個性的な自分の見方を確立していって、宗家にでもなってくれれば良いと思っている。よく弟子を自分と全く同じスタイルにしなければ気の済まない方もいるが、弟子は子供と同じで、個性的に育っていく方が良い。
私は、多分、あまり世の中に貢献していない占い師だと思うので、その意味でも、私のマネなどせぬよう、世の中に貢献できる占い師として巣立っていかれるよう心から願っている。

Posted by 0075 05:16:58Comments(0)TrackBack(0) │その他

『風水鑑定完全マニュアル』の著者からの抗議について

2005-11-21

私は、このブログを通じて色々と記しているが、あまり反応らしいものがないので、特にコメントを読むこともなく、気の向くまま書き綴っている。
そういう私でも、どう云う訳か、たまたまコメントのところを念のため見て、ドキッとするような文章に出会うことがある。先日『風水鑑定完全マニュアル』の感想・批判を書いたら、何とその著者本人から、反論が届いたのだ。正直、ドキッともし、嬉しくもあった。本人から反論が届くなど、夢にも思っていなかったからである。と云うことは、誰にも読まれていないのかと思っていたが、意外や意外、読んでくれている方もいたということだ。先ずは、そのことに感謝の祈りを捧げなければならない。
ところで、この本の著者(月読麗人さん)は、私に対して「中国風水でマンションなどの八宅方位は、棟全体で捉えると158頁に記してあるから、波木先生の指摘は正しくない。訂正して欲しい」との趣旨のようである。確かに、そのように記してはある。その点だけでいえば、私の指摘にも問題はある。但し、彼(?)は、根本的な誤りを犯しているのに、何故、先ず第一にそれを認めようとしないのだろう。
確かに、158頁には、そう記してある。しかし、それは第六章であり、宅気そのものの見方は第三章から始まっている。通常、本と云うのは前の方から順に読んでいくものだ。その第三章には、一戸建てとマンションのような集合住宅と、宅気の取り方が異なることについて何の説明もない。
つまり、風水について元々知識のない方が読まれた場合、これでは自室の玄関=宅気を定める基準と解釈してしまうだろう。根本的な説明が、最初の部分で欠けているのだ。大体、月読氏は「宅気」の根本をきちんと把握しているのだろうか。宅気と云うのは、実は玄関の向きで定めているのではないのだ。人間で云えば、背中はどこか―と云うことを求める方法なのである。つまり、家の背面を基準として、鑑定するためのものなのだ。だから、極端な話、家の構造が複雑であれば、玄関の反対方向が宅気にならないこともある。そういうものであることを著者は知っているのであろうか。決して、玄関が宅気を求める最終基準ではないのだ。ただ、おおむね玄関の向かい側が家の背面に当たるので、玄関を基準とするよう指導しているだけなのである。
先ずは、そういう根本的なことから、記していかなければ、正しいテキストとはなりえない。では、何故、家の背面を基準とするのか。これは、元々風水の原点である「繁栄する王宮」の考え方から来ている。中国における風水と云うのは、元々一般の家屋を対象として研究されたものではない。その根底にあるのは繁栄し続ける為の王宮建設法なのだ。だから、背面が大切なのである。敵に攻め込まれない為には、何よりも背面に気を配らなければならないのだ。中国の墓相も、沖縄の墓相も、背面を重視してある。背後から包み込まれるような景観の場所に、王宮は建設される。
元々が、そういう意味合いから来ている見方が、宅気による鑑定方法なのだ。たぶん、月読氏は知らなかったに違いない。だから、集合住宅は、棟全体で見なければ意味がないのだ。百歩譲って、著者は第六章で図については説明してあるから、良いではないか…と云うかもしれない。
ところが、著者は、本命卦と宅気との吉凶がそれぞれ異なる場合を告白しながら、もし異なる場合は、本命卦の方を主体に判断すべきと主張しておられる。それでは、沢山の人が一緒にその家で暮す場合はどうなのか。多分、著者は、その家の主とも云うべき人物に合わせて…と云うだろう。冗談じゃない。皆、それぞれ生きているのだ。
その家で暮す人達に吉凶が生まれてくると云うなら、その家の持つ家相と方位作用とを、もっとも重んじなければならない。そうでないなら、家の相を観ること自体無駄である。逆に、もし本命卦が重要というなら、家相などどうでも良いではないか。家相を考えること自体、意味がない。しかも、それぞれの家族が、それぞれの好ましい方向を見ながら座るなんて、実際に日々実践できることではなく、生活と云うものを頭から無視している。細かく規定しすぎると、まるで応用の利かない風水となることに、どうして気付かないのだろう。
ちなみに、私には『波木流風水・幸運の法則』と云う著書がある。もし、興味を持たれるなら、先ずはそれに目を通した上で、反論されたい。

Posted by 0075 20:58:49Comments(2)TrackBack(0) │その他

二つのオマケ付き財布

2005-11-21

通販の雑誌やカタログが送られてくるたび、気になるページがある。私の場合は、財布とカメラのページだ。洋服類よりも、そっちの方が、私の購買欲を刺激する。
普段、私は自分にとって余分な買い物はしない方だが、時折自分でも何でこんなものを買ってしまったんだろう…というような物を手にしていることがある。その代表がカメラと財布だ。そして今回は財布だった。ハッキリ云って、まだ財布を買い換える時期ではない。ただ、通販雑誌を見ている内に、どうしても欲しくなってしまったのだ。
通販は時々そうなのだが、実際に品物が届いてみると、がっかりしてしまうことがある。今回もそうだった。ワニ革の財布なのだが、もう少し厚手のものを私としては想像していた。雑誌写真で見た印象からすると、少し貧弱に見える。ワニ革部分が貧弱と云うのではないのだが、札を入れるマチ(底)の部分に厚みが欲しいのだ。これだと、何十枚もの札が入りそうにない。もっとも、実際には、何十枚もの札は入ったためしがないのだから、土台が必要ないのだが、私に云わせると、そうでもないのだ。
つまり、最初から、何十枚もの札が常に入ることを想定して作られているような財布を普段から持ち歩くようにすると、自然とそういう生活がやってくるはずなのである。「風水」という占いは、そういう原理から、作られた法則のオンパレード占いなのである。そう、元々観相学(相を見て判断する占い)というのはそう云う考え方をする。人が相を作り、相が人を作る―つまり、その人の立場や生活が変ることでそれに応じた人相・手相へと変り、その逆に人相・手相・家相・姓名相などを変えることによって、運命・人生も自然に変わってゆく。財布やバッグなども、その人の運勢を左右する「相」の強力な武器なのだ。女性の場合は、財布よりもバッグの方に、その作用が強く出る。そういう意味で云うなら、財布やバッグは、あまり安っぽい物を普段持ち歩かないことが財運を良くする秘訣と云える。ただ、誤解されると嫌なので、記しておくが、これはブランド物を持て、と云うことではない。ブランドはどうでも良いが、出来れば高級な革を使用したガッチリとした印象のものを持つのが良い。
私は昔、海亀の財布を持っていた。これは甲羅部分が浮き出ていて妙に高級感があった。確かに、今考えると、私はこの財布を所有していた時期、本来の収入外のお金が舞い込んで来たものだ。その後牛革に変え、その後オーストリッチに変え、さらに何かの動物革に変え、それからカモシカ革に変え…多分、現在に至っている。まあ、気分の問題も含めて、堅く、光沢があって、表面が少し飛び出ている感じの革が私は好きだ。あまりヨレヨレした感じの革は、何となく金運が逃げて行きそうで私は好まない。大昔、布の財布を贈られたことがあるが、気持だけ受け取って、一度も使ったことがない。
本当は長財布の方が、観相学的には金運を強めるのだが、私はズボンのポケットにすんなり入る財布で無ければ嫌なので、長財布は所有しているが実際に持ち歩いたことがない。夏場でも上着を着て歩く人であれば、長財布の方がオススメではある。考えて観ると、土台が本当のお金持ちは、折りたたみ式の財布を持ち歩かないもので、その時点で、自ら観相学的な金万の相に背いていると云える。
ただ、このワニ革の財布、予期せぬオマケが付いて来た。明らかに女性用と思える黒の手袋と、金色のキーホルダーである。二つも予期せぬオマケが付いてくるなんて、縁起が良い―と云えば確かに良い。こう云う感じで、最初からオマケが付くなら、本来の収入外のお金も入って来るかと…いささか期待して、気に入らなかったはずの財布が、まるでサンタクロース用の靴下と同じように…愛着がわいてきた。

Posted by 0075 05:54:02Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

背中のほころび

2005-11-20

夜、久しぶりに街へ出た。霙が降っていたが、大通り公園のイルミネーションは、そのほうが美しい。沢山の観光客らしい人々が写真を撮っている。
たまに、我が街・札幌を、改めて観光地だな、と思う瞬間がある。雪祭りなど、その典型で、自分が札幌に暮すようになると実際にはあまり見ないが、多数の観光客が訪れると、それで雪祭りの持つ観光地ならではの生命力を感じる。美しい街に住むというのは、それだけで海外に出たとき誇りに感じるもので、フィリピンで観光地に案内されたとき「これが観光名所なの?」と、現地人に解らない日本語で呟いてしまった。
日本には観光名所が多い。札幌など、寒くなければ、もっと観光地としての評価が上がるのではないだろうか。北海道生れの私でさえ、冬の寒さは嫌なのだから、ましてや暖かいところで育ったなら、北国を訪れるのには勇気がいるに違いない。
かつてスイスに行ったとき、関西地方から来た人々とツアーで一緒になった。関西から来ている人たちは、盛んに「寒い」を連発していたが、私達道内からの参加者は、誰も寒いと云わなかった。実際、寒くなどなかった。北海道の雪よりも、スイスの雪の方が、さらさら感があった。私など、上着の下に今着ている黒いセーターを着込んだだけで十分だった。そう、この黒いセーターである。
あの時は、どこもほころびていなかったセーターだが、今は背中にほころびがある。どうしてなのか解らないが、私の場合、背中からほころびて行くケースが多い。紺藍色のセーターもそうだった。それで、12月に旅行することになったので、昨日、思いついて薄手のセーターを購入した。セーターは、当たり前のことだがポケットがないので、上着を羽織らないと、旅行用として使用しにくい。そこで薄手のセーターが役立つ、ということになる。Mサイズが少なく、暗いな…と我ながら思いながら、黒のカシミアセーターを買った。特別な日らしく、3割も負けてくれたので、儲かったような気になり、パチンコに寄ったら、その十倍も負けてしまった。
「セーター」と云う言葉には、母親のようなぬくもりが感じられる。男性でも女性でも、取り立てて派手な飾りやデザインでもないのに、妙にセーターを着ると爽やかに優しく見える人物がいる。女性の場合、加えて美しく見えるものだ。そういう人は、家庭的な幸福が得られる運命のように感じられてならない。それは、ただ単に私のイメージなのだろうか。それとも、奇妙な真実なのであろうか…。

Posted by 0075 05:45:36Comments(0)TrackBack(0) │占い師のひとりごと

海に面した露天風呂

2005-11-19

25名以上でなければ成立しないツアーが、無事人数が集まって決行することが正式に決まった。国内ツアーというのは、あまり好みではないのだが、海外に行くほどの予算と時間とが取れそうもないので、とりあえず国内で我慢することにした。
最初、国内なら手短な場所にしようかと思っていた。函館にしようか、洞爺にしようか、定山渓にしようか、阿寒にしようか…長崎にしようか、東京にしようか…迷いながら、なかなか決めきれずにいた。本当は、インターネットで湯の川に予約を取りかけたのだが、外出間際で時間がなくなって、結局入力が面倒になり、止めてしまった。
そんな矢先に旅行会社からパンフレットが送られてきた。どうせ休みを取って出かけるなら、国内でも海外のような珍しさを感じさせる場所が良い。パンフレットで見つけたのが、このツアーだった。
何しろ、泊まるホテルが興味深い。一泊目は大阪ベイタワー、電気かみそりのような形のホテルだ。30階以上の高層階に泊まる、というのも良い。二日目は全室オーシャンビューの露天風呂付きロイヤルホテル、そして三日目が海に面した露天風呂が自慢という勝浦のホテルだ。
パンフレットには「海の見える露天風呂で至福のひとときを―」と、書いてある。素晴らしいうたい文句だ。それほど温泉好きではない私が、何となく行って見たくなったのだから、温泉好きにはたまらないだろう。
高野山や伊勢神宮に行くのも良い。どちらも霊格が高くなりそうな場所じゃないか。高野山を開いたのは弘法大師だが、私の弟は、幼い頃、誰だったか忘れたが、耳の形が弘法大師に似ているといわれたのを記憶している。ところが、その弟、頭は弘法大師に似て(?)良いのだが、運気はいたって振るわない。いつも「成功したら何千万という配当金を毎年上げるからね。待ってるんだよ」などと、寝た子を起こすようなトボケたことを云い続けているが、一向に成功する気配がない。
同じ言葉を十数年も聞き続けていると、その気配もないのにそう云う気分になってくるからおかしなものだ。いや、弟のことなど云えたものではない。私にしたって、どうもこのところ、運気があまり良くないではないか。ここは一つ、高野山の仏や伊勢神宮の神で、霊格と運気とをう〜んと高めて来なくっちゃぁ。

Posted by 0075 14:40:58Comments(0)TrackBack(0) │その他

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