私は、このブログを通じて色々と記しているが、あまり反応らしいものがないので、特にコメントを読むこともなく、気の向くまま書き綴っている。
そういう私でも、どう云う訳か、たまたまコメントのところを念のため見て、ドキッとするような文章に出会うことがある。先日『風水鑑定完全マニュアル』の感想・批判を書いたら、何とその著者本人から、反論が届いたのだ。正直、ドキッともし、嬉しくもあった。本人から反論が届くなど、夢にも思っていなかったからである。と云うことは、誰にも読まれていないのかと思っていたが、意外や意外、読んでくれている方もいたということだ。先ずは、そのことに感謝の祈りを捧げなければならない。
ところで、この本の著者(月読麗人さん)は、私に対して「中国風水でマンションなどの八宅方位は、棟全体で捉えると158頁に記してあるから、波木先生の指摘は正しくない。訂正して欲しい」との趣旨のようである。確かに、そのように記してはある。その点だけでいえば、私の指摘にも問題はある。但し、彼(?)は、根本的な誤りを犯しているのに、何故、先ず第一にそれを認めようとしないのだろう。
確かに、158頁には、そう記してある。しかし、それは第六章であり、宅気そのものの見方は第三章から始まっている。通常、本と云うのは前の方から順に読んでいくものだ。その第三章には、一戸建てとマンションのような集合住宅と、宅気の取り方が異なることについて何の説明もない。
つまり、風水について元々知識のない方が読まれた場合、これでは自室の玄関=宅気を定める基準と解釈してしまうだろう。根本的な説明が、最初の部分で欠けているのだ。大体、月読氏は「宅気」の根本をきちんと把握しているのだろうか。宅気と云うのは、実は玄関の向きで定めているのではないのだ。人間で云えば、背中はどこか―と云うことを求める方法なのである。つまり、家の背面を基準として、鑑定するためのものなのだ。だから、極端な話、家の構造が複雑であれば、玄関の反対方向が宅気にならないこともある。そういうものであることを著者は知っているのであろうか。決して、玄関が宅気を求める最終基準ではないのだ。ただ、おおむね玄関の向かい側が家の背面に当たるので、玄関を基準とするよう指導しているだけなのである。
先ずは、そういう根本的なことから、記していかなければ、正しいテキストとはなりえない。では、何故、家の背面を基準とするのか。これは、元々風水の原点である「繁栄する王宮」の考え方から来ている。中国における風水と云うのは、元々一般の家屋を対象として研究されたものではない。その根底にあるのは繁栄し続ける為の王宮建設法なのだ。だから、背面が大切なのである。敵に攻め込まれない為には、何よりも背面に気を配らなければならないのだ。中国の墓相も、沖縄の墓相も、背面を重視してある。背後から包み込まれるような景観の場所に、王宮は建設される。
元々が、そういう意味合いから来ている見方が、宅気による鑑定方法なのだ。たぶん、月読氏は知らなかったに違いない。だから、集合住宅は、棟全体で見なければ意味がないのだ。百歩譲って、著者は第六章で図については説明してあるから、良いではないか…と云うかもしれない。
ところが、著者は、本命卦と宅気との吉凶がそれぞれ異なる場合を告白しながら、もし異なる場合は、本命卦の方を主体に判断すべきと主張しておられる。それでは、沢山の人が一緒にその家で暮す場合はどうなのか。多分、著者は、その家の主とも云うべき人物に合わせて…と云うだろう。冗談じゃない。皆、それぞれ生きているのだ。
その家で暮す人達に吉凶が生まれてくると云うなら、その家の持つ家相と方位作用とを、もっとも重んじなければならない。そうでないなら、家の相を観ること自体無駄である。逆に、もし本命卦が重要というなら、家相などどうでも良いではないか。家相を考えること自体、意味がない。しかも、それぞれの家族が、それぞれの好ましい方向を見ながら座るなんて、実際に日々実践できることではなく、生活と云うものを頭から無視している。細かく規定しすぎると、まるで応用の利かない風水となることに、どうして気付かないのだろう。
ちなみに、私には『波木流風水・幸運の法則』と云う著書がある。もし、興味を持たれるなら、先ずはそれに目を通した上で、反論されたい。