pagetop

プロの占い師が集う[占いブログ]
占い師プロフィール

ツギ・ハギ世代

2005-11-18

電車の中で、私の横にアナを開けたジーンズ、私の向かいにツギの当たったジーンズを着ている若者が座った。二人とも男性だった。
もちろん、彼らはファッションとして、オシャレとして、そういうジーンズを穿いている。だから、いささか誇らし気でさえある。今回は男性だったが、女性でも、そういうファッションを時々見かける。私は、そういう若者達を見ると、豊かな家庭に育っているんだなぁ…と、つくづく思う。経済的に豊かな家庭に育っているから、そういうファッションに抵抗がないのである。
もっとも、私自身、そういうファッションをしていなかったか、と云えばそうではない。私は4〜7歳くらいの頃に、そういうファッションをしていたのだ。もちろん、自分の意志でなく、着させられていたのだ。貧しかったからである。当然、周りは誰も、そういうファッションと云うか、服装というか、していなかった。ある意味で、私は何十年も前に、ファッションの先取りをしていたのだ。と…云えば聞こえは良いが、要するに、それしか着るものがなかったのだ。そういう家庭で私は育った。
上着やズボンだけではない。下着までも、私のファッションは先取りスタイルであった。幼心に、貧乏は嫌だ、といつも思った。特に銭湯に行くのが嫌だった。下着くらいは、新しいものを着けたかったからだ。別に、私自身は、何も悪いことはしていないのだが、自分はその場所に居てはいけない人のような気がしていた。
銭湯の中央では、決して着替えなかった。隅っこで、隠れるように、そそくさと着替えたものだ。せめてあの時代、そういうファッションが流行っていたなら、もっと堂々と、誰に臆することもなく、着替えられたに違いない。
北朝鮮など、世界の貧しい子供達は、多分ファッションとしてではなく、否応なくアナやツギの洋服を着て生活しているだろう。そういう子供達の気持ちは、痛いほど判る。
電車の中で、となりと向かいに座った若者は、そういう子供達がこの電車に乗り込んできたとき、どういう反応を示すのだろう。靴下に穴が開いても、なかなか捨てようという気にならない私は、幼い日々を引き摺りながら、今日も生きている…。

Posted by 0075 11:21:12Comments(0)TrackBack(0) │その他

2万円も違うって…どういうこと?

2005-11-17

その不動産屋さんは、案内してくれるとき、盛んに「今度のはオススメ物件ですよ」と、強調した。三件目の物件だった。
車から降りたとき、夜だと云うのに、その円筒形をしたビル・マンションは、なぜか第一番に目に飛び込んできた。判りやすい。地下鉄からの出口の隣でもあった。立地条件としては、これ以上ない。
室内も、内装が真新しくなっているだけに、新築マンションのようだ。何よりも四室すべてが、ベランダに面している部屋―というのが凄い。12階だけに、ベランダからは、札幌の中心部が一望できる。「同じライオンズマンションでも、ここはレベルが最も高いんです。豪華でしょう。私が住みたいくらいです」確かに豪華だ。
「実は、ここは最初13万円だったんですよ。でも、駐車場がないため、なかなか決まらなくて…それで11万に落としたばかりなんです。分譲で四千万以上の物件ですから、絶対お得ですよ」
「エアコンは付いていないんですね」
「北海道のマンションで、エアコン付って、あったかしら…」
「だって全部の部屋がベランダだと、夏場は暑いですよ。エアコンがなきゃ、大変だと思うなぁ。取り付けても良いなら、前向きに考えますけど…」
「じゃ、駄目モトで、訊いてみますね」
確かに、マンション位置は教えやすく、すぐに判る。自宅と職場とを兼ねる私の職業では、来客の方にとって、場所が判りやすいこと、駅から近いことは絶対の条件だった。それに、私好みの高層階であることも条件的に合う。本当は最上階が良いのだが、まぁ、14階建ての12階なら、良しとしよう。11万は高いが、この豪華な造りで、ということを考えれば、むしろ安い。問題は、エアコンが取り付けられるかと、占いの営業許可が下りるかだ。
翌日、案内してくれた不動産屋さんは「費用さえそちらで持つのであれば、エアコンの取り付けはOKだそうです。営業も、そんなに頻繁に来客が来るというのでなければOKです」
「そうですか。それでは前向きに考えようと思います」と、返事はした。だが、私は迷っていた。
第一、私は、どうして引っ越そうとなどしているのだろう。別に、今居る所が、特別問題があるわけでもない。しいて云えばやや狭いが、我慢できないほどでもない。実際に捜して見ると、広い部屋の賃貸物件は少ない。3LDK以上の物件は、分譲リースになってしまうのだ。したがって高くつく。ましてや、私のように、高層階を求めるとなると尚のことである。
条件を満たす物件は貴重だ。ただ、家賃は今より高くなる。電話番号も変わり、これまでのお客さんたちが、そのままの形で続いて来てくれる保障はない。それでなくても、最近は来客数が減っている。大丈夫だろうか。それに、今、引っ越すのは時期的にも厄介だ。雪が降り始めているし、これから準備してだと、年末近くになってしまうかもしれない。
それに、もう一つ気に掛かっていることもある。方位が良くないのだ。九星気学で云う「五黄殺」だ。反面、運気を切り替えるためにも動いた方が良いような気も、どこかではする。
翌日、不動産屋さんから電話があった。
「実は、謝らなければならないことがありまして…」云いにくそうに、その後を継いだ。「実は、11万とお伝えしたのですが、…そうではなく13万と云うことになってしまったのです。」
「どう云うことですか?」
「管理費が2万円分、プラスされることになったのです」
「でも、頂いたパンフレットには、管理費は記入されていませんよ。それに、13万から11万に変わったと、云ったじゃないですか」「そうなのですが…申し訳ありません。私も、おかしいとは思うのですが…そう云ってきたものですから…」
う〜ん、何となく貸し方の心は読めるようである。借り手がないから値を下げた。そうしたら、すぐ、借りたい人が出て来た。しかも、エアコンを自分の費用でも良いから取り付けたい、と申し出ている。多少、値を上げても、借りるだろう。そう踏んでいるのではないだろうか。けれども、それって詐欺のようなものじゃないですか。
たまたま、友人の占い師から電話が掛かってきたので、そのマンションに引っ越すことが良いかどうか、占ってもらった。「先生、絶対引っ越すわよ。しかも、それが良いって出ているし…」「絶対、引っ越すとは決めてないよ」「ううん、絶対引っ越すって、間違いないわ。仕事運も良くなるし…お金の面なんか心配ないわ」
口には出さなかったが、お金のことなんて心配ない、と云われても、収入面には不安がある。大いにある。絶対に住むと云われて、益々迷ってしまった。最初にケチが付いた住居だけに、特に金運に関しては、そこへと行くことでトラブルに巻き込まれないか、心配なのだ。もしも私に守護霊が付いていて、危険を察知してくれているなら、多分、何らかの方法で私をそこへと行かせないだろう。そして、偶然が重なり、私をもっとも望ましい住居へと導いてくれるに違いない。

Posted by 0075 11:19:02Comments(0)TrackBack(0) │その他

占いの持つ生命力

2005-11-16

昨日、何気なく占い師・細木数子の出ているテレビ番組を見た。云うまでもなく「六星占術」で名を売った方である。彼女そのものについて、とやかく云う気はない。ただ、彼女が旗印とする六星占術は、彼女が亡くなった後、どれくらいの生命力があるだろうか…と、ふと思った。仮に、彼女に優秀な弟子がいて、後を継いだとしても、この占いそのものの生命力は、永く続かないように、私には感じられる。
古今東西に、占いの数は山ほどある。多分、細かく選別すれば、万を超えるだろう。それくらい占いの種類というのは、存在しているものなのだ。古代から現代に続く、世界中のあらゆる地域のあらゆる人々が、独自とも思えるような占いを備えていて、今日まで日常の中で行なって来ている。どんなに科学が進んでも、占いが無くなってしまうということはない。但し、昔は流行していたのに、いつの間にか、命脈を絶たれてしまった占いも多い。
私は以前から、今はもう命脈を絶たれてしまっている占いに、もう一度、命を吹き込んでみたい…と云う願望を持っていた。実際、実占の中では、今はもう幻とされているような各種の占いを、試みていた時期もある。そして、今、いくつかの占いサイトに執筆しているが、特に私の名を冠した「波木星龍 占い大全」の中では、幻とされてきた古典的占いを、オンライン占いの現代的な形に変えて、蘇らせたい…と思うようになってきた。もしかしたら、他の占い師や占いライターの方では決して出来ない、そういうことを試みることこそ、私に与えられた使命かもしれない、と考えるようになった。
すでに、二つの古典的な占いが、やがて登場する予定になっている。その占術名については、真似されると困るので、今はまだ封印しておこう。多分、あなたの知らない中国系の占いである。ただ、今の日本で、これらを実占されている占い師の方は、多分、いないだろう。知識として知っていても、実占としては、用いていないはずだ。
この二つだけでなく、私は今後、洋の東西を問わず、命脈が絶たれてしまったかに見える占いを、次々と現代に蘇らせてみたいと思っている。
個々の占いは本来、それぞれに生命力のようなものを持っていて、時代というものの中で淘汰されていく。そういう中で生き残って、今日に至っているのが、占星学であったり、四柱推命であったり、タロットであったり、易占であったり、姓名判断であったり、手相であったりするわけだ。
「天中殺」も「13星座占星術」も「動物占い」も、いつの間にか消えてしまった。もっと、短い生命力のものも多い。眠れる死者を蘇らせようという私の試みは、果たして成功するであろうか。

Posted by 0075 11:09:21Comments(0)TrackBack(0) │その他

『風水鑑定完全マニュアル』の誤り

2005-11-15

発行日付が2005年11月15日となっている月読麗人著『風水鑑定完全マニュアル』なる本を読んだ。490頁の大書である。横書きのため、やや読みづらいが、図解が豊富で、詳しく、解りやすく、書こうとしている著者の努力は窺がわれる。
著者については、不勉強なため、私はどんな方なのか、存じ上げていない。本書によれば「月読流宗家頭首」と云う仰々しい役職名(?)が付いている。
内容的には、完全に中国式の風水術で、読みようによっては、中国原本の丸写しのように、読めないでもない。どうしてかと云うと、これこれは何方位に、これこれは何方位に…と云うように、断定的に定めてあって、個々の家や部屋の造りと云うか、位置関係と云うか、そういうものを最初から無視しているからである。これだと、本書の丁度指示通りの家や部屋に居住している方は良いが、そうでない方の場合、どうすれば良いか…おそらく、読者は迷ってしまうに違いない。
例えば、小学生の勉強部屋なら、家の中心から見て何々方位に設け、何々方位に向いて座るべし―中学生の勉強部屋なら、家の中心から見て何々方位に設け、何々方位に向いて座るべし―高校生の勉強部屋なら、家の中心から見て何々方位に設け、何々方位に向いて座るべし―大学生の勉強部屋なら…と、云うように、詳細に記してある。
大変な労作だとは思うが、ちょっと考えれば、小学生はやがて中学生となり、中学生はやがて高校生となり、高校生はやがて大学生となる。その度に、部屋を変えたり、机の向きを変えたりしなければならないのだろうか。そんな幾つもの部屋が、庶民の家に存在しているのだろうか。理論的には、正しいのかもしれないが、あまりに現実を無視している。
より本質的な部分で、著者の間違いを指摘しておきたい。著者は、本書において、大変な数の間取り図解を使用している。そのこと自体は、解りやすくて大変良い。ただ、そこに使用されている間取り図解は、ワンルームのような縦長の部屋と、1LDKのような横長・縦長の部屋と、3室の二階らしき所と、大体3パターンの間取りを図解として使用している。縦長のワンルーム等は、ベランダがあって、マンションの一室のように思える。
著者の風水では、玄関の向きが大変重要である。にもかかわらず、マンションらしき図解を平然と用いている。マンションやアパートなどの集合住宅は、自室の玄関の向きだけで、風水の「八宅」向きを求めることは正しくない。なぜなら、棟全体で建物として存在しているからだ。間取りを調べる場合でもそうだが、棟全体を無視した方位鑑定など、意味がない。大きい棟であればあるほど、その棟の中で、どの方位位置に自室領域が属しているか、まずはそこから見定めないと、正しい方位鑑定など出来ない。玄関位置にしても同様である。棟自体の玄関が一番重要なのだ。そこからでなければ「八宅」など出せない。それが、この著者は判っていないようである。そういう根本的な部分を、しっかりと把握していなければ、どんなに中国式風水の知識を身につけたとしても、正しい指導は出来ない。
風水は特にそういう傾向が見受けられるが、占い以前の予備知識を持たないと、迷信じみた占いを風説することになるだろう。ぜひ、根本的な部分を見逃さないで頂きたい。

Posted by 0075 23:26:20Comments(1)TrackBack(0) │その他

作業員は見ていた

2005-11-14

いつものようにシャワーを浴びて、パンツ(正確にはブリーフ)1枚で1分間ほどトレーニングらしきことをし、その後しばらくボケーッとしている。もちろん、パンツ1枚だ。
そう、そのボケーッとしている時に、私は無意識にやってしまう特技がある。笑うなかれ。私の頤のヒゲ抜きである。毎日、行なうのだ。別に、ヒゲを失くしたいからではない。まぁ、しいて云えばストレスの解消。実際にやってみれば解るが、頤のヒゲ抜きはなかなかに難しい。テクニックがいるのだ。何日かヒゲを剃らずにいて、その上で抜くなら、そう難しいことではない。私の場合、毎日である。だから難しい。もちろん、毛抜きで抜く。指先の器用さが求められる。手鏡を見ながらの真剣勝負だ。1本抜くのに、30秒以上掛かることもある。でも、負けない―ヒゲ抜き世界一になるのだ。
ヒゲと云うものが、どれくらい頤の中にめり込んでいるか、あなたは知っているだろうか。何と4ミリから5ミリも、めり込んでいるのだ。したがって、敵も然る者、そう簡単には抜けてくれない。気合を込めないと、ヒゲは抜けないのだ。もちろん、多少痛みはある。私の場合、慣れてしまったので、チクリ程度の痛みしか感じない。
いつから、これを始めるようになったか、正確な記憶はない。まぁ、そんなことはどうでも良い。
私は、今朝ちょっと早く起きすぎたので、実はもう眠い。何時に起きたかは、後生だから聞かないで頂きたい。
とにかく、そう云う訳で、私はノー天気にパンツ1枚でヒゲ抜きをしていたのだ。何かしら、物音が朝から響いていた。何かの工事なのか、もしかしたら隣りの住人なのか、うるさいとは感じたが、別に放って置いた。午前中の朝日が、眩しいほどにベランダを照らしていた。そのリビングのソファーにどっかりと座って、パンツ1枚で手鏡片手にヒゲ抜き作業にいそしんでいた。
工事の音は、益々うるさくなった。すぐ、隣りの部屋の内装でも変えるのかな。何気なく、ベランダを通して外を見た私の目に飛び込んできたのは、人間の顔であった。ギョッとした。眼が合った。ヤバイッと思ったが、後の祭りだった。何しろ裸なのだ。
ヒゲ抜きをしていたのだ。ヘルメット作業員の視線は、間違いなく私の行動を見ていた。一瞬とはいえ、眼が合ってしまった。
そうか。そう云えば、マンションのストーブをガスから灯油に切り替える作業をすると、入っていた紙には書いてあったが、いつからか確認しなかった。それに、ベランダの外に梯子を掛けて、8階まで登ってくるなんて、どこにも書いてなかったじゃないか。どうせ外からは見えないと、勝手に思っていた私も悪いが、ベランダの外から工事するなら、すると、そして内部見えちゃいますよ…お気をつけて…くらいの予告はして置いて貰わないと…何しろ、変な住人ですので…。ここで殺人事件が起きたら、どうするんですか。「作業員は見ていた」に、なっちゃうじゃないですか。男同士で、変ですし、恥ずかしいじゃないですか。そんな推理ドラマ、見たくもないですよ。せめて、パンツだけでも、もう少し見せても良いようなものを穿いて置けば良かったのだろうか。

Posted by 0075 18:20:27Comments(0)TrackBack(0) │その他

ハートが痛む19連チャン

2005-11-11

朝から、夕方になったら出かけようと決めていた。もちろん、それまでに仕事の予定をクリアして、夕方までに新たな占い鑑定の電話予約が入らなければ…と、云う心積もりであった。何しろ、室内にばかりいるのは、精神衛生上も良くない。
夕方、出掛けようとしているところへと電話が鳴った。恐る恐る受話器を取ると「今日の夜とかに占ってもらうのは、もうダメでしょうか?」初めてらしい声は、気を遣っているようだった。これなら、許してもらえそうだ。「う〜ん、今日だと、もう遅いんですよねぇ。大変、申し訳ありません」なんて、奴だ。私は、私に対して、侮蔑の言葉を心の中で投げかける。
それでも、足は確実に玄関に向かっていた。
そのパチンコ店は、比較的空いていたが、私好みの機種の島だけは、空いている台が少ない。左右の人が出している真ん中で打ち始めたが、どうも今ひとつだ。私は、比較的、台の見切りが早い。出ないと思ったら、長居はしないのが私の主義だ。
今、私好みの機種は、エヴァン・ゲリォン機だ。時々、へんてこりんな画面が、急に飛び出して来るのが良い。これまでの経験から、どういう画面になると、大当たりになるか、大体は見当がつくが、時々予想が外れる。そして、嵌まる。私は、性格的に頑固なので、出ない、と踏んだらすぐ立つが、逆に、出る、と思ったら、そう簡単に諦めない。1万円札を投じ続けることになる。
昨日は、予想が的中した。出た。
最初「警告」と云う赤い画面が出て、次に、小さな子供達が無数に下から上へと滑り上がっていった…。こういう時は、出る。だが、以前、これとほぼ同じタイプの前振りが出て、当たらなかったこともある。時々、ダマシが潜んでいるのだ。だから、本当に当たりとなるまで、悦ぶことはできない。
でも、今回は大丈夫だった。単発数字で当たって、確変数字へと変化した。こういう形から、スタートした場合、連チャンとなりやすい。
事実、その後、玉の出ない大当たりも含めて19連チャンしたのだ。私の座った場所が端っこだったせいもあり、ドル箱の山がやや大げさな形で、店員によって作られていく。大勝利だ。
ただ、本来なら可能だった予約を、勝手に断って出かけて来たことに、少しだけ胸の痛む想いがある。だが、それも…忘れた。なんと云う奴だ。
そういえば、以前は「ウルトラセブン」の機種に嵌まっていたのに、今では見向きもしなくなってしまった。あの機種は、機種としては大変面白く、素晴らしいが、何と云ってもウルトラマンが弱すぎるのだ。「地球を救う」とか云いながら、全然救えない。変な怪人が出てくると、すぐ負けるのだ。弱すぎだぞ―ウルトラセブン。
エヴァン・ゲリォンの方が、はるかに強いのだ。

Posted by 0075 11:14:26Comments(0)TrackBack(0) │その他

巨匠(?)と奇才(?)の…反省

2005-11-08

ニフティーの占いサイトの特集で、私の「波木星龍 占い大全」が取り上げられた、と聞いたので見てみた。紹介文には「占い界の巨匠」などと記してある。私が…巨匠?…そういえば、昔、占いソフトを出した時にも、紹介文で「占い界の奇才」と、記されてあったっけ…。どちらにしても、オーバーなこと、このうえない。巨匠なのか、奇才なのか知らないが、その割には閑古鳥じゃないの? まぁ、どちらかと云えば「奇才」の方が、まだ私自身としては受入れられるかなぁ…。
にもかかわらず、私は昨日、せっかく私の占いサイトを制作してくれているスタッフの方と電話でもめてしまった。私が、あまりにも激しく詰め寄ったので、制作トップの方は、その剣幕に押されて、しばし、言葉が出なくなってしまった。いけない…と思いながらも、切れ出した私の言葉は止まらない。「根本的に間違っているだろう…約束が違うじゃないか…どれだけ時間を費やしていると思っているんですか…あなたが一体いくら貰ってるのか知らないが…」口にチャックだと思いながら、いったん切れ出すと、声が大きくなり、鋭く言い放つのが昔からの癖だった。電話口の向こうで、息を呑んだような沈黙が訪れ、一度は電話機を落としたかのような音もした。
大昔、私がまだ会社勤めだった頃、私はよく昨日のように、上司に向かって激しく詰め寄っていたものだった。上司は顔色を失い、職場中、ピーンと張り詰めた空気が流れ、誰も口をさしはさめずに、見て見ぬふりをする同僚達の姿があった。
あの頃、生意気で、自信過剰で、燃えるような目で仕事に向かっていく私に対して、社員の誰もが引き気味であった。とても、サラリーマンとして出世できるタイプではなかったが、元々サラリーマンでいるつもりのない私は、誰にどう思われようと平気であった。ただ、その割に、私は同僚達からは信頼され、頼りにもされていた。けれども、私は一歩社外に出ると、会社や上司の悪口は云ったことがなかった。文句があるなら直接云えば良い。これが私の信念だった。
そう云うわけで、久しぶりに大昔の私が戻ったような、生意気で、自信過剰で、自己中心的な発言ばかりの電話に、さぞ製作スタッフ・トップの方は、驚かれ、困惑され、傷ついたに違いない。この場を借りて「ごめんなさい」を云っておこう。私は切れると、止まらない、抑えられない―子供みたいな奴なんです。お許しを…。

Posted by 0075 09:36:06Comments(0)TrackBack(0) │その他

札束が天空を飛び交う

2005-11-07

土・日になると休んでしまうものがある。午前中は9時から11時まで、午後は12時半から3時までしか開いていないところがある。その間、常に札束が天空を飛び交っているのに、誰もそれを咎めない。実際に札束が飛び交っているのにだ。人々は皆、それを知りながら、傍観者のように眺めているだけだ。時には、自らもそれに参加しようとさえする。その結果、喜んだり、哀しんだり、一時の夢を追いかけたりする。
それは株式市場だ。現在、個人投資家の八割以上がインターネット取引だと云う。つまり、パソコンの中で、株を売買している。当然、大きな金が動いている。ネット取引は、しかし、実際のお金のやり取りはない。あくまでも、パソコンの中で、買う者と売る者との間で、売買が成立しているだけだ。パソコンの画面を通じ、見えないお金と株が行き来している、ということになる。これは、実際に札束が天空を飛び交っている―以外の何ものでもない。
その株式市場で、日経平均が一万四千円を突破した。小泉政権発足時よりも高くなったのだ。資本主義国家において、この平均株価が高くなるということは、国全体が豊かになっていくことで大変喜ばしい。通常、会社員の多くは、株式会社に勤めている。当たり前の話だが、株式会社は株によって成り立っている。したがって、株価が高くなると、その会社の株が高値で売買されていることになり、その会社の先行きに投資したい投資家が沢山存在していることになる。早い話が、日本の平均株価が上がるということは、日本の将来を買っている投資家が沢山出て来た、と云うことでもある。
最近は、まるで「株を買う」という行為が悪いことでもあるかのように報道されるケースもあるが、日本の株は、その半分が外国人が買っているのだ。もしも、それらがいっせいに売られてしまったら、どういうことになるか…次々と倒産する会社が相次いで、日本の国家そのものが崩壊してしまうに違いない。つまり、株を買う、という行為は最終的に我が祖国を豊かにする行為なのだ。
そういうわけで、今日からの株式市場は重要だ。日本にとっても重要なのだが、私個人にとっても、ささやかながら株を所有している身として、祈るような気持ちの日々となるだろう。このところ平均株価の流れに乗って上昇はしているものの、今ひとつ上昇率が鈍い。先日売った企業は、何と、売ったその日を境に急上昇し始めたではないか。その代わりとして買った企業の方は、今ひとつぱっとしない。今日当たり、目を覚ましてくれ―お願い―動いてよ―

Posted by 0075 03:52:41Comments(0)TrackBack(0) │その他

出家と亡命

2005-11-04

北朝鮮に亡命していた女性が帰国した。この女性は、以前、オウム真理教に出家し、その後脱会した経緯がある。私は別に、彼女を個人的に批難するつもりはない。ただ、一般論として、出家する、或いは亡命する、とはどう云うことかについて書きたいだけだ。
まず「出家」だが、これは「家出」とは当然異なる。自ら、家系・血縁を絶って、仏の道に仕える―ことを意味する。もはや、そこに帰るべき家はない。
次に「亡命」だが、これは当然ながら「海外移住」とは異なる。自ら、自国を亡くして、他国に命を預ける―ことを意味する。もはや、そこに帰るべき祖国などない。
帰国した彼女の場合、多分、出家にしろ、亡命にしろ、そこまで真摯に考えての行動でなかったことは明白である。
近年、離婚件数は増えるばかりであるが、離婚という行為は同じような観点から見た場合「籍を抜く」行為で、家系・一族・先祖・血縁との縁を、断ち切る行為―ということになる。それも、自ら「籍を入れた」血族から、勝手に抜け出していく行為に当たる。女性の場合、親元・実家に戻る場合や、元々が実父母と同居している場合を除けば、名前は旧姓に戻したとしても、もはや本当の帰るべき血族は失った形なのである。
そのような観点から考えた場合、宗教が大きく異なる者同士が結婚することは、避けた方が良い。そして、宗教というのは、そんなに簡単に新興宗教に取り替えるべきものでもない。何しろ、五万という先祖達が、その家の仏壇・墓石の背後で眠っているのだ。いや、変えても良いが、位牌を勝手に燃やすなどの行為は絶対に行ってはならない。
かつて、作家だった瀬戸内晴美は出家して「瀬戸内寂聴」となった。けれども、その彼女が「愛欲は出家したってなくならない」と、断言している。人間は所詮、煩悩など消せない。煩悩を消そうと努力すること、煩悩がないかのように振る舞うことは、傲慢さ以外の何ものでもない。

Posted by 0075 13:05:24Comments(0)TrackBack(0) │その他

同じ血が流れている…

2005-10-31

月に1度か、2度くらいの割合で、東京に居る弟から電話が掛かってくる。その弟の声を聞くたび、ホッとする部分と、ギクッとする部分とがある。最近こそ落ち着いてきているが、これまで弟は、十数度、職を変えてきている。頭脳も優秀で、人柄も良いのだが、どうも気が短く、我の強いところがあって、上司や周りとぶつかっては辞めてしまったり、首になったりする。やや不運な面もある。
弟は、大学の夏休みで帰郷していた時に、お袋が亡くなったので、そのままアルバイトから就職の形を取って、地元に残った。塾講師だった。
それから、1年も経たないうちに、その塾を辞めて、他から勧められたこともあって、自ら塾経営をする側に切り替わった。ただ、その塾は、比較的私の住んでいた所に近かったせいもあって、よく、ワイン片手に私の所を訪れ、一緒に文学談義などをしたものだ。しばらく見えない…と、思っていたら、ある日、ぶらりと訪れた弟は、塾を閉鎖したことを告げた。彼は、生徒たちからは絶大な人気があったが、どうも、学校やPTAを敵に回したらしい。そこから、彼の波乱万丈な人生が始まる。この先を書き出すと、明日の朝までかかっても終わらないので―とにかく現在は、真面目に会社勤めをしている。
人には、それぞれ性格というものがある。会社勤めは、どんなに能力があっても、人柄が良くても、それだけで出世・成功できるというものではない。独立自営でも、基本的には同じことだが、世の中には、絶対に会社勤めは向かないが自営ならやっていけるタイプと、逆に、絶対に独立・自営は無理だが、会社勤めならやっていけるタイプの人というのが居る。もちろん両方共、見事にこなしていける巧みな方も居るが、少ない。
私の場合、親父は元々菓子職人から独立した人で、岩手に居た当時は和菓子屋を手広く経営していたらしい。もっとも、私が生れた頃には失敗して、夜逃げ同然で北海道へ渡って来たらしいから、その恩恵に与かったことはない。私の知っている父は、日雇い土方として、慣れない力仕事で苦労し、落ちぶれていた父だ。
弟には、どこか、その父の人生が重なって見えることがある。血というのは争えないもので、どこかにそれが出る…ことがある。私と弟とは、いつかしら顔も人生も大きく異なって行ったが、声や話し方だけは、同じ血が流れている証拠のように似ている。今、別れて暮している私の娘も、いつか、この同じ想いを、ある種の懐かしさ感慨と共に感じるだろうか…。私の背中に登っては、マイッタか、と云っていた娘は…。

Posted by 0075 10:15:20Comments(0)TrackBack(0) │その他

↑PageTop