こんにちは。
いつもありがとうございます。
今日は、裁きについて、書きます。
違う言い方をすると、批判、になります。
大変恥ずかしながら、バイロン•ケイティのワークを自分でするようになってから、自分がいかにいろんな人を裁いていたかということに思いいたりました。もう、出てくる出てくる。。
このブログの中でも、実はひそかに批判の気持ちで書いたものがたくさんあります。。もう消してしまいたい気持ちでいっぱいですが、自戒のため、残しておきます。
裁き、批判が消えると、その人のことを本当に慈愛をもって考えることが出来るようになります。
批判の質が悪いのは、あたかも自分が正しく相手が間違っているかのように装いながら、ひそかに自分を上の立場におきながら、相手を攻撃してしまうことです。
怒りや許せないという気持ちはわかりやすい感情ですが、批判は正論という盾の陰に隠れた、巧妙な手段です。
愛をもって批判している、という場合ももちろんあるでしょう。
ただし、批判されて素直に反省するような、批判を信頼して自分に当てはまるか照合する、そんな勇気のある人はあまりいないのではないでしょうか。
おそらく出てくるのは、否定、反感、言い訳、傷付いたという気持ち、、
そして、「あなたは○○すべきである、またはすべきでない」という決めつけは、何より自分の心と体を縛り付けます。
裁きが消えたとき、体の感覚がまったく違うことに気付きます。
平和な、楽な感覚。そして、ありのままの相手への愛を感じることができます。
裁くということが、自分のことも苦しめていたことに気付くことができます。
同じ状況であっても、批判する気持ちが消えた後は、問題に愛をもってアプローチすることが出来るようになるでしょう。
あるいは、相手を変えようとする気持ちを手放し、見守ることが出来るようになるかもしれません。
裁きがないことの平和な感覚を感じたい方は、どうぞケイティのワークをお試しください。
あと、もうひとつ。
どうも、今までの経験や鑑定からわかったことですが、
人は、批判しているもの、相手を人生の中でどうしても引き寄せてしまうようです。
それでは、苦しいですよね。
批判を手放して、早く楽になってしまいましょう。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
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