自由のために〜自分への愛と、失恋の苦しみについて

皆様、こんにちは。

お久しぶりです。

なんと、もう梅雨に入ってしまったそうです。

季節の移り変わりは、気がつくとやってきていますね。

ところで、今日は、自分を愛することについてと、失恋の後の苦しみについて、

たまたま読んでいた本の中で、わかりやすい例をみつけたので、ここに残しておきます。

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あなたはなぜ、失恋の苦しみに関する章で、自分に対する愛について話す必要があるのか、疑問に思うかもしれません。

悲しみや寂しさは失恋につきものですが、相手に去られてできた寂しさよりも、もっとひどい底なしの空虚感を感じることがあります。

この痛みはしばしば、失恋の悲しみよりもひどい苦しみの原因になります。実は、この圧倒的な空虚感は相手が去ったからではなく、

自分に対する愛の不足から来ているのです。

大きなタンクがあると想像してください。

あなたのタンクが空っぽな時に、誰かがやってきてそれを愛情と優しさで充たしてくれると、

あなたは自分の人生にすばらしい愛があふれ込むのを感じます。

それでもまだ、あなたはもっと多くの愛を求めます。あなたのタンクは相手との関係の高まりや衰えによって、

劇的に水位が上昇したり、下降したりするからです。

そして、その人が去ってしまうと、あなたには何も残りません。そしてこうした虚無感は腸がちぎられるような痛みを伴います。

しかしもし、あなたが自分自身の愛の貯水池を持っていたらどうでしょうか?

もし誰かがそれにもっと追加しに来たらどうでしょう?

あなたの人間関係はどう違うでしょうか?

悲しみはあなたの貯水池の状況がどんな様子かを知るための計量器なのです。

「それでも、あなたを愛しなさい」ルイーズ•ヘイ フォレスト出版より

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失恋の後、どうしようもなく、悲しんでしまう人がいます。

おそらく、その人は、相手が自分の愛のタンクを充たしてくれないと、誰も充たせないと思っているのかもしれません。

自分のタンクは空っぽで、乾ききっていて、焼き付いてしまっているのかもしれません。

それで、なんとか相手をコントロールしてでも、自分の愛のタンクを充たそうとするのでしょうが...

ただし...愛は自発的なものです。

恋人がいようが、結婚していようが、独身だろうが、

変わらず必要なのは、自分の愛のタンクを「自分で」充たすことです。

自分を充たすことが出来なければ、相手から愛をもらおう、もらおうとすることしか出来ません。

それでは、終ることのない渇望にいつまでも苦しむ、ということになります。

少し、考え方を変えて、

誰かが現れて、自分の愛のタンクを充たしてくれるはずだ、という思いこみから抜けてみては

いかがでしょうか。

自分をきちんと愛しているとき、あなたはきっと、

パートナーとの関係を続けるかどうかも、自由に選べるようになるでしょう。