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プロの占い師が集う[占いブログ]

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ラストエンペラー 番外編

2006-07-15

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征服王メフメト(メフメット)2世





私がはじめて“吸血鬼ドラキュラ”と呼ばれる存在を知ったのは、10才にも満たない年頃だったと思う。


暗いテレビ画面に 不気味な森が・・・
青白い月の光を頼りに、これまたチョー不気味な城が現れ・・・
テレビ画面いっぱいに満月が映し出されると同時に狼の遠吠えが、
  ウオゥ〜 ウオゥ〜〜
と、まぁだいたい吸血鬼映画はこんな感じで始まるっか!

そしてストーリーが展開し・・・
月の光の下、美女の背後からドラキュラ伯爵が 忍びより〜の
伯爵の目が金色にキラ〜ンと光り〜の
薄気味悪い笑みを浮かべると、牙が・・・
  ヒッエ〜〜〜!!!
もう、これだけで子供の私は恐怖に耐えられずテレビのチャンネルを変えるのだが、また元のチャンネルへ・・・


そんなドラキュラ映画を見ちまった夜は、怖くて怖くて(><;)
部屋の電気はつけっぱなし! おまけに割り箸を輪ゴムで十字に留めた なんちゃって十字架を枕元に置いて寝たりもし、翌朝 母にどえらい叱られた記憶がある!
そんな子供の頃から、怖いもの見たさも手伝い何本ものドラキュラ映画を見てきたのだが、
なぜか、ドラキュラだのノスフェラトゥだの、あとヴァンパイア、と呼ばれる吸血鬼とやらに恐怖と同じくらい好意をもってたのよね〜!?


その理由は、後に私が東ローマ帝国に感心をもって解ったのだが、、、
ブラム・ストーカー著“ドラキュラ伯爵”は串刺し公とあだなされたルーマニアのワラキア公国のヴラド3世(ヴラド・シェペシュ)をモデルに書いた物語だ。
彼は、東ローマ帝国を亡きものにしたオスマントルコのメフメト2世を相手に戦ってたのだ!

そりゃ、あーた!! 
東ローマ帝国を亡きものにした あの憎たらしいメフメト2世相手に戦ってたとなりゃ〜、ヴラド公がどんなに残酷だろーが 私としては好意を持つはなぁ!

だって奴(メフメト2世)は、幼少の時より父の愛情を十分受けられず、兄達の死をきっかけに振り回されたという可哀想な一面はあるが、その為か 随分性格が歪み、父であるスルタン・ムラードの死を知るやいなや 腹違いの弟達の暗殺を企てスルタンの座を確実にものにした、なかなかの策士!
底意地の悪さに、悪知恵も伴って、冷酷で嫌味で、無表情で何考えてるか解らなく、かと思えば急にヒステリーになるわ、華美で、美少年を食い散らかす変態ヤローときてる!

ヴラド公の弟であるラウド美公も奴の変態趣味の牙にかかり、兄のヴラド公に対し裏切り行為をとらざる得なかった。


そんなメフメト2世が二十歳そこそこでスルタンになり、実権にぎって間もなく
“あの街(コンスタンティノープル)が欲しい”
なぁ〜〜んて ふざけた事いいやがったのよ!
コンスタンティヌス11世の半分の年もいかない青二才の く・せ・に! キーーーッ!!!


まぁ、一見クールで内にとてつもない情熱を秘め、それなりの美へのこだわりを持った男には、マキアヴェッリの“君主論”のモデルであるチェーザレ・ボルジアや、日本人が最も愛す歴史上の人物 織田 信長もそうだが・・・
この三人はどことなく似てる気がするのよね〜!
メフメト2世とチェーザレは 実の弟を殺してるし、チェーザレと信長は 片やイタリア半島統一、片や日本列島統一という己の野望の為、当代きっての美しい妹をコマとして使ったことも マジ似てる!
チェーザレと信長が生きた時代も半世紀程の差はあるが、考えようによってはチェーザレの生まれ変わりが信長では? と思ってしまう。。。
あらら、また話がそれちゃった!


メフメト2世に話を戻すと、私は大嫌いな奴だが、オスマントルコを遊牧民族から後にヨーロッパのパプスブルグ家さえも脅かす オスマン帝国の基礎を確立したには違いない。
現在のトルコ人に彼の事を聞いて知らない人はいない。
だが、彼より近代トルコ建国の父(アタテュルク)と呼ばれたトルコ初代大統領ムスタファ・ケマル(現トルコ紙幣に描かれている なかなか色男のおじ様)の方が圧倒的に人気があるようだ!
偉業としてはムスタファ・ケマルよりメフメト2世の方が上だと私は思うのだが、、、
やっぱ、性格の悪さも現代まで遺したのかも 奴は・・・


そうそう、チェーザレ 信長、そしてメフメト2世が似てると言ったが、野望を成し遂げたのはメフメト2世だけで あとの二人は志半ばで倒れてるのよねー!
私は成し遂げた人間より、志半ばという人間にどーも肩入れする傾向があるようだ・・・
(それって、私の中に優越感とやらがある証拠かも!? キャ・ハ・ハ)
そーいや、16世紀にスペインの無敵艦隊を女だてらに破り、一島国を大英帝国に変えた あの十枚舌のカメレオンババァも好きじゃない。。。




今回は憎っくきメフメト2世の紹介でした!
次回の“時空を越えて”の旅は何処に行こうかしらん・・・その前にzillの簡単レシピでも紹介しますか!

Posted by 8016 16:10:41

ラストエンペラー その4

2006-07-11

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*現在のエーリ門




トルコから帰国後、、、
私はあの小さな門の事が忘れられず、本屋を巡り調べ解ったのですが、あの小さな門はエーリ門と言ってコンスタンティヌス11世が死の途に向かった門だったのです。
あの門(エーリ門)を境に大きく変化した私の感覚はいったい何だったのか?

コンスタンティヌス11世の当時の心境を追体験したのか・・・


コンスタンティヌス11世は皇族として この世に“生”を受け、兄の跡を継ぎ皇帝に、
衰退しきったとは言え 古から続くローマ帝国の皇帝だ!
とてつもない重荷を背負わされ、まるで解く事の出来ない鎖に繋がれたようだ。
まして帝国の“死”を目前にして絶え間なく襲って来る不安・・・おまけに同盟国(キリスト教国)から まともに援軍さえ来ない!
それは、彼に孤独を伴う絶望感を与えただろう。

それが城壁内にいた当時の彼の心境だったのか、、、


古今東西、戦いとは敵側の大将の首をとって完全勝利というもの!
コンスタンティヌス11世が、敵側にそれを味あわせない為だけに 身分を示す服を脱ぎ捨てたとは私は思えない!

何故なら、私があの門をくぐり数十メートル進んだ時の あのすがすがしい開放感!!

まるで、コンスタンティヌス11世が緋色のマントや身分を示す服を脱ぐのと同時にローマ帝国皇帝という重荷から開放されたようだ!
あの瞬間 彼は皇帝ではなく心底願っていた一キリスト教徒の戦士として、人生最後の時間を いや数分だったかもしれない。
そのわずか数分 体の中心からほとばしる熱い情熱を 何ら妨げるものなく
魂の赴くまま “自由”と“生”を謳歌したと私は信じる・・・




=コンスタンティヌス11世殿=


私は 十数年前に一冊の本に出会い あなたの事を知りました。
あの本との出会いにより、あなたのいた時代に、コンスタンティノープルという街に、強い関心と憧れを抱きました。
そして、コンスタンティヌス11世という一人の男性に惹かれつつ、彼の一生を悲劇だと思ってました。
でも あの街を訪ねた今では そうは思いません!
あなたは悲劇なだけの人生を歩む為に“この世の生”を受けたのではなかったのですね。
49年の人生の最後の瞬間 とてつもなく輝く為にローマ帝国皇帝という重荷を背負ったのですね!
それを伝える為に 私をあの街へ呼んだのですね!
本を通し、友人を通し、そしてあのサッカー少年との出会いを通し、、、



あなたの人生最後の数分間の“威光”は、500年以上経った今でも消えてません!!




追伸 
あなたがこの世での生を終えた直後、何の悔いもなくすがすがしい気持ちで、あの方の腕の中に飛び込み どんなに安らかだったか・・・
そう、母の胎内で守られてるようなアヤソフィアでの感覚に似て。。。

Posted by 8016 02:46:09

ラストエンペラー その3

2006-07-01

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数年前、私は友人に誘われトルコに旅行しました。
最初はあまり乗る気ではなかったのですが、、、何々!? トルコ〜? イスタンブール〜?
あっ!! ビザンチン帝国 東ローマ帝国じゃん! あの難攻不落の三重の城壁の・・・
私にとって、トルコは東ローマ帝国であり イスタンブールはコンスタンティノープルなのであります!
トルコに旅するより10年以上前に呼んだ“コンスタンティノープルの陥落”塩野七生著にとても感銘を受け、一生に一度はあの城壁に登りたい! いや、絶対登るぞ!! と強く願ってました。また コンスタンティヌス11世に恋に似た淡い感情を抱いてもいました。

で・・・
トルコのアタテュルク国際空港に現地時間夜8時過ぎに到着し、泊まるホテルのある旧市街地めざしタクシーに乗る込みました。
あっれ〜! タクシーの窓から外を見ると アスファルトの高速道路にソニーだのパナソニックだの日本で見かける看板がズラリ! 何コレ! 飛行機に12時間乗って来たというのに、日本と同じじゃん! ガッカリ・・・したのもつかの間、
旧市街地に近づくにつれ、ライトアップされたモスクにミナレット、石だたみの道、そして城壁が見えてきました。やっと憧れの街に来た事を実感しました。
まぁ、トルコの旅の話になると止まらないので ここらで本プログに戻りますか。。。

トルコ到着の翌日、私と友人は、コーラ修道院(カーリエジャーミィ)へ、
そこは中心にある宮殿より少し離れた場所にあった為か、オスマントルコの徹底的な破壊から逃れられた教会です。
中に入ってビックリ! ビザンチン芸術が最も花開いた時に描かれただけあり、フレスコ画にしろモザイク画にしろ、それはそれは 美しく煌びやかでした! その神聖な美しさに開いた口が すぐには塞がりませんでした。
あまりの心地よさに友人と二人 教会内のベンチに腰を下ろし 暫し時を忘れてしまいました。
そんなコーラ修道院を後ろ髪引かれる思いで後にし、私のたっての希望である城壁に向かいました。

そして、やっと十数年間憧れた城壁を前に感無量!
城壁近くには、ローマ帝国末期の皇帝達が離宮として使った宮殿跡がありました。
宮殿跡とは言っても 今では側面の壁がかろうじて残ってるだけですが、レンガや大理石の色といい レンガの積み方ひとつでこうも美しいものか〜! 
さぞかし当時は 城壁のコンビネーションも重なり 目にする者にローマ帝国の威厳を感じさせるに十分だったに違いない・・・と、私は500年以上も昔に思いをはせながら 自分がその風景と一体化する感覚を味わってました。。。
そんな ノスタルジック気分の私の近くで 小僧が城壁相手にサッカーボールを蹴ってるやがる!
あーた!! 小僧が相手にしている城壁は、私にとって 熱烈サッカーファンがベッカムやロナウド相手に遊んでるようなもん!
あまりにも贅沢な遊びに唖然としたが、その小僧のかわいいの何の! 私の存在に気づき照れながらも こちらをチラチラみては熱心にボールを蹴ってるのよね〜! 
私の方は、さっきまでの唖然モードはどこえやら、その小僧、いやいや そのサッカー少年に拍手を贈ってました。それに気を良くしたサッカー少年! 人懐っこそうな笑顔で近づいてきて、何やら話し掛けてくるではないか・・・(^^)?
でも、私の語学力といったら英語で完璧なのは ハローとディスカウントプリーズくらい、ましてやトルコ語なんぞ解るはずもない!
でも不思議ね〜! サッカー少年が言ってる事 解るのよ!
海外マジック!?
人は言葉の通じないところに来ると、何か感じようモードに自動的にスイッチが切り替わるのね。
で、サッカー少年は(指差し)“あっちに行けばOOがあるよ。見に行かないの?行ってほうがいいよ!”と、言ったよーな?まぁ、指差しゃ〜誰でもそれくらい解るかっ!
でも、何だか“行かなきゃ”という気になり、私は友人を呼びサッカー少年の指差した方向に向かいました。
そこに何があるか見当もつかないまま・・・


そして、曲がりくねった坂道を下ってた時です!
何だか気分がもの凄く重く、得体の知れない恐怖が襲って来るのを感じたのです。
前を進む友人に追いつこうにも、足が重すぎて追いつけない・・・笑顔ですれ違う地元民に対してさえ脅えてました。


サッカー少年に出会った宮殿跡広場から 数百メートル進んだところで城壁にぶつかり、車一台 やっと通れるほどの小さな門がありました。


その時“ここだ!”と私の中から理由なき確信が出てきました!


暫く、その古びた小さな門を見つめ、カメラのシャッターをきり 先に進んだ友人を追いかけました。
門をくぐり大きくカーブした道を20メートルほどだったかな〜?進むと そこはとても見晴らしのいい景色が待ってました。
と、同時に・・・あれっ! あれれ!?
さっきとうって変わって、何だか気分は晴れ晴れとし 足取りも軽くなってる!!





*次回こそ 彼のメッセージをか書きます。

Posted by 8016 22:49:43

ラストエンペラー その2

2006-06-22

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消えゆく帝国と運命を共にした”コンスタンティヌス11世”

彼は自らの運命を どう感じていたのだろうか・・・?

彼が兄であるヨハネス8世の跡を継ぎ、皇帝に即位した当時の帝国は空前の灯であった。
帝国全盛期には地中海を囲むようにあった広大な領土は、見るかげも無い程わずかになり、オスマントルコに包囲され年貢金を支払って生きながらえていた。
まさに、スルタンの鶴の一声で帝国の運命は決まってしまう状態!

コンスタンティヌス11世は、わらをもすがる思いで同じキリスト教国のヨーロッパ各国に 自らも出向き また再三 使者を送り援軍を要請する日々がつづいた・・・
しかし、当時のヨーロッパは異教徒相手に十字軍を結成するより、同じキリスト教国同士の領土争いに忙しくしてる有様!
とてもじゃないが 援軍など期待出来ない。
そんな苦境の中でも 皇帝コンスタンティヌス11世に嘆き悲しむ時間など無い! 彼は 対オスマントルコに奔走した。
帝国内の戦闘可能な兵力は4800人足らず、ジェノバ ヴェネツィアからの援軍を足しても わずか7000人程・・・それに対し敵の兵は16万!
どうみても絶望的だ!!
それに追い討ちをかけるよう 昔の予言が人々の噂にのぼり始めていた。

“コンスタンティヌス1世と同じ名をもつ皇帝が帝国を治める時、帝国は滅びる”

コンスタンティヌス11世も この予言を耳にしたであろう。
彼は 皇帝に即位した時から ローマ帝国という足かせをはめられ 迫り来る危機に奔走し、心休まる日など無かった。
時に 神に祈りを捧げ 奇跡を信じ 希望を持っては絶望し、を幾度となく繰り返したであろう。
それでも彼は、どんな時にも忍耐強くあり 人々への配慮を忘れなかった。
時には、対立する味方の意見の調停役を自らかってで、時には、城壁の補強に駆り出された工夫に対しても気軽に声をかけて回った。


(緋色のマント姿のコンスタンティヌス11世と、当時の情景が私の脳裏に浮かび 胸が締め付けられるようだ・・・)


数ヶ月に及ぶオスマントルコ軍の猛攻に、防衛軍はよく耐えた。
コンスタンティヌス11世の人柄に心打たれた 兵士と住民の働きがあったからかもしれない、、、

1453年5月29日未明に始まったオスマントルコ軍の総攻撃・・・
それに対し防衛軍は、いつも同じ兵で新たな敵兵を迎え激戦に耐えた。
だが、不幸な事に 防衛軍が奇襲作戦に使っていた小さな門の鍵をかけ忘れ、そこから敵兵300人程が城壁内に侵入した。
小さな門である為、一機に多勢の敵が入っては来れない!
素早い防衛軍の対応で、侵入した敵兵を皆殺しにもできたであろうが、ローマ帝国の負のサイクルは ここに来て勢いを増してしまった。
防衛軍総指揮官が 至近距離で放たれた敵の矢に倒れた・・・これにより、防衛軍の士気は下がり総崩れとなった。
その光景を目にした皇帝コンスタンティヌス11世は“これまで”と悟ったのであろう。
彼は、自らの身分を示す物を脱ぎ捨て 数人の騎士を従え 皇帝が通るにしては あまりにも似つかわしくない小さな門から 敵の真っ只中に消た・・・


初代ローマ皇帝アウグストゥスから約1500年!
コンスタンティノープルに都を移した コンスタンティヌス1世から約1100年!

一つの時代と言うより 塩野七生氏の言葉を借りると“一つの文明”と言うとてつもない重荷を一人で背負ったローマ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世最期、、、


(彼の運命は あまりにも残酷すぎる...)



コンスタンティヌス11世の時代より 約550年の時が流れ、、、





*次回は、彼が愛した街に残したメッセージを書きます。

Posted by 8016 04:12:01

ラストエンペラー その1

2006-06-19

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*本プログのラストエンペラーではありません!
コンスタンティヌス1世の像です。






この言葉を聞くと 多くの方が中国最後の王朝(清朝) 愛新覚羅 溥儀皇帝を思い浮かべるかもしれませんね。
しかし、私にとって”ラストエンペラー”とは 四世紀後期に東西に分裂したとは言え ローマ帝国最後の皇帝”コンスタンティヌス11世です!

皆さんもよくご存知のユリウス・カエサルの甥アウグストゥスが、ローマ帝国初代皇帝となり約二百年後 巨大に成りすぎた帝国は四統括され四人の皇帝が帝国を治めるようになりました。
今でもヴェネティアのサンマルコ広場には、仲良く肩を並べる四人の皇帝の像を目にする事ができます、、、が、実際はそんな甘いものではなく 各皇帝が権力を我がものにしようと虎視眈々とチャンスを狙っていという まさに帝国は内乱状態!

そんな中、現ドイツの最古の都トニーアに父の跡を継ぎコンスタンティヌスが皇帝となった。
この若く勇敢な青年皇帝は 並外れた行動力、洞察力、カリスマ性は勿論 神の導きによってローマ帝国唯一の皇帝となった!
なぜなら 彼は キリスト教徒である母へレナの影響を強く受けていた。
十万の兵を持つ敵に対し 彼は四万の兵を引き連れ戦いに挑んだ。
いよいよ開戦という時に 彼は空を見上げ”光の十字”を見た。また彼の夢に十字架を持ったキリストが現れ”汝これにて勝利せよ”との啓示を受けたそうだ。
彼は 己の勝利はキリストの導きであったと強く信じ、ローマ皇帝最初のキリスト教徒となり キリスト教の布教に尽くした。



*なんとも 運も実力のうちと言うが、奇跡もそうなのか・・・と 凡人の私はあらためて感心する話である。



ローマ帝国唯一の皇帝となったコンスタンティヌスは、帝国の統一という偉業を成し遂げだけで満足しなかった。
当時、東方にササン朝ペルシャが勢力を増し西へと領土を拡大させていた。
コンスタンティヌスは英断を下した! 
彼は ローマを離れ 当時のビザンチウムへ都を移したのである。
その街は 彼の名をとりコンスタンティノープルと呼ばれるになった。
こうして 後に東ローマ帝国と呼ばれる首都が誕生した!



コンスタンティヌス1世より 1100年の時が流れ、、、




ここまで読んでくださった方、お疲れ様です! いよいよ 本プログのラストエンペラーの登場です。
だがしかし ちと疲れたので続きはまた後日。。。

Posted by 8016 21:36:32

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