昔々、男同士の世界から世間に返り咲いてた時に男友達とつるんではなんぱしていた。友達に紹介できるくらいに成功率は高かったもので、明日の予約デートまでしていた。ある日一人の友達の友達が「俺、好きな子がいるんや」と私に打ち明けたのででしゃばりな私はキュウーピット役をかってでて彼と、その好きな彼女の職場を訪れパフォーマンスして見た。それから1〜2年で彼らは結婚する。式に招かれた私は「別れのブルース」を歌いヒンシュクを買ってしまうと言う落ちがある。
今の若者とは違い、本当に女の子とおしゃべりをするのが好きなだけで、下心は男同士ではなかった。SEXをすれば彼女になってしまう。義理や人情が豊かな時代であった気がする。
今は便利な時代で、出会い系とか合コンとか何の努力もしないで、お膳に乗ることができる。見合いと言うのは政略結婚に似たようなものであり、損得が見え隠れする。実際、私は追及しマリッジカウンセラーなるものまで紙切れ一枚は持っている。冠婚葬祭まで現場も踏んでカルチャーまでした。しかるに今は何の努力も追求もしないものが簡単に「神様おねがい。」と来る。
机上で点数だけとっていたものが成功する異常な世の中ではあるけれど、テレビでも化け物といわれた子が整形して愛を得たり、並々ならぬ努力をしている事に感動した。
私の祈りは「神仏よ。お願いはせん。ただ試練というて邪魔せんとって、なんの努力も苦労もせんと恋したいと言うとんのと違うんやから・・・」である。男にもてようとして美に励む。女にもてようとして美に励む。心も身体も愛するものの為に鍛えて何ぼのものかと思う。簡単に愛の糸を信じたあげく色情因縁とか言われてお払いして悪縁とったと言うて私のところへ来よる。そのまま「お払いしてくれた人を信じればいいのに」なんでや?我が儘は相手が見抜く。見抜かれないぐらいの所を選ぶしかない。故丹波はんは言いよった「男と女、夫婦は修行の場」もっともや、いくつになっても男でいないと女は寄ってこん。男を育てるのが女。女を綺麗にするのが男。それが人生の目的や。