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<title>阿陀無寿の占いブログ</title>
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<title>心理療法と御節介</title>
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<description>　世の中、色々な事が曝露されていますが、心理療法にも曝露療法なるものがあり、行動療法の一種です。　昔、科学心理催眠療法センターなる名前のところで所長にまでさせていただいた事もあり、また日本催眠協会でも講師をさせていただいた事もありました。これも曝露になりますか。

　「験を担ぐ」とか言う言葉があります。
　修験道とかあったり、体験、経験の験をいうのですが、机上の政治や占いは頭の良い人や教える事のうまい人がやっていますね。対照的なところです。
　
　曝露療法の話に戻ります。
　例えば　電車が気になる人。原因はがらがらの女性専用車両を目にして、通勤ラッシュでこちらの車両は満員なのに、はらたって、下痢や嘔吐で身体が反応して、「また、発作が起きたら・・」と心が勝手に心配しだす状況、いわゆる「予期不安」ですが、これが酷くなると適齢期でも結婚はできないは、結婚してもインポテンツで子供は生まれないは、マイホームはできたけど通勤が酷で、という働き盛りの中年まで、結構いるんですね。

　で、そんなクライエントと駅まで行きます。付き添いながら次の駅に行きます。大体遠距離通勤、通学ですから、トイレのある車両に行きます。
　医者とタッグを組んでる時は薬がありますから暗示が早いので助かりますが、テレビでの催眠術みたいには行きません。私は汗をかきます。

　たまたま映画のタイトルで「それでも僕はやってない」という、電車の痴漢の濡れ衣のストーリーが目に付きましたが、冤罪事件は結構あるのも事実ですね。私の目には。
　テレビで「見えます見えます」の人がなんで「有名人ばかり」見ていて、少し劣る名の人にはぼろくそに言うのは笑えますが、たまには下界に下りてきて助けて欲しいものです。たまたま探偵やさんとテレビ局の人が友達で・・・これも曝露になるのかな。
　　まっ逆も真なりですが。

　美人過ぎるのも酷だと言う事件もありました。
　マスコミが決め付ける美人と私の感覚は違いますが、塗りたくりだけはほぼ否定する点は同じ。

　まっ御節介が好きでないと、心理療法も難しくなりましたね。カウンセラーも大手ではアルバイトも出てきました。いや、にわか勉強ですか。
　お正月の神社の巫女さんのバイトではないんですが。占いも有名有名で、何が有名かテレビを見る時間が世界最高の国民性での話ですから。

　汗をかく医者や救急隊とか災害派遣に行くとか海外へボランティアしに行く人とかは評価は低いですね。
　&lt;b&gt;非（非道）は理（道理）に克（勝）たず、理は法（法律）に克たず、法は権（権力）に克たず、権は天に（天道）に克たず、天に克つものなし。&lt;/b&gt;
　日本には日本なりの心理療法があっていいし、母性国家の民族の誇り、御節介・・・。
　勝ちに転ずるに越した事はないが負けてもよしとする、命をかけてまでの御節介が、ただ損だと言う言葉に置き換えられてる気がします。</description>
<dc:date>2007-07-11T03:39:16+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/25281.html">
<title>・・・途中。</title>
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<description>　「昔の歴史が変わる」・・・なんて、思っては見ないものだが。　現実は日々新しく変化する。過去の記憶も修正される。
　生き物すべての考えられるところの物は生老病死で、変わり様はない。
　逃げる言葉は「その時はそれで・・・」しかない。
　
　東洋の占いをしていくと壁にぶつかり、西洋の占いをしていくと又、納得がいかず、通常の教養の講義なら、すらすらと言葉が出て行くが、ひとり口ごもる。
　ミーハーで色々な先生に？会うが、みな団体を抱えて資金繰りが大変だという。商売にあり見世物にあり。
　いくら有名とかなんとかマスコミがつくろっても、占いが好きなものだから、ついつい仕掛けまで見に行ってしまう。結局、スポンサーまで見つけてしまう。
　早く「占いなんて卒業したい・・・」と言ってみたい。
　その点、宗教のほうが幅が広くぼやける。
　霊感も毎日入らない、奇跡も毎日入らない。「信じる・・」「生まれた時から何々教・・」でもいい。

　昔は家柄が重視されてきたが、今は経済環境の方が当たり前で、明治維新なども下級士族やテロの連続で作り変えたようなものらしい。「勝てば官軍」はまだ５百年は続く。（ジャンヌ・ダルクが好きなもんだからよく引用するが）、政治や歴史を見れば下級文化と言われるものから、文化は引き継がれる。

　すべては一見、あの世もこの世も希望は無い。
　あるように見せて、イ言者＝儲けが流行る。
　すべては玉の貯めで金のため。

　しかし、「逆もまた真なり。」

　一生懸命は命を掛けるが如く。努力の事。
　中途半端になると、テレビの映画のCMが如く、CMのほうが記憶に残って、せっかくの感動した気分が
失せる。
　　
　「役者ばか」「教師ばか」とかなればまずCMは見ていない人を指す。あれこれといらないものよりいるものを見極める。与えられたものより自分で得たものを大切にするが如く。
　だから、「経験や苦労は買ってでもしろ」が今でも受ける。
　自分の信じるものを無理やりでも身を投じれば？得るものはある。　
　関わりあるものによって人は変化する。
　犬はしつけられて人間の生活にとけこむ様に、飼い主によって変わる。人の礼儀や常識も、似てはいる。親のせい？

　昔は家源病なる言葉があったが、今は「毒になる親」がある。
　ノイローゼや神経質があったが、今はパニック障害が出てきた。

　機能的な障害が無い限り、行動療法が人目を引く。
　私の説教は「関わってあげなさい」を幾度と無く繰り返す。

　机上の説教は、テレビでもやっている。

　落ち着いた時にしか聞けない言葉は現場では役に立たない。

　不安や恐怖を感じている場所や状況は「綺麗な体裁的な言葉」や「誰かの文句を付け足した言葉」では解決しない。

　一緒に怒り、一度での解決はありえない事をしってるから共に泣き、興奮を切り替えることを目的とする。
　「はい、解決。めでたしめでたし。」はあほらしい。台本のあるドラマではない。継続する現実。
　
　曝露（ばくろ）療法なる行動療法の一種が出てきた。
　私にすれば関わり療法という言葉の方がいいかも。
　でも、親になるぐらいの勇気や資質はいるのでは、？
　愛する異性や子供はペットではない。机上で教育を受けるだけでは頼りがいは無いみたい。

　今日と言う日は平等にある。
　

　　


　
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<dc:date>2007-03-21T03:20:14+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/23044.html">
<title>恋愛・神だのみ</title>
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<description>　昔々、男同士の世界から世間に返り咲いてた時に男友達とつるんではなんぱしていた。友達に紹介できるくらいに成功率は高かったもので、明日の予約デートまでしていた。ある日一人の友達の友達が「俺、好きな子がいるんや」と私に打ち明けたのででしゃばりな私はキュウーピット役をかってでて彼と、その好きな彼女の職場を訪れパフォーマンスして見た。それから1〜2年で彼らは結婚する。式に招かれた私は「別れのブルース」を歌いヒンシュクを買ってしまうと言う落ちがある。　今の若者とは違い、本当に女の子とおしゃべりをするのが好きなだけで、下心は男同士ではなかった。SEXをすれば彼女になってしまう。義理や人情が豊かな時代であった気がする。
　今は便利な時代で、出会い系とか合コンとか何の努力もしないで、お膳に乗ることができる。見合いと言うのは政略結婚に似たようなものであり、損得が見え隠れする。実際、私は追及しマリッジカウンセラーなるものまで紙切れ一枚は持っている。冠婚葬祭まで現場も踏んでカルチャーまでした。しかるに今は何の努力も追求もしないものが簡単に「神様おねがい。」と来る。
　机上で点数だけとっていたものが成功する異常な世の中ではあるけれど、テレビでも化け物といわれた子が整形して愛を得たり、並々ならぬ努力をしている事に感動した。
　私の祈りは「神仏よ。お願いはせん。ただ試練というて邪魔せんとって、なんの努力も苦労もせんと恋したいと言うとんのと違うんやから・・・」である。男にもてようとして美に励む。女にもてようとして美に励む。心も身体も愛するものの為に鍛えて何ぼのものかと思う。簡単に愛の糸を信じたあげく色情因縁とか言われてお払いして悪縁とったと言うて私のところへ来よる。そのまま「お払いしてくれた人を信じればいいのに」なんでや？我が儘は相手が見抜く。見抜かれないぐらいの所を選ぶしかない。故丹波はんは言いよった「男と女、夫婦は修行の場」もっともや、いくつになっても男でいないと女は寄ってこん。男を育てるのが女。女を綺麗にするのが男。それが人生の目的や。
　</description>
<dc:date>2007-01-24T00:48:47+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/19517.html">
<title>偶然は不思議にも</title>
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<description>　久しぶりに十字式の施療を受けに行く。ほんの１〜２分で気を背中から入れていただくようなもの。昔のタカツカヒカルさんのようなもの？　震災が終わって１年ぐらい。あるイベントで寝違えた様な筋肉のひきつけをやってしまった事件の時、スポーツマンの男優さんが「行ってみますか？」の勧めで「うっそ〜」というより好奇心旺盛、度胸マンタ栗で「行く、行く」のふたつ返事。十字式を知ったのである。
　心理療法の一つに催眠はおちょくられるが、カウンセリングはおちょくられるより、「仕方なし・・・」。マッサージは続けたりすればとか、リハビリに通うとかは常識。
　レールに乗った人を相手にお説教や講演、寄付を求める事や共感を求めるは容易く。目の前の戦争や飢餓や病気の人に触れることはテレビ映りは悪い。
　ましてや戦いの教育現場をきれいごとの「みなさ〜ん」はいらっしゃらない。
　十字式を勧めた彼の芸名はぐうぜんにも修道僧の名前。新聞を見たら北海道の日本ハムが優勝４４年ぶり。息子は学校の４４年ぶりに市高で剣道は個人団体とも優勝。その息子も北海道にいる。現場にはコメントやトラックバックもいらない。真実の事件をドラマと言い。誰かの想像をきれい事という。そしてまた明日が来る。</description>
<dc:date>2006-10-27T01:37:07+09:00</dc:date>
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<title>粒・ボ・焼き（つぶやき）</title>
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<description> 世の中、有名人は多くなるが相変わらず不幸な事件は後を絶たない。今の自分に何ができるかというと、救援活動なのだが身体が錆び付いてきている。ぜんぜん占い師らしくもなし。　大霊界ブームにはミーハーよろしく、会いに行く。あれから30数年、親父と同じ年齢だったとは、知らなかった。
　まだまだ現場のセラピストとしては「役にたたない講演よりは」震災の体験からも「ティシュペーパーのひとつ、ペットボトルの水一本」を運ぶことだと思っている。海外からボランティアに来た人の方が偉いと思う方である。資財を捨ててきた人もいる。そして隣人は何を言ってくれたかというと「私なんか交通事故でもっとひどいめにあったわ」
　無論、占い師やカウンセラーをを目指す人には「名刺を100枚配りや」今では「ITでの宣伝はプロに頼みよ」になっている。
　霊能力も商売であるし寺社仏閣も商売、宗教も人が集まり商売となる。だから信者として儲かると書くのである。国自体が死の商人いや商売だから、給料や年金はすごいでしょう。
　時間を作って動けばシナリオが要ります。あらかじめ驚く準備も要ります。ずっとTV のような段取りの世界、からくりはあるわけで、それを敷きたり式（仕来たり）とい言います。よーく考えていけばマジックの種もわかりそうなものだし、インドの００ババさんは一度の種明かしで消息不明。でもあれもマスコミが作ったんでしょうがね。
　毎日、動物霊と戦う人達がいます。差別されてる地域とか公害の地域とかにいないんですね。自分たちの世界だけを守って正義感に燃えるわけです。講演したら忙しくなって、弟子を雇えるんだから不思議ですけど。そっちの方が面白いかも。私は霊（パワー）と向き合う方式ですが、八百万の神々の国ですから善悪の区別こそ真はとりにくいと思う方です。つまりは優柔不断。とにかく困ってる時に、身体ひとつですから助けに行こうと思います。生まれてすぐ死んでも１００歳で死んでも平等だと思います。自分が経験しないと呑み込めないタイプで、にぶいかも。「見えるものが見え、聞こえるものが聞こえる」とかも言ってもらいましたが、生かされてる以上好きなことをしているわけです。肝心な時に人間になっているから、相手をひっぱたいています。もちろん心理療法も長年やってるわけだし、車の運転の慣れみたいなものかも。好き嫌いも激しいから商売にはなれないみたい。でも、結局はみな平等に生老病死のサイクルでこの世に出てきているわけで、優性遺伝の法則で弱肉強食であるわけです。物質が豊かになるのと同じく、心がより強く進化していくと信じたいものです。原爆を落とされて、敵国を許せる寛容な国民性は世界の歴史からみても日本だけだと自負できますが。
　大人がいなくなってると、つくづく思う今日このごろ、秋ですかね。</description>
<dc:date>2006-10-07T10:48:56+09:00</dc:date>
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<title>つぶやき・ジロット</title>
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<description> 　遊びに行く方が国際情勢が分かるかもしれない。日本では良かれ悪かれ、有名人でありさえすれば人生相談でもプロだし、政治家でもプロになれる。皮肉な国である。税金が一番多く払われてるギャンブルは今やパチであろうか？皮肉にも北の丸金で、表は敬遠してるかに見せて、税金さえ払っていれば日本こそが死の商人で適当ではないか？スポーツ新聞の広告と普通紙の違いを平気で見慣れてしまっている。　海外ではまたクーデターが起きた。多国籍のホステスに世間話でもするだけでも、表に出ている政治屋より一足早くおもしろい生々しいお国柄が聞こえる。　日本では公害問題でも、その地域に一ヶ月でも留まって、お忍び観察も無い。官僚がいるから間に合っているのだろう。数のうち分け政治は誰がやってもシナリオが変わるはずは無い。パフォーマンスで数が揃えば民意である。知らない人間をいきなり「有名人」だとか決めつける根拠は「よくテレビに出てる」で納得させる。右に偏れば「そういう教育を受けてきた」と言うが、「そういう教育がない」であるにかかわらず、日本の象徴をただセレブに扱う商魂たくましき世界。昭和天皇の写真と皇后の写真が私の物心ついてた時、額に飾れていたが、浜辺の砂粒程の親戚の為に「戦争」に行ったと亡き父は教える。「おかぁさ〜ん」と叫んで死にいく者がある中で亡き父は「天皇陛下ばんざ〜い」の方である。「そういう教育を受けてきた」のだ。
　他国では教育の場に写真を飾る国もある。昔の日本も似たようなものだ。そういう教育は。
　自由を知らないものが自由を叫べる国にいる。それが民意として49人と51人でたった2人の差で天国と地獄が決められると言うのは本来はおかしいのだが、繰り返し繰り返しCMで慣らされているから、昔は高校生、中学生、今や小学生までもが暴れる時代の方がおもしろいのだろうか？
　運命とか因縁とか先祖供養とか言う前に教育を何とかしないと、馬鹿にされるだけの能力は我ながら恥ずかしい限りだ。不思議な事は数々あれど価値観の教育や感動の教育の方が先である。私に何が出来るか？・・・何もできない無力である。自分の人生を流されずに生きるぐらいでしかない。最低限での「隣人を愛せよ」・・・やはり神仏に対する言葉しか浮かばない。鬼に成るために傭兵に志願しに海外へ行った者が言っていた。「神か悪魔かどちらでもいい、ただ邪気には成りたくはない。」・・・。
　自殺予告の現場は何度も踏んではいるが、自分勝手な気の弱さ（邪気）ばかり見ている。同じ経験をして倒れるもの、再生する者。その再生するものが次の邪気を作る。それを宗教と呼ばしては行けない。集教は囚教、集狂は信者を金儲けで笑売。下手に能力があるとそれなりに力を鼓舞したくなるのは若気の至り、年寄れば夢をさすらう只の人。
　最後は駄洒落で終わるか。</description>
<dc:date>2006-09-20T04:47:22+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/14437.html">
<title>節目・・・</title>
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<description>　夏越の祓いもすみ、すったもんだがあった前半が終わった。いつまでも若くは無いと思いながらも二十歳の心意気で五十になる体を酷使して医者の世話になる事が日課みたいなものっだった。ボランティアという言葉も程ほどにしないと、家族に迷惑がかかるものだと、ため息をつく。　そういえば出て行くばかりで企業戦士でもなければ親分なし子分なしの何にもなしである。
　世間では公害や被害者とか、義憤に駆られて、とかは、とかく暗い。鉛筆を転がして笑っていないと常識人ではないらしい。たまに内部告発で事件が発覚する。彼らの勇気、その後にも敬意を払いたい。
世間では言いたいことがまかり通るが、本当の事をいえるだけの精神力は数十年に一回ぐらいしか生まれないらしい。３０年に一回英国の新聞が暴露記事を報道するらしいが、庶民にとっては毎日が大事で毎日が無難が幸せだ。フランスのジャンヌ・ダルクは５００年前は魔女扱いだけれど今は聖女で通っている。日本の明治維新も「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われた。平成数十年、経済格差イコール教育格差。階級格差で各地に暴動が他の国々では当たり前で単に「テロ」と言ってる日本の常識はいずれ世界の常識についていけなくなる。
　心理学も大戦後に作られたと言っても過言でも無し、医学は戦争後に進歩するし、経済は戦争で精気を取り戻すと言うし、政治は密談で恋愛は戦争の駆け引きとも言うし。歴史は勝者の独り言。

　このごろ外に出ない分声が掛かる。不思議なものだ。道が変わると人通りも変わる。
　　
　
　
　</description>
<dc:date>2006-07-04T03:41:35+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/12774.html">
<title>奇跡</title>
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<description>日本が過去に中国や旧ソ連と戦争し掛けて勝っちゃた歴史があります。何故に子供が大人に喧嘩して勝てるのか、理屈はあるのです。庶民がストレスでノイローゼで事件が起こり、法律でうんぬんがあって、情状酌量とか？
防衛システムでミサイルやジェット機の管理、当事者のストレスやノイローゼはどうなんでしょうね？
同じ人間ですが。
嘘のような真実を作るのがマスコミ。
70代や80代の老人でも日本を革命的に変えるシナリオはありますが、知る人はとてつもなく少なく、外国人が正社員で、日本人の若者がニートやアルバイトで成る未来がすでに秒読み。
恋愛はオープンですがその中身は伝統を破壊するしぐなるでしょう。差別は存在しても、偏見を持つなが定番。価値観が変化すれば、4万人が死んでも、3人にドラマを見出せば報道はスポンサー任せ。
まっ、男を騙すにはホステスに学べ、女を騙すにはホストに学べです。みなプロですから、仕事の名の元に聖戦です。戦い続けるのでしょう。
もうすでに、日本人であるということが奇跡でしょう。生きているだけの地球人です。平和、博愛、平等を理念としています。
スポーツ競技の中だけ「日本。ちゃちゃちゃ」でしょう。
勇気さえあれば奇跡は簡単に起こせれるのかも、私の頭の中は「マザー・テレサ」、叔母の「マザー・フェリチタス」を思い出します。誤解や冤罪、偽りの中で自分を貫ける勇気。戦い続ける宿命、ジャンヌ・ダルクも死後500年後に聖人の仲間入りだそうですものね。
知らないことにチャレンジするのも、できるのも奇跡でしょうか？
これだけは言えますね。
生きていけるからこそ奇跡に出会えます。</description>
<dc:date>2006-05-30T00:55:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/11211.html">
<title>お酒</title>
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<description> 「昇段試験に通りました・・・」

　子供からの元気のいい声がこだまする。
　二十歳で３段だから早いし順調だな。（終わりよければすべて良し。）

　人生の思い出作りは、自分自身が主人公だが我が儘では困る。個性が輝けばいいが、偏屈で嫌われ者では本人も辛いが親もつらい。
　よくぞここまで、頑張ったとあらためて運の世界を顧みる。小学生ではちょこっと柔道部ですぐ止めて、中学で剣道部。一人っ子で優柔不断、部で後輩の方が全国何位のベテランで、自信失くすしいじめが入る。高校では部員が足らず、自らがキャプテン。しかし、奇跡は起こる。４４年ぶり市高で優勝、団体、個人でダブルの快挙。

（みんな努力する。生きてることが善も悪も無く努力している。
　そして、みんなが言い訳をする「あの時はあれで良かったんだ。」と。
　戦うのも運、逃げるのも運。
　マトリックスで生かされて、家畜にも似た命を有難がるのも人生。

　機密に類する担当職員がストレスを爆発したらどうなるか？一般の病的ストレスで簡単に個人を殺傷する事件とでは話にならない。

　黙りつづける人生があり、騙しつづける人生がある。どちらもが神仏の思し召し。

　チャップリンは「一人殺せば犯罪者で百人殺せば英雄である。」と言っていたが、今は「目立つ一人死んだら大騒ぎ、３万人死んでも蚊の羽音もせず」。）
　
　喋るだけしゃべったら、酔いつぶれていた。それでも同期の桜は私に軽く会釈して、始発で東京に帰っていく。私にはもう、彼のように体力を維持できない。彼にも娘がいる。
　「お前は男の子で羨ましいよ。」
　最後には決まって言うセリフ。
　「俺は爺になったら娘だったら甘えたいよ。」</description>
<dc:date>2006-04-25T20:57:18+09:00</dc:date>
</item>

<item rdf:about="http://www.uranaiblog.net/user/adams/adams/9226.html">
<title>徒然・・・。</title>
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<description>　国会では昔は老人ホームの如く、居眠りが多かった様に思う。今は若い人が多くなったのか、携帯電話がちらほら目に付く。もっとも爆弾発言の人は折鶴をおっていたかな。
　見たことも聞いたこともない人が政治や宗教を束ねていて、倫理や道徳を台本を読みながら言ってるのがむなしい。
　お坊ちゃんやお嬢ちゃんがあまりにもいじめっ子面に見える。何の経験も体験も無くして、机上でロボットまがいに育てられた者が、免許や認定（法律）を嵩に弱いもの（庶民）を追い込んでいる。そんな資格をありがたがる、さらなる子供が未来に何を期待するのか、ただ只、自己満足を幸せと勘違いかぁ。自由と我が儘の区別はもはや無い。
　
　カウンセラーやセラピストに料金が払えない。
　病院行くのにお金が払えない。
　冷やかしの占いにもお金が無い。
　信仰にもお金がいる。
　生活するにも金が要る。
　ボランティアにも金がかかる。
　仕事するにも元手がいる。
　恋人と会うにも喫茶代。

　結婚、教育、老後に不安。

悩みと死ぬる事は老若男女金持ちも貧乏人も成功者も失敗者も美人も不細工を問わず平等にあります。

九死に一生を得た私に出来る事は、縁あって話を聞いて下さる方に知識と情報、勇気というアドバイスでしょうか？セラピーとか占いとかはホンノ小道具なのですが、・・・。


　
　

　</description>
<dc:date>2006-03-07T04:34:14+09:00</dc:date>
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