最近、多くの事件や自ら命をたつ話が多すぎますね
心と命の時間はリンクしてるの?とおもってしまうぐらい
以前も書きましたが 愛の周りは自殺志願者が多いです。
人事には思えません
愛の親族で数年前、命を自らたったひとがいます
愛は面識は一度しかなく
肉眼で会ったのは亡くなった時が初めて
彼は大阪に住んでました。
会社の人間関係で悩み、恋にも破れ
命をたつ数時間前に東京からきた母と食事をし
母を見送り 遺書を書き この世を去ったのです
彼は「うつ病」と診断されてたようで
彼の家族は亡くなった後、初めて身内に打ち明けました。
彼らと愛は血縁関係はないのですが身内なんです
一人で思いつめ 悩み 打ち明けるところもなく
自分で冷静に決断したらしい
49日前だったので彼の思いをよく聞きました。
体が亡くなってから打ち明けても遅いよ と愛は
叱りながら話をし 未練・悔いはないといわれました。
しかしいくら彼が未練がなくても身内は悲しい気持ち後悔は消えません
彼が愛に伝えた事は
「心と命の時間は同じだ」
これが今でも強く残ってます。
意味としては
心に不安や迷い、どうしても解決できない事と思ってしまうと やり直す気力がもてない
自分には力がない 完璧でなければ意味がない
愛がない。必要な人と思われてない。自分の自殺行為でイジメなどの悲惨さをわかって欲しい
そんな気持ちのようでした。
でもほんとうにそうなの?
命をたつ勇気があるなら 誰かに打ち明け 多くの考えを聞いてみようと思おうよ
と愛は思う
愛だって強くないし 命をたちたいと思ったこともある
しかし、残された人のことを思うと出来なかった。
ならば笑顔でいれるにはどうしたら良いか?
懸命に考えた末、「生きる」行動をし始めたんだよね
生きたくても病気で命の残り時間を数える人に申し訳ないと思うことも大事だし
小さい子供で大人に抵抗できずに 命を奪われる子供も居る
そんな中で、生きることは心と命の時間だけが問題ではなく
「生きる」ことになんでもいいから価値を持つ事がとて必要だし
隣は他人の意識をなくさないかぎり
見えないサインを見過ごしてしまう・・・・・
この世を去れば解決されるってことはなく
去ったから責任がとれる事もない。
当事者だけの責任でなく
周囲の「無関心」も大きく感じる。
人は心が有り命もある。
命は消えたとしても心は残る
本当の無関心はこの世にはないのではないかと思うんだよね
人間でいるより人として自分を見てみることがとても大切な事だし
完璧でないのが当たり前なのが人だし
気力がないなら 自分の位置と言う事を誰かに聞いてみる事も大切な事
以前、クライアントさんから朝方連絡があり 死ねないと連絡が来た
彼女の家は朝方なら愛の自宅から車で1時間でいける場所。
愛は救急車に連絡し彼女の住所を伝え愛もむかった。
病院について彼女は放心状態
「なんでしなせてくれないのよ」と愛に攻撃してきた
叩かれ大声をだされ 死なせて欲しいと泣きつかれた
でも彼女は生きてる。
生かされてる
辛い気持ち 忘れたい思い 逃げたい思いその他もろもろがあり 人は思うのだろう
しかし 命を自らたつのは良くない事
悲しむ人が居て 本当の愛を知らずに去ることは
とても悲しい事
だから 虐待も争いも自殺もない世の中が一番なんだけど 人が人を思う気持ちをもっと純粋に考えないと そう思うことが難しくなる。
命をたとうとおもったとしたら 心に一つの花びらを持って欲しい そして誰かに手を握ってもらってみて 温度を感じて欲しい
子供を虐待してしまうなら 手を出す前に心に花びらを持って欲しい そして抱きしめてあげて欲しい
本当にそう思う・・・
隣は他人でなく 隣も人 とおもう気持ちがまずはできる事なのでは と深く思うし
「まぁいいか 仕方ない」と思う気持ちも大事
子供の体は小さい 手も足も小さい
それを感じて欲しい
命の大切さ・・・
常に感じていて欲しいと愛は思う。