「理想の教育」をうたう本を時々読んだりします。
その中によく出てくる表現は「子供は純粋無垢だから大人は彼らの純粋無垢さを学んで身につけるべき」というものです。私はちょっとこの意見に違和感を感じるタイプの人間のようです。
霊視なんて人間の心の裏の裏まで読み取っていく手法ですから、人を見る目が一般の人間より冷めたものである事は私自身にも自覚があります。だからこれから私が書くことはひょっとしたらひねた部分もあるのかもしれないので、あくまで軽く流す程度に皆様が読んで下さればなと思います。
子供は本当に純粋無垢な美しい生き物なのかという事。
確かに子供は嬉しい事があれば体全体で喜びを表現しますし、悲しいときはわんわん泣くし、怒ったらかんしゃくを起こしたり、感情表現が非常にストレートですよね。
でも私はこういうストレートさを「純粋無垢だから」だとは思っていません。
感情をストレートにありのまま表現できるという事は、裏を返せば脳みその作りがまだ単純で、理性が感情を抑制しないからだと思うのです。子供は大人よりずっと無知ですから、脳みそは単純に物事の価値を判断します。単純に喜び、泣き、怒る。ただそれだけの事です。感情の抑制が大人より大幅に少ないという事ではないかと…。
大人は心から嬉しい事があっても人目はばからず飛び跳ねて喜びを表現したり、辛い事があったからと人前で大声で泣き叫んだり、嫌いな人に「お前なんか嫌いだ!」と怒鳴りつけたりは滅多な事がない限りしませんよね。これは理性の習得により、感情の抑制ができているからです。
もし「子供を純粋無垢なままの大人に育てよう」などと言い出したら、気に入らない人間をさくっと殺してしまうような、そういう恐ろしい「子供のままの大人」ができてしまうのではと思ったり。(この極論は考えすぎかもしれませんね…)
子供に必要なのは理性の教育だと私自身は思っているわけです。
子供から学ぶことも多いですが、大人が子供に教える事もまた沢山あると思います。
「空気読め!」なんかもそうですよね(笑)
我が子は3歳になったばかりですが、エレベーターに人が沢山乗り込んでくると大声で「あああ〜せまい〜せまいよう!」と言いますが、君だってエレベーターを狭っ苦しくしている一因なんだから空気読んで黙ってなよ、みたいな…。注意しても「どうして思った事を言っちゃいけないの?」という目でキョトンとしています。ゼロから一つ一つ教えていかなくてはならない。人一人育てるにも四苦八苦です。
私は子供たちを身近で見ていて、簡単に「純粋無垢」=「善きこと」と決められない問題だと感じています。
長くなりました。
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