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2009-05-07

亡くなった「その瞬間」に、魂は地球の裏側に住む子供にメッセージを送るといいます。

魂が距離を越えることができるとすれば、
何万光年離れた星の「現在の」光や状態を感じることができるはずです。
それは何万年先の地球に届く光であり、
無数の星が、太陽と地球がそうであるように、わずかにでも
影響が及んでいることを考えれば、未来が見えるのも
自然な現象に思えてきます。

それはどのような距離にでも言えることで
太陽は8.3分前の光、月は1.3秒前の光
惑星の光が地球に届く時間はその時々で違いますが
火星に太陽の光が届くには12.7分かかるといいます。

魂の働きやその「動き方」個々の性質に思いを馳せていくと、
それぞれに「法則」を見出すことができます。
占星術もこのように生まれたのでしょう。
魂もひとつの科学的な、エネルギー体としての性質を持っています。
レイキが伝える神秘伝の行く先はこのような心境なのでしょうか。
超客観ともいうべきか、自らの心自体から自由に抜け出して、人々の心やその間の空間を飛び回り、無限の光の繋がりあいを眺め、紡いでいるような、そんな心地がしています。

Posted by caloa 13:40:56Comments(0)TrackBack(0)レイキ・ヒーリング鑑定・占い

彼岸

2009-03-18

お彼岸て何、と言う人もあるかもしれません。
お盆は知っていても今ではお休みの関係もあってか
お彼岸を重視する傾向もなくなっているようです。

さてこの時期、死を思うことが多くなります。
霊気で大勢の人と繋がっていますので尚更それは強くなります。
誰もが苦しんで死ぬことは嫌うはずです。
幸せに、安らかに、楽に死んでいきたいと願うことでしょう。
それは生きることと同じ意味です。
今の人はみな、生きるために生きています。
目標がそこにある限り永遠に安らかではありません。

霊気療法の五戒にもある「今日だけは」を生きるには、
明日死ぬかも知れない今日の身を思うことです。

逆に言うと、成すべきことが成されていなければ、
人は安らかに死ぬことができないのです。
安らかに死ぬことができないということは、
安らかに生きることができないということです。

終戦の頃、マッカーサーのもとへ天皇が訪れたときのこと
命乞いにでも来たのかと思っていたらそうではなく
自分の命とひきかえに国民を助けてほしいと
その言葉に感銘を受けたという話を聞きました。

自分だけはと思っていればそんな言葉は出ません。
保身に走り、命乞いをするのが普通の人間でしょう。
だからこそ不安事心配事が背中に積もり積もって
重い足取りの人生になってしまうのですね。

死ぬ準備をして日々を過ごせば、これほど軽やかなことはありません。
そして思いもかけず幸せになっていくのです。

Posted by caloa 11:55:06Comments(0)TrackBack(0)その他

二年参り

2008-12-22

いよいよ年の瀬も近づいてまいりました。
今ではすっかり習慣になって行われてしまっている二年参りですが、じつは今年一年の感謝と初詣を「一度の足でやってしまおう」というもので、たいへん略式のものであります。

大晦日は夕刻の日がゆくころに大祓いが行われますから
まずはこちらにしっかり参列して一年の穢れを祓い、
また感謝も捧げてその日は帰って休みます。
そして元旦には改めて、日の出を拝んでから初詣に出かけるのが一番良いのです。

楽しんで二年参りに出かける方は良いのですが、
もし無理をして出かけるようなことがあれば、このように思い直して
何も気にせず、夜はゆっくりと休まれることをお勧めいたします。

冬の夜は大変冷えますから、出かける方も温かくしてお出かけ下さい。

Posted by caloa 18:52:31Comments(0)TrackBack(0)自然

結婚の法則

2008-11-19

鑑定と遠隔法を始めてそろそろ10年になりますが、
皆さんの心中をある視点で彷徨ううちに、
そこに一定の法則があることを見つけました。

恋愛がうまく行くケース、行かないケース
結婚できる恋愛とそうでない恋愛。
一見、まったく関係ないと思われるようなところから
甚大な影響が及んでいたのです。
鑑定を依頼された方には最近よくお話していることですが
そんなことが関係あるの?というような驚きの声を聞きます。

この法則を抑えてしまえば、失敗することはなく
時間を無駄に浪費することもありません。

近々これをまとめてホームページに通信講座形式で公開する予定です。

Posted by caloa 14:01:08Comments(0)TrackBack(0)鑑定・占い

ある木との出会い

2008-11-11

私がその木と初めて出会ったのは森の中でした。
母と山菜を採りに山に入ったときのことです。
先を歩いていた母が不意に立ち止まり、「可哀相に」といって
ある幼木の上に被さっていた枝を退けてあげたのです。

はて、他にも幼木はあるでしょうにと不思議に思い
何故か母も私も随分気になったので、枝を貰って図鑑で
調べようという話になりました。

摘んできた枝は、持っているとひんやりとして不思議に涼しく、
水に差して机の上に飾ると、その周りが深い山の清水のような
青い透明の空気に包まれているようでした。

側に置いておくととても気持ちが良かったので
いつまでもいつも向かう机に置いていたのですが、
何ヶ月も青々として枯れることがありませんでした。

調べてみると、サカキ(榊)という植物であることが分かりました。
神棚にあげたり、玉串などに用いる木ですね。
そのころは神社のことなどひとつも知らなかった身ですが
知らぬということは、こういう感動も与えてもらえるものなのだなと
今にもしみじみと感じています。

Posted by caloa 13:17:37Comments(0)TrackBack(0)自然

縄文の夜神楽

2008-10-20

52606.jpg

マヤ暦に関心のある方や、アステカなど海外の古代文明に心を寄せる人も多いと聞きます。
アトランティス云々、私は詳しくありませんが日本人は海外が好きですね。
異質で神秘的なものがあるようで心惹かれるのですね。

その異質で神秘的なものは実は非常に身近にあるのですが、皆気付かずに踏みまわっているのだということを写真家の滋澤雅人先生に教えていただきました。

この写真は、私が暮らしている富士見町の井戸尻遺跡から発掘された土器です。
肩甲骨から腕が伸びて器を抱え、仙骨には印がついています。
左には海外にも見られるシンボルが刻まれています。不思議ですね。
土器というとどうも稚拙で残念なものが多いようなイメージがありますが、これは誰が見ても特別ですね。
聞けば、これほどの土器はこの八ヶ岳周辺が一番古く=発祥ということですね、他の地域はさらに後の年代に出てくるといいます。
宮司は神社を据えたところを高天原と名付けましたが、実にその通りだったように思います。
正直、私は何も知らずこの森を一目見て富士見と決めて暮らし始めたのですが、聞けば聞くほど恐ろしく神秘的な場所です。
神社に(無意識が)引かれてやってきたのかと思っていましたが、実は神社自体もこの地に引かれてやってきたのですね。

古神道でさえも、天武天皇が「途中で気付いて」神代のことを復元した信仰でありますから、さらに奥を辿ればその本源、神代の姿が見えてくるのは当然のことです。
行を行っている目でこの土器を見たとき、これほどに神道の深遠を伝えるものがあったものかと驚きました。
文字も言葉もない時代、彼らは「感じたこと」をこのように表現する能力があったわけです。
ですから本来骨のないところに骨のようなものがある。頭のないところに頭がある。これは「感じる」からです。
ですからこの土器を前にすると、不思議な霊力を発しているのを感じます。
これこそ神宝と言っても過言ではないと思います。

滋澤雅人先生は非常にすぐれた感性をお持ちで、今まで撮っていた能面から土器へと本源を辿り、写真を撮るときには祝詞を唱えるそうです。
今度は富山でこの写真展(縄文の夜神楽)があるそうですから、近くの方は出かけてみると良いでしょう。

Posted by caloa 10:14:26Comments(0)TrackBack(0)自然

第37回レイキ交流会

2008-09-20

今日は午前中にレベル1の伝授を行い、
午後にいつものように交流会を行いました。

期待の新人もいて頼もしい限りです。
今日は瞑想を行っているという方が塩尻からいらっしゃって
柔らかいような不思議なエネルギーを発していましたね。

やはりまめにレイキを使っている方は非常に磨かれています。
内観のすぐれた方がいるのでよい手本になりますね。

今日は癌に始まる様々の病のほとんどは陰性から発するという話をしました。
また、腹は温かく頭は冷静に保つ、という話もしました。

御製は29番の埋もれ木・・・の歌でした。
レイキもそうですが、能力を惜しんで埋もれ木にならないようにしたいですね。

***

と、そのような話をして帰ろうとしたところ、
受付のおばちゃまがどんなことをやっているの、と不思議そうに聞いてきました。
急の延長でしたので気になったのでしょう。
吐き気がして具合が悪い方がいたので、というと、じつは私も夜中に足が攣って困るんだよ、1月に肺炎もしたしあちこち悪いんだよ、といいます。
それじゃあ今度3時に来たらいいよ(体験会があるので)というと受付を離れられないとか。
5分でも等々色々と話をしましたが、はて、今困っているのに次に回すのもおかしいなと思い直し、すぐに受付の中に入って手を当ててあげることにしました。

立ってやるの、というので椅子にかけるかして楽にしたらいいよというと、なんと机の下から枕やら座布団やら出すではありませんか。
たまにこうして横になって休んでいるようです。これにはびっくり。
ともあれ、その座布団の上に横になってもらい、手を当ててあげました。
あったかくて不思議だ、手は冷たいのに不思議だねぇとしきりに感心していました。
これがレイキなんだよ、と説明するとさらに感心した様子。
攣らないようにするためのアドバイスもしてあげました。

交流会中開けっ放しのことがあるので、
ひょっとしたら外から覗いていて興味深々だったのかもしれませんね。
いつも会場を取るときにお世話になっているおばちゃまなので、
恩返しができたようで少し嬉しい出来事でした。

Posted by caloa 18:24:09Comments(0)TrackBack(0)レイキ・ヒーリング

裁判員制度

2008-08-25

いよいよ裁判員制度が始まりますね。
無作為に選ばれた人が罰を決めるというのも難しそうな話です。
日本人の罪の感覚は何処へ向かうのでしょうか。

その話題をしていて思うことがありました。
罪ということを思うとき、私は全てが繋がっていることをまず感じます。ある人が殺人を犯してしまったとき、果たしてその人自身にだけ原因はあるのでしょうか。その人を育てた親、そのまた親、環境、ひいては社会にも原因があることになります。「現代の人々は狂ってしまってきている」ということに気付く人も少なくはないでしょう。
私は幼少の頃から自然の立場から人を見てきましたので、現代の人は一番肝心なことを忘れて生きていることに気付いていました。アイヌコタンを訪れた時それが「祭り」の中に伝承されていたことに学びを受け、その関連性から神道に関心を抱き、模索するうちに古い神道に私の気付いてきた真実と忘れたときの「対策」がそっくり残っていることを知らされました。
熊送りはとても具体的なアプローチです。熊を可愛がって育てたあと、その肉を祭りで食べてしまいます。子供たちはかわいそうだと言って泣きます。この祭りがなければ、狩りをしない子供たちは肉をただの食物(物質)として認識するだけでしょう。熊の親の気持ちになってみれば肉を食べるというのがどういうことなのか、そしてどう向き合っていくべきなのかを祭りの中で学ぶことができます。しかし、祭りの中で何も感じられない人はどうするのか?神道にはそれにすら対策がありました。
しかし、熊送りも昔の話となってしまい、今は行われていません。そして、天皇が行う似た祭り「鎮魂祭」は服で代用されていると聞きます。おかしくなるのも無理はないかも知れません。かつては天皇が行をつとめてしっかりと祭りを行ってきたおかげで日本人の感性が守られて来たわけですから。
人には広大なつながりがあります。私にはまだそれほどの力はありませんが、この程度でもひとつひとつその魂に呼びかければ何もしないよりは平和の道に進んでいきます。平和とは、ひとりひとりが幸せであることが原点です。ただひとつの綻びが未来の大罪を作ってしまいます。だからこそ私は、より多くの縁をつなぎ、そしてできたのなら全力で、本人が思う以上の幸せに導いていこうとするのです。

Posted by caloa 13:54:07Comments(0)TrackBack(0)自然

人前結婚式

2008-08-05

西洋式の「ウェディング」が定着して久しくなりましたが、神様の感覚がすっかり混乱して神聖な結婚式も、今ではほとんどが形だけ・雰囲気だけのものになっていますね。
「人前結婚式」というものが出てきたのも、結婚式の意味は「人に報告すること」に留まっていることの象徴とも言えるでしょう。

確かに、日本人の西洋式=人前結婚式と何ら変わりない気がします。

キリスト教では離婚はありえないことですし、聖書による「誓い」は絶対の意味を持っています。
しかし普通の日本人には聖書はそれほど重い意味を持たないものですので、実質上中身のない誓いになってしまうわけですね。

神道はいのちの営みが軸になっています。
神様に報告することは親に報告することと似ていますが、人間に報告するだけでは不十分です。
なぜなら、人間にできることは限られているからです。
これは当人たちでも同じです。いくら真剣に誓ったところで、いずれは必ず過ちを犯してしまうものです。
たとえそのようなことがあっても、そうした過ちを直して護ってくださるのが日本の神様です。
これほど頼もしい仲介人はありません。
だからこそ縁も固く結ばれるということですね。

いずれにしても、結婚式というのは信仰のありかたが問われる場になるのでしょうね。
しかし信仰がないからといって、人前で済ませてしまうのはとても頼りなく、前途多難の気配がします。

これを機会に、日本に生まれた身を振り返って、頼もしい神道の教えに触れていただくことをお勧めします。

Posted by caloa 15:02:03Comments(0)TrackBack(0)自然

オーラを見る方法

2008-07-22

オーラの定義を調べると、
オーラ (aura) は、物体(特に人間)が放出する雰囲気、霊気などのこと。
「息」を意味するギリシア語「アウラー ( / aura)」に由来し、英語としてはやや文語的な表現である。
とされています。
また、いわゆるヒーリングサロンなどで行われるオーラ撮影というサービスは人体内を流れる微弱な電気信号を画像処理しているに過ぎないといいます。
まあ、現在ではその微弱な電気信号がオーラではないと言うこともできず、その機械によって電気信号がオーラということになってしまっているようですね。


ともあれ、私は強い霊気(尊い気という意味で)あるいは神の力を感じるとき、真っ白な光を感じることがあります。
科学的にも白い光が虹のように分けられると全ての色になることも分かっていますね。
この感性を応用して注意深く観察していると、音や音楽、植物も光=色を発していることが分かります。

試しに炊き立てのご飯を見てみると、驚くことに黄緑色のオーラを発しています。
弓をはじいたような形状を外へ外へと発しています。

つぎに沢庵を見てみると、白い円のオーラが外へ向かって波紋のように発せられています。

これはどうやら「いのち」の様子であるようです。

このように、オーラは動き続けています。
写真を見ると停止しているように感じるかも知れませんが、湯気のように、あるいは湯気よりもしっかりとした形・線を保って動き続けています。
とはいえ、人のオーラも今日が青で明日が黄色というようにコロコロ変わるものではありません。
例えば2週間前と比べると、形状は似たような形、色は似た色から少し変化しているという具合です。
つまりゆっくりとした空の様子と同じです。

Posted by caloa 22:50:50Comments(0)TrackBack(0)鑑定・占いレイキ・ヒーリング

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