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プロの占い師が集う[占いブログ]

プロフィール

プロフィール
名前 ヨハネ
性別
自己紹介 易者であり、自称無教会派のキリスト者。
趣味 音楽鑑賞
スポーツ
好きな
食べ物
コーヒー。酒は飲まない。

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ゆだねる気持ち

2007-12-17

大リーガーの松井選手は、自分のコントロールできるものとそうでないものとに明確に分けて打席に立つということです。これは自分自身に対して余計なプレッシャーをかけないよう、うまく割り切るための方法ではないかと思います。プレッシャーのかかるときに、そのプレッシャーを跳ね除ける強さを問題にするより、むしろ負担を軽くしリラックスすることを優先している思考であり態度だと考えます。

最近よく、プレッシャーを楽しみたい、という言葉も流行ってきました。これも、プレッシャーに対抗していく力を如何にして培うかではなく、その対象に立つことで本来の自分を引き出す方法ということになろうかと考えます。

このどちらも、
自分の限界をわきまえるという謙虚さが根底にあるということと、そのことから変な力みを入れないように工夫しているということ、そして自分のやるべきことを拡大する方向へと思考せずに、限定していくように発想しているということに気が付きます。

こうした判断を一言にまとめてみると、
「ゆだねる」気持ちであると言っていいでしょう。


このニュアンスは自己放棄ではないということですね。
目の前の他者や事態を主体にして、自分の小ささを受け入れ、自分が対象に立つということになります。

難しいのは、こうした考えは、自分に囚われているとなかなかできないということです。自分で何でもやろうとしてしまうと、自分の足元から必ずといっていいほど躓いてしまうものです。自分で何とかしようと思っているうちは、どうにもならなくなってしまうということがよくあります。こうしたときに身辺を見直し、逆に自分の限界を知ることで自分本来の持ち味・能力を発揮出来るようになって行きます。

こうしたゆだねられる気持ちになるには、
自分の成長への強い確信と柔軟性、
自分の可能性への自信がなければなかなかすぐにそうした境地になれません。
いつまでも自分なりのものを手放すことができない、やり方を変えないというのは、無意識の自信のなさの裏返しである場合がほとんどです。

そう考えると、ゆだねるというのは簡単ではない、ことがよくわかります。人間は完全に関係性を無視できるほど、そんなに強くできておりません。
ゆだねるには、どこかで自分を受け入れられる土台、関係性から生まれる絆・何らかの後ろ盾が必要だということになります。

そうした自分の考えや確信のための根拠をどのように確立するかは、大きな人生のテーマです。それは新たな状況が生まれればそれに応じて新しく新鮮に問題を常に掘り下げていかねばならないと同時に、一方過去を思い起しながら乗り越えて勝ち取ってきた自分の実力を信じて向かっていくことが必要になります。

そしてありとあらゆることをやりつくして
初めてやっとゆだねることができるようになります。
つまり、誠意が欠けていると、
気持ちを解放させてゆだねることができなくなる、
ということになろうかと存じます。

なにごとにも、
誠は肝心要です。

では、みなさまの明日からの一週間がすばらしい展開がもたらされるよう、よく整理をしてゆだねてお休みください。

Posted by devil666 00:19:21Comments(0)TrackBack(0)

ジブンを捨てる/我執に囚われない心

2007-12-15

師走になり、クリスマス・大晦日、そして新年と大きな波がやってきます。この時期、何かを決めたり動いたりしたくなる時期です。刺激を求めて行動したくなります。忙しい中でも、一年を振り返って反省し見直す大切な時になります。

私事ですが、実はつい先日、車で移動の最中、出会い頭で思わず接触しかねない状況があり、ヒヤッとしました。いつもは安全第一で、絶対に無理をしない運転をするのに、と我ならぬ我の出来事に唖然としました。

本当に間一髪の出来事で、「あぁ、守られているな…。」と感謝の思いが沸いてきました。


ちょっとしたことなのですが、思い通りにならないことがあり、気持ちの中でやや強引な念があったと反省しています。

我執は、自分を大切にしている、押し出しているようでかえって自分を型に嵌めてしまって、その枠から抜け出せなくなってしまうエネルギーです。結局自家撞着を起こし挙句には悶々としてエネルギーを使い果たしてしまうのです。

こうした時、今一度自分を突き放し客観化し、関係性から自分を捉え直す必要があります。

自分を整理するのに、
1.自分の思っている自己像
2.他人から見た自分像
3.自分でも知らない自分

という観点がある、と言います。
そんな視点から見直すことで、
成長の余地があることに気づかされます。
小生はプラスαで、
「天から見た自分」という角度を取り入れています。


存在しているものは全て、必ず関係性を前提とします。
その最たるものが男性と女性です。
関係概念のない存在はありえません。
相対性に働く調和に愛が顕れるように創られています。
得てして我執に囚われているとき、
必ず関係性が破壊されています。
自分の枠でしかモノを見ていないからです。

関係性を考えるとは、
今の自分はどれだけ“役に立っているか?”
を問い直すことであります。

占い師としての原点です。

人に対して役に立っているか、
人に役に立つことで喜んでいただき、
神に役立っているか?

わたしにとって鑑定とは
運勢を見立てて、
天と人との調和を図る筋道を見出すことです。

自己概念を忘れる瞬間です。

常にそうした意識で、
自己を滅却し、
自分を捨て、
誠を持って天と人とに尽くしていく道、

それが鑑定であると考えています。


明日、日曜日は
マリフォーチュン有楽町店に
11:00〜入店します。
交通会館2Fです。

明日はどんな方と出会えるのかな?
みなさまとお会いできることを楽しみにしております。

Posted by devil666 21:50:10Comments(0)TrackBack(0)

恐れを避けること

2007-12-14

自覚の有無にかかわらず、私たちは目に見えない霊の作用に影響を受けております。霊界について書きしるしたスウェーデンボルグ師によれば、地上人の思考の98%以上は霊による作用を受けていると言っています。その数字の真偽はともかく、特に霊は血統・遺伝的な経路にしたがって生きている人の心に働きかけ、地上人と同時に事の成否を味わい、地上人のつかんだ幸福を分かち合いたいと願っています。

何かを成そうとするときに恐れが生じる場合、大抵は過去に失敗したり、いい思いをしなかった霊が寄ってきて不安を増進させる、つまり目には見えないけれども背後からあたかも霊が糸を引いているかのように、恐怖心は目には見えない霊の作用によって引き起こされるようです。

霊をとらえるに悪霊人などの悪神の作用と、聖霊・天使による善神の作用とに二分して考えます。
善神の技は穏やかであり時間がたつにつれて平和感が増し正義感を強くし、心に平安がもたらされ、ゆとりが生まれ他人に対して寛大になり、体も健康になります。
反対に悪神の技は、恐怖や不安を駆り立て、余裕がなくなり自分だけの利益を考え始め、健康も害するようになります。

こうした霊的な技を見分けるのは非常に困難ですが、時間がたつことで生まれる結果に如実に現れてきます。当人も第三者も、霊は見えない場合がほとんどです。人は善にも悪にも傾く中途半端な位置にいますので、普段は善悪をかねている行動をとっていることがざらです。ですので悪神の技である恐怖を克服するのは簡単ではありません。動機が純化され、完全な勇気を得るまでは恐れは消え去ることがないのでしょう。

新約聖書のヨハネの第一の手紙の中に次の言葉があります。

『愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。』4章18節

愛が完全であれば、恐れがなく、希望と勇気が沸いてくるということです。

絶対・不変・完全・永遠というのは、観念の世界で成り立つことであり、現実にはありえないと考えますが、観念の世界である以上、目に見えない心の世界では成立します。

キリスト教では目に見えない神を心の世界で捕らえようとし、神は愛である、と観念づけます。

そのことを信じることが信仰のようです。

つまり、こうです。
神が愛であり、その愛なる神が自分を完全に愛しているということを信じるのが、「信仰」であり、
そうした考え=「信仰」が確立すれば、恐れを取り除き、善神の協助を受け、心に平安が生まれ健康になる。

今日の我田引水は、
自分自身が愛されていることを信じ、
自信を持つこと。

恐れを避けて
希望と勇気を持って世に打ち勝つこと。

打ち勝ったかどうかのバロメータとは、
心の平安とゆとりがあるかどうか、
他人に優しくなれているかどうかをチェックするということになろうかと存じます。

みなさま、明日がいい日であることを信じて体を休めましょう。

Posted by devil666 23:59:34Comments(0)TrackBack(0)

リセット

2007-12-12

一日一日の出来事で、失敗や思い煩いを明日まで残すことなく、その日のうちにうまく清算することはとても大事なことです。優しい方に多いのですが意外に失敗したことをいつまでも抱えることが義理と思ってしまい、なかなか手放すことをせずに過ごす方がいらっしゃいます。しかし、こうした思い煩いは自分をだめにしてしまうのみならず、結果として相手や周りの人たちに対してもいい影響を及ぼさないということにつながってしまう要因になります。

煩いごとは決して物事を発展させることになりません。この場合むしろ割り切って考えることで、煩いごとの代わりに責任を自覚していくことにつながり、しっかりした自分をつくることに発展していきます。

そうした姿勢を貫くことで、天は自分を味方すると考えるほうが好ましいと思います。これは自分に都合よく考えるということのひとつの方法です。

新約聖書のマタイの福音書6章34節からを引用します。
“だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。”

リセットするには、うまく割り切る必要があり、そこには自己を全うする責任感と、運を天にゆだねるという謙虚な姿勢のバランスが大切になります。

それはたとえば逆に今日一日大きな実績を立てても酔いしれずゼロになること、一日を終わるにあたって、栄光をいつまでも自分のものと抱えず天に返すという謙虚な心がリセットすることにつながります。


みなさまにとって明日が良い一日でありますように。

Posted by devil666 22:55:15Comments(0)TrackBack(0)

はじめまして

2007-12-11

これまでヨハネは「光と影の哲学説」と題し、
研究発表の場として別にブログを利用しております。
そこでは心理学や社会学、哲学宗教、政治経済の論文を投稿しています。
これはそのまま継続します。

しかしここでは
新たに、日常の気軽なタッチでと思い、
こちらのブログを開設させていただきました。


易者のヨハネという人間像が
よりわかりやすく身近にをモットーに
なじみやすいウェブログにしようと思います。


みなさまご遠慮なくカキコ・トラバ
お寄せください。
大歓迎です。
お待ちしております。

では『我田引水』・・・・から
広辞苑を引いてみます。

〜(自分の田んぼへ水を引く意)
物事を、自分の利益となるようにひきつけて言ったり、したりすること。〜

手前味噌や、自画自賛・・・ナルシスト!

ヤバイヤバイ…

でも
そんな癒しの技が大切なときもあります。

哲学には<独我論>という言葉があります。ここからは永井均さんの『<子ども>のための哲学』を参考にします。内容は深いので、今回はその一端を取り上げるに過ぎませんが、プロローグに最適かと存じます。

なぜぼくは存在しているのか?
「命あっての物種」…いのち〜の不思議、奇跡。
自分の存在を認めている「ぼく」って一体だれ?

そこには現象を超えた
“特別な自己意識”を指しているのではないだろうか!

その不思議と奇跡!そのことが
私である由縁・ゆかりなのだ、ということ。

この<ぼく>である<事実>は
<ぼく>の性格とか、容姿、価値観など、いろいろな<ぼく>の属性と無関係に、むしろ先行して成立しているということ。
流行の言葉で言うなら、「そんなの関係ねぇ〜」と表現する超越した自己のことでしょうか。

そう考えるとぼくの存在は生まれた理由や必然性が見当たらない。
そのまま奇跡としか、言いようがない!

その奇跡の向こう側に
自分を大切にする方法論が見えてくるかもしれない!

その視点を大切にすることが
独在論であり、
ここでいう我田引水になります。


このブログが
新しい自己発見の場であれば幸いです。


みなさま
どうぞよろしく...。

Posted by devil666 10:10:42Comments(0)TrackBack(0)

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