pagetop

プロの占い師が集う[占いブログ]

プロフィール

プロフィール
名前 ヨハネ
性別
自己紹介 易者であり、自称無教会派のキリスト者。
趣味 音楽鑑賞
スポーツ
好きな
食べ物
コーヒー。酒は飲まない。

サイトマップ


Blog内検索


タロット

2008-02-28

占いの原初体験

今、占い師になっている現状からして、やはり自分は占いが好きなんだろうなと思います。わたくしは高度成長期の申し子ですので、知性偏重の科学万能主義に毒されていた時代に成長過程を歩みました。ですからへんなことを言うようですが、若いころは論理が全てと思っていましたので占いにそれほど価値を置いていませんでした。たわけもののうわごとと軽蔑していたというほうが正確かもしれません。

そのなごりからか、わたしは他人に自分を占ってもらうということに大いなる抵抗がありました。師匠から術を盗むために、自分の年運を占ってもらうようになったのはごく最近になってからで、わたしのために筮竹を捌いてくださることに感動を覚えた自分にびっくりました。

でも、よくよく辿ってみると、一度だけ実は中学生のときにタロット占いを試してもらったことがありました。私立の男子校だったために、悪い友人がいて彼女ほしさに公立高校の文化祭に行こうと誘われたのです。めざすその高校は公立でしたが県内有数の進学校で、なおかつ女性の割合が半数以上を占める学校というものでした。わたしはそんなところに足を運ぶということ自体抵抗を感じ、あたかも別世界に行くような感覚さえ覚え、何をしたら良いのかさえわからぬままぐるぐる構内を歩き回るだけであったという記憶があります。ただ、女性が主流を占めているだけあって、当時の私にとっては神秘的であり、エロスの香りがすると同時にグロテスクな臭いがするような不思議な世界であったというのが率直な思い出です。

友人と三人でいるとはいうものの、場違いですし、戸惑いの方が先に立ちましたので、早く帰りたい思いでとにかく何事もない、そしていつになったら友人がつまらないと言ってくれるのかを待ちました。

すると、全体が真っ暗になっていて、そこで清廉な女性が静かに座りながらなにやらこそこそと話している教室がありました。女性が主導で人に話すという光景があまりに不思議でわたしの常識を越えている空間です。あとから分かったのですがそこは占い部屋で、中ではタロットカードを扱って話をいたのでした。

「どうぞおすわりください。」
そのなんともいえないありきたりのそっけない言葉ですが、普段聞くことのできない年上の女性の声として耳に心地よく聞こえます。

「あぁ、はい…。」

不安げにあたりを気にしながらびくびくして腰を下ろします。

そしてその女性は何のゆり動く感情もなくたんたんとカードをシャッフルし、一枚一枚丁寧に広げていきます。まじめでまっすぐなお姉さんでした。

「あ、すごい。このカードがここにくるというのは全てを支配します。あなたはいずれ誰も成す事のできない偉大なことをする方になるでしょう。」

(色白の青二才の、世間の知らない中学生に何を言うんだろう?)
「え、なんですか、それは。」

「ええ、なんと言葉で言ったらいいのか難しいのですけれど、今まで一度もありません。このカードがここに出るというのは、とてもすごいことなんです。きっとすばらしいことが起こり、すごい人になりますよ。」

占ってもらった内容はそれだけでした。

まともに考えれば考えるほど「たわごと」としかおもえないその言葉も、時とともに疑問に思えば思うほど、反面重みと輝きを増しています。

なにがなんだかいまだにわかりません。たぶんそのカードは太陽か法王のようだったような気がしますが、ほかのカードかもしれません。でも聞く人がまったくちんぷんかんぷんで、場違いでそわそわしているのに、その清楚で淡々としているお姉さんは急に興奮をして力をこめて言うものですから、その女子高生占い師の驚きにこちらがびっくりしてしまったのでした。

「言葉に表現できないすごいことって、一体どんなことだろう?」

そんな疑問を抱えながら、なぜか文化祭に来たことがあたかも運命であったかのように思えてしまう、そんな思考が人間にはあるようです。

まだその夢を追いかけているのかもしれません。
夢から覚めぬ人生なのかもしれません。

でも、『タロットで占う』ということが、現実の日常を超えた世界であることはわたしにとって今も変わりません。なにかそこには自分を越えたエネルギーが存在しているのだという一種の恐怖感のようなものさえあります。事実あるかないかはわかりません。しかし、ある、というように私の心の中に隠し持とうとしているのかもしれない、そんなふうにさえ、思います。

その原初体験を大事にしたいという気持ち、いわば抵抗が強いために、タロットを神聖視しているがために裏返しとして私自身が積極的にタロットを扱わない、使いたくない思いがあるのかもしれません。


今日はタロットを通して、占いについての告白を致しました。


最近はこの原初体験としてのタロットとは違う、タロットの凄みを改めて感じる面があり、今、深く吟味している最中です。

ウエイトのライダー版を使ってます。これは最初に占っていただいたカードと一緒です。このカードが手に入ってから、俄然凄みを実感してます。


タロットは占い師の世界を考慮して占い師自体の世界に飛躍がもたらされることをも配慮してカードが出てくるのではないかと思えるくらい、刺激的な時間をすごしています。ですのでカード解釈はあまり他人のものは当てにならないようですね。自分で自分を掘り下げる気持ちがあればいいのです。僕は最初に占ってくださったときのカードと一緒のライダー版に出会ってからその凄みを実感し始めています。カードも相性のいい、自分の気に入ったものが一番いいのではないでしょうか。

また、解釈も、英語版の英語を辞書を片手にそのまま当てはめた方がスムーズで、もっと言うなら深みが増します。日本語訳や他人の作ったイメージでカードを解釈しないことが大切である気が致します。

自分を占ってみて、未来を具体的に当てること・そしてその現実の背景・無意識の力/エネルギーの方向がカードに示されています。

ちょっと驚いています。


易学との違いがまたたいへん面白く、味わい深いなと感じてます。

Posted by devil666 23:37:05Comments(0)TrackBack(0)

占いに道を問うという姿勢

2008-02-27

インターネットの普及は占い界に革命を起こしたといっても言い過ぎではないでしょう。もともとアングラでバーチャルな情報世界であるという点が実は占いと寄って立つところが共通していました。占いはインターネットという手段を手に入れることで、限りなくその版図を拡大し、より身近なものへと変容を遂げたわけです。何を隠そうこのわたくし自身もその恩恵に浴しているわけで、このこと自体に難癖をつけるわけには行きません。しかし同時に庶民化する傾向に対して易などの東洋占術の世界で言う君子帝王の学とされているような立命という思想はインターネットにはなじみにくい面を抱えており、このことから霊感・タロット系などの西洋的なイメージの強い占術に東洋占術はやや押されてしまっているきらいがあるようです。

ただ、東洋占術もあらためて噛み砕いて現実に適応させていくことによりより帝王の学・立命思想が輝きを増す方法はいくらでもあります。しかしそもそも君子帝王の学と布告している運命家自体が、あまり術を磨いていないばかりか自分自身が天の前にきちんと命を立てていないいわばハッタリ師であったりして、こうした目に余る占い師がマスコミなどの視聴率競争に一役買っているというのは現実にあり、このことの害毒が世間をにわかに騒がしているというご時勢にある。とても残念な傾向にあります。

消費者主導の市場が形成されている現代、問占をするクライアントが、どこまでのことを求めているか、このことは大変重要なポイントになりますが、同時にわたしはそのことを通してそこからどのように道に通じていくか、天につながっているのか、命を立てていくかという視点を絶対忘れてはならないと思っています。つまり簡単に言えば、『自己実現』です。天より与えられた尊い「命」をその人の生命(いのち)であると同時に天の生命であること、そして魂は永遠であるということを念頭に置いてなるべく讒訴条件が残らぬようお話しする。でもこのことはとてもたいへんなことです。別に鑑定論として研究テーマでアップしたいと考えておりますが、ときには悪神を利用して穏便にことを一旦済ませていかなければ現実の矛盾に耐えられないということも起こります。命あっての物種、として情状酌量の余地がどの程度あるか配勺しながらいいあんばいで事をしのぐということも指南します。まさに至難の業といっていいほど、微妙な鑑定をする場合があります。

だからこそ、かかえているご事情はできるかぎり洗いざらしにお話していただけるとすれすれの微妙な鑑定ができます。そして大きな福を勝ち取る道筋がはっきりします。これが東洋占術の一番大きな魅力です。ここが杓子定規的に一対一の対応関係で数学的手法と同じように解答が出てくるものではないという最大の魅力なのです。こと西洋的な科学的という思考をもちこむと、この部分が非常にわからなくなる。東洋は人を介在させて世界を見るのです。自然を直接分解することはありません。自然も、あくまで人を通してはじめて生きていくものであり、ただ自然がそのままで価値あるものにはならないのです。

インターネットで簡単に答えを得られる反面、こうした直接お会いしたりして対話する相互作用として新しいものを生み出す、創造的占いという側面もぜひ皆様に味わっていただければと思います。

Posted by devil666 21:00:37Comments(0)TrackBack(0)

鑑定ウラ話

2008-02-25

占い師という立場は、夢を売る仕事です。同時に、現実も直視する仕事です。

ひとりひとりの相談事は様々です。そこにはいろいろな人間模様のカラクリがあります。

他人には相談できない様々な悩みを抱えていらっしゃる方は本当にたくさんいらっしゃいます。友人身内に相談しても、うまく納得させてくれない話の内容も多くあるでしょう。そうした問題を提示され、いわば直面することで常に占い師は自分の哲学が試されます。試験を受けるといってもいいかもしれません。

占い師自身が体験したことのないこと、ぎょっとするような現実を突きつけられることも当然ございます。

そのとき、自分の寄って立つところに立ち返り、掘り下げて問い直す必要が出てきます。
易者である以上、私の場合は「易」を拠り所にするわけで、ここに糸口と解答を見出すのです。

面白いことに時代や人々の生活内容や意識が変われども、易は4000年以上も前から受け継がれてきた。そこには人を魅了する何かがある。
人々や時代や国が変われども、変わらない普遍的本質がある、その一端を垣間見ながら、「人間性」に当てはめて読み解く。そこから未来を語るわけです。


今も昔も変わらない人の本性、そこから与えられている現象を刷り込んで答えが導き出される。これが易の世界です。ですから時代が変わっても恐れることはありません。本質を掘り下げていく日々の積み重ねを怠らなければ良いのです。

そうして社会の実像、深層に迫っていくのが易者の道ではないかと思っています。

明日から新しい一週間です。

今日はさすがに風による都心部のダイヤの乱れには参りました。昨日もそうでしたが、最初のんきに構えていたのが災いし、方針がふらついて、結果迷いが生まれ予定以上に大幅に目的地に遅れてしまったりしました。

人生もそうですが、思わぬ災難に出会うことがあります。このとき、変わり身が早い人でうまく成功している人は案外本質としての自分のあり方や方針が実は一貫している何かがある。いざというとき、もっとも悪い状況に落ちたときに出てくるのがその人の本当の人格、本性です。そのときにうまく越えられているというのは、その生き方のベースに越えていける哲学、普遍性があるからだと言っていい。

思わぬ出来事があっても開き直りの早い人は、自分を良く知っている人でしょう。逆に往生際の悪い人は、まだうまく自分をつかんでいないのかもしれませんね。そのあたりが人を見抜く基準になるかもしれません。


ありきたりのことを一途に一生懸命こなす。大切なことです。

そうした基準作りに大きく役立つのが、生活のリズムです。


自分で決めた自分らしいスケジュールを
大切にしてたんたんとこなしていく力を養いましょう。それがひいては人格を作り、運命を作ります。


今月も残すところわずかです。
いつもの月より少ない日にちが残念ですが、
新しい3月がよりたのしい月になるよう、
この一週間は大切に慎重にすごすといいと思います。

明日が皆様にとってよき一日でありますように。

Posted by devil666 00:40:36Comments(0)TrackBack(0)

静岡への旅路

2008-02-14

静岡へ行ってきました。
新しいお仕事の序幕です。

今月はいよいよ半ばに入りますが、
いろいろな方とのふれあいがあります。

感謝の思いがあふれてきます。

水晶が手に入りました。

さらに多くの方に感動していただき、
復興できるよう、精進してまいります。

Posted by devil666 22:23:20Comments(0)TrackBack(0)

手入れ

2008-02-04

道具を使うことで文明を発達させる文化を持つのは人間だけのようです。猿・チンパンジーも道具を使うようですが、その文化を相続して発展させるということになると疑問が生まれてきます。

文明の利器に囲まれている人が生活する住空間は、常に道具に囲まれています。
この道具についても、共生共存の思いをこめて大切に使うことで、長持ちし使い勝手が良くなります。道具もいつの間にか忘れられ、ほったらかしにすると、さびしさを覚えるかのように、主人の思うようにうまく動いてくれぬようです。つまり、気配りと手入れが必要になります。

一流の野球選手に、自分の使う道具に愛着をもたず、粗末に扱うという話は聞いたことがございません。常に細心の注意を払い、手入れをします。
泥を払い、油を注ぎ、自分の手や足にぴったりフィットするよう作られた道具を生き物のように魂を入れるわけです。

「自分の身の回りの掃除をしなさい。運勢が上がるから。」

汚れを元に戻すという行為ですので確かに大切です。「払いたまえ、清めたまえ」ですね。

元に戻す、と同時に創造的な視点を入れますと、
『自分の身の回りの縁を大切にし、魂を入れなさい。』ということになろうかと思います。
住空間にある、自分と縁を持ったものは、たとえモノでも感謝の気持ちで大切にする、つまりわたしの精神性をもって魂を入れるが如く取り扱うことで、生き生きとした関係が作られ、発展するように思います。

仕事上で扱うもののみならず、自分の生活を支えている住空間もぜひとも丁寧に接していきたいものです。


今日、料理をする包丁がずいぶん疲れているのに気づきました。

残念だけれど、申し訳ないが新しいものを取り入れるかな。

とあるホームセンターに足を運びました。

すると、なにやら店員さんが周りをうろつき始め、私をじろじろ眺めています。なにかわたしは悪いことをしているような、うしろめたい気になってしまいます。


いつもの帽子をかぶり、早々に包丁のあるコーナーで出刃や牛刀、柳刃をじっと凝視していました。値段と財布と相談しながら、そろばん勘定するその目は真剣そのものであるはずです。

「あれ、オレなんか気に入らない行動したのかな、いやそんなはずはない。」
思い直して、結局買わずに外に出ました。


しかし、なぜ?と後から考え振り返りますと、合点納得しました。きっと不審人物に見られたのでしょう。ヒゲヅラの帽子かぶった中年おじさんが開店早々に包丁をじろじろ見ていたので、付近でなんかあったら情報提供をと、その店員さんも真剣そのものだったのでしょう。(笑)

Posted by devil666 11:27:12Comments(0)TrackBack(0)

↑PageTop

  February/2008  

S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29  

QRコード

QRCode