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プロの占い師が集う[占いブログ]

プロフィール

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名前 ヨハネ
性別
自己紹介 易者であり、自称無教会派のキリスト者。
趣味 音楽鑑賞
スポーツ
好きな
食べ物
コーヒー。酒は飲まない。

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沈黙

2008-07-21

 言語学者によると、人は意思疎通の90%近くを言語以外の方法を通して行っていると発表されています。ボディラングエージ・アイコンタクトがそうでしょう。しかし、「行間を読む」という行為と源を同じくする、『沈黙』という内容も、意思疎通における非常に重要な役割を担っているということができます。この沈黙こそ、言葉全体のイメージを左右させ、深みをもたらすものです。
 人生にも沈黙、つまり静寂した時間が必要です。最近では、音楽機器が非常に高度化しコンパクトになりました。街を歩くにしても、イヤホンをしながら手をつなぐカップルがいます。便利な時代の恩恵に与るのもよろしいですが、時には内省する沈黙と静寂の時間を大切にしたらな…と感じます。
 瞑想や座禅は、沈黙の深みからもたらされる安心・洞察・宇宙の威厳や慈愛の念など、計り知れない意識の拡張を実感できる時があります。心と体の調和をもたらし、より大きな世界と連結されていることの実感が日常の自己を超えるのでしょう。

Posted by devil666 02:13:08Comments(0)TrackBack(0)

悪魔との条件闘争

2008-07-19

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「人」の人格を鏡に映す場合、
その人特有の弱さ・運命的癖というものが必ずある。
通常、その弱さに引っ張られ、
そこから自力で這い上がる気概を失いはじめると、
悪魔は駆け引きをしてくる。
安逸の場を求めると、悪魔は寄ってくる。
悪魔の誘惑に安住してしまうと、
その条件が讒訴条件となって、
教唆し、振り切ることが出来なくなり、
節目に選択肢がなくなってしまう。


そこから這い上がるのは至難の業なのだ。

Posted by devil666 22:32:45Comments(0)TrackBack(0)

偶然の風の正体

2008-07-19

推命で人格・その魂の姿をつかみ、
その魂が渡っていく運命という川の流れを想定する。

その流れが転換点で、人生の節目である場合、
ときに偶然の風が吹く。
この風とは未来からの複数の選択肢から吹いてきた合わさった風である。
当事者にしてみると、合わさった風なので余計どこから吹いてきたものなのかわからない。

この偶然の風が吹いたとき
行くべき流れをキャッチするアンテナはいかに作られるか。

それは、
「時」を迎えるまでの、
不屈の努力と忍耐つまり準備あるのみである。

転換点に吹く、偶然の風の流れに沿って動けばいいとは限らない。
そのとき、いったん立ち止まってみたあとで
不屈の努力と忍耐を生み出した、信念が道を選んでくれるのである。

Posted by devil666 00:03:25Comments(0)TrackBack(0)

霊の戦い

2008-07-16

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スピリチュアルという言葉の本質なるもの・・・最近このことについて「これは謙虚さ」なんだなとつくづく感じます。自分の命が、生かされていること、おかげさまでということ、こうした姿勢が保てれば、自ずといろいろなひらめきが生まれ自分を向上させる気付きと出会うことができます。

占い師であれば、ひとさまの運命というような、ずいぶん大それたものと向き合うわけですから、それはもう自分の力では到底太刀打ちできない。それこそ天との架け橋になるぐらいがせいぜいで、そのため願わくは自分の限界を超えた力を呼び起こす土台をいかに築くかということが、日々のテーマでもあります。つまり、慢心を起こさず、自分を徹底的に低く置き、自分みずからを打ち砕くことができるか、利己的な自我を捨てるという戦いが待ち構えている。この修行が日々のお務めになります。

以前取り入れていた、座って呼吸を整える行を最近復活させることにいたしました。
呼吸に意識を傾け、丹田を中心として心身一体の境地をつかむことを目標とします。
自己練磨と研鑽のための方法論です。

しかし、これがなかなかたいへんなことなのです。

悪魔は人間の五欲からさまざまな妄想や妄念を呼び起こすべく襲って来て、集中力を阻害します。また、傲慢な意識を発展させようと、目に見えない麻薬を使って上手に酔いしれさせるよう心に働いてきます。

座っているときにその激しい情念が襲って来て、正面から受けていこうとすると、ものすごい苦痛が伴うこともしばしばです。

修業の場とは霊の戦いの場とも言えるでしょう。半端な思いで楽に考えていると時間ばかりがとられて、何の効果ももたらされません。
こうした時に、修行を大きく前進させる姿勢こそが、「謙遜」です。

こうした勝利の条件作りがなされて初めて天運をもたらし、利他行が可能となると考えます。

Posted by devil666 23:10:13Comments(0)TrackBack(0)

音楽家への憧憬

2008-07-12

 昔から夢と幻の世界へ逃げ込む性癖があったのですが、運命のなせる技ともいうべく、常に現実の世界に戻され、思い通りにならない人生を歩んでおります。告白しますと、だからこそ、現実重視の中国占術はわたくしの生業にならざるを得なかった。しかし、今でもなお、夢や幻想への名残もあり、その夢のような世界に流れる美しい音楽を奏でる音楽家や演奏家を尊敬しあこがれています。どちらかというと、私はクラッシック派です。知らずのうちに古典にこだわるようです。

 実は幼少の頃、チャンスがなかったわけではありませんでした。某有名市立音楽大学付属に超有名な音楽家から推薦を受けたのです。しかし、両親の反対から、見事に本人まで話が来ず、ポシャッタ。

 楽器を持つと実感しますが、音楽を鑑賞するのと、奏でるのでは雲泥の差があり、自分が酔いしれて演奏すればするほど、鑑賞者は冷めてしまう反比例の法則があるような気がしますが、これはきっと動機?いや技術が悪いからかもしれませんね。

Posted by devil666 00:35:26Comments(0)TrackBack(0)

運命の岐路と易

2008-07-11

人生の転機ということがあります。
本来殊更そのときを意識するではなく、要は普段の積み重ねが大切ということになろうかと思いますが、節々にいかなる選択をするかで将来の行くべき道が変わってくるというのも現実の実際であると感じます。
こうしたときに、易は非常に役立ちますが、実はその行く道が複数あると、その一つ一つの道の吉凶は易ではわからない場合がほとんどです。それはそれぞれの選択の延長にどういった未来があるのかを示しているに過ぎないからです。このとき、もし、どうしても吉凶が出る形で判断を求められる場合は、一歩引いて、では、今、問占者がどのような運勢にあるのかや、漠然としてもいいので、求めているものをどのようにつかんでいくかと基本に立ち返りその生き方の本質を探るように問い直して易をとります。その方がクリアーに納得できる答えが出てきます。
つまり、周易では、自分の生き方を問題にすることができます。そこが他の占い、卜筮と大きく異なる点なのでしょう。

人は自分のことについては、欲があるためどうしても我が入ってしまい、客観性にかけてしまいやすく、いざ迷っているから占うのによけい迷ってしまうということがままあります。つまりこうした岐路には、どうしても浮き足立ってしまったり、慎重になり過ぎてしまい決断を先送りしてタイミングを失うということが起こったりします。

占わなくとも、人生の転機には、まず、その道の行く先にどういった未来が待っているのかをしっかりシュミレーションして、その得たい結果のみならず、その得た結果を通してその先の将来にどんな自分を想定しているのか、当たり前のことかもしれませんが、もうひとつ先のことを考え、読み込んで判断するといいでしょう。ただ、どの道であってもそれはそれでOK,あまりこだわらないで成り行きに任せる、ゆだねる気持ちがあるかどうかが大切となります。自分の人生、なるようにしかならないと諦観するのです。

転機における客観的視座を受け入れられる自分自身をつくるということの方が実は意外に難しいのです。つまり、こうしたときは、他人の意見が耳に入りにくくなる。何かを得たい!と強烈に思っているが故のこだわりですね。こうした時は潜在的に気がついていない問題が付随していることがほとんどです。つまり、そのこだわり意識が隠蔽を生み、隠されてしまった潜在性が時間と共に作動し始めて、想定外のことが起こるのです。おおよそ、想定外というのは、自己の欲に駆られて自分を掘り下げられず、客観性を見失うことが原因にあります。

岐路に立つ時とは、長期的なビジョンに経って、自分の人生、何を求めようとしているのかを根本的に考えるための絶妙なタイミングの時なんだと腹をくくる必要があります。

Posted by devil666 00:30:26Comments(0)TrackBack(0)

感謝

2008-07-06

感謝の心をシンプルにすると「喜び」の心となろうかと存じます。
自分ひとりだけで存在していると仮定し、自己の中から喜びが増殖し無限に拡大するとしたら、これはかなり危ない世界ということができるでしょう。つまり、喜びが発生するには、対象となるものが必ず存在する、ということは関係性を前提にしているわけです。

「感謝の喜び」という言葉には、間違いなく「おかげさまで」という前提があります。
感謝の喜びで一日を終えることは、実は人生の最も大切な主要テーマであるとこのごろ感じるようになりました。一生涯のことを考えることはもちろん大切ですが、結局今を生きることしかできない人間は、人生未来のことというのは所詮なきに等しい。未来なんていうそんなものは「無」なのだ、といったん突き放してみる態度も大切です。明日のことで思い煩っても、明日のことは体験してみて初めて味わうものであるからです。

しいていうなら、明日を迎えるにあたっての準備が、一日を終えるときの「感謝の心」なのでしょう。この当たり前とされていることが、最も難しいことのようです。

この時、思い通りの一日であったら、「よかった!」と悩む必要がないかもしれません。
思い通りではなく、つまらぬことや、よけいなこと、思いもよらないことなどの災いがあった時は、感謝することが難しくなるのが人間です。

しかし、どちらであっても、「大切な人生」であることを自覚することができれば、自ずと喜びが湧いてきます。

感謝の気持ちは、おかげさまでという喜びが湧いてくる状態のこと、
その喜びが湧いてくる土台に、人生を粗末にしない大切さを養う必要があるということになります。

一日の良かった!が素直に出てくるときはひとまず結構ですが、
あまり思い通りにならないことが多い一日に感謝の状態になるには、確かに厄介です。
ここには何らかの飛躍した視点がなければならないのですが、
その前提に、自己の小ささを自覚し、
1.常に他者との関係性を前提にして、対象の立場に立つという謙虚な姿勢を保ち、
2.一旦自分を捨て、放棄し、事実を受け入れようと、広い心を持てるよう努力する。
3.さらに自己の原点を見つめ直し、事実に基づいた現実に対して素直になろうとする努力

が感謝の要因に必要かと思います。
そうして、心から「ありがとうございます。」と一日声に出すことができると、その一日を大切にしたことになるのでしょう。ここには真心が必要になります。

そう考えると、一見思い通りであった日こそが、実は上記の1.2.3.の状況をつくることが意外に難しく、厄介かもしれません。

いずれにしても、謙虚さを持ち、素直に喜べる一日で終われることが「感謝」の基本でありそうです。正直に、素直に、まごころで生活したいものです。

Posted by devil666 01:04:41Comments(0)TrackBack(0)

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