「どこか気になるところはありますか?」
幼子のようなかわいらしい女性が、気遣う。
「いやぁー、強いて言えば、元が気に入らないってところですよね。」
「うふふ、そんなことはないですよ。」
ちらっと輝いた目にニコッと微笑を浮かべながら、女性は軽ろやかにそう答えた。
こぎれいなうっすらとした化粧が、ふうっと鮮やかな色に変化した。
スタジオでメイクを初めてしていただいたそのときの1シーンである。
売り出すための写真を撮るため、わざわざ渋谷に足を運んだ。紹介なので、料金はとても良心的である。
…『男性もご遠慮なくメイクサービスを利用されてかまいません』
紹介筋の言葉に、このときとばかり腹をくくってお願いしたわけである。
女性は慣れたタッチだが、幾分遠慮がちか丁寧なゆっくりした手つきだった。
(へぇー…化粧ってこんな気持ちの感覚なんだ…芸能人って、結構気分がいいもんなんだな。)
自分のために手を加えてもらえる感動を味わった。
そこではじめて身につまされたものがあった。
人は、他人との関係を前提としなければ、
自分自身が成り立たない。
顔は、相手から見られることのためにまずある。その表情如何で、自分との関係が他動的に決定してしまうのである。だからこそ、相手のためにある顔の表情を通して、喜んでいただかなければならない。自分のものという観念、私的なものである前に、公的なものであるのが「顔」なのだ。「顔」は人様に役立たなくては、ならないのである。
実際にこうした機会を得て、貴重な実体験を通過した。
同時に、自分という人間が商品化されなければならぬことをつきつけたのである。
今までには考えられぬことであった。
しかし、人はどこかでそうした仮面を被っていくことで社会を構成するという割り切った中で、自分を演じていく必要性を実感したのである。同時に、だからこそ見えてこない部分や聞こえてこない本音を察知してあげることが気遣いなのだ、と悟った。