スピリチュアルという言葉の本質なるもの・・・最近このことについて「これは謙虚さ」なんだなとつくづく感じます。自分の命が、生かされていること、おかげさまでということ、こうした姿勢が保てれば、自ずといろいろなひらめきが生まれ自分を向上させる気付きと出会うことができます。
占い師であれば、ひとさまの運命というような、ずいぶん大それたものと向き合うわけですから、それはもう自分の力では到底太刀打ちできない。それこそ天との架け橋になるぐらいがせいぜいで、そのため願わくは自分の限界を超えた力を呼び起こす土台をいかに築くかということが、日々のテーマでもあります。つまり、慢心を起こさず、自分を徹底的に低く置き、自分みずからを打ち砕くことができるか、利己的な自我を捨てるという戦いが待ち構えている。この修行が日々のお務めになります。
以前取り入れていた、座って呼吸を整える行を最近復活させることにいたしました。
呼吸に意識を傾け、丹田を中心として心身一体の境地をつかむことを目標とします。
自己練磨と研鑽のための方法論です。
しかし、これがなかなかたいへんなことなのです。
悪魔は人間の五欲からさまざまな妄想や妄念を呼び起こすべく襲って来て、集中力を阻害します。また、傲慢な意識を発展させようと、目に見えない麻薬を使って上手に酔いしれさせるよう心に働いてきます。
座っているときにその激しい情念が襲って来て、正面から受けていこうとすると、ものすごい苦痛が伴うこともしばしばです。
修業の場とは霊の戦いの場とも言えるでしょう。半端な思いで楽に考えていると時間ばかりがとられて、何の効果ももたらされません。
こうした時に、修行を大きく前進させる姿勢こそが、「謙遜」です。
こうした勝利の条件作りがなされて初めて天運をもたらし、利他行が可能となると考えます。