多く変爻を取る筮法である中筮法や断易、略筮法の白蛾易には時々刻々と変化する物事の成り行きを見ていきますので、占って得た内容がどの時点にあるのかを定めなければなりません。この最初に得た「卦」を本卦といいますが、その本卦と契合する占事が「過去・現在・未来」のいつの時点かを定める…これを『定三法』と呼んでいます。近代易の祖、真勢中州師が筮前の審事とともに高らかに宣言され、実践鑑定上の必須条件になります。原因結果の関係を重んずる科学万能主義の現代からしてみれば当たり前のことに見えます。しかし、案外易を取る占い師がそうした視点を完全に見落とし、出た卦に全てがあると思い込みすぎてその本卦を精査せず判断し失敗しているケースがあるのを非常に多く見受けます。
しかし、わが師匠は、変爻を全くとりません。占的をそのまま得た卦にぶつけます。そして卦の立体構造に組み入れてしまい、『与えられた卦はその本質、爻はすべて現象化する近未来である』という立場で易の言葉を利用します。これを三変筮法と呼んでいます。定三法を無視して得た卦爻を未来と決めてかかる、この常識を覆す占法にはたいへん驚かされました。もちろん今は、もう慣れ切ってしまったのですが、筮竹で偶然に得た内容は三次元の流れを越えたところから現れてくるので、こちらの主体性に反応する。すべてはこちらの姿勢次第なのだと主張しているわけです。そこから固定されているようにみえる(ある意味で決まり文句に映る)易の言葉を飛躍させ超越的に解釈し、現実にあてはめていく…これはよほどのセンスがないと、未来予言として的占するのが難しい芸当です。言葉を敷衍させて現実の事柄に当てはめなければならないからです。
ですから師匠は、今でもよく「最近はどんな文芸書に触れましたか?」と読書の話題を投げかけます。特に小説、中でも推理小説や俳句・短歌などに触れることを強調されます。そして短い文章の中の行間を読む心得を指導してくれます。隙を見て本に親しんでないと、たいへんなことになります。それだけではなく、現実の通俗的な社会現象にも精通することをも当然ながら強調されます。わたしは充分できていないのですが、新聞をよく読み、現代の社会情勢に常にアンテナを張り巡らして、時代の流れをキャッチしておかねばなりません。
このこちらの主体性から投げかけられた偶然の答えを、「予言」としているわけです。この現象を“主体的偶然”という呼び方をしています。筮を捌くという行為は、日常を越えた未来へ放たれた四次元との交流の場であり、その震源地は「我」という存在であり、時限に対して優位性をもっていることを保障している考えであり、魂の永遠性を前提にしています。ここから「開運」という言葉がはじめて生き生きとしてくるのです。