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プロの占い師が集う[占いブログ]

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名前 ヨハネ
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自己紹介 易者であり、自称無教会派のキリスト者。
趣味 音楽鑑賞
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コーヒー。酒は飲まない。

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占いについて

2008-09-16

毎日占いながら、「結局占いって何なのか?」って疑問に思うのです。
それはもう、真剣深刻に考えちゃいます。
未来とはとらえどころがない世界であるということが前提にあるのになぜ未来を占うのか。どこまでを占いに期待していいものか。

たとえば未来を扱う上での実証性という点をどのように保証するかという難問です。
いうまでもなく占いはこの「実証性」という点で、科学に完全に負けてしまっているのです。
歴史的に次にあげる例は実に皮肉的です。
コペルニクスやケプラーといえば、近代科学の流れを生み出した偉大な天文学者でありますが、別に占星術師という顔を持っていました。なぜでしょう?当時天文学者ではご飯が食べていけなかったからだそうです。
夜空を見て、「あんなことがおこる、こんなことが起こる…」

「どうなることかわからぬことを予測する…惑わされているんじゃないの?」

『天文学は賢い母で、占星術はその愚かな娘である。』
これは幻想に惑わされていることなきよう注意深く警告した言葉なのでしょう。
しかし、占いをしなければ食べていかれなかった、だから
『占星術は愚かな母であり、天文学はそこから生まれた賢い娘である。』
という言い方の方が実質上正確かもしれません。

占いは幻想か?

未来の予測を調査し確かめる手立てがない。
霊的なものを見てスピリチュアル的なアドバイスを下すのも同様です。
見ている人にしか見えない、確かめようがない。
これも偽り、まわやし、嘘と紙一重である。

そこへ来て厄介なことに人の心には「投影」という作用があり、
自分の思い込みを映し出して、見てしまう心の作用がある。

さてさてでは本物の占いとは何なのか、何がなんだか一瞬わからなくなってしまうものです。

方位取りや吉凶の判断も同様です。
占いの術や方法論が違えば、異なる結果や善し悪しが導き出されてしまう。答えが一様ではない。単なる言い方のニュアンスの差では片付かないケースがほどんどです。

占い師は時にこうした藪の中に足を突っ込んでいる自分であることを冷静に客観的に自覚しなければなりません。
偶然的に答えを導き出す卜占は、ほとんどが再占を禁じています。
偶然を扱っているんだから、自由であっていいはずなのに、不自由で理不尽な話です。

実践鑑定とは、こうした混乱と興奮のるつぼなのです。


たとえば、相術・卜術・命術では、方法論も見る角度も世界観も全く違うのです。
それぞれの違うものさしで測っているのみならず、土台である座標軸が異なる。
命・卜・相では全く互換性がないのです。同じ命術でも西洋占星術と推命、推命と算命、卜術でもタロットと断易、周易では世界観も考え方も方法論も違い、完全に異質なもので文化圏が異なり、いわば異国に足を突っ込んでみてカルチュアショックを受けるようなものです。そうでなければいい加減な付き合い方をしているとしか言いようがありません。

「一つの術では応用が利かないの」
確かに一理あると思います。が、一人の人があっちからこっちからいろいろなものの言い方をしたら、道を尋ねた側からしてみたら、もっと混乱する…。占い師自体が多様な結果を出して勝手に逃げ道を作っているようなもので、ずるい気もします。

また占い師は、答えを出すにあたって、
扱う占いの術に対して常に新鮮に向き合わなければ、シャープな答えが出てきません。そうした新鮮さを明瞭にするには、「結局占いってなんなの?」と常に問い直し掘り下げて新たな発見がないと、やっていけないものなのです。

占いのみならず、現状に満足したら終わりの芸事やプロのスポーツなど、常にやっていることに根本的な疑問に持ち、それでも尚、倦むことなくやり続けて反省反復検証し続ける探求の道を歩むことが本物(プロフェッショナル)ということになるでしょう。そこには完成の基準がありません。限りなく成長追及することを自らに課することが行動規範になくてはならない。

さて、まとまりのつかない話になりました。

さて、占うことの意義です。
不確実な未来を扱うにあたって、
絶対を保証できない中に、
占う意義とは?
それは意識の成長を目的とすることで論証することが可能です。

たとえば、方位取りなど、比較的客観的に良し悪しを論ずることができる分野なのですが、大きな効果が出る場合とまったく出ない場合があるのです。このとき、あまり期待をして欲望ぎらぎらで方位を取ると効果が出ないのです。
方位取りも心の作用で効果に差が出てくる。
ここらあたりが非常に難しい。
そのことをしっかり覚悟して、自分の成長を踏まえて、
未来を占うこと、
その答えからシンプルに教訓を得て生かすことが
「占いする」ことになる…。
残念ながらそうとしか表現できない難しいフィールドが占うという行為自体に含まれています。
スピリチュアリズムを批判しながら最後になって魂の成長や倫理道徳を持ち出す事に抵抗を感じるのですが、関係を持った相手や事態との間にある意識の相互作用によって、自分自身も多様に変化する前提があることを意識化しなければならないのでしょう。そこを無視したり忘れると誤占します。

人は様々な体験を通し、知恵を得て意識が広がり自分を発見します。常に自分の中にあるものを確認しつつ成長します。そうした成長を見込んで未来予言をする。条件付きの預言であることを占い師はしっかり把握しなければなりません。当たることばかりに意識を傾ける、当てること一辺倒では、当たらなくなりますが、成長のための教訓ばかりですと説教くさくなって実利性を失ってしまい占いではなくなる。難しいところです。

Posted by devil666 01:25:06 │Comments(0)TrackBack(0)

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