入退院を繰り返していた○○さん、
あと、余命一ヶ月・・・ていわれて
最後は家で過ごしたいと戻ってきたの。
お父さんが子供三人に、
おかあさんの御病気について告知し、
みんなで大切な時を過ごしているそうよ。
時折、頭が回らなくなって、
手伝いに来るお友達がだれだかわからなくなるそうだけど、
「○○ちゃんのおかあさん」っていうと、わかるみたいで、
「ありがとう、ありがとう・・・。」って
目に涙を浮かべて話すみたい。
・・・・
告白すると、
あの時、もっと脅しておけばよかったと思う。
いまさらながら、悔やんでも悔やみきれない。
「あまり夫が心配していないんですよ。だから私もまぁそんなに気にはしていないんですけどね。」
「ああ、そうなんですか。私の知り合いで鍼師の癌専門医がいますのでご紹介します。ちょっと面倒ですけど、足を運んでください。初期でしたら、100%治す自信があるそうです。実際、医者がびっくりして『どうやって治しているんですか?』って連絡来るくらいですから、間違いないですよ。」
これはやばいな・・・とその時思った。
でも、近所の知り合いだし、あまり変な事を言うと、まずいので控え目にしたのが失敗だった。
あれから5年、紹介した鍼師にも、あまりマメにはいかなかった様子だ。
昨年手術が決まった時、その鍼師は「○○さんのも今だったら治せるのに、もっと来てくれたら…こんな形にはならなかった!」
手術をしてからはあっという間だ。
あれよこれよと、1年の月日が経ったのだろうか。
余命一ヶ月と宣告されてしまったのである。
最善の方法で、
上手に道筋をつけてあげたつもりだった。
しかし、もっとつよくいうべきだったのだ。
あす、死ぬことを宣告されるより、
一ヶ月ということのほうが、はるかにつらい気がする。
人生とは、ちょっとしたことが大きく左右する場合がある。
そのきっかけをつかむか否かは、
何に由来するのだろう?
真摯な態度で人生に臨もうとする、
真剣さ、
その真剣さを生む、
モティベーション、
パッションの有無であろう。
今だったら、
はっきり断を下すだろう。
術を使って人助けしようと、
本気になっているからだ。
当時、そのパッションで
もっと真剣にぶつかるべきだった。
いま、その思いに苛まされている。
