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プロの占い師が集う[占いブログ]
占い師プロフィール

プロフィール

プロフィール
名前 易者 矢吹太一龍
性別
自己紹介 うるさ型の易者

<趣味>
JAZZを聴く事。
/セロニアス・モンク
/J・コルトレーン

ユング/
フロイト研究

座禅
(正法眼蔵研究)
好きな
食べ物
精進料理

コーヒー。
酒は飲まない。

  December/2010  

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こだわり

2010-12-14

心の自由性はよりよい縁をもたらす。
その自由をもたらすマインドセットするため方法として今日は執着について考えたい。

もともとは仏教用語の『執着(しゅうじゃく)』
最近のスピリチュアルブームからこの言葉にはマイナスイメージとしてとらえられているようだ。

執着にもいろいろある。ノーベル賞授賞式がニュースで話題になっていた。こうした研究者にかぎらず芸術家など、執着といえるこだわりが無ければ成果はあり得ないだろう。こだわりには方向性がある、つまり生産的性の伴う方向と、非生産的な方向と二つのベクトルがあるようだ。

この執着、現実にかかわる物質的なものの他に、自分なりの理想にたいする精神的執着もある。人は魂を持ち、精神的存在であることがその本質にあるので、ふつう物質的なものより自分なりの理想に対するこだわりの方が強い力が発生し強いエネルギーが伴う。

非生産的なこだわりには、なにかに拘る自分がいるということの奥に、自分の思いを押し付けるとか、自分の論理で物を考え過ぎるという自己愛が強い傾向がある。こだわりが自己愛から来ていることがわからない、だから手放せないし、無意識の自己愛によるためにこだわっている事実にも気づいていない事の方が多い。

執着を捨てるとは、自分のこだわりを捨てるということだが、それより先に自己愛、つまり自分を放棄することが先に必要になる。
このとき、自分を放棄すると自分を見失う不安が出て来て、なかなか抜け出せないジレンマに挟まれる。
しかし、そんな苦しみからいつしか自由になることを求めて、自然の成り行きに身を任せる気持ちになった時、良い縁が生まれて自由が手に入るのである。

Posted by devil666 00:34:23Comments(0)TrackBack(0) │日常生活

プロとアマ

2010-12-11

「プロとアマの違いってどこにあるんですか?」

美術教授との対話、占断に来られたので聞いてみた。

「たとえば、子供の絵ってとても評価されたりします。ダイナミックで純粋さがほとばしり出て、大人の心に響き感動を与える新鮮さがある訳ですね。でも、プロじゃない。その辺の線引きってどうなっているんでしょう。」

「子供の描く絵って、技術的な面を置いて比較的評価が高くなりますね。そこにはやはり一定の心の状態を絵に映し出されている何かがあると思います。ピカソとかゴーギャンとか、我々から見れば考えられない異質な世界だけれど、こうした人たちはそのまま自分の心に映し出された世界を思い描いているだけなんです。」

「ピカソのキュビズムといわれる手法は、ふつう世界を批判的に見て自分自身の視点をも解体した絵だと理解していましたが、あれも天才ピカソにはそのまま目に映った事を描いたということなんですか?」

「そういうことなんだと思います。」

「では、大人になって絵が評価されるに必要な事ってなんでしょう。先日、40歳になって絵の世界に入って20年以上絵と向き合ってきたというアマチュアの絵描きさんから、自分の絵が本当に売れるのに、何が足らないかを易で取ってくれって頼まれたんです。星から見ると、たしかに絵の素質は先天的なものがあると判断できます。とあるきっかけで町で開いていた教室に通う所から先生の紹介で個人的に教授してもらってきた。でも、本格的に絵の専門的な大学に行ったわけでもなく、活動してきた。彼女が言うには、1.デッサン、2.構図、3.色遣いのどれに力を入れたらいいのかって。それで卦を立てたら、そのどれでもない。易の示された卦は『よき指導者と出会っていない』と出たんです。つまり、これだ!と思える情熱を傾けていける先生と出会ってないために、頭打ちでくすぶってしまって結果伸び目を失っているという事が出ているんです。そうした、生涯の師といえる人の手法や着眼点、思想というようなものを肌で吸収しなければプロとしての領域に到達できないって説明したんです。その答えにはとても納得してくれました。つまり僕はそこに子供の心の様な絵の情熱だけでは描ききれない何かがあって、そうした系図とも言えるような伝統を踏襲しなければプロの領域には到達できないと感じたんですけど、先生はこの判断についてどう思われますか?」

「それは厳しいですがあると思います。そうした出会いの縁も、プロになれるかなれないかの運の内の1つです。同時に、過去の歴史を解体するくらいの思い切ったメッセージを打ち出せるそれはもうすさまじいエネルギーがなければ相手の心を占領するような圧倒される芸術は作れず、感動を与えられない、つまりプロになれないという事になると思います。」

「なるほど、ありがとうございました。」

Posted by devil666 18:07:52Comments(0)TrackBack(0) │占断

ことばの力

2010-10-01

言語は、それ自体内に自律性と主体性を持っている。そこには存在可能な領域、言語そのものを存在させることを可能ならしめる領域を持っている。言語も存在するために世界を持っているのである。

しかし人は自分が使っている言葉はそれまでの習慣性から言語を取得し、自己と一体となっているために、このことをあまり自覚していない。無意識的に自分が「真理」と一体であると認識しているという前提があるからだ。方法的懐疑のまなざしを向ければ、それらは全て錯覚にすぎない。その錯覚から自己の存在している体験世界を、うまく都合が合うように世界を解釈する。その解釈している内容を自分なりに「まちがいない」と信じることができるように世界を理解し再構築しようとする。そうした確からしさの土台の上にしか言葉を発することはできない。

この『言葉』はひとたび発せられ、他の第三者に受容される際に、その第三者のそれぞれの体験に習慣づけられたある一定の世界観に取り入れられる、いわば独自の癖を通して受け取られるのだ。例をあげると言葉にニュアンスというものがある。これはほかでもなく体験に裏付けられた微妙なイメージのゆらぎのことである。このニュアンスの違いに端を発する言葉のもつイメージ、これらがそれぞれに特有の体験世界、つまり何らかのバイアスがかかって受け取られてその人独自の体験世界を形作る。

しかし言語は、同時に言葉自体を生みだすことを可能とさせたルール、その文化的土壌によって自律性をもっており、その社会的文化的背景というバックボーンを支えにし、言語独自の主体性が作動することでひとに影響を与えたり、人と人との関係を調停する社会的役割を担う側面も持つ。

Posted by devil666 00:00:00Comments(0)TrackBack(0) │日常生活

真夏の暑い日に想う

2010-08-13

暑い夏。甲子園では熱戦が続いているが、暦は秋。たしかに日が短くなり、朝晩に涼しさが出てきたことを感じる。今年は世界的『断絶』の大波が寄せてきた。策婚おこる現象が、確固たるものと信じてきた過去の遺産が引き裂かれる時代であることを思い知らされるばかりであった。その傷もぼちぼち癒され新しい再生の道が開かれることを希望している。

Posted by devil666 17:59:33Comments(0)TrackBack(0) │日常生活

師匠の手ほどき

2010-06-07

最近仕切り直しで、恩師の門をくぐり時間を共有する恵みにあやかっている。生涯共にしようと志した師匠から離れて早5年、本当に苦しい思いもあったが、師匠も待っていてくれていたであろうことを信じて、門を再度叩いた。私以上に複雑な心情を抱えていらしたその表情に、今まで感じたことのない思いを抱いた。

その日から3か月が経った。あらためて師匠に向かい、自分の疑問をお尋ねすることができた。その手ほどきには恐れ入ったとうならされざるを得ず、恐ろしい程の完成された凄みに圧倒された。まるで精密機械のように一瞬にしてさばくその職人芸はまさに神業の領域である。

嗚呼現代社会に生きる我々に欠けている世界を痛切に感じてしまう。時間の流れが速いせいか、すぐ答えが出るものばかり求めて目の前の損得に右往左往している現代人。人生が修行であることを忘れさせることに成功した現代文明。

しかし論語に代表される伝統的な東洋の学問とは、何度も何度も繰り返し折り目正しく規則的に刷り込んで体得することを主眼としている。その方法論は即効性はないが、長い年月をかけて大きな違いへと進化させ、気付いた時には思わぬ結果をもたらしてしまう恐ろしいものである。これこそまさに修業の深い世界。先生の生き方から与えられるものがある。人生すべてが修行である。

Posted by devil666 00:56:38Comments(1)TrackBack(0) │日常生活

「長かったけど、あっという間の4分間だった」〜最難関の高みに挑戦した浅田選手

2010-02-27

『本当に長かったというか、あっという間でした・・・』

世界の注目を浴びた19歳の女の子が自身の演技をそう振り返ったあと、果敢に攻めていく鋭い目線を放ったその瞳から涙がこぼれた。


オリンピックのフィギュアは極めてレベルの高い緊迫した激しい戦いであった。

世界が興奮する晴れの舞台で実力を披露する、その意味は言葉を越えるものがある。



金メダルと銀メダル、No.1と敗者、そこには天地の差があるのだろうか。
とても厳しい世界と段差がある事を知らされた。
戦いは白黒はっきりつける基準をもっている。

「受け入れがたい事実の前に立つ」

このことが意味することは何であろうか。


占っても思い通りにならない事は良くある。
その希望が通らないという現実がある時、
その重苦しい事態をどうとらえ受け入れていくのか。

それは「運命」といえるものと向き合う瞬間
自分より大いなる存在があることを思い知らされる時




「どんな結果が出ても、それは神様が決めるもの。私はそれを受け入れる準備ができている」
カトリック信者である金メダルのキム・ヨナ選手の言葉はひときわ際立っていた。

Posted by devil666 01:07:51Comments(0)TrackBack(0) │日常生活

親ゲームという名の“ひとり芝居”

2010-01-07

お恥ずかしいが
今、受験生を抱えている。


推薦枠のことであたふたし、右往左往した。
当の本人は愚か、学校の先生や塾まで巻き込む大騒ぎだ。

社会を知らないのは無理もない
親が補わなければならないのは至極当然。



それにしてもご本人は親ほどそわそわはらはらきりきりしているでもなく「うわの空」

親は自分の人生の苦い思い出を投影し
なんとかしなければのオンパレード



自分自身を見て
思う


「なんだ結局親の自分勝手な独り芝居じゃないか。」




ホット溜息をつき、

「そんなふうに独り芝居をして、親になるものなのか...。」

そう自分を見つめ、あっけにとられた。




なんだか知らないが
そのあとにふと

オヤジの顔が慕わしく思えた。

Posted by devil666 11:27:12Comments(0)TrackBack(0) │日常生活

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