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プロの占い師が集う[占いブログ]
占い師プロフィール

foaf プロフィール

プロフィール
名前 矢吹太一龍
e-mail taichiryu@gmail.com
性別
自己紹介 易者
趣味 音楽鑑賞
スポーツ
好きな
食べ物
コーヒー。酒は飲まない。

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お参り

2009-06-03

64901.jpg

方位取りと合わせて本日産土神にお参りに行きました。

やっぱりなんかありそうな感じでした。
とりあえず義理果たしたので少しは御霊を分けてもらったと思ってます。

神田明神は私の好きなお茶ノ水界隈ですから、
それだけでもとても楽しくなりました。

文化のるつぼ
湯島聖堂・ニコライ堂
アキバ系...


バイクの後ろに乗り
〜廻りました。

「こんな近くに結構全国から集まるスポットがある」
そんな自信も!!!メキメキ!

さぁ明日もがんばるぞ+++

Posted by devil666 23:57:48Comments(0)TrackBack(0) │その他

ネットでの出会いの危険性

2009-05-31

 個人の次元から共同体へと移行するその訓練場が家庭ですが、最近その家庭を築くための男女の出会いの場が「恋愛」という幻想によって狭められてしまっています。その時のフィーリングやタイミングを重んじるあまり、基本的な人格を形成する家族構成や社会的立場を身落としたりないがしろにしてしまいやすい。こうした風情は感性に訴える「スピリチュアリズム」というものも一役かっていて、その軽薄な悪い面のあらわれであるなと感じます。インターネットでも出会いの場が広がっています。言葉使いや写真の作り、イメージ戦略が優先されたつくられたもの、バーチャル的な感性を引き出すようプロデュースされたものが中心になり、本質を疎外してしまっている現実があるようです。
 ネットでの出会いの場は、まさに偶然の出会いです。目的がずれているとか、動機が不純だとかはその場ですぐわかりません。それだけに刺激もあり、楽しいのでしょうが、同時に非常に大きな危険が潜んでいます。それは人間という複雑な多重構造でできている目に見えない内面や本質が隠れてしまう面があるからです。
 インターネットの独断場に双方向性という武器があります。しかし、現実の実社会とは異なり、互いに自分なりでも構わない、そのことが容認されやすい場です。わがままが横行し易いわけです。こうした空間でコミュニケーションを取っていることを忘れず、控え目に様子を見る程度のものであることをしっかりと脇まえて、相手に必要以上の期待を乗せて相手に負担を生まぬよう、上手に付き合いましょう。特に人生の中で男性が女性と出会うということ、女性が男性と出会うという場は現実的な場で、本質的な場です。必ずお相手の家族構成や社会的立場、その人の足取りと生きざまを確認しましょう。結婚が難しくなった社会とは言え、インターネットに期待し過ぎるのはどうかという気がいたします。迷った時はぜひ易者にご相談ください。(笑)

Posted by devil666 23:15:12Comments(0)TrackBack(0) │その他

悪はどこに潜んでいるのか

2009-05-28

『徳』という字は、ぎょうにんべんに直の心、つまりまっすぐなこころで事を行うという意に通ずる。したがって本来的な「品性」を基に、行為を積み上げて得られる恵みのことを徳という。
不徳の致すところ…というのは、基が素直な心でなかった、歪んだ思いであった事の告白であり、不実であったことの証明である。

運命のよしあしは一体どこから生まれてくるのだろう?
万物は時間的経過を得て形になるのだから、
その種になる原因があるはずだ。
そう考えると、結局習慣化された日常生活から生み出されると考えざるを得ない。どうすることもできない人生の壁となる大きな問題も、物に対して、人に対して、異性に対してどのような態度と姿勢で向き合ってきたか、その一つ一つの表れなのだ。だからこそ、些細なことでも細心の注意を払って、配慮しなければならぬ。
こうまでして意識の方向をチェックしなければならなくなった根本は、「自己」の存在様相と存在目的がずれてしまったからに他ならない。その上で「他者」に対する意識付けが生まれる。自己存在という根本がぶれてしまったら、関係概念にひずみや錯覚が生まれるのは当然だ。
「素直な心」とは何であろうか。これはきっと“囚われのない心”だという気がする。しかしこだわりがなければ新たな知は生まれない。そのこだわりを生む作用とは感情機能と密接なつながりがありそうだ。たましいは愛と真理を求めて生きようとする。こだわることも、囚われることも作用そのものを否定しても心の発展はないだろう。その課題や問題と出会った時、原点に回帰し自己の存在様相と目的を吟味し、より大きな世界観を形成するような考え方の方法論の有無を知ること、これが素直な心ではないのかと思う。

Posted by devil666 19:02:20Comments(0)TrackBack(0) │その他

飾り・おまけ・腹八分

2009-05-19

情報通信革命が起こり、新たなコミュニケーションの手段が生まれ、その質量ともに拡充する時代に入りマーケティングの役割がますます重くのしかかることになった。たとえ素晴らしい技術があっても、「宣伝⇒集客」という媒体をいかに作って仕掛けていくか、その辺の戦略・方法を持たなければ成り立っていかなくなったのである。情報社会のこの側面は、同時に種をまいて刈り取るスパーンを大幅に短くし、一気に上昇できるチャンスも出てきたものの、一時的な打ち上げ花火のように、あっというまに散っていく、そのために特化した戦略なども生まれ、まさに真偽の見分けのつきにくい社会が到来したといっても言い過ぎではない時代に突入したのである。

ここで注意したいことがある。大きな渦を巻き起こすために、さまざまな特典や付加価値を付ける。「おまけ」といわれるものである。バナナのたたき売りではないけれど、この領域での競争は、熱狂的な興奮を呼び起こすことがある。そのことはともすれば本末転倒してしまい、もとの商品の価値や質を下げるという危険水域へと突入をもたらしてしまう。本来の商品の質を上げることの企業努力を失い、おまけという虚飾が拡大する。つまり見栄を張り過ぎ、度を越して嘘が蔓延するような社会風潮を演出するのである。

子供のちょっとした駄菓子に、よく、いろいろなキャラクターのカードやミニチュアが付いてくる。子供たちは好んでそのキャラクターを選び、ガムを噛む。子供たちはガムが食べたいわけではなく、そのキャラクターのおまけが欲しいのだ。
ディズニーランドはあいかわらず独り勝ちしているそうだ。それはテーマパークの乗り物以外に、フードサービスやショップでの売り上げも相当なものだからである。実質についての評価判断はともかく、イメージ戦略が成功している例であろう。

消費者はこのイメージ戦略について、ともすれば虚栄や嘘へと転がり込むことを頭に入れ注意して観察しなければならない。この「飾り」ということ、易の六十四卦では『山火賁』だ。易は飾ること自体は悪いとは言っていないが、行き過ぎないように、また飾りは本質ではないので無理をしないこと、礼儀や言葉遣いに気を付けて、飾ることにとらわれず教養を身に付けるなど自己の安定や自分を高めることを第一とせよ、そして最後は白く飾る(シンプル=必要なものだけ)になるよう…と指針と現代への警告を与えてくれている。

付加価値があるのは楽しいが、ともすれば肥大化してしまう。そうすると最後はむなしさしか残らない。祭りのあとと同じだ。虚栄に踊らされると、自分を見失うのだ。そのあたりのサジ加減、昔の人はよくいったもので「腹八分」という言葉がある。楽しみをほんの少し未来へ残しておくのだ。欲望ぎらぎらで好きなだけ…はよくない。最後の一歩は譲る精神が必要だ。その方が息の長い健全な生活が保障される。

昨今の時代背景からか、占いの業界もスピリチュアルだとか癒しの名のもとそうしたイメージ戦略が過剰になりついぞ誇大表現になってしまって、消費者の側もずいぶんあおられているような気がする。虚栄という意味では投機についても同じだ。日本はバブルを経験した。その反省があったにもかかわらず、今度は世界的な規模で金融資本主義の行き過ぎが露呈しあおりを食らっている。人も時代も同じことを繰り返すが、せめて自分は他山の石として、ゆるぎない基本に忠実でありたいと願う。

Posted by devil666 01:35:20Comments(0)TrackBack(0) │その他

自信と誇り

2009-05-05

今日、われわれが真に取り戻さなければならないもの、それは自信と誇りである。
この自信と誇り、厳しい時代状況にあって、今こそ問われている。
自信と誇りは一夜にして出来上がるものではない。
常に自己の存在意義を問い直していなければ得られるものではないのだが、
しかしこの本質的な存在の根拠を探るときに誤ってならない視点がある。
仏法では、存在現象の本質は空と説いている。
つまり自問自答するような形で、自心自性の認識作用の内には自己存在の根拠を見いだせないのだ。
むしろもろもろの事物の中にあってはじめてその存在を知る。
進歩する日々の生活の中で常に自己を発見し続けることができるのである。

正法眼蔵によると、悟りとは不連続的な連続の中で起こるという。
つまり自分を覚醒させる仏の知恵とは、向こうからやってきて、そのまま我に伝わる。
そうした知恵に裏付けられた生き方があり、その結果習慣化され生まれてくるのが自信と誇りである。
本物の自信と誇りは自ら作ろうとして得られるものではない。
意図的な自我とは無関係に与えられるものである。

心身を乱して諸々の現象を理解しようと努める行為は、自己を根拠として認識しようとしている自我の作用である。こうした自己意識は幻想であり、仏の知恵から離れている。正法眼蔵では自我も幻想であると説く。自分の認識は不変であり確かなものだという誤った根拠に依存してしまっているからだ。自我と他を区別する。分別知が生まれる。だから迷いが生ずる。
この迷いから脱する方法は、一切は空であるという根源に立ち、自分自身をからっぽにするしかない。

代わりに諸々の現象の中に、自我の有り様を認識する。こうして現実の現象と共にあることが覚りである。
縁をもったすべての現象の中に自己を証す。その心身一体の境地を日々新鮮に勝ち取って副次的に生み出されるのものこそ超越した自信と誇りなのである。

Posted by devil666 22:36:31Comments(0)TrackBack(0) │その他

習慣の恐ろしさ

2009-04-28

霊界と通信したスウェーデンボルグなどを読むとわかるように、地上生活ではたましいと身体は相互作用を持ち、たましいは身体に、身体はたましいに働きかけることで相互に成長する仕組みをもっています。永遠の世界へ向かっていくたましいは、身体を持つ地上生活での一生を通して成長するようになっています。たましいは霊的な糧である真実の愛や真理を恒常的に必要とし、また身体は光や水や食物などで恒常性を保ち成長しています。さらに精神的な世界での感動は身体にいい影響を与え、健康を増進させてくれますし、体を動かして善を行うこと・お役に立つ生き方でたましいはぐんと成長するようになります。

周知の通り、現実の財産は永遠の世界に持ち込むことはできません。かわりに、人や世界を愛した実績が財産となる。一生を通していかなる「思い出」を創作できたか、たましいにどんな財産を積んだかで人生の価値=地上生活の価値は決まります。

このとき、大切なのは「日常の習慣性」です。

毎日の生活の中で、規則正しい善なる習慣をつくれば、当たり前のように=自然とたましいは成長するようになります。
しかし、だらけた悪なる習慣がついてしまうと、そのことが当たり前のようになり、たましいがその習慣に同化します。
わかっちゃいるけどやめられない。
習慣はそんな風にして自己肥大化して気づかぬまま周囲に影響を与え自己増殖してしまうのです。
セルフイメージやアイデンティティを形成する土台に、習慣性が存在します。自分のかかわる体験世界に影響を及ぼします。

聞くところによると、脳生理学の立場からするとこの習慣性を身に付けるに、連続して最低「21日間」は必要だそうです。
わたくしも何度も挑戦していますが、どんなことがあっても不平を言わず、感謝のみに生きると決意しても21日間は続いた試しがありません。それくらい不平不満の分子は体質に根付いており、簡単には意識転換が起こりません。自分を形成している遺伝質の中に受け継がれている癖=無意識のパターンというものが必ず存在し、それが身体に影響を与えて行動をさせてます。そうした悪癖と闘うのは容易ではありません。

そのため自分の運命を変え、今以上にたましいと身体の関係が恒常的に良い循環をするような仕掛けを作るためには、だれしも人格を変えるぐらいの覚悟と決意が必要です。今の自分の人格を作っている土台に今の習慣性がある。人格と習慣は呼応しているので、習慣を変えるのは人格を変えるのと同じと言っていいのです。

まずは21日間(7×3=三週間)頑張りましょう。
何度失敗しても七転び八起きで這い上がること、
そのチャレンジ精神で生きることの本義をつかもうと思っています。

Posted by devil666 12:03:01Comments(0)TrackBack(0) │その他

二人の「イチロー」

2009-03-25

昨日はWBCの世界制覇で盛り上がった一方で民主党の党首の進退問題の涙ながらの記者会見があった。
段階は異なるけれども、このふたりのイチロー、タロットカードの「吊るされた人」のモジュールがぴったり当てはまる。
野球のイチローは自ら告白している通り、決勝戦を迎えるまで辛さを越えて苦しみの極限から自身を失いかねない危機的状況であったと語った。しかし決勝延長戦での10回ツーアウト二・三塁の場面で韓国ベンチの敬遠の意思が投手に伝わらず、イチローとの勝負に出て甘い変化球が真中に入っていく。そこで日本の勝利をもたらしたセンター前の決勝打を放つわけである。終わってみると、イチローは最終試合である決勝の韓国戦で、六打数四安打を打っていた。それまで日本の期待を背負って.167と振るわなかったその苦しみの極限状況を耐え忍んで生みだされる新たな変性意識、まさに清々しい恍惚の状態へと導かれていった。

この不振・停止のイチローをチームメイトが攻めること無く自分が頑張ろうという皆の意識が一体化を高めたのである。運命の強制力でイチローは犠牲の道を歩まさせられた。しかし最後に生かされたのである。

一方民主党の小沢一郎党首は、その「吊るされた人」の現在真っただ中にある。
これがイチロー選手と同じ正位置の状況下であるかどうかはカードを出したわけではないからわからない。
しかし、おそらく当のご本人にしてみれば、世の無常や、権力闘争、そして得体のしれない魔物といっていいものとの闘い、目に見えない敵との戦いの只中であり、現在、その血祭りにあげられ、必死でもがき苦しんでいる状態であろうことは否定できないと感じる。不平不満や我慢できない中、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぼうとしている意識状態であることは間違いないだろう。この後のカードである次の13番目の死を意識して取った続投の記者会見なのだ。涙ながらに会見に臨んだ、その涙を不覚の涙と語った小沢氏の言葉に、タロットカードの吊るし人のイメージが重なると同時に、今の世間・社会の苦しみの極限を打破するために、何らかの形でひとりひとりがこうした限界を乗り越えていかねばならない、時代的にも「吊るされた人」がその象徴であり、ふたりのイチローにそのスポットがあたっている気がした。

Posted by devil666 23:36:30Comments(0)TrackBack(0) │その他

母の手

2009-03-24

目の悪い母の手を握り肩を抱きながらゆっくり歩いた。
母はいつもまじめ過ぎて融通が利かない。
そんな一途な母が、たどたどしく一歩、一歩、歩く。
母をこれまで追い込んでしまったものが何なのかを思い、自分の罪の許しを請うように母の歩調に合わせる。

いつかこんな時がくるだろうと思っていた瞬間が、今、訪れる。

自分もいよいよ残りの人生が限られていることをはっきり知らなければならないのだ。
限界を前提に生きなければならないことを覚悟しなければならない。

母が私の手を握り返し、安心する表情を垣間見て安らぎがもたらされる。
母に寄り添える時間が与えられたことに至福の思いが湧いてきて感謝する。

Posted by devil666 22:18:24Comments(0)TrackBack(0) │その他

占断の心

2009-03-20

占い師ですから、自分の星を吟味して性格や運勢などを分析します。

なのによく、自分の事はわからない・・・と口癖のように話すその筋の方が多いのです。わたくしはと言えばそれでは占い師は務まらないと、かねてからこの言葉に反発しておりまして、自分のことをきちんと正確にとらえられてはじめて本物と思っております。この基本姿勢は変わらないのですが、運勢を見るという行為が、“当たる”とあたかも運勢を操っているような錯覚を起こし、どうしても自分が運勢の発信源になっているような傲慢な意識が芽生え、失敗します。この失敗が重なり、こと自分自身についてそうした錯覚が出てきていることをおざなりにし、自分のことはわからないと片づけてしまい封じ込めることがこの業界のテーゼになっています。

未来を軸に置いて人生を語るというのは、大変難しいことです。得た回答は具体的でなければ役に立たないし、納得できにくいですね。そんな中で最近やはり思うのは未来の予言を固定化し決めてかかってはいけないという原則を置いて現在を生きているという事、つまり可能性を模索している現在という時間的限定性のある立場に身を置いているという基本線を踏み外さないよう意識をしっかり持って未来を取り扱わねばならないということを感じています。

しかし、ここが難しいのですが、 “ゆらぎ”があるのです。ゆらゆらと揺れていて、そのちょっとしたタイミングのずれ、あるいは確かにきっかけは目の前に現れているんだけれど、気持ちが固まっていないというようなゆらゆらと揺れ動く理屈を超えた感情が偶然性と重なる。つまり気持ちの面での不確定作用が思ってもみない大きな結果につながったり、引き寄せたりする場合があるのです。この揺らぎは幻影のようなものです。たとえばもし意識なく通過してしまったら、当の本人には見えていないのだから「何も起こらなかった→当たらなかった」というしごく当然の結果になってしまいます。つまり自分の内面の感情に敏感に反応していなければ、実際にその出会いを生かしたり取り込むことができず、関係を作れず終わってしまうという事で、いい事が現実に“あらわれて”きません。それくらい「いいこと」をつかむのは、難しいことです。だからといって占った結果通りに何が何でも…というこだわりが始まると、今度は執着があたかも大切なものを大事にして握りつぶすが如く、ゆらぎそのものの火を消ししてしまい、結局燃え上がらず何も起こらないでかえって難しい場面に余計遭遇するという事もあります。ちょっとしたタイミングをつかむことは、勇気がいることです。そこに無理なく入っていけるような状態を作るには、ウォーミングアップ、準備運動が大切です。リラックスする事が大切なのです。運勢での準備運動は、事前のイメージトレーニングとリラックスです。スポーツと同じ事が言えます。そして、ここが大事なのですが、「信じる心」です。スムーズに無理なく信じれる、今の状態に意義と価値を見つけられて将来の事に自然と楽しみがわく心を持てる時、未来にチャンスが来てもきっと逃さないでしょう。そうしたイメージトレーニングをして、新しい自分をつくるのに、占いは役に立つものになるでしょう。リラックスして占いとうまく付き合いましょう。

Posted by devil666 23:50:17Comments(0)TrackBack(0) │その他

世相を憂いる

2009-03-04

談志師匠じゃねーがいいわるいは別として最近の若い子ってやつらはとにかくどこまでもつきそってやらなきゃ勉強が身につかないときたもんで、独創性とやらはまったく影を潜め、かわりに何をしたらいいかわからず何でもいいけどどうでもいいちゅうような深層が心の中に疼いちゃってて、なんだかわけのわからないようなくらげだかこんにゃくのような軟体動物のようなつかみどころない子供が大勢を占めている。それもそのはず、先だってやる気を計るバロメータに東アジア諸国の中学生の勉強時間の統計を出してみたら、なんのこっちゃない日本の国の子供たちは中国の子供たちの14時間に比べて半分というデータが出てきた。技術立国日本とか、ノーベル賞4人何ぞにうかれちゃいられねーってんで、これからのわれわれの未来は年金騒ぎどころじゃなくって、未来自体の社会基盤があり得るのかさえ疑らざるを得ない世の中になった。まったくこまったもんだってんで、はたとこの子供たちの未来を思い易を取った。さすれば「火雷噬嚙の六五」と出た。ふむふむ、なるほど「歯に衣着せぬ」とはいかずどうも口ごもったような感じで自分の意見を言えねーだとか軟弱な世相がそのまま反映されるんじゃないかなんて懸念されるわけだ。別面この卦はぶつかりながら当たって砕けるなんてこともあるが、文字通り“転石苔を生ぜず”みたいに腰ぬけで何をやってもモノにならねぇ、大成しないような世の中になり、枠をはみ出ないで安全を求めるような時代になりそうだ。てなわけでせめて今、こうした厳しい世の中にあっても意地でも自分を貫くような、自分の生き方っつーやつを我々が示さないと未来は暗いままなんだろう。

Posted by devil666 11:13:50Comments(0)TrackBack(0) │その他

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