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プロの占い師が集う[占いブログ]

foaf プロフィール

プロフィール
名前 エリオン (Elion le Visionnaire)
e-mail elion@mbg.nifty.com
自己紹介 ソルボンヌ大学卒業
恋愛心理学のエキスパート

鑑定について

ヒーリング・ボイス(癒しの声)を持っています。

一度、お電話ください。

基本料金4000円 (0〜30分) 以降10分1000円 (端数は四捨五入) 。できるだけ追加料金が発生しないようにしています。24時間対応。 


電話:048 831 7949

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裁判員制度の問題

2008-06-30

先日の「朝まで生テレビ」で裁判員制度をテーマにした討論をしていました。

ご存じの通り、この制度には非常に難しい問題が山積しているのですが、私が特に気になったは裁判員のセキュリティです。

現在、インターネットの世界ではほとんどやりたい放題になっています。

世間の興味を引いた何らかの事件の容疑者は未成年であっても住所はもちろん、電話番号や写真までが公開されます。

そんな中で、難しい事件で仮に死刑との判断が下された場合、世間がこれに承服できなければ、裁判員がこうした攻撃に曝されるのを防ぐことはできないでしょう。

もちろん、反対の場合も同じです。

世間から激しく憎まれているような被疑者に厳しい判決を下さなければ、同じような目に合う可能性があります。

裁判員制度の制定に参加したとの触れ込みの弁護士は、裁判員のプライバシーは厳重に保護されるから、そんなことはありえないと言っていました。

しかし、裁判員の氏名、身分は公開されないといっても、裁判自体は公開制で(特別な場合を除く)、裁判員は顔を隠すことはできないんです。

その気になれば、裁判員が誰であるかを調べることは簡単でしょう。

また、別の弁護士で国会議員は裁判員になる人間はそのくらいの覚悟をすべきだなんて言っていました。

しかし、みずから立候補したのならいざ知らず、勝手に選出され、正当な理由なくして拒否もできないのに、そんな覚悟なんかあるわけがないでしょう。

現役の国会議員や弁護士が現代のインターネット事情をよく知らず、世間の実情に疎いのは問題ですね。

これでは裁判員制度が上手く行くとは思えません。スタート直後に手直しが必要になるんじゃないでしょうか。

時間がないので、これ以上は踏み込みませんが、インターネット被害を防止するためには、裁判員のプライバシーを暴露した人間には厳罰をもって当たるしかないと思います。

では。

Posted by elion 17:43:41Comments(0)TrackBack(0)

セルフ・ハンディキャッピング (2)

2008-06-30

また、セルフ・ハンディキャッピングには、実際に行動を取らないで、ハンディがあることを他人に吹聴するだけの場合があります(主張的セルフ・ハンディキャッピング)。

試験当日にクラスメイトや仲間に実際は勉強したのに「昨日遊んじゃった」などと言うことがよくありますよね。

ただ、こうした「言い訳」を聞かされる方はよく分かっていますので、好意的には取られず、またかと思われるだけです。

上にも書いたように、誰にでも多かれ少なかれセルフ・ハンディキャッピング的行動を取ったことはあると思います。

しかし、これが癖になってしまうと(よくいますが)、肝心の時に努力できなくなる恐れがあります。

ついでに言えば、アルコール依存症もセルフ・ハンディキャッピングの慢性化の場合があるそうです。自分には能力があるのにアルコールのせいで発揮できないという訳ですね。

結局は自分自身を甘やかし、慰めているだけなのですから、できれば、セルフ・ハンディキャッピング的な行動に走りたいとの気持になっても(意識していれば自覚できます)、意志の力でそれを押さえ、きちんと努力をするべきでしょう。

そのほうが必ず良い結果が得られます。

Posted by elion 01:14:36Comments(0)TrackBack(0)

茶髪・金髪と頭の中身

2008-06-29

「美味しんぼ」の作者 雁屋哲さんが若者の茶髪・金髪について、日本人には絶対に似合わないし、西洋人に馬鹿にされているのを知らないのか、と主張しています。

なんでも「若者たちよ、茶髪・金髪で身をかざる暇があったら、その頭の中身を鍛えろよ。

勉強しろよ。世界中の若者は一生懸命勉強しているぞ。

日本の若者は携帯にしがみついて受け身の文化に身をまかせていて、自分で何かを作ろうとすることがない。

日本の今の若者は団塊の世代の残した遺産を食いつぶしているだけだ」とのことです。

しかし、今どきこんなことを言う人がいるんですねえ。明らかに年寄りの繰り言です。

大体、日本人には茶髪・金髪は絶対に似合わないなんて一体誰が決めたんでしょう。

そんなもの人によります。似合う人もいれば似合わない人もいる。それだけです。

それに最近は中高年にも髪を染めている人が沢山いると思いますが。

西洋人に馬鹿にされているにいたってはコンプレックス丸出しとしか言えないですね。

西洋人がなんと思おうがいいじゃありませんか。

それに本当に西洋人が日本人の髪の色を笑っているとは思えませんし。

また、世界中の若者は一生懸命勉強しているなんて話も大間違いですね。

勉強しない若者はどこにでもいますし、それぞれの国の大人たちに避難されています。

要するには雁屋さんを初めとする年寄りは若い人たちが気に食わないんですね。

それで何か見つけては批判します。髪の色でも服装でもなんでもいいんです。私が若かったころは、長髪も文句を言われました。

そして、言うことは大抵同じです。「格好ばかり気にする暇があるんだったら勉強しろ」。

本当に若者を一絡げにしたお気楽な批判はいい加減にして欲しいものです。

では。

Posted by elion 18:11:42Comments(0)TrackBack(0)

セルフ・ハンディキャッピング

2008-06-29

今日は「セルフ・ハンディキャッピング」の話をします。

この言葉はあまり耳慣れないと思いますが、説明を聞けば多分ほとんどの方が思い当たるところがあると思います。

「セルフ・ハンディキャッピング」とは、「人は他者からよい評価を受ける確信がない場合や、人尊心が損なわれることが予測できる場合には、自分の能力発揮を妨害するハンディキャップがあることを他者に主張したり(主張的セルフ・ハンディキャッピング)、自らハンディキャップを作り出す行為を取る(獲得的セルフ・ハンディキャッピング)」ことです。  

たとえば、大事な試験の前にゲーム興じたり、テレビを見たりすることですね(獲得的セルフ・ハンディキャッピング)。

これは試験勉強から逃避しているだけではなくて、自分に不利な行動を取ることによって、
実際に失敗した時の言い訳を「失敗する前」に用意しているわけです。

これでたとえ失敗してもそれはハンディのせいであり、自分の能力が低かったせいではないと考えることができます。

だから自尊心が痛みませんし、成功すればハンディにも関わらず成功したことで、自尊心を高揚させることができます。

Posted by elion 02:09:29Comments(0)TrackBack(0)

死に神とコラム

2008-06-28

ちょっとした騒ぎになったのでご存じの方も多いでしょうが、鳩山法務大臣は朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」で「死に神」になぞらえられました。

法相はただちに記者会見を開き、「司法の慎重な判断、法律の規定により、私も苦しんだ揚げ句に執行した」と述べ、厳重に抗議しています。

また、「全国犯罪被害者の会」も「死刑執行を望む犯罪被害者遺族も死に神ということになる」との抗議文を朝日新聞社に送ったとのことです。

これに対して、当初、朝日新聞社は何もコメントすることはありませんと言っていました。

しかし、読者からの抗議の声の高まりを前に、「素粒子欄は、世の中の様々な出来事を題材に、短い文章で辛口の批評をするコラムです。鳩山氏や関係者を中傷する意図は全くありません」と方向転換。

また、同欄の筆者は、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」と説明し、「風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図はまったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば」などと述べています。

新聞のコラムは大抵の場合、論説委員が書きます。

彼らは記者を卒業し、1日1本のコラムを書くことだけが仕事があることが多いようです。

当然ながら、文章にも非常に気を使い、名文が多いんですね(少なくとも昔は)。

そう言えば、朝日新聞朝刊の「天声人語」は文章のお手本として英語や仏語に訳されています。

ところが、論説員は高齢ということもあり、考え方が非常に保守的であったり、社会の情勢にうとくなってしまうことがままあるようです。

そのために今回のような事態を招いたんでしょう。

しかし、少なくとも人を「死に神」などと呼んでその影響に考えがいたらないとすれば、コラムを書く資格はありません。

風刺コラムが難しいのは当たり前のことで、そんなことをいまさら言うのなら、きっばりと止めたほうがいいでしょう。

では。

Posted by elion 18:29:19Comments(0)TrackBack(0)

トラウマゲーム (6)

2008-06-28

最後はネズミが恐いいい年をした男性でした。

小学生の時に押入れの中で大繁殖しているのを見て、本物はおろかぬいぐるみや人形も我慢できなくなったんですね。

彼にはゲシュタルト療法の役割交換法が勧められました。

相手の役割になってみることで気持を体感し、そこから相手の気持を理解することで自分の認識の問題点に気付くのだそうです。

具体的にはネズミになることによって、ネズミはか弱い動物で決して恐れるような動物ではないことを認識するというわけですね。

本気でしょうか。

ネズミの気持になれる人がいたらお目にかかりたい。

今までの治療法すべてがそうですが、本当にお気楽と言うか、トラウマの原因の分析が根拠が非常に薄く、思いつきでしかありません。

また、対処法がなぜそれが有効なのかについての合理的な説明もないんです。

テレビ番組ですから、仕方がないのかも知れませんが、これを見ると本当に簡単にトラウマが解消すると視聴者は思ってしまう恐れがあります。

こんなことだから精神分析は科学ではないと言われるんですね。

これでは占い師をいい加減だと言って攻撃することはできないでしょう。

Posted by elion 02:50:58Comments(0)TrackBack(0)

文化遺産落書騒動

2008-06-27

イタリア・フィレンツェの世界遺産「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に日本人大学生が落書きしていたことが発覚し、大騒ぎになっています。

最初は岐阜市立女子短大の学生の落書きが発見されたことが伝えられたのですが、その後、京都産業大の学生、さらには北関東の高校野球部の監督も落書きしていた疑いがあることが分かったそうです。

しかし、こんなことは今さら言うまでもないことでしょう。

どこに行っても、別に名所、旧跡でなくてもいたるところに落書きがしてあります。

今回は大聖堂の方から抗議があったから特に問題になっただけなんですね。

そして、いつものようにテレビのワイドショーの司会者やコメンテーター、評論家と称する人たちがくだらないコメントをしています。

同じ日本人として恥ずかしい、最近の若い人たちはモラルがない、国際感覚に欠ける等々ですね。

しかし、落書きをするのは日本人だけではありません。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を見ても、世界中の人たちが落書きをしているのがわかります。

日本人が特に多いとの根拠はないんです。

そして、最近の若者云々にしても、落書きは本当に大昔からありました。

たとえば、江戸時代末期に侍の団体がエジプトを旅行しているんですが、ピラミッドを見物した時に書いた落書きが残っています。

さらに言えば、ピラミッドにも、日本で言えば、法隆寺にも建設当時の人たちの落書きが残っています。

昔からモラルなんかなかったんです。

もちろん、だからといって文化遺産を傷つけていいと言うつもりはありません。

日本人はとか、最近の若い人たちはといった、あまりにも紋切り型のコメントで片づけても何の解決にもならないということです。

本気で落書きを止めさせるには監視と罰則を厳しくするしかないでしょう。

一度、犯人に厳罰を下せば必ず抑止効果があります。

ただ、完全になくすこととできないでしょうが。

人間とはそうした生き物なんですね。

では。

Posted by elion 17:17:21Comments(0)TrackBack(0)

トラウマゲーム(5)

2008-06-27

3人目のタレントは水玉恐怖症でした。子供の時にプールに突き落とされたのが原因で水が恐くなり、水玉までが恐くなったとのことです。

その治療法は水玉模様のハンカチなどをこれは自分に害を与えないと論理的に自分を説得し、触ることによって、克服するとの論理療法だそうです(自分の中の間違った概念を論理立てて説明することで正しく捉え直していく方法)。

これは無理にやるとトラウマが余計酷くなる恐れがあるとおもいますが。

次は女性とフランクに話せないといった悩みを持つ男性タレントでした。子供の時に女性に笑いものにされたことがトラウマになっていると言っていました。

これには自己の書き換えというワーク(作業)で、満たされなかった過去に立ち戻ってやり直すことによって、本来望んでいた方向に認識し直す方法がいいとのことでした。

具体的には何人かに協力してもらって、わがままを言い放題に言って、周りの人たちがこれを無条件に受け入れるもらうわけです。

しかし、協力してくれる友達を探すのが大変でしょうね。

Posted by elion 09:24:17Comments(0)TrackBack(0)

インディ・ジョーンズの新たな冒険

2008-06-26

「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」を見に行きました。

火曜日の朝1の回です。私はいつもこの時間帯に行きます。空いていて、割引もありますから。

ただ、人気があるんでしょうね。結構混んでました。

観客の大半が中年以上で、多分、みんな昔のシリーズを見た人たちなんでしょう。

私も1作目はパリで見ました。もう27年も前のことですが。

実はこの映画のことは当時アメリカに住んでいた兄からの手紙で知っていました。

しかし、考古学者が大活躍する活劇映画 (昔はこんな言い方をしたんですね)が大ヒットしているなんて言われても、ぴんとこなかったですね。

考古学者が冒険????といった感じです。

それはともかくとして、今回のインディ・ジョーンズの冒険はちょっと微妙だと思いました。

前3作のラインをちゃんと踏襲はしていますし、アクション場面も満載なんですが、何か一味足りないんです。

インディの後に似たような映画が沢山出ましたから、新しいストーリーを考えるのが大変なのはわかりますが、クリスタル・スカルの秘密があまりにも陳腐なのでがっかりしました。

それに、(この後、ネタをばらしますので、ご注意ください)インディの昔の恋人や息子が現れたのも、どこかで見たようなストーリーで、あまり感心しませんでした。

とにかく、 第1作目の「レイダース/失われたアーク」の衝撃と比較すると物足りないと言わざるを得ません。

しかし、興行成績がとんでもない勢いで伸びていて、すでに米国内だけで250億円を記録していますから、続編が作られるのは間違いないでしょう。

主演のハリソン・フォードが元気だったらですが。

ただ、最後近くで世代交代を匂わせるようなシーンがありましたから、今後は息子が主役を張るようになるかも知れませんが。

では。

Posted by elion 17:40:30Comments(0)TrackBack(0)

トラウマ・ゲーム(4)

2008-06-26

この臨床心理カウンセラーは、その対処法として、横断歩道を白黒関係なく、スムーズに渡れる自分をイメージする。そして、横断歩道の向こう側に誰かに立ってもらい、その人を人生の成功者だと思って彼のようになりたいと考えながら、実際に渡るようにと、アドバイスしていました。

その時にその人間に応援してもらい、上手く行ったら誉めてもらうといいとも言っていました。それで達成感も出るのだそうです。

しかし、随分乱暴なやり方ですね。番組では上手く行きましたが、こんなのでトラウマを克服できるのならば、誰も苦労はしないでしょう。

こういう無理にトラウマを押さえつけようとする方法は上手く行くこともあるでしょうが、弊害も多いのです。

トラウマが更に酷くなることもありますから、注意しなければいけません。

まあ、分析自体がいい加減ですから、その対処法も適当なのでしょうが、テレビを見て本気にする人がいたらどうするんでしょう。

トラウマの解消は物凄く忍耐心のいる、本当に気の長い作業なのです。これは覚えておいて欲しいですね。

Posted by elion 07:10:16Comments(0)TrackBack(0)

名前は大事 ? (蛇足)

2008-06-25

さらに続きです。

改名と言うと、CIを思い出します。

CIとはちょっと前に一世を風靡したもので、コーポレートアイデンティティのことです。

簡単に言えば、一般顧客からみて企業を識別できるような、その企業に特有のものを外部に公開することでその企業の存在を広く認知させるマーケティング手法のことです。

その一部に企業名の変更があります。

そのためにそれまで漢字ばかりで表記されていた企業名に代わって、カタカナやアルファベットで表記されるものが主流になりました(わかりやすい例をあげると石川島播磨工業がIHIになっています)。

これは非常に有効な手段で、たとえば就職志望者が一気に増える等の直接的効果がありました。

当然ながら、同じようなことは個人レベルでもできます。

芸名や源氏名、そして私のような占い師の占い名 (驚くかも知れませんが、エリオンは本名ではありません)がその例です。

インパクトをもった名前を使うことによってクライアントに覚えてもらうことを目的にしています。

多分、おなじような考え方で最近の親たちは子供に名前を付けるんでしょう。

ただ、奇を衒うというか、頑張りすぎることがあるんですね。

いちいち例は上げませんが、最近は驚くような漢字の読み方をするものや、外国風の発音のものが結構見られます。

親はその時の勢いで付けるのでしょうが、子供は一生その名前を背負っていかなければなりません。

名前は個性の一部だとの意見があります。私もその通りだと思いますが、問題は自分で選んだのではないことです。

18才でも20才でもいいですが、人生の節目の時に自分で改名できるようにできないでしょうか。もちろん、従来の名前が好きなら変えなくてもかまいません。

人には自分で選んだ名前を名乗る権利くらいあっても良いと思うのですが。

では。

Posted by elion 17:27:26Comments(0)TrackBack(0)

トラウマ・ゲーム(3)

2008-06-25

二人目のタレントは横断歩道の白い部分しか歩けないといったトラウマを持っていると告白しました。

子供の時に田んぼなどで遊んでいて落ちたことが原因で、今でも黒い部分を踏むと泥だらけになるような気がするとのことです。

これに対して、二人目の臨床心理カウンセラーは、本当は田んぼに落ちることが恐いのではなく、汚れた自分を見た母親に怒られるということが強迫観念になっている。

そして、それが今までの仕事の中で上手く行かなかったことに結び付き、人生における転落を恐れるようになっていると言いました。

要するに自分を守ろうとの潜在的な意識の表れだそうです。

やはりこの分析には何の根拠もないですね。人生における転落うんぬんに至ってはこじつけとしか思えません。

田んぼと横断歩道と人生での失敗。あまりにも安易な連想としか言うしかないですね。

Posted by elion 07:09:06Comments(0)TrackBack(0)

名前は大事 ? (続き)

2008-06-24

昨日の続きです。

普通、名前を付けるのは親です。

祖父母や場合によっては友人、知人が付けたなんてケースもあるでしょう。

いずれにしても、生まれたばかりで本人は自分の意見を言うことはできません。

だから名前が気に入れば良いですが、そうでない場合は悲惨ですね。

改名という制度はあっても、いろいろと規則があって、単に嫌いだという理由では許されません。

世の中には生まれた時からなれ親しんだものだからと、自分の名前に特別の思い入れを持つ人も結構いるようです。

そんな人は使用する漢字を間違われただけで怒ったりします。

しかし、昔は名前の漢字がかなりいい加減だったようです。

かなりの有名人でもいろいろな表記で書かれていることがあります。

名前を書くような機会があまりなかったことと、聞いたまま書くことが多かったこと、そして確認する方法がなかったからです。

たとえば、誰でも知っている坂本竜馬なんかでも「良馬」と書かれた文献が結構あります。

また、竜馬の知己でもあった西郷隆盛は本当は違う名前だったそうです。

実は西郷隆永と言います。

それが、明治のはじめに朝廷に上奏する際に、書類の作成を頼まれた友人が彼の父親の名前と混同してしまったんです。

当時は人を本名で呼ぶのが失礼とされ、みなが西郷吉之助という通称のほうで呼んでいて、本名が知られてなかったんですね。

それで、隆盛自身もその後特に訂正することもなく、そのままにしたために現在も隆盛の名前が残ってしまっているわけです。

私なんか変に名前にこだわる人よりもこうした鷹揚な人の方に好感を持ちますね。

もう少し続けます。

では。

Posted by elion 18:05:46Comments(0)TrackBack(0)

トラウマ・ゲーム(2)

2008-06-24

まあそれはいいとして、治療法として、「エンプティチェア」(空の椅子)なる方法が紹介されました。

1人二役で一つのものに対して違う観点から意見を言い合い、自分の中の価値観とあえて客観的に対話する方法です。

番組中では大きなウサギのぬいぐるみについて、相反する意見を言っていました。

椅子を二つ用意して、一つの椅子に座った時は賛成というか、長所を並べる。たとえば、可愛いし、心が和むとか。

そして、もう一つの椅子に座った時には批判的な意見を言うわけです。場所所を取って邪魔だとか、インテリアには合わないとか。

一人でやっているとなんだか危ない人みたいですが。

これによって周囲によって作られた自分の価値観とそれに相反する本来の自分を認識することができ、自分の枠が原因である閉所恐怖症も治るとのことでした。

本当に閉所恐怖症の治療に役立つかについては多いに疑問の余地はありますが、この「エンプティチェア」という方法には興味を惹かれました。

Posted by elion 01:52:35Comments(0)TrackBack(0)

名前は大事 ?

2008-06-23

私の好きな作家の中村うさぎさんが、あるタレントの名前をその著書の中で間違って表記したそうです。

「まりあ」を「まりや」と書いたわけです。

それで、このタレントは親からもらった名前を間違われたと大騒ぎしたんですね。

たしかに、本の中で人の名前を上げる時には確認するのが基本ですが、絶対に許せないというほどのミスとも思えません。

私から見ればそんなに騒ぐほどのこととも思えません。

もともと、このタレントは中村さんと仲違いをしていたので、多分、反撃のつもりだったんでしょう。

私なんか本名は簡単で似た名前が沢山あるもんですから、しょっちゅう間違われました。

面と向かって微妙に違う名前を呼ばれるんですね。

でもそんな時でもまず訂正しません。

話の流れで機会があればさりげなく本当の名前を言いますが、なければほっておきます。

相手に対して興味をもっていれば名前をきちんと覚えていないなんてことはないわけです。

だから、間違われた時はこの人は自分にそれほど興味はないんだと思うべきです。

そういえば、あるアイドルは人気が下がるに従って名前を間違われることが多くなったと言っていました。

そんなものでしょう。

私はもともと自分の名前 (本名)は嫌いなので、執着はほとんどありません。

名前は単なる記号だと思っています(反対する人が多いだろうなあ)。

気が向いたら明日もこのテーマを取り上げます。

では。

Posted by elion 17:41:26Comments(0)TrackBack(0)

トラウマ・ゲーム

2008-06-23

かなり前のことですが、テレビでトラウマ※をテーマにしたゲーム番組をやっていました。

タレント数人が二つのチ−ムに分かれて、相手側のメンバーが持っているトラウマが何かを当てるといったゲームです。

ゲーム自体はなんということはないんですが、最後にタレントが持っているトラウマを解消する方法を紹介していました。

たとえば、ある女性タレントは子供の頃にテレビで人がエレベーターに閉じ込められている映像を見て、閉所恐怖症になったと言っていました。

これに対して、ゲストの臨床心理カウンセラーは、本当はテレビの恐い映像が原因ではなく、周りから思われている自分のイメージと本来の自分との落差に悩んでいることが閉所恐怖症になって表れていると分析しました。

どうでしょうか。私にはちゃんとした根拠に欠けるあてずっぽうのように思えましたが。

※トラウマとは、本来はふだん体験しないような恐ろしい体験により、心に生じた深い傷による後遺障害のことをいいますが、通常はもっと軽い意味で使われているようです。日本語では精神的外傷と言います。

Posted by elion 03:45:17Comments(0)TrackBack(0)

環境保護団体と違法行為

2008-06-22

ニュースで紹介されたので、ご存じの方も多いと思いますが、環境NGOグリーンピース・ジャパンのメンバー2人が窃盗罪で逮捕されました。

調査捕鯨船「日新丸」の乗組員が自宅に送った鯨肉を無断で持ち出したとの疑いですね。

同団体はこれに対して「調査捕鯨船乗組員による鯨肉横領の証拠を確保するため持ち出したもので、グレーゾーンには踏み込んだが、犯罪にはあたらない。

窃盗罪の構成要件である不法領得の意思、つまり他人の物を自己の所有物として利用する意思はなかった」と主張しています。

なんでも、「政府や大企業の犯罪行為を防ぐ緊急性がある場合、結果として法を犯すこともあるのは世界のNGO活動のスタンダード」なのだそうです。

なるほどねえ。目的が手段を正当化すると言うことですか。

しかし、日本は法治国であって、国家機関以外の民間団体が捜査権を有することなどありえません。

また、いかなる人間、組織も目的はどうあれ法を犯すことは認められないでしょう。

たとえ司法が信用できないとしても、自らが審判を下す権利は誰にもないんです。

もし、みんながグリーンピースのようなことを言い出し、他人のものを勝手に持ち出すようになったら収拾がつかなくなります。

大体、警察でさえも証拠品を押収するには令状が要りますし、一定の手続きもあります。

基本的には違法に入手された物品ついては証拠としては採用されないはずなんです(この辺のことは日本はわりと緩く、アメリカは厳しいようですが)。

彼らにとっては違法行為は当たり前のことなのかも知れませんが、やはり日本の司法当局は厳しい姿勢で臨むべきでしょう。

グリーンピースは今までにも調査捕鯨船に対して人命に危険を及ぼすような妨害行為を何度もしています。

私は人命を無視して、環境保護や動物愛護などありえないと信じています。

余談ですが、今回の事件から思い出したのでついでに書いておきます。

自分の信念のために法を犯す犯罪者を確信犯と言います。最近、テレビ等でよく見られる使い方は間違っているわけです。

ただし、確信犯も犯罪者であることは間違いありません。

では。

Posted by elion 18:26:53Comments(0)TrackBack(0)

記憶の河を遡る(7)

2008-06-22

私の見る限りでは、霊能者や精神感応者といった人たちはほとんどの場合、人の精神の上っ面だけを撫でているようですが、この方法では人の精神の中に潜っていきます。

まずサイココンバータと呼ばれる装置を使用して、精神の波長を同調させてから精神の中に潜り、様々な抑圧された記憶を探り出すわけです。

そう云えば、サイコダイビングをすると云う占い師がいるようだが、彼もここからアイデアを得たのでしょう。

しかし、残念ながら今のところサイココンバータなる装置は存在しませんし(玩具に同名のものがあるが、機能は全然違う)、サイコダイビングも実行は不可能です。

今のところは記憶を遡ることができるだけです。

これでこのテーマを終わります。

Posted by elion 08:43:48Comments(0)TrackBack(0)

「愛のムチ」に騙されるな (続き)

2008-06-21

人は自分の体験がすべてであると考えがちですが、そんなことはないんですね。

本当に愛情をもって殴る先生が皆無とは言いません。

しかし、自分を抑えられず、怒りに任せて生徒を殴る先生もいることは間違いないでしょう。

先生が今も昔も聖人のような存在ではないことは、昨今のニュースでも自明の理です。

彼らも人間である、と言うか、場合によっては、一般人よりもはるかに常識がなかったりするわけです。

そして感情に流されて生徒の鼓膜を破ったり、骨折させたりする先生がいます。

そのときの言い訳はいつも同じで、しつけのため、愛のムチなんです。

そんな教師たちに「愛のムチ条令」なんて免罪符を与えらどうなるでしょう。

しかも暴力は連鎖します。

暴力を受けた人間は他人にも暴力を振うんですね。

別に教師になった人間に限りません。

自分の子供や奥さん、時には赤の他人まで殴ります。

結局、問題は愛のムチの判断基準はどこにあるかということです。

どうしても生徒に罰を与えたいのならば、たとえば社会奉仕をさせればいいでしょう。

道路清掃であるとか老人ホームでのお年寄りの世話等です。

その方がよほど効果があるのではないでしょうか。

その一方で最近、ある中学校で、男子生徒らを注意した保健体育科の女性教諭が、生徒の閉めたドアに挟まれて、指を切断する大けがを負ったとの事件がありました。

これに対して、市教委は「生徒に『けがをさせよう』という悪意はなかったため、口頭で注意した」としていますが、これは明らかに処分が軽すぎます。

これは体罰をどうこう言うまえの問題です。

今、必要なのは安易に暴力に走るのではなく、常に毅然として姿勢で生徒に対応することでしょう。

では。

Posted by elion 20:06:06Comments(0)TrackBack(0)

記憶の河を遡る(6)

2008-06-21

別に山に登る感じにしても一向に構いません。ただ、上に行く感じには違和感をもつ人も多いでしょう。

通常は海をイメージすればいいと思います。潜って行く感じにするわけですね。このほうがしっくり来るんじゃないかな。

記憶の海の底までダイブするのはわかり易いイメージだと思います。記憶は古いものの上に新しいものが積み重なっていく感じだからです。

実はこの方法はサイコダイビングからヒントを得ています。ただし、サイコダイビングは記憶だけではなく、精神構造全体に潜るわけですが。

これは作家の小松左京氏が最初に打ち出したアイデアで(「ゴルディアスの結び目」)、やはり作家の夢枕獏氏がその作品(サイコダイバーシリーズ)の中で発展させています。

このイメージは非常に面白いですね。

Posted by elion 07:55:32Comments(0)TrackBack(0)

「愛のムチ」に騙されるな

2008-06-20

東国原知事が「げんこつ条令」または「愛のムチ条令」と呼ばれる、教師のある程度の体罰を許可する条令を検討したいと述べていました。

またまた、出ました。体罰肯定論が。

こうした主張は口当たりがいいために賛成する人が多いようです。

特に中年世代や体育会系の人に支持されます。

そう言えば、昨日取り上げた橋下知事も同様の発言をしていました。

ですから私がここで反対だと言ったところでほとんどの場合、賛同してもらえないでしょう。

愛のムチをイメージで考えれば悪くないように思います。

なにしろ、愛なんですから反対する理由はありません。

実際街角でのアンケートでも7割くらいの人が賛成していました。

そして、その論拠はこうです。

「口で言ってもわからないから、殴るんだ。信頼関係があれば、生徒も理解してくれる」

しかし、口で言ってもわからないのに、拳でわかることがあるのでしょうか。

わかったように見えても実際には暴力で抑えつけただけでしょう。

生徒は反撃できないんですから。

また、信頼関係に基づく暴力などありません。

大体、信頼関係があれば殴る必要なんかないはずです。

また、よく自分の体験を語る人がいます。

自分も殴られたが、今ではその先生に感謝している等々。

しかし、それが本当だとしても、一般化できることではありません。

すべての先生に当てはまるわけではないんです。

反対のケースも多いでしょう。殴られて一生恨むこともあります。

私自身も中学生や高校生の時に、何度か殴られたことがありますが、全然感謝なんかしていません。

思い出したら腹が立つだけです。

長くなるので、続きは明日。

では。

Posted by elion 21:13:42Comments(0)TrackBack(0)

記憶の河を遡る(5) -退行催眠

2008-06-20

大体、退行催眠肯定論者が生まれ変わり研究の権威としてよく紹介するイアン・スティーヴンソン博士さえ、「前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている状況を何とか終息させたい」と言うほど、その実体はお粗末なものなんですね。

ただし、いまだに多くの人が「抑圧された記憶」という神話を信じており、記憶は簡単に書き換えが可能だということを知らない人も多いことも確かです。

私が紹介する記憶遡行法は勿論、退行催眠とは違うものですが、精神を集中することによって、忘れていた遠い記憶が甦ってくることがあります。

しかし、それが事実であるかどうかは神のみぞ知ることをお忘れなく。

私はもともと寝付きがいいほうなので、横になってから寝入るのにそんなに時間はかかりません。

しかし、ほんのときたま何かで頭が興奮してなかなか眠りの世界に落ちていけず、輾転反側することがあります。

そんな時には、一旦起きて寝酒を飲むか、気分によっては記憶を辿ってみるんですね。

その場合には横たわって意識を集中するわけですが、頭の中で河をイメージし、段々と遡るようにしています。

しかし、これには別に決まりがあるわけではないので、それぞれのやり方でいいと思います。

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子供みたいなタレント知事と自衛隊

2008-06-19

先日、大阪府庁での朝礼で、職員と橋下徹知事との間に激しいやりとりがあったそうです。

ある職員が「知事を人として尊敬できない」と発言したのに対して、知事は「私のやり方が気に入らないなら、職を変えてくれ」と言い返したんです。

しかし、気に入らないなら辞めろは、議論を完全に拒否していて、民主主義の否定と言えます。

知事ともあろうものが、売り言葉に買い言葉とはいえ、こんな子供のケンカみたいなことをしていてはどうしょうもないでしょう。

また、知事は自分が苦しい立場になると人前で泣きだしたり、どうも批判されるのが大嫌いな子供っぽい人間だとしか思えません。

それから何かといえば、「民間では考えられない」を繰り返します。

たしかに公務員は甘やかされているところがあるとは思いますが、何でも民間と同じようにしなければならない理由はないでしょう。

知事も民間企業の社長ではありません。

そうかと思ったら、今度は職員を自衛隊に体験入隊させると言い出しました。

もともと、この知事は体育会系の考え方が目立っていましたが、やっぱりこんな発想をするんですね。

実現できるかどうかわからないとしていますが、職員を強制的に入隊させるのはちょっと問題があるでしょう。

自衛隊に対する考え方には個人差が大きいですし、大体、軍隊式の規律を叩き込むなんてやり方は時代遅れです。

橋下知事は人から好かれたことがなかったと自ら述べていますが、そう自覚しているのなら知事なんかになるべきではなかったのでは。

ただ、なぜか府民の支持率は高いようですが。

とにかく、こんなに人徳がない人間が、テレビによる知名度のおかげで、知事になれるのは民主主義の悪しき一面だとしかで思えません。

では。

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記憶の河を遡る(4) -退行催眠

2008-06-19

記憶とは本来非常に不確実なもので、事実とは異なる情報が思い出されてしまうこと、つまり、記憶システムの中で記憶情報の変容が起こってしまうことがあります。

これは、本人には間違った記憶だという自覚がまったくなく、正しい記憶のつもりでいることから、思い出せない場合よりタチが悪いと言えるでしょう

また、退行催眠には術者の能力、術者による暗示、被験者が過去に見聞きした情報の混入、被験者が術者の潜在的な欲求に応じてストーリーを演じる可能性などの問題があるとも考えられています。

現在では、「抑圧された記憶」ではなく「偽りの記憶」という概念が世間にも知られるようになってきており 、退行催眠による呼び起こされた記憶だけでは裁判の証拠にはならないとされているようです(控訴審で判決が覆るといったケースも出てきています)。

余談ですが、宇宙人よる誘拐事件(アブダクション)の調査においても、退行催眠を利用して記憶が呼び出されることが多いのですが、これらのアブダクション情報は、熟練した催眠治療の専門家の間でも、その正確さに多くの疑問がもたれているんですね。

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死刑執行に要する時間 (宮崎勤死刑囚のケース)

2008-06-18

宮崎勤死刑囚の死刑が6月17日に執行されたそうです。

そしてこの死刑確定から2年4ヶ月という「スピード執行」は、先日の「秋葉原無差別殺傷事件」が何らか影響したのではないか、という推測されています。

たしかに、残虐な事件が起こり、国民が怒っているときに執行するほうが抵抗が少ないと言うことはあるでしょうね。

これに対して、「死刑廃止を推進する議員連盟」は、死刑制度の見直しを求める申し入れ書を法務大臣に提出しています。

議員連盟は「新たに3人の命が国家権力に消された。何か国民の幸せにつながっていくものが生まれたのか。実際に殺人事件は減少しておらず、死刑執行には抑止力がないのは明白。

そして、執行数が増えているのは、国際社会では異常。国連で人権を主張する資格はない」と主張しています。 

しかし、死刑は抑止力だけが目的ではありません。

また、国際世論がどうであろうと日本がそれに従わなければならないという理由もありません。

どんな意見であろうと、自らの立場を明確にし、堂々と主張することが必要なだけです。
 
死刑反対論者の人々は、先日の秋葉原無差別殺人についてどう考えているのでしょう。

あの犯人にも人権があり、死刑にすべきではないと、被害者の遺族の前で言えるのでしょうか。

光市の母子殺人事件の犯人についても同じことです。

彼らにも人権はあるでしょう。

しかし、彼らが矯正不能であり、社会に対する影響を考えると、その命をもって罪を償うことは決して人権を無視していることにはならないと思います。

大体、スピード執行なんて言っていますが、宮崎勤死刑囚の場合では、事件が発生してからすでに20年近く経っています。

しかも、今でも犯行動機は未解明で、精神鑑定も継続中という状況の中だったとのことです。

これはいくらなんでも遅すぎるでしょう。この上、どれだけ待てばいいというのでしょうか。

時間が経つと犯罪への感情も風化するようです。そして、犯罪者の人権尊重というみせかけの人道主義に流れていきます。

死刑廃止うんぬんよりも、まず裁判の迅速化を図るべきでしょう。

そして、死刑が確定してからは一定の期間のうちにすべて執行するようにすべきだと思います。

では。

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記憶の河を遡る(3) -退行催眠

2008-06-18

昨日触れた退行催眠について少し書いてみます。

この言葉は日本でも最近よく耳にするようになったとは思いますが、あまり詳しくない方のために簡単に説明すると、催眠術によって、過去の抑圧された記憶を掘り起こそうというものです。

これを利用して、なんらかの精神的障害の原因を取り除く療法もあります。

また、退行催眠によって生まれる前、つまり前世の記憶まで思い出すことができるとも云われています。

退行催眠は、ご想像の通り、アメリカで生まれたのですが、ある女性が子供の頃に父親が殺人を犯したことを思い出した事件(1990年)をきっかけに、一躍注目を浴びました。

そして、多くの女性が幼い頃の性的虐待の事実を思い出し、父親に対して裁判を起こすといった現象も見られています。

しかし、その後こうした退行催眠によって呼び覚まされた記憶の信憑性について疑問視する声が高くなってきています。

確かに、これらの記憶は細部にわたって鮮明であるために一見真実であるように思えますが、実際には、それが事実であるとの証明がほとんどの場合できません。

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正しい敬語の使い方の疑問

2008-06-17

最近、テレビのクイズ番組等で敬語の問題が取り上げられることが多いようです。

ただ、私は敬語については詳しいとはとても言えないのですが、それでも時々首を傾げるような問題と正解が出されることがあります。

以下にいくつか上げてみますので、興味のある方は考えてみてください。

まず、「すみませんが、おたく様のお名前は?」(電話で)は正しいでしょうか。

これは相手が不快に思う可能性があるので間違い。正しい尋ね方は、「失礼ですが、どちら様でいらっしゃいますか?」になるとのことです。

まあ、それでいいんでしょうが、私だったら「どちら様」は嫌いなので、「申し訳ありませんが、お名前をおうかがいできますか」と言いたいですね。

次に、「申し訳ございません、木村は本日退社しました」はどうでしょう。

この正しい答えは「申し訳ございません。山下は本日失礼しました」で、「退社」というと「会社を退職した」と相手に勘違いされる場合があるからだそうです。

そうかなあ。「本日は退社いたしました」で会社を辞めたと思う人が本当にいるでしょうか。

では「椅子におすわりください」は。

これも「おすわりください」だと動物に言っているように感じるから間違いで、正解は「お掛けください」だとのことです。

それはおかしいでしょう。本当にそんなことを感じますかねえ。

それに、「お掛けください」だと椅子に限定されます。

「座布団の上にお掛けください」なんて言いませんからね。

大体、この正解なるものは誰が決めているんでしょう。

「退社」や「おすわり」なんて感覚的なもので、人の感じ方はそれぞれ違いますから、根拠があやふやのような気がします。

少なくとも敬語のルールとしては決定しているとは言えないのでは。

それでなくともややこしい敬語をこれ以上複雑にするのは止めた方がいいでしょう。

では。

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記憶の河を遡る(2)

2008-06-17

そして段々難しくなってきますから、ちょっと説明しにくいのですが、その時は出てきた人間とか風景を足がかりに更に過去に戻るようにします。

コツを覚えるとかなり昔までたどり着くことができます。

そう云えば、三島由紀夫は生まれた瞬間の記憶があると言っていましたが、私はさすがにそこまで遡ることはできませんでした。

いつもあるところで止まってしまい、それ以上戻れません。なんだか胸が苦しくなって続けられなくなってしまうんですね。

まるで禁断の領域でストッパーが掛かっているかのようです。何か隠さなければならない忌まわしい記憶でもあるのかも知れません。

冗談はともかくとして、これで思いがけない発見をすることもあります。まあ、興味のある方は一度やってみてください。

ただ、変な記憶にはまり込むと抜け出すのが大変だったり、眠れなくなるので注意したほうがいいでしょう。

とろでこの話を読むと最近一部で流行っている退行催眠と似ていると思う人がいるかも知れませんが、この点については明日詳しく書くことにします。

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会社VSモンスターペアレント

2008-06-16

ネットニュースによれば、最近はモンスターペアレントが子供の会社にまで口を出すようになっているとのことです。

まあ、当然でしょう。学校にクレームをつける親が、子供が大きくなれば、職場に目をつけないわけがありません。

たとえば上司に叱られて、泣いて帰ってきた息子を見て、会社に怒鳴り込んだ親がいるそうです。

そのために、先生たちと同様、企業の人事部も対応に手を焼いているんですね。

ただ、仕事に対する不満については、企業側に責任がないとも言えません。
 
きつすぎるノルマを押しつけたり、サービス残業が当たり前だったりする会社が結構あります。

また、事業縮小や移転に伴う転勤以外はないなどと言っておきながら3年おきに転勤させたりとか。

最近は仕事のために鬱病になる新入社員も多いそうですから、自衛するのはある意味では当たり前のことです。

本人が言えなければ、親が言うのも仕方ありせまん。会社に使い潰されないために。

結局、どっちもどっちということです。

しかし、これでは子供は一生一人立ちできないでしょうね(特に男の子の場合)。

そして、今度は恋愛や結婚の時にも、親に泣きつくんでしょうか。

「ママー、あの娘がうんと言ってくれない。なんとかして」とかなんとか。

そして、結婚した後もケンカをするたびに親に告げ口。

昔は子供のケンカに親が出ることは恥ずかしいことだとされていましたが、そのうち子供の夫婦喧嘩に親が出るようになるかも知れません。

では。

追記 この文章を書いていて「爆笑レッドカーペット」でよく見るコントグループ「ななめ45° (ななめよんじゅうごど)」のマザコンコントを思い出しました。

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記憶の河を遡る

2008-06-16

ちょっと前にテレビで思い出すことは脳に良いと言っていました。

最近のことや昔のことを交互に思い出すのが一番いいのだそうです。

しかし、私は最近のことはともかく、昔のことを思い出そうとすると、ろくでもない記憶しか浮かんできません。

幸せだった記憶なんかまるっきりなくて、人に苛められたり、苦しかったり、恥ずかしかったりする思い出ばかりです。

これでは脳には良いのかも知れませんが、精神には良くないのではないかと思うくらいです。

そのためか私は過去の記憶に浸り、懐かしむような習慣はありません。

ただ、最近はあまりやりませんが、一時はどれだけ昔の記憶にまで遡れるかといったことに凝っていたことがあります。

ベッドで眠りに落ちる前とか、ソファで横になっているとか精神を集中できる状態の時に、できるだけ過去に遡って記憶を呼び起こしてみるんですね。

この時、最初からあまり一度に遠い昔のことを思い出そうとしないほうがいいようです。

つまり段階を踏んで徐々に過去を遡るようにするわけです。

たとえば10年前くらいから始めて、20年前、大学、中学、小学校といった具合に。

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素人の無神経な写真撮影

2008-06-15

先日の秋葉原通り魔事件の際に、沢山の野次馬たちが被害者を携帯電話で写真を撮ったそうです。

これに対して、特に週刊誌が「不謹慎」だとして、批判しています。

確かに、あのような凄惨な事件の際に、被害者や救助に当たる人たちを興味本位で勝手に撮影するのは大変失礼なことでしょう。

しかし、週刊誌を初めとするマスコミにそうした行為を責める資格があるのでしょうか。

新聞やテレビ、週刊誌の記者、いわゆるジャーナリストたちは、重大な事件が発生するたびに当事者やその周辺の人たちに傍若無人な取材攻勢をかけます。

関係者の家を朝から晩まで見張り、チャイムを何度も鳴らし、出てくる姿を撮影したり、近所の家中を聞き回り、インタビューを取ろうとします。

そのために周辺の道路はタバコの吸殻やさまざまなゴミが山のように捨てられていて驚くほど汚くなるそうです。

また、関係ない隣の家にも侵入するために庭が荒らされてめちゃくちゃになると聞いたことがあります。

さらには、中継車や彼らが乗ってきた自動車のために、付近を通行できなくなり、そのために警察関係車や消防車、救急車までが現場にたどり着けないことさえあるとのことです。

もちろん、ジャーナリストたちはこんなことをいくら指摘されても認めませんが。

そう言えば、ゴルフトーナメントの時に禁止されているヘリコプターを飛ばして撮影し、競技を邪魔したテレビ局もありました(これは証拠がありましたから、テレビ局は謝罪しましたが)。

それに、こうした一般市民にによる撮影を批判するのならば、なぜマスコミは素人が撮影したスクープ写真を喜んで買い取るのでしょう。

明らかに矛盾しているのではないでしょうか。

マスコミは事件時の素人の写真撮影を批判するのならば、まず自らが姿勢を正すべきでしょう。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(7)

2008-06-15

卑劣な殺人者が五体満足のまま、のうのうと生き延び、その一方で罪なき子供が無意味に殺されたり、才能ある人間が難病に苦しんだあげく、若くして無念の死を遂げます。

こうして見ると不公平なようですが、どのような人生を生きようが、そんなことには一切頓着しなからこそ、死は公平なんです。

言ってみればあらゆる死が不条理と言えるでしょう。

しかし、そうした不条理な死を受け入れられない人間はしばしば生まれ変わりや、前世、来世といった考え方にしがみ付きます。

無意味な死に意味を与えるために。

もともと物事に意味付けしようとするのは、人間の普遍的な傾向からくる生きるための本能みたいなものです。

偶然の結果でしかない自分の生にも意味を見出そうとするんです。

神が人間を創造したと信じる者は、そこに神の意志の必然を見出し、無神論者だとか実存主義者も、自分が生きるということの中に、主体性または何がしかの必然性があると考えます。

そういう根拠を喪失してしまえば、そして自らが偶然的な存在に過ぎないと思い知れば、人は虚無に耐えられず、自我は崩壊し、生きていけなくなります。

要するに、生に意味を見出すことによって、死を受け入れようとするのですね。

では。

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悪妻−鬼嫁の系列 (続き)

2008-06-14

昨日の続きです。

ちょっと気になったので、三大悪妻をフランス語でどう言うか調べてみました。

しかし、どうもフランスではそんなことは言わないみたいなんです。

英語でも調べましたがありません。私の調べ方が悪いのかも知れませんが。

ただ、何でも3で括りたがるのは日本人の特性のようです。

たとえば三大珍味や三大美女もフランス語や英語には見当たりません。

まあ、楊貴妃、クレオパトラ、小野小町の三大美女に関しては、日本だけで言っているであろうことは想像がつきます。

小野小町なんて世界的な知名度はゼロですからね。楊貴妃もちょっと無理かな。

クレオパトラはいいとして、多分、歴史的な絶世の美人というとトロイのヘレン辺りが上げられると思います。

3人目はすぐには思いつきませんが。

それはいいとして、ちょっと横道にそれすぎましたので、悪妻の話に戻ります。

この悪妻、今だと鬼嫁の基準とは、権力欲が強い、嫉妬深い、自己主張が強い、夫に従順ではない、だとされています。

しかし、これはどう見ても男性の視線ですね。

これが男性であれば同じことでもそれほどの欠点とは言われないでしょう。

要するに女性はおとなしく家にいて、男の言うことを聞いていれば良いといった古い考えかたです。

特に夫に従順でないと悪妻または鬼嫁だなんて男性の勝手な言い分でしかありません。

男性が奥さんに従順でなくても責められないと言うか、従順であるほうが周りから馬鹿にされると思います。

ただ、悪夫(こんな言葉はありませんが)の場合は大抵の場合、シャレにならず、悲惨さしか感じられないのに対して、悪妻や鬼嫁は特殊な例外を除いては、家庭崩壊にまでは行きませんし、おうおうにしてそこはかとないユーモアが感じられます。

今後、本当に女性が強くなれば悪妻や鬼嫁なんて言葉自体が亡くなるでしょう。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(6)

2008-06-14

ある事象と偶然に出会った時、心の中でもそれが同時生起していたからこそ、人はシンクロシニティ現象に驚き、印象深く感じます。

ほとんどの場合、物理的出来事と心的出来事が照応しているために意味があるように思うのです。

つまり、偶然の一致の連続に意味を感じる人間が作り出した幻がシンクロシニティだと言えるでしょう。

ではなぜ人は様々な事象に意味を与えようとするのでしょうか。

有名無名、貧富、才能のあるなしを問わず、人は自分はこの世界の主人公であり、決定的に悪いことは起こらないと思っています。

怪我や病気、突然の死は自分ではない他人に起こることなんです。

だから死病に冒された人間はなぜ自分がと思います。

これは豊富な経験を積み、人から尊敬されるような人間でも同じです。

そんな例は嫌と言うほど見たことがあるでしょう。

自分のしてきたことや、才能、将来などから、自分の人生には意味があると信じる人も多いと思います。

かりにそうしたものが何も無くても、人は「なぜ私がこんなに早く死ななければならないのだ」(実際に何歳であるかは関係がありません)と考えます。

しかし、どんなに自分は主人公として生きてきたと思っても、実際には単なるワンノブゼムなのです。

少なくとも死の前では誰も特別の存在ではありえません。

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悪妻−鬼嫁の系列

2008-06-13

昨日書いたマンデラの奥さんはいわゆる悪妻ということになるでしょう。

そう言えば、昔から世間から偉人だと言われている男性の奥さんが大変な悪妻だったという例は結構あるようです。

フリー百科事典「ウィキペディア」によると世界三大悪妻は、

クサンティッペ(哲学者ソクラテスの妻)

コンスタンツェ・モーツァルト(作曲家モーツァルトの妻)

ソフィア・トルストイ(作家トルストイの妻)となっています。

以下にそれぞれのエピソードを簡単に紹介します。

クサンティッペは夫ソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせたことがあります。

また、ソクラテスは「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」と言ったとされています(こんなことを言うから奥さんは怒るんでしょうが)。

コンスタンツェ・モーツァルトは大変な浪費家でした。

そして、モーツァルトが死んだ時に別荘で遊んでいたり、彼の葬儀もきちんと行っていないとされています(今でもモーツァルトの墓はどこにあるかわかりません)。

ソフィア・トルストイについては、トルストイが82才の時に家出したのは夫人との確執が原因とされています(子供は12人も作っているんですが)。

トルストイは小さな駅で亡くなっています。

いわばのたれ死にですが、その時に、「あの女だけは連れてこないでくれ」と言ったそうです。

ただ、一言断っておきますと、これらはすべて偉人の生涯に関する話を面白くするための後世の創作である可能性があります。

長くなりますので、続きは明日。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて) (5)

2008-06-13

こうした話に飛びつく人は多いでしょう。

インターネットを見ても、シンクロシニティに宗教的意味や超心理学的意味を与え、願望実現力に繋がるなどと主張しているサイトさえあります。

しかし、昨日も書いたとおり、共時的に交差する複数の因果的系列それぞれの間に、自然科学で採用されるような因果関係はありません。

ここでもう一度、因果と偶然、そしてシンクロシニティを整理してみます。

因果とはAという原因からBという結果が起きることです。

ところが結果のところ、つまり因果が不確定だったり、多様だったりするものがあります。それが偶然です。

Bと云う結果に繋がるA系統の因果と、イと云う結果に繋がるア系統という因果があるとすると、それぞれの系統は因果律で説明できます。

しかし、A系統の因果とア系統の因果が交錯する偶然は因果律では説明できません。

それでもA系統とア系統の因果を結ぶ軸があると考え、その偶然に意味があると感じるのは人の心です。

世の中にはありとあらゆる偶然、必然の事象が同時生起していますが、ある特定の事象を奇妙だと思うのは、そう感じる人間という主体が存在するからです。

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教育で人は変えられるか。マンデラのケース

2008-06-12

現在、「マンデラの名もなき看守」という映画が公開されています。

上映館が非常に少ないですし、地味ですから、あまり知られていないかな。

有名な南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者、ネルソン・ロリハラハラ・マンデラの話です。

マンデラは反アパルトヘイト運動※により反逆罪として逮捕され、刑務所で27年間を過ごしています。

※アパルトヘイトとは簡単に言えば一種の人種差別政策ですが、説明するのは大変なので、興味のある方は自分で調べてください。

そして、この映画は獄中のマンデラが差別意識に凝り固まった看守をそのたたずまいによって、感化する話です。

ただ、私は映画を見ていませんし、その内容が今日のテーマでもないので、これ以上触れません。

とにかくマンデラは万人の尊敬を集めるような大変偉大な人物だということをご理解ください(ノーベル平和賞も受賞しています)。

ところが、獄中のマンデラを支えたのが奥さんのウィニーのはずなんですが、2人はマンデラ釈放から1年半後に離婚しているんですね(映画ではどんな風に扱われているのかなあ)。

ちょっと意外でしょう。

実は、ウィニー・マンデラはANC (アフリカ人民族会議)女性連盟の議長を務めていたんですが、その時に”マンデラフットボールクラブ”のメンバーの殺人に関わったのではないかとの噂がありました。

また、議員として給料を受けていながら議会に出席しないとか、個人的に受けた献金を公表しなかったとか、あらゆる方面から疑惑、非難を浴びていたんです。

まあ、ここまでは噂というか、立証されていませんからいいとしても(よくもないでしょうが)、詐欺、窃盗罪では有罪となり、懲役5年の判決を受けています(現在は保釈中)。

つまり、マンデラのような大人物でも、看守は変えられても、奥さんを教育することはできなかったと言うことです。

だとすれば、青少年による凶悪犯罪の際に、その両親をきちんとした教育ができなかったと責めることがよくありますが、普通の人でしかない彼らのそんなことができるはずがないでしょう。

結局、本人の生まれ持っての資質を教育で変えることなどほぼ不可能なのではないでしょうか。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(4)

2008-06-12

要するにシンクロシニテイは、一定の継続的時間のうちに起こる何となく気になる偶然の積み重ねです。

一つひとつの出来事の間には因果関係はないのに、なんらかの関係があるように感じるような偶然の。

そのために、シンクロシニテイは意味のある偶然と表現されることもあります。

偶然とはもともと意味がないものですから、意味のある偶然とは表現上の矛盾なのですが。

しかし、本当はシンクロシニテイ現象には何の意味もありません。

人間が持っているあらゆる事象に意味を見つけようとする一種の本能が生み出す幻想なのです。

人は常に、あらゆるものに意味を見出さないと生きていけないようです。

生物学者パウル・カメラーの日誌にはこんな話が書かれています。

ある人がコンサートに行くと、座席番号が九番でクローク札も九番でした。

次の日、別のコンサートで、彼は二十一番の席に座り、クロークの札は二十一番でした。

この程度の偶然の一致の経験は、誰にでもあるでしょう。

しかし、それをどう取るかは人によって違います。ある人は単なる偶然だと言い、別の人は何らかの啓示と感じます。

また、タイタニック号や2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を予言したとされる小説も一種のシンクロシニティとして話題になりました。

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人生は後悔の連続

2008-06-11

昨日の続きです。

今日の文章は月曜日にやっていた「人生が変わる1分間の深いい話」で聞いた話をベースにしていることを断っておきます。

昨日も書いたように人生は後悔の連続です。

あの時こうすればよかったとか、こうしなければよかった等々。

別に死ぬ前でなくともこういった考えに捕らわれる人は多いでしょう。

しかし、言ってみればそれが人生なので、初めから最後まですべてが上手く行くことなんかあるはずがありません。

あの時こうしておけば良かったと何度も繰り返して考えるのは時間の無駄です。

ましてや人にそんなことを言って、同意というか同情を求めるのは甘えでしかないでしょう。

私は冷たい人間なのでそんな時には相槌を打ってあげません。無視します。

くだらない繰り言に付き合うほどの度量は持ち合わせていませんから。

また、今度生まれる時はサッカー選手やプロゴルファーになるなどと言う人がいますね。

大変厚かましい考えでしょう。

仮に生まれ変わることがあっても自分の思うような人生を歩めるはずがありません。

それに今までの人生を後悔し、別の道を選択したらよかったと考えても、実際に別の道を選んでいたらまた別の後悔があったでしょう。

どんな人生にも後悔はつきものです。

人生は取り返しがききません。

それでいいんですね。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(3)

2008-06-11

ユング自身にもこんなエピソードがあります。

彼はある日の昼食時に、誰かが「四月の魚(フランス語でエイプリルフールのこと)」の習慣について喋るの耳にします。

午後に、彼の患者が、自分が描いた印象的な魚の絵を見せました。

そして、晩には、別の人物から魚の模様が刺繍されたテーブルクロスを見せてもらうことになります。

その夜、彼はたまたま書いていた文章の中で「人間は全体として塵から生まれた中途半端な魚である」との一節を記しました。

また、翌日になって、何年も会ってなかった患者が訪れ、海に巨大な魚が現れ、自分に迫ってきたという夢の話をしました。

ユングはこの時期、歴史上の魚の象徴に関する研究をしていたが、そのことを知っていた人物はこのエピソードに登場した人物の中で、たったひとりでした。

誰でも似たような経験をしたことがあると思います。

あることに意識がいった場合に、それに関連する様々な出来事が集中して起きるように感じるのも同じことです。

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人生でやり残したこと

2008-06-10

「最高の人生の見つけ方」という映画があります。テレビで結構宣伝していましたから、ご存じの方を多いでしょう。ひょっとしたら今でも上映しているかな。

ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの二人のオスカー俳優が共演していることで話題になりました。

二人とも高齢ですから、当然ながら老人の話ではありますが。

以下にストーリーを簡単に説明します。

自動車整備工のカーターと大金持ちのエドワードが入院先の病院で相部屋になります。

2人には何の共通点もなかったのですが、共に余命半年の末期ガンであることから仲良くなり、カーターが死ぬ前にやっておきたいことをメモした“棺おけリスト”を実行することにします。

そのやりたかったことというのは、タージマハル、ピラミッド、ヒマラヤを巡ることや、レーシングカーでの対決、スカイダイビング等々です。

そしてその旅を通じて二人はかけがえのない友情を築き、それぞれが心から求めていたものを見出し、一番大切なことを再確認するわけです。

実は私はこの映画を見ていないので、批評をする気はまったくありません。

ただ、死期が迫ったからといって、最後にやりたいことをやるというのが、何か違和感があるんですね。

誰でも人生に悔いがあります。やり残したことも沢山あるでしょう。

しかし、だからと言って、死ぬ前にあわてて人生の帳尻を合わせようとするのは見苦しいですね。未練がましいと言うか。

大体、そんな贅沢が許されるのはごく一部の人でしょうし(お金の問題ですね)、普通は死期を知ることもできません。

そう言えば、役所広司さんが主演した「象の背中」も同じような内容でした。

この映画は、ガンで余命少ない主人公が残された時間を精一杯生きようと考え、初恋の相手や、ケンカ別れしてしまった昔の親友、絶縁していた実兄など、悔いを残す人たちと再会していく話です。

私はこれも見てませんが、この主人公も甘えていると言うか、都合のいい考えを持った自己中心的な人ですね。

自分の死期が近いからといって、今までのさまざまなしがらみが帳消しにできると思っているんでしょうか。

主人公は懐かしいかも知れませんが、向こうはどう思うかわかりません。かえって迷惑がられる可能性もあります。

私だったらケンカ別れしたり、絶縁していた親類とまた会おうなんて思いません。

また、やり残したことをすべてやってしまおうなんてことも思いません。

特別のことをせず、そのまま普通の生活を続けていきたいですね。

そして余り人に知られずに淡々と死んでいきたいと思っています。

今のところはまあまあ元気なので先のことでしょうが(希望的観測)。

では。

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スピード社の水着、器具の公平性

2008-06-10

この間、取り上げたSuperflyのアルバムがオリコンのウィークリーランキングで1位になっています。

自分が好きなアーティストの作品が認められるとやはり嬉しいですね。

ただ、ここまで流行るとは思っていなかったので、やや意外の感もありますが。

ところで話は変わって、今日本の水泳界はスピード社の競技用水着で大揺れです。

昨日の競技界では17の日本新記録(世界新記録1を含む)のうち、16が同社の水着を着て達成されたものですから、その効果に文句のつけようがありません。

ただ、日本水泳連盟や選手たちはスポンサー企業との契約のために、対応に苦慮しているんですね。

記録やメダルのためには北京オリンピックでスピード社の水着を着たいのは当たり前ですが、メーカー側もぎりぎりまで開発を続けると発表していますから。

しかし、私に言わせれば、要するに日本の水着メーカーは怠慢だったわけで、今ごろ自分たちも同じくらいの性能のものを作れると言うくらいなら、もっと早くから着手しておけばよかったんです。

しかも、スピード社の水着以上の素材を作れると表明した大阪の山本工業には大手メーカーや選手から何の連絡もなかったようです。

閉鎖的と言うか、メンツに捕らわれている言うか、そんなことで本当にまともなものを期限までに開発できるのか大いに疑問です。

それから、テレビなんかで時々聞くんですが、水泳競技が水着によってそんなに大きく影響されてもいいのかとの意見があります。

一見、もっともらしいですが、しかし、現在のスポーツは水泳に限らず、プロもアマも器具の善し悪しに左右されないものはないでしょう。

マラソンシューズや短距離陸上のスパイク、野球のバット等々、すべて特別に開発されたものです。

ゴルフはする人は良く考えてみてください。みんなよく飛ぶクラブやボールを使いたいと思っているんじゃないですか。

いずれにしても、こうした道具による不公平性をなくすためには、古代オリンピックでそうだったように、選手は全裸で競技を行うしかないでしょう。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(2)

2008-06-09

ギリシアの詩人、アイスキュロスは天から降ってきた亀の甲羅が頭に当たって死んだと言われています。

一羽の鷲が亀を捕まえたものの、硬い甲羅に困って、岩で砕こうとして落としたものが当たったんですね。

彼は数々の戦争に出陣し、また、秘儀をもらしたとして死刑の宣告を受けたりしています。

そして、そんなふうに何度も死線を潜り抜けてきたのに、最後は普通では落ちてくるはずのない亀の甲羅に当たるといった馬鹿げた偶然によって死んでしまうわけです。

世の中は意味のない死で満ち溢れています(どのような死に意味があるかの議論はこの際別にして)。

死に限らず、人はしばしば自分に訪れた不条理な事態を前にして、疑問にとらわれることがあります。なぜ、自分なのだろうと。

「シンクロシニティ」という言葉をご存知でしょうか。知っている人は知っているし、知らない人は知りません(当たり前ですが)。

これは心理学者、ユングの造語で、「共時性」と訳されていますが、何のことかわからないと思います。パラサイコロジーが好きな人にはなじみがあるかも知れませんが。

例を上げてみましょう。

有名なところでは「図書館の天使」の話があります。

レベッカ・ウェストという作家が、ある時、ニュールンベルク裁判の死刑囚のひとりに関するエピソードを調べていましたが、必要な本がなかなか見つかりません。

彼女は困って、図書館を一時間もうろうろした挙句、図書館員に「ちょっと教えていただきたいんですが......」と言いながら、何気なく手近の本を一冊引き抜いて開いたら、それが彼女が探している本だったんです。

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少年犯罪者の氏名公表、刑法の基本的理念

2008-06-09

まだ続いています。

ちょっと前の「太田光の私が総理大臣になったら・・・」で少年でも凶悪犯罪を犯した者の氏名は公表すべきだの意見が述べられていました。

これによって少年犯罪の増加および凶悪化に歯止めをかけたいというわけです。

当然ながらこれも少年に対する刑罰が軽すぎるとの考え方に基づいています。

しかし、すでに書いた通り、少年犯罪は増加しておらず、凶悪化もしていません。

ついでに言うと、現在では、自分たちの勝手な正義感に基づくと主張する一部の雑誌や(本当は販売部数の増加が目的であることは明らかですが)、ネット上で少年犯罪者の氏名が暴露されることが日常茶飯事になっています(つまり、上記の措置はあまり意味がないんですね)。

また、最近は被害者感情に焦点が当てられ、厳罰を求める声が高くなっているようです。

たしかに、被害者自身や被害者の遺族の悲しみや怒りは察して余りあります。

そして、不条理な犯罪で肉親を失った人は悲しみを紛らわせるために、憎しみの対象を見つけようとします。

そのため、場合によっては犯行が立証されず、きわめて疑わしい場合でも、根拠なくその容疑者の有罪を主張することさえあります。

しかし、憎しみ、恨みそして復讐の連鎖は何も生みません。

未成年者の氏名公表や刑罰の厳格化は結局、目には目を、歯には歯を(有名なハンムラビ法典のこの言葉は本当は際限のない復讐を制止するためのものですが)や、刑罰は見せしめのためにあるとの考え方から一歩も出ていないんですね。

歴史が示している通り、この方法では決して犯罪率を減少させることはできないでしょう。

現代刑法の基本的理念は犯罪者の救済にあります。

犯罪は「個人の責任」として排除するのではなく、「社会から生まれた病気」であると考え、治療するのです。

私たちがまず目指すべきは少年を含めた犯罪者への刑罰の厳格化ではなく、より良い更正システムの整備ではないでしょうか。

きわめて舌足らずな文章だったと思いますが、このテーマはこれで一応終わりにしたいと思います。

ただ、あまりにも重い問題であるため、また、機会があれば再び取り上げるかも知れません。

では。

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不条理な死、そして偶然(シンクロシニティについて)(1)

2008-06-08

かなり前のことですがが、テレビドラマ「CSI:科学捜査班」で、自分の娘が事故死したのに、それが受け入れられず、誰かに殺されたのだと飽くまで主張する親の話がありました。

この娘は道端に置かれた大型のゴミ収集箱からゴミ籠を拾い上げようとした時に、たまたま横を通った車がスリップし、ゴミ箱に衝突したために押しつぶされて死んでしまったんですね。

確かに非常に「下らない」(こんな表現が許されるとしてですが)死に方かも知れません。

多分、彼女の親は、たとえ殺されたのであっても、恨まれたのであっても、まだその死には意味があると考えたのでしょう。

単に運が悪かっただけの死では自分たちの気持のやり場がないんです。殺されたのであれば、殺した相手を憎み、怒りをぶつけることもできます。

勿論、これはドラマの中での話ですが、よくわかりますし、似たような状況を実際に見たこともあります。

しかし、不条理な死は人を選びません。金持ちであろうと貧乏であろうと、地位が高かろうと低かろうと、その人が何を成し遂げたかなど、考えてはくれません。

その意味ではまさに平等なのです。

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再犯者厳罰化の是非

2008-06-07

昨日までの文章にさらに続いています。

先日、世間を騒がせた拳銃立てこもり事件はまだ記憶に新しいでしょう。

犯人は14年の懲役刑に服した再犯者でした。

また、妻を鈍器で殴り殺したとして逮捕されたある男性は、以前、DVで執行猶予付きの懲役刑を言い渡されていたことが判明しています。

こうした元犯罪者による凶行が「頻発」することから、世間では再犯者に対する刑罰をもっと厳しくすべきではないかとの声が高くなっています。

たとえば、再犯で刑期を2倍にできる「再犯加重」制度、つまり窃盗の再犯なら、刑期が2倍の20年以下になる制度をもっと活用すべきとの意見があります。

たしかに、法務省の2007年度版「犯罪白書」によれば、戦後の有罪確定者のうち再犯が約3割も占め、犯罪件数ではなんと約6割にも達しています。

しかし、再犯者への刑罰の厳格化では再犯率を下げるのは非常に難しいでしょう。

社会に元犯罪者の服役後の受け皿ができていないからです。

犯罪白書によると、2006年は窃盗再犯者の8割以上は無職でした。

また、犯罪の再犯率は、有職者が1割未満なのに対し、無職者が約4割にも上っています。

つまり、刑法犯の件数と失業率は明らかにリンクしているんです。

ところが、前科があっても雇用する「協力雇用主」は、2008年で6500社余りで、うち実際に雇用実績があるのは約300社と1割にも達していません。

これでは社会復帰はまず不可能ですね。

どんな人間でも仕事をせず、収入なしでは生きていくことはできません。

仕事につけず、家族にも面倒を見てもらえないとすれば、再び犯罪に手を染める以外に方法があるでしょうか。

たとえ再犯に厳罰が下されるようになっても、抑止効果は期待できないということです。

こうした状況の中で再犯率が高いと嘆くのはまったく矛盾としか思えません。

もう、少し書くことがありますので、まだ続きます。

では。

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霊感と科学 (5)

2008-06-07

昨日の続きです。

私は何でもミステリアスな現象として片付ようとする安易な姿勢には賛成できません。

可能な限り論理で説明し、その後に残されたものを見つめたいと思っています。

それこそが本当の神秘なのですから。

ついでに言っておくますと、神秘な事象を科学で解明するとロマンがなくなると云った意見も良く聞きます。

しかし、私はオカルトと科学は相反するものではないと思っています。

この辺のことは前から書こうと思っているのですが、なかなか考えがまとまりません。

では。

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マスコミや世間の過剰反応

2008-06-06

昨日にゆるく続いています。

昨年7月に交通事故死した児童らの生前の写真を自らのホームページに無断転載したとして児童買春・ポルノ禁止法違反で有罪判決を受けた元小学校教諭が再び逮捕されたそうです。

ある小学校の運動会に無断で侵入し、児童の写真を撮ったんですね。それで建造物侵入の罪になると。

しかし、いつから子供の写真を撮ることが罪になったんでしょう。

それに学校の運動会を部外者が見学するのはそれほど悪いことなのでしょうか。

普通の人が同じことをしても犯罪にはならないと思います。

明らかに抑止効果を狙った逮捕ですね。要するに見せしめです。

起訴されたとしても、大した罪には問われないはずです。ただ、彼は執行猶予中で保護観察下(5年間)だったため不利ではありますが。

これではとても公平とは言えないのではないでしょうか。

彼に対する5年間の保護観察期間が短すぎるとか、もっと厳しい判決を下すべきだったとの意見があります。

しかし、彼が前に犯した罪は写真の無断掲載で、今回は写真撮影です。

これは重犯罪ではありません。私には世間の反応、というかマスコミの反応が極端すぎると思います。

こういう人間を放置しているとさらなる重大な犯罪に走る恐れがあるから、監視すべきだと言う意見があるのはわかります。

しかし、これがさらに進むと犯罪を犯す可能性がある人間をすべて監視するといった警察社会に繋がる恐れがあります。

昨日書いたなんでもゲームらアニメが原因だとする傾向も同じことです。

結局、一般から見て特殊な性癖を有する人間(しかし、犯罪を犯していない)やゲーム愛好者、そして元犯罪者(元犯罪者の再犯の話は明日取り上げます)といった一部の人間をスケープゴートに祭り上げ、疎外する社会になってしまうでしょう。

では。

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霊感と科学 (4)

2008-06-06

次に霊体験ですが、これは電磁波が原因であるとする仮説があります。

現在の科学では、幽霊を見たりするいわゆる霊体験は電磁波の影響ではないかと推測されており、実際に特別の設備を使用した実験では人型の影の幻覚を見せることに成功しています。

脳は特定の条件下に置かれた時に幻影を見るのです。

あるテレビ番組でも、地震発生前に動物が騒ぐのは電磁波を感じる力があるからであり、人間にも同じ能力があると言っていました。

非常に敏感というか、こうした特定の条件に反応しやすい脳の構造を持つ人間が霊能力を持つと言われるのかも知れません。

若干、おもむきは異なりますが、霊とは電磁波に似た存在だとする意見もあります(科学的根拠はない)。

もしそうだとするならば、電磁波を感じやすい人間が霊を見ることに不思議はありません。

放送局に霊がうようよしていると言われるのも、電磁波が飛び交っていて、また、タレントなどには、性格上それを感じられる人間が多いと考えれば説明がつきます。


多分、こうした考え方だけでは説明できない、科学では解明できない部分が残されているとの反論があると思います。

さらに続きます。

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ゲームやアニメが元凶 ?

2008-06-05

東京都江東区のOL行方不明事件の犯人と目される男性は、元ゲーム会社社員で美少女ゲームやアニメのファンだったとのことです。

そのため、マスコミは「猟奇的犯行は猥褻な美少女ゲームの影響か」、「アキバ系隣人男」といった見出しを掲げ、ゲームが犯行の背景にあるとの主張を繰り広げています。

そして、これと並行するような形で、民主党の円より子参議院議員らは「美少女アダルトアニメ雑誌とゲームの製造・販売の規制法制定に関する請願」なるものを提出しています。

「街中に氾濫している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」

「幼い少女たちを危険に晒す社会をつくり出していることは明らかで、表現の自由以前の問題である。社会倫理を持ち合わせていない企業利潤追求のみのために、幼い少女を危険に晒している商品を規制するため、罰則を伴った法律の制定を急ぐ必要がある」として、罰則をともなう法規制を求めているんですね。

いつものようなスケープゴート探しです。

常にその時々の攻撃しやすい目標が狙われます。昔は小説、そして普通の漫画が対象になっていました。

何か事件がおきるたびに、容疑者がちょっとしたゲームやビデオ・DVDを持っていればすぐにそれが喧伝されます。

しかし、「このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている」とのことですが、こうしたゲームをプレイする人間は本当に心が壊れてしまうのでしょうか。

一部の人間の特殊な例を一般化し、極端な結論に走っているとしか思えません。少なくとも科学的根拠には欠けています。

私は決して、児童ポルノを野放しにしろと言っているのではありません。

しかし、規制にあたっては、できる限り客観的かつ徹底的な科学的分析が必要です。

思いつきで規制しても決して凶悪犯罪はなくなることはないでしょう。

では。

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霊感と科学 (3)

2008-06-05

一部の「イディオ・サバン」はこうした徴候を感じる能力が異常に発達していて、普通の人間に感じられないほどの変化を感知できるらしいのです。

そして、「イディオ・サバン症候群」ではなくともこうした感受性が鋭い人間は、たとえばちょっとした仕草や雰囲気などからその人の過去や、現在、そして未来までが見えるのかも知れません。

当然ながら、よく当たると言われる占い師にこうした人間が多いと思われます。

ただ、このテレビ番組では、大金持ちになった人間もこうした能力があるから成功したのであり、宝くじを買って当たるなどの運の良さにも結び付くとしていました。

言うまでもなく、テレビではよくあることですが、この論理の展開はかなり強引です。

また、ワサビだかカラシだかが入ったシュークリームと普通のものと混ぜた中から選ばせるといったテストを何人かの一般人にやらせていました。

カラシ入りを選んだ人間は注意力がなく、運もないとの結論なのですが、これは単なるテレビ的演出で意味はないでしょう。

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久し振りの銀座

2008-06-04

月曜日に久し振りに銀座に行きました。

前に書いたPCのワイドモニターをEIZOのショールームに見に行ったんです。

ご存じかも知れませんが、EIZO はコンピュータモニターの専門メーカーで、品質の高い製品を作ることで知られています。

当然ながら結構価格も張りますが。

そしてそこにいた男性社員にいくつか技術的質問をしました。

やはり私のPCにワイドモニターを付けるのは簡単ではないようです。

今度新しいPCを買う時まで待つべきかな。

そうするとVISTAの次のソフトが出た後ということになりますが。

銀座に行ったのは本当に久し振りです。

前に行ったのがいつだったか思い出せないくらい。

とにかく広いので、あらかじめ住所をネットで確認しておかないと行きたいところにたどり着けないようです。

特に私みたいな方向音痴にとっては。

ただ、今回は私よりも少しましな方向感覚をもっている息子を連れて行きましたから、さまよい歩く時間は短くてすんだと思いますが。

それで昼食を食べました。

まあ、銀座ということで、ちょっと贅沢をしまして、有名な福臨門に入りました。

なかなか高級な店で、勘定書きを見てちょっと青くなりましたが。

ところで、前に銀座に行った時は接待されまして、高級クラブに連れて行ってもらいました。

そんなところに足を踏み入れたのは後にも先にも一度だけです。特に嬉しくもなかったですが。

結局、銀座はまったく私向きの街ではないですね。

当分、昼も夜も行く気にはなれません。

では。

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誤った因果応報観

2008-06-04

米国の女優シャロン・ストーンさんが中国・四川大地震について「地震はチベット問題への対応が悪いため起きたカルマじゃないの」と発言したそうです。

その後、謝罪表明が出たと思ったら、本人はCM契約しているディオールが勝手にしたことだと否定したり、ドタバタ劇を繰り広げています。

そして、この発言のために彼女が蒙った損害は60億円に上るとのことです。

まあ、この辺の数字はマスコミ得意の誇張でしょうからそのまま信用はできませんが。

いずれにしても馬鹿ですねえ。

中途半端な因果応報思想を持ち出すと禄なことがありません。

今回の中国の大地震では、少なくとも6万8000人が死亡したとされています。

これらの人たちは中国の政治指導者が行ったチベット弾圧の罪を身をもって償ったと言うのでしょうか。

そして、犠牲者の中には当然ながら沢山の子供たちがいたはずですが、カルマとはそうした罪もない命にも働くのでしょうか。

そういえば、エイズ問題が注目されるようになった時にも、ある有名歌手(紫の怪人ですね)は、性に無軌道になっている現代の人間に対する神からの警告だといった発言をしています。

これも同じことでしょう。

当初は確かに特定の性的志向を有する人たちに、エイズ患者が比較的多く見られました。

しかし、今ではたとえば輸血等でも感染することがわかっています。

また、母親の胎内にいた時から感染している赤ん坊も沢山いるんですね。

彼らも人類の罪を背負わされているのでしょうか。

そんなはずがありません。

何か大きな災害、災厄がおきるたびにカルマを持ち出すことは止めて欲しいものです。

因果応報とはそんなに単純なものではありません。

これは祖先のだれかが悪いことをしたから、子孫のあなたが不幸になっているなどの発言をする一部の人たちにも言えることです。

しかし、この問題を掘り下げると長くなるので、続きはまた別の機会に。

では。

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霊感と科学 (2)

2008-06-03

イディオ・サバン(idiot savant)は、フランス語で「白○」(知的障害者)を意味するidiotと「学者」を意味するsavantから作られた言葉です。

イディオ・サバン症候群についてはオリバー・サックス著「妻を帽子とまちがえた男」(晶文社)に詳しく説明されているでの、興味がある方は読んでみてください(大変な名著です)。

話は変わりますが、大分前のあるテレビ番組で第六感の科学的説明なるものをやっていまして、第六感が優れているかを確認するためのテストを紹介していました。

このテストは簡単に言えば二枚の写真の間の間違い探しでした。

要するに、勘のいい人間は、細かい違いや、ちょっとした変化を直感的に感じる能力(マインドサイトと称していた)に優れているということです。

これが日常生活でも発揮され、無意識的にさまざまな徴候を感じ取り、それを予兆ととらえることを第六感が働いたと感じるんですね。

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少年犯罪についての間違った思い込み(続き)

2008-06-02

昨日の続きです。

皮肉なことに少年犯罪は減少しているのに、高齢者犯罪は増加しています。 

過去10年で65歳以上の高齢者人口は1.3倍の増加を示しているのに対して、高齢者による犯罪はそれを上回る3.5倍も増加しているんです。

全容疑者に占める割合で言えば、10年前の4%から13%の急増加です。

この現象の原因についての明確な定説はありません。

ただ、北海道で窃盗容疑により警察に検挙された高齢者を対象に行ったアンケート調査によると、犯罪理由の第1位として挙げられていたのが「孤独」(27.8%)だったそうです。

とすれば、注意すべきは非行少年ではなく、非行老年なんですが。

では、なぜこうした間違った思い込みが一般化しているのでしょうか。

いくつかの理由が考えられますが、やはりマスコミの責任が大きいでしょうね。

まず、新聞やテレビは高齢者犯罪が増加しているとの事実をなぜか取り上げません。

どうも、ニュースやワイドショーの役割は、人々の不安を煽り立てることだと勘違いしているようです。

だから、少年犯罪が増加し、凶悪化していると報道したがるんですね。

また、キャスターやコメンテーターの不勉強もあります。

しかも、昔の方が少年犯罪は多かったとの事実を突きつけられても、戦後の混乱した時期は話が別だなどと主張します。

しかし、昭和44年は終戦から20年もたっています。とても終戦直後とは言えないでしょう。

さらに、人々には今は昔よりも悪くなっていると思いたがる傾向があります。

要するに犯罪率は増加している、凶悪化している、そして最近の少年は昔の少年よりも悪いと信じたいんですね。

前も書いたように人は自分の信じたいことしか信じませんから、今後、少年犯罪についての正しい知識がいくら紹介されても、浸透はしないでしょう。

では。

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霊感と科学

2008-06-02

今日は、霊視や霊感について少し書いてみます。

これは言ってみれば私の専門分野なので、やや話が長く、また堅くなるかも知れませんが、お許しいただきたい。

「イディオ・サバン症候群」と云う言葉があります。

よくテレビでも取り上げられますから、ご存知の方も多いでしょう。

また、トム・クルーズとダスティン・ホフマンが共演した映画「レインマン」を見られた方は、ダスティン・ホフマンが演じた不思議な能力を持つ自閉症の兄を思い出してください。

彼は床に落ちたマッチ箱の中のマッチの本数を落ちる音を聞いただけで当てると云ったことをやって見せました。

実はこれは決して映画の中だけのことではなく、こうした能力を持つ人間が実際にいるんですね。

この他には、一度聞いただけのメロディを、どんなに複雑でも完璧にピアノで再現できたり、何百年かにわたり、過去および未来のある年月日が何曜日になるかを瞬時に答えられるなどの例もあります。

こうした特殊な能力を持つ自閉症者や知的障害者をイディオ・サバン※と呼びます。しかし、彼らがこうした能力を持つ理由は今のところはっきりとはわかっていません(幾つかの仮説はあります)。

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少年犯罪についての間違った思い込み

2008-06-01

最近は凶悪犯罪が多い、特に少年が犯す重犯罪が増えているから本当に怖いといった話は良く聞きます。

しかし、実はこれも先日取り上げた常識のウソの一つというか、誤った思い込みなんですね。

たとえば最近の犯罪白書を読むと、少年の検挙数は、昭和40年代が15万人前後、昭和55〜60年ごろが25万人前後と増加、しかし,その後減少して最近はまた15万人前後になっています。

これではとても少年犯罪が増えているとは言えないでしょう。

そして、「少年犯罪は増加、凶悪化している、だから、少年法を変えなくてはいけない」との意見に関しても、「少年犯罪の増加、凶悪化」についての統計資料を見るかぎり根拠がありません。

罪状別動向の「凶悪犯」(殺人と強盗、放火、強姦)についての統計によれば、殺人は終戦後から昭和40年代前半までは200人台から400人台で増減を繰り返し、40年代後半からおおむね減少傾向を示し、50年代に入ると100人を割り、その後現在まで、おおむね70人台から90人台で推移しています。

強盗については、昭和40年台前半までは、だいたい2000人から3000人の間で推移しています。その後減少し、昭和46年には1000人を割り869人になりました。その後は横ばいでしたが、平成になってからやや増加し、平成8年は1082になっています。

確かに、この数年だけを見ると増加傾向にありますが、全体的に見ると特に大幅に増えているとは言えません。 

そして、少年による強姦は、昭和40年前後は4000人前後ですが、その後急減し、52年には1000人を割り、平成8年は過去最低の227人でした。

ついでに言えば、凶悪事件を起こした少年の再犯率が高い(更生できない)との考えも誤解のようです。
 
殺人等の凶悪な犯罪を犯した少年の再犯率は、殺人・強盗に係る少年の再犯は道路交通法違反や業務上過失致死傷害などの交通事犯が大半を占め、再び殺人・強盗を犯した者は、強盗に係る仮出獄者(73人)のうち3人(4.1%)のみです。
 
今の少年たちが起こしている殺人や強盗よりも、今の大人たちが少年だったときに起こした殺人や強盗の方が、実はずっと数が多いことは覚えておいたほうがいいでしょう。

明日に続きます。

では。

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NPOは偉い

2008-06-01

「ネットカフェ難民」という言葉もいつのまにか市民権を得てしまったようです。

ご存じだと思いますが、一応説明すると、定住する住居がなく寝泊りする場としてインターネットカフェを利用する人々を指す言葉です。

基本的には通常のホームレスと違って一応服装もちゃんとしていて、仕事(日雇い派遣が多い)もしています。また、比較的若い人の割合が多いようです。

もちろん、住所不定の状態にあるわけですから、さまざまな障害があります。

住民票がないために定職につけない、所得があっても銀行口座の開設ができない、住宅賃貸ができない等々。

そのため、こうした人たちを救済するためにNPOがボランティア活動しています。

それで、先日、テレビで見たのですが、このNPO がネットカフェ難民の状態に陥っていたある若者を支援したんですね。

仕事を見つけ、住居を手配し、賃貸契約の保証もしてあげました。

また、彼は金銭管理能力に乏しいため、収入の使い道についてもアドバイスしていました。

家賃にいくら、食費、光熱費、そして貯金にいくらといった具合です。

しかし、ある日、この若者は遊ぶためにお金をもっと使いたいと言い出したんです。

当然ながら、NPOの人は彼に無理だと言います。

すると彼は、「なんで俺の金のことに口を出すんだ。お前らは人を助けたと勘違いしている。偽善者だ」と言い放ちました。

これに対して、NPOの人は何も言い返しませんでした。偉いですねえ。

私だったら絶対に許しません。その時点でその人間のことは放り出します。

人には言っていいことと悪いことがあります。一度口から出た言葉は取り消しても心には残るんです。

ネット難民になったのはひょっとしたらその人だけの責任ではないのかも知れません。

しかし、どんな理由があるにせよ、お世話になった人に対する感謝の気持ちを失ったら人間として失格でしょう。

私は非常に狭量な人間ですから、そんなこともわからないような人間は救済する価値もないと思います。

まあ、私がNPOに参加することはないでしょうが。

では。

Posted by elion 01:52:16Comments(0)TrackBack(0)

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