頭部移植手術と神の領域(続き)

IMG_0016.jpg日本にも、医療分野で有名なスタンドプレーの例があります。

1968年の札幌医科大学胸部外科チームによる心臓移植手術です。

当初は成功が大々的に発表され、マスコミや世論も称賛しました。

しかし、83日後の患者の死亡から風向きが変わり、批判が集中します。

もともとこの手術には多くの疑問があっため、裁判にもなったのですが、最終的には嫌疑不十分で不起訴になりました。

そして、この強引な手術のために日本の心臓移植、ひいては臓器移植は大幅に遅れたとされています。

今回のイタリア人医師が行うとする頭部移植手術が本当にスタンドプレーなのかどうかは、私には判断できませんが、そのうち事実が証明してくれるでしょう。

それはいいとして、こうした最新の医療技術が発表されるたびに、神の領域を侵すものだとの批判が巻き起こります。

心臓移植手術もそうですし、最近ではクローン技術、遺伝子操作なんかもそうですね。

しかし、言わせていただければ、みなさん神をずいぶん過小評価しているのではないですか。

全知全能であるはずの神を馬鹿にしていると言うか。

神がいるとして、その力は人間なんかのレベルを遥かに越えていないとおかしいでしょう。

何とかすれば人間の手が届くようなものは神の領域とは呼べないと言うことです。

そう言えば、西欧人に較べて宗教心が薄いと思われる日本人にも、神云々を言い出す人がいますね。

神の名前を持ち出して不安や恐怖を表しているだけなのでしょうが。

どちらにしても頭部移植にしろ、他の新技術にしろ、神の名の下、倫理の名の下に禁止しようとしても、必ず先に進める人間が出てきます。

過去の例を見ても、これを止めることができるとは思えません。

では。