続きです。
要するに自分をインテリに見せたい人がこういうことをするんでしょうね。
どの国にも知的語彙というか、抽象的なことを表現するための「高級な」言葉があります。
英語圏やフランス語圏だとギリシア語やラテン語ですね。
そして、日本ではこれが昔は漢語でした。
ご存知のように、今でも相撲の横綱昇進の時に聞いたこともないような四字熟語めいたものを引用するのが習慣になっています。
政治家にも挨拶の時に好んで漢語を使う人が結構いますね。
しかし、これらの言葉を聞いた時に違和感を感じる人は少なくないでしょう。
漢語はもう日本の現代社会に合わなくなっているからです。
それでその代わりに英語やその他の外国語を使うようになった。
ただ、それらの言葉が彼らの身に付いていず、付け焼刃丸出しなので何か滑稽な感じがするわけです。
普通に話している言葉から知性を感じるような人は日本にはあまりいないようです。
イギリスやフランスでは使う語彙でその人の属している社会階層がわかるとよく言われます(発音や話し方も含めて)。
日本でも昔は農民、職人、商人、武士で使う言葉はぜんぜん違いました。
ただ、今ではそうした社会的は階層間の差異が少なくなっていることもあってか、それほど大きな違いはみられません。
反対に言えば、そうした中で差異を出すために無理に難しい漢語や外国語を頻繁に使用する人がいるのでしょう。
しかし、当たり前のことを言うようですが、その人の知性は決して話し方や使う言葉で決まるのではありません。
やはり話すことの内容が重要なのです。
内容がない人間ほど外側を飾り、ハッタリで誤魔化そうとするわけですね。
では
コミュニケーションと豊富なボキャブラリー(3)
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