天才の感覚

20170713065719-89a6652485ad232907b3d6c1972755f69a899ce0.jpg先日、将棋の天才少年の話を書いていて、ずいぶん前に読んだ本に書いてあったことを思い出しました。

結構面白いので紹介します。

アインシュタインは相対性理論を言葉や数式として得たのではないんだそうです。

イメージとして得たんですね。

言葉や理論的な構成がまったく関与しない純粋な情景として。

つまり、頭の中でイメージとして想定し、その映像をいろいろとこねくり回した後で最後に数式として出力したわけです。

どうです、わかりますか。

残念ながら、数学がまったく不得意だった私にはよくわかりません。

ただ、天才と言われる人の感覚が普通の人とはぜんぜん違うだろうということはなんとなくわかります。

多分、普通の人が努力して何とかなるというレベルではないのでしょう。

次元が違うと言うか。

天才というとまず上げられるのはモーツァルト、そしてダビンチ、アインシュタインといったところでしょう。

しかし、フランスでは詩人のアルチュール・ランボーが上げられることも多いようです。

そのランボーが「母音」という詩で「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。母音たちよ」とうたっています。

ランボーは特異な言語感覚を持ち、語学能力もずばぬけたていたとのことですが、本当に母音に色彩がついているように見えていたのでしょうか。

だとすると、今でいう共感覚かも知れません(共感覚を説明するのは大変なので興味がある方は自分で調べてください)。

それからランボーは非常に興味深い人生を送っていますので、機会があれば紹介したいと思います。

それはいいとして、最近は天才という言葉もわりと気軽に使われていて、ちょっと人よりも優れているとすぐに天才だと言うみたいですが、本来は常人とは隔絶した才能や感覚を持つ人を指す言葉のはずです。

私たち凡人は天才の世界をある程度想像はできても、本当に理解することは永久にないでしょう。

わかれば自分も天才ということになりますから。

では。