体罰の是非を巡る議論にうんざり(3)

20170911082547-191c94a676a45b679d4d0721c58c611d34ce2b75.jpg続きです。

大体、愛していたら殴ることなんかできないと思います。

殴る時は必ず感情に流されています。

それを愛を口実にするのは卑怯でしょう。

体罰を肯定する人は、自分の経験を例に上げることが多いようです。

テレビ番組でMCを務めることが多い大御所的芸人も、「我々世代の人はすごく体罰を受けたけれど、今の時代ではそんなものありえへんってみんなよく言うじゃないですか? でも、なぜ今の時代にありえないのか、明確な理由を誰も言ってくれないんですよ。なぜ今はダメで、昔はよかったのか、明確な理由が分からないんですよ」と言っています。

何を言っているのでしょうね。

いい歳をして、人から教えてもらわないとわからないというのは大きな問題です。

自分で考える能力がないのでしょうか。

さらに、「体罰を受けて育った僕らは今、変な大人になってないじゃないですか? なんなら普通の若者よりも常識があるわけじゃないですか?」とも述べています。

「普通の若者よりも常識がある」というのはどういう根拠があって言っているのでしょう。

十分に変な大人になっていると思いますが。

それはいいとして、若者が大人よりも常識に欠けるところがあるのは当たり前です。

だから体罰は容認されるべきだという理屈にはならない。

体罰や虐待は連鎖します。

自分が体罰や虐待を受けた人間がそれを下の世代にも行なうんですね。

これを断ち切らないといけない。

体罰は犯罪なのです。

必ず相手を負傷させます(傷害罪。何の肉体的ダメージもない体罰なんてありませんから)。

これが場合により許されるなんてことがあってはいけません。

こんな空虚な議論が二度と繰り返されることがないように心から願っています。

では。