世界6大宗教101の常識(大澤正道 日本文芸社)
2006-06-28
はい、ワールドカップも夜中にやっておりますが、こないだスポーツ番組のオフトークで、フランス大会に出た呂比須ワグナーさんが、おっしゃってたことには、
スタンドにいる相手のサポーターからの悪いエネルギーというのもあって、たとえば最初にピッチに出たときに、その悪いエネルギーを受けると、ひじが痛くなったりひざが痛くなったりする、ということでしたね(^^;)。
ですから、選手はそのようなエネルギーを受けないような精神力を鍛えないといけない、ということでした。なかなかそりゃたいへんやなーとおもいますが、まぁ一般の生活でもいろいろなエネルギー飛び交ってますから、私たちも心を鍛えんとなぁと思いますねぇ(^^)。
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さて、この本は世界の主な宗教をわかりやすく比較していて読みやすい本だったのですが、その中で神道がどうしてほかの宗教にはほとんどありがちな「伝道」をしなかったのか?ということについて触れています。
仏教やキリスト教が布教に力を入れたことはすでに書いたとおりである。ところが神道には布教をめぐる感動的な物語はほとんど見当たらない。そういえば神官の殉教とか殉難の話もあまり聞いたことがない。
そしてその理由は4つあり、
1.ゆっくりと形成されてきた自然宗教だから。
2.教祖様がいないから。
3.実利実益を求める実行宗教だったから。
4.習合宗教だったから。
ということですね。
神道の中心は経典ではなく、あくまでも祀りである。祀りとは神と人との共存行為である。祓いや禊を繰り返し行うことで、絶え間なく襲ってくるもろもろの悪霊からわが身、わが土地、わが国土を清め、神々の降臨によって現世利益にあずかる−この祭事の実行が一番大事だったのだ。
−だいたい、神との共存を実現するのに人間の言葉はあまり役に立たない。古くからわが国では言挙げは禁忌とされていた。言挙げとは大声で言い募ると言う意味だが、それくらいの神を遠ざける行為はないと信じられたからである。
という感じで、この月末も各々の神社では大祓の儀式がありますけれども、ちゃんと実利的な意味があるということですね。でも、言葉だけつかってというのは、実は古来からあまり功がないよーということは、つまり、神様もその人々のオーラを見ていろいろわかるのではないからかなー?って思うんですね。
ですから、おみくじをひいても、おー結構ずばりあたっておるやんけ、というのがちゃんと出たりしますね(^^;)。ですから、きちんと日々の行いを正してオーラを明るくしていくと、どんどんおみくじもよいものがでたりするということですね。
というわけで、明日は富士山です(^^)。
Posted by fy3on3 00:14:58 │Comments(2) │TrackBack(0)
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