いのち新し- 母として、霊能者として (竹内てるよ著 /たま出版)その3。
2006-10-31
はいー今日はハロウィーンということですが、このお祭りももとネタはケルトのサウィン祭、ということですね。
それで、どうでもいいことなのですが、自分もケルトびいき、アイルランド・スコットランドびいきみたいなところがあって、イングランドはどうも…という心情があるのは、コリャ前世で「ブレイブハート」のように戦で負けてるから、ということらしいんですが、どうなんでしょうねぇ(^^;)?
またずっと前にブログに書いたお城でカメラを幽霊さんの壊された、というのはスコットランドのお城行った時ですし、またビートルズもオアシスもU2もそしてエンヤさんもどうもケルティック風な刹那さがあって好きですよねー、まぁこれは世界的に視ても嫌いな方のほうが少ないかもしれませんが(^^;)。
また日本人でもイギリス好きという方が多いのは、それと同じような東の端の島国を選んで今生生まれてきた、と言うこともあるかもしれませんよねー(^^)。
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さて、第三部ですが、ご先祖供養についてなどのまとめです。
ですから、供養と言うのは、社会的面子でもなければ、形だけのものでもありません。供養と言うのは心なのです。
だれでも、自分のお母さんが亡くなった後に、まだ茶の間にお母さんが座っているような気がすることが、何度かあると思います。
お母さんはこんなとき、お茶をこういう風に飲んだっけ、おまんじゅうが大好きで、目を細くして食べてたなぁ、と思い出したときには、本当にお母さんが家に帰ってきたように話しかけてあげるのです。
「お母さん、お茶が入ったから、どうぞ」
「このおまんじゅう、おいしいでしょう?おとなりからいただいたのよ。」
などと話しながら、食べるのです。それが本当の供養なのです。
ところが、それが他人となると、おっかなかったり、いやだったりします。
でもその他人を、お父さんなりお母さんなり、おじいちゃんなりお祖母ちゃんなり、と同じように思ってあげられれば、それがその人に対するとてもすばらしい供養だとおもうのです。
だれも、お母さんが変わった格好して、お茶を飲もうと、変わった格好して前掛けをたたもうと、なつかしいとこそおもえ、いやだとかきもちわるいとかはおもわないでしょう。
それが、他人となると、あの人おかしかったわ、なんてわらったり、悪口を言ったりします。
けれども誰もが、身内に対するときと同じ心を持って、他人を思い、なつかしみ、他人のためを考えてあげられるようになれば、それが本当の供養です。
また、亡くなった人に対してだけではなく、生きているもの同士もそういう心がけでいるならば、どんなに住み良い世の中になることでしょうか。
ということで、ほんとそうですよねぇ〜、生きている人に対してさえやさしくなれないのに、幽霊さんに対してだけ優しくなれるわけでもないですものねー。まぁまたあまり同情したりものをあげたりしていると現世の執着がとれなくなっちゃうので、ほどほどに、ということもあるんでしたよね。
そして、スピリチュアルなことを知ると言うことは、丹波さんのメッセージにもありましたけれども万物に対して愛情を持ってそれを自分から注いていく必要があるんだなぁ〜と言うことに気付く第一歩なのかもしれませんね(^^)。
そして、そういうことに気付いていないと…
仏壇を買って、それで自分の気が済むのだったら、それはそれでよいでしょうけれども、要は仏壇の立派さよりも心の問題なのです。…
朝晩、鐘をたたいてお供えもちゃんとしてますから、といって威張るひとがよくありますが、そのそもそもの、「供えてますから!」と威張る心が供養から程遠いものなのです。
「供養しました!」とことさらに私に言う方もおられます。
お寺に何万円収めているとか、法事にこれくらいのお金をかけたとかを私に自慢するのです。でも残念ながら、そういう供養の仕方ではホトケに通じるものではありません。
この世での金銭の誇り、権力の誇り、それらのものをもって仏に向かいのでは、供養にはなりません。来世にはお金もなし、権力もなし、何もありません。
こじきで暮らした人であろうと、大臣で暮らした人であろうと、来世の苦悩は同じにあり、来世の幸せも又同じです。
あるいはまた、私はこんなに立派な供養をしてあげたのに、なぜこの人は私に憑いて私の身体をこんなに苦しめるのか、と文句を言う人がありますが、そういう気持ちではその痛み苦しみからのがれることはできません。
お母さんが痛かったなら、じぶんもそこがいたくてもいいじゃありませんか。お父さんがそこが苦しかったのなら、自分もそこが苦しくてもいいじゃありませんか。
「お母さん、一緒に苦しみますから、ガマンしてちょうだい」
そういうことが出来るなら、それが供養であり、やがて回復することが出来るのです。
…ということで、はいーほんとにこうこれだけ供養したから、とか、いろいろしたのに、まだなんだかよくならない、それはのなぞーが言っている事がとんちんかんだからだ!ってたまに言われますが(^^;)まぁご供養などにも時間がかかる、というのも偶然はないですよね。
「世界の歴史は戦の歴史」というくらいですから、今生では安穏に暮らせてますけれども、いろいろな無念な思いで亡くなった方というのはたくさんいらっしゃるし、ましてや動物さんは引き続きなわけですよね。
そんな中でいろいろ私たちもそれらを、これも丹波さんもおっしゃってましたが、「生まれ変わって再び家を掃除しに来た」わけですよね。ですからちょちょいってやってあーよくなった、なんていう方はそこから何も学ばなかったりするので、江原さんもおっしゃるように「苦難は魂の磨き砂」だとおもうのですね。
今生を卒業できる段階になったら、自然に苦労を苦労と思わなくなる、つまり、美輪さんがおっしゃるように、「いままで苦労の数ばかり数えていた人間が、やっと自分がすでに恵まれていることに気付き、もうすでにある幸せの数をかぞえはじめるようになる」というわけです(^^)。
まぁ戦争も全く全部終わってしまっているわけではないのですが相変わらず世界のどこかでいつも続いているのですが、竹内さんの苦言もつづきますね…(^^;)。
私がこういう相談をはじめてから、日本の女の人の面白さをつくづくと感じることがあります。
私が「日本の女は−」
と言ってはじめると、ほら始まった、といってみんなが笑うのですが、供養の仕方とも関連してくることですので、日本女性の独特の性癖について少しお話してみましょう。
日本の女の人は、なんでもすぐに人に聞きたがります。
「どういう風にすればよいのでしょう」
「どちらにいけばよいのでしょう」
と、そういうことばかり言っているのです。
なんでもすぐに人に聞いて、自分で見つけようとしない。自分の人生の一大事さえも人に決めてもらおうとする。
自分に目があり耳があり、手も足もあるのですから、自分でさっと行く道を探してきたほうが良いでしょう。
そういった面に付随して、日本の女は何でも人にきいたそのことを、そのとおりにやらなければならないという服従的な精神を持っています。
また、とても格好を気にするのですね。…
そういった部分は、私に相談されるときにでも出てきて、何が聴きたいのか、何を相談したいのか、そのポイントをなかなか言わない、問題の周りをぐるぐるまわるように、くどくどと枝葉のことを話すのです。…
他にもまだ見てもらいたい方が6人も7人も待っておられて、時間がないことはわかっているはずなのに、そういいうことに一切気を使わないでだらだら話すのです。
そのくせポイントは話さないわけで、話の焦点を絞ることが出来ないのですね。自分が一番何を聞きたいかが、自分の中で整理できていないわけです。
そういうピントのはずれたところが、おそらく供養する場合もでていて、ピントのはずれた供養をしているのに、自分ではちゃんとやっていると思っている人が多いのではないかと思います。…結局、自分の自己満足と虚栄心の為に供養している人が多いのです。
…、というわけで、いやいやこれは私が申し上げているのではなくて、竹内さんがおっしゃっていることなので、なんとも…と言う感じなのですが(^^;)あぁたしかに昔の女性はそういう感じの方は多かったのかもしれませんね…?
ちなみに今の女性の方が私に一番よく聞くのはまぁしょうなないのですけれども、「私の守護霊、前世はなんですか?」ですね。某ボランティアでさせていただいているところでは、はじめての方でそれだけの文面で匿名メールしてきてハイ返事お待ちしてます、という方も多いんですね(^^;)。確か江原さんだって「幸せのレッスン」で視てもらうには生年月日と本名が必要なんでしたよねー、江原さんの10分の一も精進も能力も足りないわたしには結構つらかったりします(^^;)。
かといって、まぁご相談なさる方というのは、オーラ拝見していても自分のことで精一杯だから、聞くのであって、心の余裕があるときには相談しようと言う気持ちも起きないものですから、それはそれで
良いとは思うのですね、私もその方の将来のオーラを見て「ん、この方は相談を受けてら立ち直るなー」とか「ガイドさんが連れてきているなぁ〜」とか、いろいろケースバイケースに感じますよね。
ですから匿名でも、いちおうオーラやご先祖様のオーラなどはわかりますので、そういう方のご要望でも「他人も自分の一部」なので、大切にしないと、って思ってせっせとわかる範囲で書かせていただいております…φ(..)。
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さて、では逆になぜ供養が必要になってしまうのか、と言うことについてですね。
ところが日本人と言うのは、そうした自分の生き方よりも、面子(メンツ)のほうを重んじる傾向が強い。日本ほどメンツを気にする国はありませんね。
しかし今生が終わってからは、そのメンツというものが大変邪魔になります。来世に行っても成仏できないで戻ってくるのは、メンツをとても気にした人が多いです。メンツが原因で成仏できないわけです。
ですから私はこれほど強く、面子をなくしなさい、というのです。
そうしますと、なかには、それでは出世をあきらめろというのですか?と不満げに聞く人があります。が、そもそも、出世とは何ですか?
とにかく人間は、最後の時になれば、私がいつも言うように、ノーベル賞よりもガーゼの押し目のほうが必要なのですから。一万円札よりもティッシュのyわらかいもののほうが入用のときがあるのですから。
ですから社会的面子にしても、お金にしても権力にしても、それらのものはほどほどにしたほうがいいですね。それに溺れると、結局は、今生において生涯苦しみ、来世に行ってもなお苦しむ、と言うようなことになることが多いのです。
この世を不平不満で送った人のほうが、今生の人にさわっています。えらくなりたいとか、お金持ちになりたいという物質的欲望を追い求めた人々に多い。そういう人は、いくらお金を持っていても、いくら地位が上がっても、
「まだまだ足りない」
「もっともっとほしい」
と言う気持ちを抑えることが出来ないからです。だから常に不満を持っています。…偉くなる、というのは、単なる自分の自己満足に過ぎないものです。
…というように、やはりいろいろなものに執着してしまう心、まさか自分は、とは思っているさまざまな物質にとらわれている人ほど、供養される側に回るとなかなか成仏しにくい、ということになるようです。江原さんの「階層の法則」にもあるように、この世のオーラの明るさの違いによって、あちらの世界でも行くところが変わってきてしまうということですたよねー。ですから、今のうちにどんどん執着を取って、身軽になっておくことはとてもよいようです(^^)。
そして、最後に子供に対しても…
大人たちは若い人たちに、けんかをしてはいけない、と言います。しかしながら、大人たちはいつもケンカすることを考えている。それももっと大きなけんかです。
それはいったいどういうことでしょうか?…
小さな子供の時から、けんかをしてはいけませんよ、みんなと仲良くしなくてはだめですよ、と大人たちに言われて育ってきたのに、大人たちが寄るとそろうと、どういう風に相手をひどい目に合わせてやろうか、と相談しているでしょう?
そういう行動の矛盾を見せられて育つ子供たちは、大人になってどういうことをするでしょうか?
そんな矛盾が、人類が滅亡していくことの根本原因となっていくのではないでしょうか?
また、子供たちの性風俗が乱れたと言われてますが、その責任は実は大人にあります。
原因はいくつかありますけれども、まず一つには心の満足をさせていないと言うことがいえます。心の満足は何によってさせるかといいますと、両親はもとより為政者や周辺の人々が、もっと愛情を持って、それらの人たちの気持ちを察してあげることでずっと安定します。…
結局子供に出ている問題と言うのは、大人がやったことが子供にかえっているに過ぎないわけですからね。
…というわけで、ほんとニュース見ていても、オーラ視ていても、戦争の問題も、学校の問題も、どちらも彼女が帰幽なさってからも好転している感じではないので…、このようなこともまた、偉大な母であり霊能者、竹内てるよさんの残したメッセージとして、大切にしていきたいと思います(^^)。
Posted by fy3on3 10:48:15 │Comments(7) │TrackBack(0)
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