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プロの占い師が集う[占いブログ]

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いのち新し- 母として、霊能者として (竹内てるよ著 /たま出版)その3。

2006-10-31

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はいー今日はハロウィーンということですが、このお祭りももとネタはケルトのサウィン祭、ということですね。

それで、どうでもいいことなのですが、自分もケルトびいき、アイルランド・スコットランドびいきみたいなところがあって、イングランドはどうも…という心情があるのは、コリャ前世で「ブレイブハート」のように戦で負けてるから、ということらしいんですが、どうなんでしょうねぇ(^^;)?

またずっと前にブログに書いたお城でカメラを幽霊さんの壊された、というのはスコットランドのお城行った時ですし、またビートルズもオアシスもU2もそしてエンヤさんもどうもケルティック風な刹那さがあって好きですよねー、まぁこれは世界的に視ても嫌いな方のほうが少ないかもしれませんが(^^;)。

また日本人でもイギリス好きという方が多いのは、それと同じような東の端の島国を選んで今生生まれてきた、と言うこともあるかもしれませんよねー(^^)。

>>

さて、第三部ですが、ご先祖供養についてなどのまとめです。

ですから、供養と言うのは、社会的面子でもなければ、形だけのものでもありません。供養と言うのは心なのです。

だれでも、自分のお母さんが亡くなった後に、まだ茶の間にお母さんが座っているような気がすることが、何度かあると思います。

お母さんはこんなとき、お茶をこういう風に飲んだっけ、おまんじゅうが大好きで、目を細くして食べてたなぁ、と思い出したときには、本当にお母さんが家に帰ってきたように話しかけてあげるのです。

「お母さん、お茶が入ったから、どうぞ」

「このおまんじゅう、おいしいでしょう?おとなりからいただいたのよ。」

などと話しながら、食べるのです。それが本当の供養なのです。

ところが、それが他人となると、おっかなかったり、いやだったりします。

でもその他人を、お父さんなりお母さんなり、おじいちゃんなりお祖母ちゃんなり、と同じように思ってあげられれば、それがその人に対するとてもすばらしい供養だとおもうのです。

だれも、お母さんが変わった格好して、お茶を飲もうと、変わった格好して前掛けをたたもうと、なつかしいとこそおもえ、いやだとかきもちわるいとかはおもわないでしょう。

それが、他人となると、あの人おかしかったわ、なんてわらったり、悪口を言ったりします。

けれども誰もが、身内に対するときと同じ心を持って、他人を思い、なつかしみ、他人のためを考えてあげられるようになれば、それが本当の供養です。

また、亡くなった人に対してだけではなく、生きているもの同士もそういう心がけでいるならば、どんなに住み良い世の中になることでしょうか。

ということで、ほんとそうですよねぇ〜、生きている人に対してさえやさしくなれないのに、幽霊さんに対してだけ優しくなれるわけでもないですものねー。まぁまたあまり同情したりものをあげたりしていると現世の執着がとれなくなっちゃうので、ほどほどに、ということもあるんでしたよね。

そして、スピリチュアルなことを知ると言うことは、丹波さんのメッセージにもありましたけれども万物に対して愛情を持ってそれを自分から注いていく必要があるんだなぁ〜と言うことに気付く第一歩なのかもしれませんね(^^)。

そして、そういうことに気付いていないと…


仏壇を買って、それで自分の気が済むのだったら、それはそれでよいでしょうけれども、要は仏壇の立派さよりも心の問題なのです。…

朝晩、鐘をたたいてお供えもちゃんとしてますから、といって威張るひとがよくありますが、そのそもそもの、「供えてますから!」と威張る心が供養から程遠いものなのです。

「供養しました!」とことさらに私に言う方もおられます。

お寺に何万円収めているとか、法事にこれくらいのお金をかけたとかを私に自慢するのです。でも残念ながら、そういう供養の仕方ではホトケに通じるものではありません。

この世での金銭の誇り、権力の誇り、それらのものをもって仏に向かいのでは、供養にはなりません。来世にはお金もなし、権力もなし、何もありません。

こじきで暮らした人であろうと、大臣で暮らした人であろうと、来世の苦悩は同じにあり、来世の幸せも又同じです。

あるいはまた、私はこんなに立派な供養をしてあげたのに、なぜこの人は私に憑いて私の身体をこんなに苦しめるのか、と文句を言う人がありますが、そういう気持ちではその痛み苦しみからのがれることはできません。

お母さんが痛かったなら、じぶんもそこがいたくてもいいじゃありませんか。お父さんがそこが苦しかったのなら、自分もそこが苦しくてもいいじゃありませんか。

「お母さん、一緒に苦しみますから、ガマンしてちょうだい」

そういうことが出来るなら、それが供養であり、やがて回復することが出来るのです。


…ということで、はいーほんとにこうこれだけ供養したから、とか、いろいろしたのに、まだなんだかよくならない、それはのなぞーが言っている事がとんちんかんだからだ!ってたまに言われますが(^^;)まぁご供養などにも時間がかかる、というのも偶然はないですよね。

「世界の歴史は戦の歴史」というくらいですから、今生では安穏に暮らせてますけれども、いろいろな無念な思いで亡くなった方というのはたくさんいらっしゃるし、ましてや動物さんは引き続きなわけですよね。

そんな中でいろいろ私たちもそれらを、これも丹波さんもおっしゃってましたが、「生まれ変わって再び家を掃除しに来た」わけですよね。ですからちょちょいってやってあーよくなった、なんていう方はそこから何も学ばなかったりするので、江原さんもおっしゃるように「苦難は魂の磨き砂」だとおもうのですね。

今生を卒業できる段階になったら、自然に苦労を苦労と思わなくなる、つまり、美輪さんがおっしゃるように、「いままで苦労の数ばかり数えていた人間が、やっと自分がすでに恵まれていることに気付き、もうすでにある幸せの数をかぞえはじめるようになる」というわけです(^^)。

まぁ戦争も全く全部終わってしまっているわけではないのですが相変わらず世界のどこかでいつも続いているのですが、竹内さんの苦言もつづきますね…(^^;)。

私がこういう相談をはじめてから、日本の女の人の面白さをつくづくと感じることがあります。

私が「日本の女は−」

と言ってはじめると、ほら始まった、といってみんなが笑うのですが、供養の仕方とも関連してくることですので、日本女性の独特の性癖について少しお話してみましょう。

日本の女の人は、なんでもすぐに人に聞きたがります。

「どういう風にすればよいのでしょう」

「どちらにいけばよいのでしょう」

と、そういうことばかり言っているのです。

なんでもすぐに人に聞いて、自分で見つけようとしない。自分の人生の一大事さえも人に決めてもらおうとする。

自分に目があり耳があり、手も足もあるのですから、自分でさっと行く道を探してきたほうが良いでしょう。

そういった面に付随して、日本の女は何でも人にきいたそのことを、そのとおりにやらなければならないという服従的な精神を持っています。

また、とても格好を気にするのですね。…

そういった部分は、私に相談されるときにでも出てきて、何が聴きたいのか、何を相談したいのか、そのポイントをなかなか言わない、問題の周りをぐるぐるまわるように、くどくどと枝葉のことを話すのです。…

他にもまだ見てもらいたい方が6人も7人も待っておられて、時間がないことはわかっているはずなのに、そういいうことに一切気を使わないでだらだら話すのです。

そのくせポイントは話さないわけで、話の焦点を絞ることが出来ないのですね。自分が一番何を聞きたいかが、自分の中で整理できていないわけです。

そういうピントのはずれたところが、おそらく供養する場合もでていて、ピントのはずれた供養をしているのに、自分ではちゃんとやっていると思っている人が多いのではないかと思います。…結局、自分の自己満足と虚栄心の為に供養している人が多いのです。


…、というわけで、いやいやこれは私が申し上げているのではなくて、竹内さんがおっしゃっていることなので、なんとも…と言う感じなのですが(^^;)あぁたしかに昔の女性はそういう感じの方は多かったのかもしれませんね…?

ちなみに今の女性の方が私に一番よく聞くのはまぁしょうなないのですけれども、「私の守護霊、前世はなんですか?」ですね。某ボランティアでさせていただいているところでは、はじめての方でそれだけの文面で匿名メールしてきてハイ返事お待ちしてます、という方も多いんですね(^^;)。確か江原さんだって「幸せのレッスン」で視てもらうには生年月日と本名が必要なんでしたよねー、江原さんの10分の一も精進も能力も足りないわたしには結構つらかったりします(^^;)。

かといって、まぁご相談なさる方というのは、オーラ拝見していても自分のことで精一杯だから、聞くのであって、心の余裕があるときには相談しようと言う気持ちも起きないものですから、それはそれで
良いとは思うのですね、私もその方の将来のオーラを見て「ん、この方は相談を受けてら立ち直るなー」とか「ガイドさんが連れてきているなぁ〜」とか、いろいろケースバイケースに感じますよね。

ですから匿名でも、いちおうオーラやご先祖様のオーラなどはわかりますので、そういう方のご要望でも「他人も自分の一部」なので、大切にしないと、って思ってせっせとわかる範囲で書かせていただいております…φ(..)。

>>

さて、では逆になぜ供養が必要になってしまうのか、と言うことについてですね。

ところが日本人と言うのは、そうした自分の生き方よりも、面子(メンツ)のほうを重んじる傾向が強い。日本ほどメンツを気にする国はありませんね。

しかし今生が終わってからは、そのメンツというものが大変邪魔になります。来世に行っても成仏できないで戻ってくるのは、メンツをとても気にした人が多いです。メンツが原因で成仏できないわけです。

ですから私はこれほど強く、面子をなくしなさい、というのです。

そうしますと、なかには、それでは出世をあきらめろというのですか?と不満げに聞く人があります。が、そもそも、出世とは何ですか?

とにかく人間は、最後の時になれば、私がいつも言うように、ノーベル賞よりもガーゼの押し目のほうが必要なのですから。一万円札よりもティッシュのyわらかいもののほうが入用のときがあるのですから。

ですから社会的面子にしても、お金にしても権力にしても、それらのものはほどほどにしたほうがいいですね。それに溺れると、結局は、今生において生涯苦しみ、来世に行ってもなお苦しむ、と言うようなことになることが多いのです。

この世を不平不満で送った人のほうが、今生の人にさわっています。えらくなりたいとか、お金持ちになりたいという物質的欲望を追い求めた人々に多い。そういう人は、いくらお金を持っていても、いくら地位が上がっても、

「まだまだ足りない」

「もっともっとほしい」

と言う気持ちを抑えることが出来ないからです。だから常に不満を持っています。…偉くなる、というのは、単なる自分の自己満足に過ぎないものです。

…というように、やはりいろいろなものに執着してしまう心、まさか自分は、とは思っているさまざまな物質にとらわれている人ほど、供養される側に回るとなかなか成仏しにくい、ということになるようです。江原さんの「階層の法則」にもあるように、この世のオーラの明るさの違いによって、あちらの世界でも行くところが変わってきてしまうということですたよねー。ですから、今のうちにどんどん執着を取って、身軽になっておくことはとてもよいようです(^^)。

そして、最後に子供に対しても…


大人たちは若い人たちに、けんかをしてはいけない、と言います。しかしながら、大人たちはいつもケンカすることを考えている。それももっと大きなけんかです。

それはいったいどういうことでしょうか?…

小さな子供の時から、けんかをしてはいけませんよ、みんなと仲良くしなくてはだめですよ、と大人たちに言われて育ってきたのに、大人たちが寄るとそろうと、どういう風に相手をひどい目に合わせてやろうか、と相談しているでしょう?

そういう行動の矛盾を見せられて育つ子供たちは、大人になってどういうことをするでしょうか?

そんな矛盾が、人類が滅亡していくことの根本原因となっていくのではないでしょうか?

また、子供たちの性風俗が乱れたと言われてますが、その責任は実は大人にあります。

原因はいくつかありますけれども、まず一つには心の満足をさせていないと言うことがいえます。心の満足は何によってさせるかといいますと、両親はもとより為政者や周辺の人々が、もっと愛情を持って、それらの人たちの気持ちを察してあげることでずっと安定します。…

結局子供に出ている問題と言うのは、大人がやったことが子供にかえっているに過ぎないわけですからね。


…というわけで、ほんとニュース見ていても、オーラ視ていても、戦争の問題も、学校の問題も、どちらも彼女が帰幽なさってからも好転している感じではないので…、このようなこともまた、偉大な母であり霊能者、竹内てるよさんの残したメッセージとして、大切にしていきたいと思います(^^)。

Posted by fy3on3 10:48:15Comments(7)TrackBack(0)

いのち新し- 母として、霊能者として (竹内てるよ著 /たま出版)その2。

2006-10-30

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はい、今日はお天気もよく、ずっと鑑定ばかりしていて運動不足で体がなまっているのもあったので、又自宅から銀座あたりまで都内をどんどん巡礼してみました、上の写真は「芝大神宮」さんですね(^^)。

途中初めて汐留へ行ったのですが、あの太郎さんの絵は夏までの公開で結局拝見できなくて残念でしたねー、でもシオサイト周辺もオーラがなかなか良いところもあったりして、いろいろ勉強になりました(^^)。



さて、引き続き竹内さんの霊視が続きます。

戦争はもちろんのことです。

こういう人がいました。広島の人で、全身が湿疹で治りません。私の目には、原爆が見えました。

全身のやけどに苦しんで、線路の脇に転がっていた男は、汽車が来るのを待っていて線路に転がり込み、汽車に引かれてその苦痛から逃れました。その人が視えたのです。

何人も責任を取らないその悲惨を、その人は湿疹と言う苦痛で、わずかにかかわりあって苦しんでいるのです。

もちろん、なおりました。しかし、やり場のないいきどおりを私は感じました。

いろいろの悲しみや不幸を見ているうちに、
私は霊というものの働きも、ききわけ方も怒りも、
みんなわかるような気がします。

生きているうちにこれらを明白にしておきたいと、今度はつくづく感じました。…


という感じで、原爆を描いた大きな太郎さんの絵もまた今年復活したということは、後世の私たちへのメッセージでもあり、これも偶然ではないのかなぁって思いますね…。そしてさらに戦争については…、

…歯科医を開業しようとした29歳の男性がありました。一日のうちに何度か理由なしに頭が右肩に傾いてしまって、手で戻さなければ戻らないという奇病になりました。

方々の病院に行きましたが、神経症というだけでわかりません、私のところに写真が来ました。

見る見るあたりは広い原っぱになり、50歳近い、白髪まじりの体格のいい中将が現れました。胸の階級章で中将とわかります。

「閣下、どうなさいました?」

と、わたしは尋ねました。相手はしみじみと、

「私たちは号令一下、全兵隊を動かし、その敬礼の列の中を胸を張って歩きました。全生涯をお国の為に働いたのに、なぜ処刑されなければならないのです?」

とおっしゃいました。

「ご存知のように国は負けました。みなさんは責任をおとりになったことになります」

と、私は答えました。もちろん供養しました。

歯医者さんは全快して、仕事を始めました。



…昔の戦争中の軍馬の片付け跡地とか、牧場のあとの土地とか、犬や猫をうめたというのもさわっているときがあります。

これは清めてあげて大体回復できます。

大学の実験に使った動物なども、かなりの障害になっている時があります。家を建てるときは、土地をちょっと調べてみるほうが安全と考えます。


…と、まぁ奇病や難病がすべてがすべてそのような影響であるわけではないのでビクビク心配することもないのですが、そういうこともある、ということですよね。ですからもうほんと戦争も動物実験も人や動物の気持ちをおざなりにした行為だから、思いが残ってしまうわけですよね。今後はどんどんやはり思いやれる心、江原さんが言うところの「想像力」を使って、私も行動を自動化しないようにしないとといけませんなぁと思いました。


故人がガンで苦しんで死んだとします。

娘さんに喉の痛みが来ます。

「お父さん、いたかったでしょうね」

と言った瞬間、すーっととれたといいます。

故人の無言の訴えを聞いたからです。聞いて察知したからです。

「何で私にだけあたるのよ」

と、怒る人があります。その怒りのこころが、いつまでも回復できない心です。

「よくわかったわ。お察しするわ。でも、もう成仏してくださいね」

となると、なおります。たとえ犬を供養しても、鶏を供養しても、鼻で笑った人はいつまでも湿疹が直りません。

「可愛そうに」と、思った人のは、その日のうちになおります。

要は、人霊が訴えていることをわかってあげることです。五感のない人霊は、こうするより他に訴え方がないのです。それをわかってあげましょう、察知してあげましょう。


と、いうことですが、そうですね、共感して理解してあげるとスーッと成仏なさると言うことも、「天国への階段」を見ているとよくわかりますよね。それで、よく問題になるのが、「自分は霊さんが何を言っているのかわからないのによく寄ってこられて大変」という方ですよね。あまりこう優しい気持ちばっかりでいると、そういう人にはストーカーのようについてくる霊さんも…というお話はオーラの泉でもお話してましたよね。

ですから、ケースバイケースですけれども、霊さんとの対話もホント人間と同じで、冷静にコンコンと諭していってと言うのも良いことも多いようです(^^)。

またご先祖供養でなるほどーと思ったのが、

「ご供養してもらったら、本家のほうばっかりよくなって、私のほうはダメよ」

と、言う人があります。

本家でもどこでも、よくなればいいではありませんか。

自分だけよくなろうという心が、みんなよくなろうということにならなくてはいけないと思います。


というのも、そうですよねぇ〜、「他人は自分」でもあり、必ず大元ではつながっていますから、人がよくなれば自分もよくなっているとなんですよね。ですから、人も大事にしながら、自らも大事にするというバランスをとるのがよいのかなーって思います(^^)。

…という感じで、もう少し感心するお話が続くので、また明日もと思います(^^)。

Posted by fy3on3 20:56:53Comments(0)TrackBack(0)

いのち新し- 母として、霊能者として (竹内てるよ著 /たま出版)

2006-10-29

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はいー今日は天気もよくお不動さんの縁日ということで、目黒不動尊までお参りしてきました。でも実は祐天寺から大鳥神社経由で歩いていったので、ちょっとした巡礼になりましたね(^^)。

あの、みなさんお堂の前でお線香をたいて、その煙を身体に振りかけていますけど、あれって確かにお祓いになるんですよね。私も都内の道を歩いているといろいろくっつくので(^^;)おかげさまで良い浄化になりました。

>>>

さて、この本ですが、竹内てるよさんというと、魂の詩人としてご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。そしてまた有能な霊能者の方だったわけです。裏表紙には少し懐かしい中村メイコさんの推薦の言葉も書いてありますね。

ではさっそく、巻頭から引用してまいりましょう。

<私の使命>

生きて生活している現世の人間の上に、今生を終わった霊魂が、いろいろの形で影響を及ぼすなどということを、人は信じることが出来るであろうか?

私の人生の初めに、このことを教えてくださった、あの暗い岩屋の中の体格のいい女神さまは、ひざの上の私の小さい頬をあったかい指先でさわられながら、

もしもこのようなことがこの世になかったのならば、人間はくるしみということをしらないでありましょう、とおっしゃいました。

苦しみを知らない人間ほど、価値のないものはありません。それは、野に咲く花のようなものであります、とおっしゃいました。苦しみとは何であろうかと、幼い私はただ目をパチパチさせるだけでありました。

お前はそのために行くのですよ、といわれても、何のために行くのか、どこへ行くのか…、苦しみのために行く、とただそれだけしか判らなかった、あの日の岩屋の外の明るい日光を、私は忘れません。

そして、「あぁ、私は人間の苦しみをやわらげるために来たのである。」と判ったのは、二十五歳、そしてその苦しみのために働くのだとはっきり自覚したのは、三十歳でありました。


という感じで、竹内さんは生まれる前の時の状態も思い出していらしたようなのですね。苦しみのない世界から、この苦しみがある世界へ、ということで、やはりわざわざ私たちは修行しに来ているのだなぁ〜ということもわかりますね、その自分が選択して苦労した分、魂が磨かれる、ということですね(^^)。

そして、竹内さんは霊視をします。

ふしぎな女の人がいました。髪の毛が、親子二代に渡って、細かく縮れている、というのです。その女の人は、何とかして、すっきりとのびたきれいな髪の毛になりたいと、相談されました。

この話を聞いた時に、私に何が視えたと思います?私に視えたのは、荷車に箱を積んだ、鳥打ち帽子の人でした。

あごの四角いその男は、一本の血に染まった棒をもっていて、箱の中ではおびただしい犬が叫び声をあげていました。大正時代前の犬ころし、つまり野犬狩りでした。

そして、その男の人と犬とを私が供養したことで、その女の人の髪の毛は、二日の間にきれいにのびたのでした。

うれしげに私にそれを見せながら、その人はいいました。

「世の中に、ふしぎという言葉のあることを初めて知りました」と。

その素直に美しく伸びた黒髪を手にとって、私はほろほろと涙を流しました。供養というものの果たす役割が、これほどはっきりわかったからであります。

供養は、ほんの少しの見栄も、外見も、人に見せるような心は不要とします。必要なのは、ただひたすらにあの箱の中の犬をあわれと思い、ただひたすらに、成仏してくだされと祈る心だけであります。その他に何も要りませんでした。

犬は一匹ずつ、大きい悲鳴をあげて終わっていきました。人間と同じにあわれであり、人間と同じで少しも変わりませんでした。私の中でも、供養者の中でも。すべては同じです。


と、はい、ホントこう昔はなかなか可愛そうでしたよね。でも、やはりどんな生き物も人間と同じ魂を持っているということに気付いて、そして暖かい思いやりをもって接していくことは、このお話を読んでも大切なんだなぁ〜って思いますよねー、また供養というのはお金とかじゃなくて、こう気持ちでよいのだと…。

さらに動物さんとのお話は続きます。

動物にも霊があります。セキセインコはききわけがよくて、鳩はなかなか強情です。猫は引き際がきれいですが、犬は未練ものです。くじらは理屈やさんで、象は素直です。

なぜ、鯨が理屈やさんであるとわかったのでしょうか。

女の人が来ました。全身が冷え切っていて食べ物が落ち着きません。そして、なんと言うことなしに悲しい、というのです。

写真からは果てしない海が視えて、大きいまき網がローラーから烈しい力ででてゆきます。一人の男が船尾に立って、モリを打ったものと思います。

捕鯨船です。

そのモリは子供の鯨にささって、その鯨はひっぱられてきます。モリを打った男は、私のところに来た女の人の息子さんです。

子供の鯨を取って、母鯨を引き寄せるのです。作業は調子よく進んで、大漁でした。母鯨の残念は、その猟師の男の人の母親に来ました。

夜毎に潮風の匂いが二人の部屋にしたそうです。私は母鯨に同情して、一心に供養しました。女の人はまもなく健康になりました。

人間というのはなんと言ういやな生き物でしょう。子供をおとりにして母鯨を捕るなどいうことをします。

鯨さん許してくださいね、と私は心の中で手を合わせました。


と、漁師さんも食べるためのお仕事とはいえ、やはり自然に対しての感謝がないと、そりゃー霊感のあるお母さんのほうにおしらせが来ますよね。またそれって軍隊とかでも同じで、お国を守るために正義の力でーってやっていても、巻き添えになった民間の方たちの思いなどはやはりその人のカルマになって行くということもあるかもしれません…。

眉間に赤あざのある娘さんが来ました。原因は廃馬にした農耕馬でした。多分、薬殺だと思ったのですが、馬が言うには、

「私たちは、手足をつるされて、ハンマーで殴られて死ぬのです、ここを」と眉間を指しました。

その馬の供養であざのとれた娘さんは、喜んで結婚しました。

馬が言うには、というと、みんなが笑います。馬だって犬だって、決して黙っていません。

生きとし生けるものには発言の権利があります。人間だけでしょう、用のないことまでしゃべるのは。馬にしても鹿にしても、大切なことより他はしゃべりません。


と、このようなお話もこないだのスーパーの社長さんじゃないですけれども、人道的に動物さんを扱うということがいかに大切か、ということにもつながってきますよね。

…まぁでも、こうしてみていると病気などは全部霊さんのせいでは?って思い込んじゃう方がかつては多くて、実は自分自身の生き方にも問題があるということを気付かない方もおおかったんですよね、よくなれば良い、と物質的に考える方が多かったというか…。

ですから、本当はこのような事例を霊能者さんが提示してくれることによって、あぁ動物さんもいろいろ学ぶために生きてるんだなぁ〜とか考えられるようになり、思いやりというものを学ぶことができるようになるとのが、良いと思うんですね(^^)。

そしてもうすこし動物さんのお話が続きます。

選挙のことで頼みに来た人がいました。隣の部屋で話をしていると、犬が袖をひっぱって言います。

「この人にはお世話になっています。買ってもらって一ヶ月たたないのに病気でしんでしまったのですから−−。病気は犬屋にいたときからあったのです。犬屋は少し(値段を)負けましたがね。」といいました。

この人はよく病気の世話をしたうえで、庭に埋めたそうです。犬は十分にその恩義を感じていました。

「可愛かったですよ」

とこの人は泣きました。



北方でそりを引っ張る犬を、供養したことがありました。

「一番つらかったのは、寒さではなくて、仲間によわい犬のいたことです。」

と、いいました、人間より立派な心持です。

セントバーナードという犬を知っていますか。飼い主が大切にしてくれたにもかかわらず、奥さんがケチなのでつらかった、といっていました。おなかを充実できなかったのでしょう。

…人間は万物の霊長といっていばっていますが、動物のほうが、よほど情もあり節もあります。


という感じで、ふーむホントですねぇ〜、「ポチたま」とかみてても、飼い主のことを気遣って家族を盛り上げて楽しませてくれてるワンちゃんも多いですよね、前世からの縁があるペットもいるそうですから、大切にしたいものですね。

…で、お話のついでに、私も何かしなくちゃですなーということで、こないだ知人の方からお話があったドッグレスキューをなさっている方にわずかながらご寄付をさせていただきました。

これももう年末なので税金対策?といわれちゃうとなんなのですが(^^;)独身ですと仰山税金払う事になり、あの太蔵君のグリーン車代金になってしまうだけなので、このように、使い道を指定できる税金としてお支払いする、という感じですよね。この方は個人で行っているので控除対象にはなならないと思いますけど、また動物愛護の輪が広がればよいなーって思います(^^)。

では引き続き第二部を分けてお送りします。

Posted by fy3on3 02:03:01Comments(9)TrackBack(0)

江原啓之の幸せのレッスン 第4回 (ニッポン放送)

2006-10-28

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はい、今回は消えないようにと言うことで…(^^;)大体のところをUP致しますね。全文起こし、というわけには行かないので、抄訳という感じですね。

>>>>>

笑顔は、幸運を呼び込むために、
なくてはならないものです。

笑顔がなければ、どんな美人でも、幸運には恵まれません。仕事もうまく行きません。一時的にはうまく行くように見えても、長続きはしません。

逆に言うと、笑顔さえあれば幸せになります。
笑顔のステキな人の周りには、いい人が集まるからです。

仕事も良い人に恵まれて、うまく行くのです。
さぁ、あなたも幸せになりませんか?



ということで、始まりましたが、今日は、デディベアの日ということですが、なにげに似ている江原さんもよく人からペシペシと相撲取りさんみたいに叩かれるそうです、痛点は太っていても同じなので、あまりはたかないで、ぜひ今度は優しくなでていただきたい、とのことでしたね(^^;)。

<今思うこと>

子供の犯罪などが増えてしまった世の中で、一番身近な大人はやはり親です。では親とは何か?。

家族とは何かというと、スピリチュアルな視点からすると学校なんです、山田さんなら「山田学校」。自分でこの家はふさわしい、と思って生まれてくるんですね。

親は先輩、兄弟も先輩後輩また同級生ということでご先祖はOBやOGですね。魂としては来るところは別だけれども、親子は一つの人間関係であるから、親子で気が合わないというのも別に普通でよくあることです、なぜならそれは親子も「人間関係」だからです。

親子でも、似ている親子とそうでない親子があるけれども、それは「魂は別」ということのあかしですね。ですからそれはそれでいろいろ学びがあると、反面教師だったりとか、でですね。

また子育ては一つのボランティアですよね、そこでは子供に教養を身につけさせることも重要です。美輪さんもおっしゃっていますが、今の人はつめこんだ知識ばかりあって教養がない、教養とは知識をどのように人生に生かすことができるか、ということなんですね。

たとえば日本人はみんな同じブランドのバッグ持ったりして、どうもセンスがない、というのもありますよね、ちょっと厳しいこというと、美的な教養がない、ということですね。

そのようなマナーとか教養を身につけさせることが、親というか、先輩としての役割でもありますね。でもある程度大人になったら、人間関係として尊重しなくてはいけないから、友達と一緒、というところもあります。ですから「親だから」というふうに威圧してしまうのもおかしいですね。親子の人間関係を大事にしていくのが大切だと思うのです。

そして、ある程度の時期を過ぎたらあとは、パトロン、スポンサーになるわけですね。「今の時代、せめて大学には行ってちょうだい!」という親がいますが、何で頼んでお金出して、学費に悩んでまで上の学校にいかせる必要があるのか、私は不思議に思うんですね。

年齢超えたって、働くようになって、勉強が大事だと思うと、実はそのほうが成績優秀になるんですね。そのような人のほうが、やりたくて勉強するから、逆に若い人のほうが成績も低かったりするんです。

私も2つの学校に年齢は遅れて入ったけれども、見ていると他の40歳くらいの方が成績トップで、まるで年功序列のような感じで成績がよかったんです。私が音楽の学校にいた時も皆勤してました、必要に駆られて、自分でお金も出しているので一回のレッスンでも欠席するともったいないと思ったんですね。

ですから「行ってちょうだい」、というのは物質的価値観で、やるきなかったら働いてちょうだい、でいいんですよね。急がば回れで、人生に遅いというのはないですね、そして親は必要な時にサポートするのがいいんですね。

子供がもし上の学校に行きたいと言ったら、たとえばの話、親も面接して、その動機を聞いて、後でちゃんと学費を返済させるようにするなど、社会のルールにあわせて行くのも良いのではと思いますね。そうすれば子供も頑張ったりと、そういうほうがよっぽど自立しあってて良いと思います。



また見ていると、そもそも親とは何か、なぜ家族を築くのか?ということを考えることによって、親子の問題というのだいぶ解決してくるのでは?と思いますね。ニートの問題もそうですが、親の物質的価値観を押し付けないことですよね。

でも、そういう親も暗中模索だと思うんですよ。しかし、どれだけ与えたかではなくて、プレゼントも心がこもっていなかったらつまらないんですよ。
悲しい時にいっぱいプレゼントをもらったから立ち直れるかというと、立ち直れないんですよ。

それよりも、ほんとに身近なところで一声をかけてくれたりすることとか、ただ座ってくれるだけでいい、寄り添うことが重要だと思うんです。

なぜかといえば、親子で出来ないものは、外でも出来ないんです。生まれてから一番わがままが言えるのは親子だから。こう家族は無条件の愛を示せるところだから、ここを一番大事なふるさとにしていくべきだと思うんですね。

最近の親は、自分は何も子供にしてあげられないんだ、離婚したら子供に何にもしてやれない、などと言ったりしますが、要は「込め」ればいいんです。込められた子は、絶対幸せで、どんな屈強な困難があってもかならずや立ち直れる力がつくと思うのです。

どれだけ与えたかではなくどれだけ込めたか、「込める」を私たちの暮らしの基本にしていきたいものです。

(曲:ドヴォルザーク・わが母が教えた給いし歌)

この曲を聴くと親子っていいもんだなぁって思い出される曲ですね(^^)。

<ゲスト:イルカさん>

人との出会いは、人生でもっとも幸せな出来事。
この時間は、音楽の世界で活躍する、さまざまなアーティストをお招きして、その方が紡ぎだす、ことたま、おとたまの世界を紐解いて行きたいと思います。


江原:イルカさんがスピリチュアルソングを作るとしたら、どんな歌詞などがよいと思いますか?

イルカ:「こころ」ははずせないでしょうね。

江:今は心を生き返らせることが大切ですね。

イ:私もついつい忙しすぎるということがいけないのじゃないかとおもってね、すこしのんびりしていると、こう創作的なことがどんどん湧いてくるんです、そして不思議と同時期にそういう依頼も増えてくるんですね。

今も絵本を書いていて、これがなかなか大変ですけれど、それも喜びなんですね。25年ぶりに書いてます。前の本の時はサイン会をしたんですよ。

江:私もそのときのサイン会行きました、渋谷の西武デパートに。長蛇の列でしたけど、そのときに写真もあります。

イ:絵本は心を落ち着けないとかけないし絵を書くのが時間がかかるんですね。それで、今アジアアフリカの子供たちに愛を届けようという基金の活動にも参加しているのですが、そのキャンペーンソングの「真冬の天使」という曲も、新聞にインドの子供が赤ちゃんを抱いている写真があって、それを見ているときにに思い浮かんだんですね。まるでその少年の瞳に書かされたという感じです。

江:この曲の歌詞もホントに今の時代に必要ですよね。それで、私は「言葉を運ぶ船が、おとたま」だとおもうんです。おとたまの船に乗っかってことたまが人の心に入っていくと思うんです。



またこの歌詞にも、セーターがいっぱいあっても着る時は一枚だけ、とありますけど、日本にはどうしてこんなに物があるのかと思いますね。

イ:私も最近荷物整理してますけど、そうするとほんとにスッキリしますね。江原さんもお掃除が大事とおっしゃっているけれど、ホント掃除すると家が見違えるように光ってくるんです。ですから不要なものをもらってもらう人を全国各地に決めているくらいなんです。

江:でもね、最近の日本って、もらって欲しくてもみんな余っているからいい、って言うんですね。物を送ると迷惑になるかしら?って思いながらね。でもこれはちょっとおかしいのでは?って思うんです、外国とのバランスが取れてないですよね。

イ:私も家族でいつもバリ島に行く時に、チャリティで服とかもっていくのですが、差し出すとみんな目の前ですぐ持って行ってサーっとなくなるんですよ。それをみんな着てくれているのを見るのもうれしいしいんですね、服も喜んでるの。

…だから日本のように物があふれているのは、ある意味、不幸かもしれませんねー。



江:「こころ」って愛の電池が蓄えられていないと誤作動をおこしてしまうんですよね。たとえば実は買い物ばかりしたくなるのは愛が欲しいからなんですよ。

イ:では、今のような「愛の電池」という曲はいかがですか?江原さんがよくおっしゃっていることが歌になると良いじゃないですかー。

江:はい、では有難く頂戴いたします(^^)。

<曲:FNSチャリティキャンペーンソング「真冬の天使」>

江:この曲もホントに心にしみる歌で有難いなぁと思います、このような愛の波動が世の中にいっぱい伝わってくれればーと思いますね。さて、これからのご予定は?

イ:2月にも新宿でチャリティコンサートがありますね。

江:わたしもまた乱入するかもしれませんね(笑)。


<スピリチュアル・カウンセリング>

・僕は時々憑依現象を受けてドカ食いしてしまいます、波長を高めるような曲は?

内観がすべてなので、テーマソングのカバリリア…の間奏曲などもいいですね。そしてドカ食いをしていまう…、私もいつも反省ですが、現代人はそういうリズムで生きているから食べちゃうんですね、気持ちで食べちゃう。

落ち着きたいけど休息がないので食べちゃう、現代人は朝から夜寝るまで、ずーっと何か動いていて、トイレ入っていてもメールしていたりして、動かない時間はないのでは?と思うんですねー、自分自身の心を見つめる時間がないんですね。

たとえば、パチンコ屋さんの軍艦マーチは球をたくさん打たせるためですし、食べるところでも軽快な音楽をかけると回転がよくなるのではとおもいますよね。ですから、逆に食事の時にゆったりとした音楽をかけると、テンポがゆっくりになって早く食べれなくなると思うんですね。

また興奮はオーラで言うと赤ですから、冷静を加えるとよいですね。物質界で言うと水ですね、水をたくさん飲んでから。考えればいいんです、そうすれば食欲も失うと思うんですが、実はその暇もないんですよね、私がいつもそうです(笑)。

では次、気を取り直して…(^^;)。

・主人が二年くらい前から過呼吸症候群とうつ病、不眠、気持ちがおちこむ、頭が締め付けられるなどの症状があります。ある霊能者にきくと、前世とのかかわりがあり、一生治らないと。なおすにはどうすれば?薬を一生飲み続けなくてはならないでしょうか?

ちょっと最初にイジの悪い見方をすると、最後の「一生薬を飲み続けなくては?」という言い方は、物質で判断するのは少しいけないですね、薬を飲み続けたって別にいいわけですね。身体が快調で、そして毎日を有意義に生きられたなら、ですね。その薬を…というのでもう被害妄想というか、不幸だーっていう風にしてしまうのはもうそこで問題なんですね。

そういうところもポイントなんですよ、私も相談者の方ってね、「どうしてこういう考え方するかなぁ〜?」と思うときあるんですね、そういうことが不幸を呼び込むポイントでもあったりすることも忘れないでいただきたいと思うんですね。その人が輝いて生きられれば良いということですね。

そして「一生治らない」と言われました、とありますが、もし本当にそうであれば、霊能者の方もいわなければよいわけですよ、一生治らないことを敢えて言うことないですよね。

また、それが宿命であれば仕方がないですが、おおよそれは運命の法則でね、治らない、って言ってしまうほうがおかしいですよね。今回のようなものも、先天的なものとはちがうわけですから、症状を軽くして生きることはできるのか?ということですよね。
だから「治らない」と言うのはまず間違い、と思うんです。

そして少しお答えしますと、「少し時間を見て上げなさい」という言葉が還ってくるんですね。それはどういういことかというと、早く治って欲しいというのもわかるんだけど、それは物質的価値観から来るものだから、まず、

この方が、いろいろな精神的なものを持ってね、こういう風な症状、病気になった、そしてそこからもどるというのは、少し時間がかかる、と言う風に猶予をみないとですよね。なんでもやっぱりみんなインスタントを望む、これも物質的価値観ですけれども、そうじゃないんですよね。

それで、彼の問題点は、精神的なもろさなんですね。実は人間関係からやってきている。言いたいことが自分が言えない、と言うことが実は、呼吸器に来ているんですね。



で、スピリチュアルな面から言って、病気って三つの種類があるんですね。

1.肉の病 過労などで自分で悪くしてしまうこと。

2.思い癖の病 こころ、たましいがシグナルとなって病気で教えてくれると言うこと。

たとえば自分自身の人生が不平不満で消化できない、と消化器系が悪くなるんです。「何で俺はこんなめにあわなくちゃならないんだー」ってばっかりやっていると、消化器悪くなるんです。考え方を変えなさい、というサポートを受けている、自分で自分に教えているようなものですね。

3.宿命の病。寿命や課題としてもってくる先天的なものですね。

そしてわたしはこの方は思い癖の病つまり、運命の病だと思うんです。そしてその彼がいい子でいけない自分というのがあって、親御さんからも可愛がられていいこだったと思うんです。でも自分の本音がなかなか言えない。

でね、言えない人生の息苦しさがあるということを呼吸器の病で教えてくれているわけですね。そして、うつ、と言うのもある意味では心のフリーズですね。

たちどまって身動きが取れない、だれでもあることですが、それがずーっと継続してしまっているのがうつ状態ですね。

ご主人の場合はやっぱり思い癖があるから、ご自身がそのこころを聴いていてあげることですね。

でも、「じゃぁ話して」って言うのではなくて、寄り添うことが大事なんですね。相手が口を開く時間を作る、なんてことない時間をつくる。お茶飲んだりとか、無駄な時間を作るんですね、そうしているとぼそりぼそりとでてきますね。北風と太陽のような感じですね。

悩み事を聞く時も無理やりは無理ですね。そういう時間を大切にすることですね、そうしていって心のかげりをとって、新たな視点を持てるようになるまではまだ1,2年かかりますよ、って守護霊さん言われているんですね。

1、2年だからいい、というのではなくて、そうやって心を知る、改善していくと言うことですね。短絡的に決め付けないことが大切なのです(^^)。


・私の悩みは人を心から愛すことが出来ないんです。男性にも親近感を感じないんです。好きとはわかるが愛すると言う感情がわからない。でも結婚したい。感情障害なのでは?と思います。


結婚が人生すべてではないし、こどももそう、すべては学びだから。結婚をしない学びもあります。

人間関係も、人がいるから悩むんです。孤独もそう、人がいるから孤独。いる悩みがあり、いない悩みもある。

子供も、持つ悩み、持たない悩み、いろいろある。結婚も、すべてはメニューですね、したから立派、しないからどうとか関係ない、すべては自由意志ですね。

この方は結婚をしたいと願っているのですが「このままではかなわない」というのもネガティブで足引っ張っちゃっていていけないですし「感情障害」などと、すこし言葉が悪いですよね…。


それで、ポイントは、恋愛も結婚も人間関係もそうですが、うまく行く秘訣は、「あなたが人が好きですか?」ということですね。

異性とか親子とか役柄を決める前にまず人間が好きかどうか?人って面白いなーとか、人は可愛いなーとかいう気持ちをもてるかどうかです。

そうして人を愛することができていると、どんな人も可愛く思えるんです。でも愛せないというのは、まず自分の「愛の電池」を溜めることですね。

ですからまず「自分を愛する」ということ。また霊視すると、この方は完ぺき主義なんですね。褒められて立派な自分が当たり前と思い込んじゃって、そうするとね、失敗を恐れるんです。

出会っても好きだなと思っても学歴がないとか、職種がとか、なんでも感情をを押さえてしまって無機質になってしまうんです、そのままの気持ちでいけばいのにですね。

たとえばおなかがすいている時はあまり考えないで食べますよね。これが好きあれが嫌いってやっているうちは、本当におなかがすいていない証拠なんです。

ですからどこかで自分の中で、ホントに人ににかかわりたい寂しさとかね、理解されるうれしさとかが、まだまだちょっとわかっていないかもですね。

そしてまずは完ぺき主義をなおすということですね。自分も完璧でなければ相手も完璧ではないということ。そして完璧でなくてはいけないことは一つもないと言うこと。

むしろ完璧だったら、生きてないです。すごい完璧な人は、むしろ早死にしますよ(笑)この世にいるって言うことは、もっと学べ!ということだから。完璧でないから生きているんですよ。

ですから、失敗を恐れない、また「愛する」ということも、付き合い始めてから愛が芽生えてくると言うのは悪いことではないんですね。惚れっぽいひとほどお別れも早かったりしますね。ですから接していく中で愛をはぐくんでいくのが大事ですね。

まとめると、愛の電池の再確認と、完璧でない自分を愛すること、また、失敗はないのだから恐れないで、ということですねー(^^)。


<クラシック・セレクション>

今回はフジコ・ヘミングさんのラ・カンパネラです。もうすでに有名な方でいろんな苦難を乗り越えて今花咲かれているという方ですが、最初聞いた時、音をつむぐ感じがして鐘(=カンパネラ)の音がするなぁと、とても感動しました。人生の喜怒哀楽が自分の人生にも当てはまるような感じでしたねー、ある意味勇気を与えられる曲だと思います。

またたとえばもっと早く引けたりとか、技巧的にうまい、という人もいますけど、そういうのと、良い、というのは違いますよね、スピリチュアル的にもどれだけ「込めたか」ですよね。

<エンディング>

いろいろ厳しいことも申し上げてきましたけれども、人間って、いろいろなものをこうほじくりだして恐れちゃうものですよね。

それで、幸せとはなにかというと、例えば、みんな健康が幸せとか言うのも、実は物質的価値観なんですよね。じゃぁ病気になっちゃったら不幸せってことでしょ?

だからそういった意味では本当の幸せって何かと言うと、「何も恐れることがない」ということなんですよね。

だから生きることの意味っていうことを知っていると、ちょっとつまずいたとき転んだときも、意味がある、それをしっかりと受け止めていけたら人生怖いものないんです。

だって、「死」も「ふるさとに還るだけ」だともしわかっていたとするならば、何も怖いものはないでしょ?だから、みんなが、何も恐れない人生につながってくれたらいいなぁって、今日もしみじみ思いました。

愛とは、どれだけ与えたかでなく、

どれだけ「込めたか」である。

「込められた人生」は「幸い」です。

素敵な週末をお過ごしください。


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ということで、非常に良いことをおっしゃってるとてもよい番組なので大変感謝なのですが、ささやかなお願いとしては、はよ全国ネット放送にして欲しいなぁ〜と思うのですね(^^;)。

それにはもっとスポンサーについてもらわなくてはいけないということなのでしょうが…私も何のご縁なのか、このニッポン放送さんにはに少しお世話になっていましたから、よく存じておりますね…(^^;)。

…それにしても、高校の履修不足問題も、ほんと物質的価値観ですなぁ〜と思いやられますよね(^^;)。まぁ知識よりも教養と言うことで、学校の先生方ほどスピリチュアルな考え方をもっと学んで生かしていただきたいなぁ〜って思いますよねぇ(^^)。ではまた第三回もマイペースにと思います。

Posted by fy3on3 02:54:41Comments(4)TrackBack(0)

仏典・スッタニパータ (河出書房新社)

2006-10-27

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はいー、深夜に放映されている「CBSドキュメント」で、米ホールフーズ・マーケットのジョン・マッキー社長さんが出てましたね。

この方は、自分のところで売る肉などの家畜に「動物愛護基準」を設けて、人道的に扱った動物のみを売っている、ということでした。

「どんなに大切に育てられたロブスターでも、最後はお湯に放り込まれて、ゆでられて死んでしまう。つまり、品質にはあまり関係ないような気がしますが?」

と記者のダン・ラザーさんが質問すると、マッキーさんは

「あなたはいつかは死ぬ。最後は死ぬからといって、生きているうちの生活の質は関係ないといえますか?

質の高い生活、つまり、クオリティー・オブ・ライフこそすべてなんです。それは、人間でもロブスターでも同じでしょ?たとえ寿命が違っていてもね。」


と、いう感じで、一般的には犬公方みたいでちょっと極端かな?って思われそうですが、スピリチュアルな見方で見るとこれは当然ですよねー。この社長さんも昔はヒッピームーブメントに染まってた時があったということですから、いろいろ精神世界にも造詣が深そうなのです。

まぁそうですよね、いつかお肉になってしまうとはいえ、可愛がると当然愛情もその動物さんに伝わるわけですから、その分リラックスしてよいオーラを出すようになりますし、病気にもなりにくいと思うんですよね。まぁホントはお肉にしないというのが良いとは思うんですが、私たちが生きているうちに世界中の人がベジタリアンになってしまうことは、おそらくないと思うので(^^;)でしたら大切に感謝していただくというのが良いですね。お魚さんや野菜にしてもそうだと思うのです。

そして、その良いオーラの商品がが並んだお店というのは当然のこととして同じように明るいオーラをもった意識が高い良質なカスタマー(≒お金持ち)をひきつけるわけですね。ですから少し価格が高くても繁盛するわけです。コリャー日本でも広がらないかなぁ〜って思いますね(^^)。

また、野菜などもオーガニック中心にそろえてあるわけですが、アメリカでは今オーガニック食品の売り上げがおととしに比べて17パーセントも伸びているということなんですね。

そして、自国だけでは生産が追いつかないので、これからは中国など外国でアメリカの厳しい基準をクリアできるような有機野菜を作るようになっていくのではないか?ということでしたねー、そうなると世界的にも環境に優しくなってこれまた良いですよね(^^)。



というわけで、このスッタニパータというのはパーリ語で書かれた南伝の仏教経典ですね。非常に平易な言葉で書かれているということで、こちらの方のページにもいろいろ載ってまして、勉強になりますねー(^^)。

ではそのなかから第13章を…、

<正しい遍歴修行>

「豊かな智恵を備えて、流れを渡り、彼岸に達し、涅槃を完成し、安定している聖人に尋ねる。出家して、欲望を捨てた修行僧が正しく世間を遍歴するにはどうすれば良いのか?」

尊いお方は言われた。「吉兆、異変、夢、相にこだわらず、吉凶を気にかけないものは、正しく世間を遍歴する。

再生から解放され、法を知り、人間および神々の快楽に対して欲望をもたない修行僧は、正しく世間を遍歴する。

誹謗せず、怒りと物惜しみを捨て、好悪のよりごのみをしない修行僧は、正しく世間を遍歴する。

愛憎をともに捨て、何者にもとらわれず、たちよらないものは、正しく世間を遍歴する。

再生の要素を重んぜず、執着への欲望を抑え、たよるところなく、他の人々の誘いに乗らないようなものは、正しく世間を遍歴する。

ことばにおいても、こころにおいても、行いにおいても逆らわず、法を正しく知り、涅槃の境地を求めるものは、正しく世間を遍歴する。

“尊敬を受けた”といって高ぶらず、罵られて恨まず、人から食物をもらって陶酔しない修行僧は、正しく世間を遍歴する。

貪欲と再生欲とを捨て、生き物を縛ったり切ったりすることなく、疑惑を超越し、悩みを離れた修行僧は、正しく世間を遍歴する。

自分にふさわしいことを知り、世間の何者をも傷害せず、法をありのままに知る修行僧は、正しく世間を遍歴する。

迷いの習性なく、悪の根を絶ち、欲求希求することのないものは、正しく世間を遍歴する。

欲情の流れを根絶し、傲慢を捨て、あらゆる欲を超越し、自制し、涅槃に達し、安定しているものは、正しく世間を遍歴する。

信念あり、多く学び、解脱の確信を有し、徒党の人々の間にあっても徒党に組せず、賢く、貪欲・
瞋痴・憤慨をおさえるものは、正しく世間を遍歴する。

清らかにして勝利者であり、おおいを取り除き、物事を自由に処理し、理想の彼岸に達し、動揺せず、潜勢的構成力をほろぼす認識能力を備えているものは、正しく世間を遍歴する。

過去と未来についての時間を超越し、清浄さと智恵とを備え、あらゆる感覚の領域から自由となっているものは、正しく世間を遍歴する。」

「尊いお方よ、まさにそのとおりであります。このような生活をして、自制し、あらゆる束縛を超越している修行僧は、正しく世間を遍歴する。」


…ということで、ふむー確かにこれだけ世間に対して超然としていられれば心の乱れやモヤモヤもなくなって常に清らかなオーラでいられそうですねー、なかなか難しいわけですけれども(^^;)ですから私たちも輪廻転生を繰り返して執着をとる訓練をしている、ということですよね(^^)。

それらもまさに江原さんが言うように物質主義的価値観からいかに脱却できるかが問われているんだなーって思います、この経典にあるように、実は何千年も前からですねー(^-^)。

ですから私も常日ごろから「この世は夢」だと申し上げておりますが、もし夢であれば、ホントに何も執着することはないから大丈夫、ということなのですよね。この世はまるでなかなかリセットできないRPGゲームの中のようなので、いつでも試されているわけですね、私も試されては不合格の時がおおいようですが…(^^ll)。

まぁそして正負の法則、カルマの法則、波長の法則と、かならず与えた分だけ還ってくる法則がありますから、何も心配することなく、過去のことも引きずることなく、今この瞬間から気持ちを切り替えて新しく始めれば、その瞬間からあたらしい良いカルマを作り出せるわけですよね、見た目はそうでなくても、だいぶ公平な宇宙の仕組みなっているようです(^^)。



ですので、まぁ政治経済の世界では防衛庁も省に格上げとかやってますが、クラーイ人間の尽きない欲望に翻弄されておもいわずらうことなく、人生を自由に生きていくのが一番かなーって思います(^^)。

Posted by fy3on3 03:04:23Comments(0)TrackBack(0)

中村橋之助さんの「オーラの泉」。

2006-10-25

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はいー今日は東京も晴天で気持ちよかったですねぇ(^^)/ということで、今日は中村さんなのですが、久々に美輪さんのお祓いも見れそうですよね(^^;)。

ではミンカルもお待ちしております。そして今回のミンプレは、札幌のリカコさんご提供の「天国の子どもたちから―残された家族への愛のメッセージ」単行本を抽選で一名様に差し上げます(^^)。


ご希望の方はミンカルとともに「ミンプレ本希望」の旨お書きいただければ、後ほど抽選いたしますので、どしどしご応募ください(^^)。23時15分までのご応募が有効です。

>>

はい、緊張してしまうのでどうすればよいか?と美輪さんに聞いてましたが、男性はやはり緊張しがちということでしたね、尾上辰之助さんもデリケートだったということですねー。その辰之助さんが今日は橋之助さんをこの番組にお連れになったということですね。橋之助さんの精神的な行き詰まりを解いていくため、ということですね、またことあるごとに手を合わせてくれることを感謝している、ということですね。

また、美輪さんの姿勢がいつも変わらないことについて、感情的になると物が見えなくなるから、まず姿勢を正すと。首が立って左右対称にするようにすると、理性的にいられる、ということですね。

また神仏のものが家にたくさんあるので、それがたくさんたまっているのも見えると、それを粗末にすると眷属さんが怒ったりもするのであまり送るのは良くない、ということですねー。

またたまにいろいろな幽霊さんを見てしまう、ということですね。徳川信康の役の時に命日だったので出てきてくれた、ということですね。

また役者さんはやはり霊感体質ということですねー。

オーラのカルテは、多い色はシルバーと赤、信念は強くて、こつこつとした勤勉さもあると。

また前世が、というところで、だいぶ間がありましたが、たくさん幽霊さんが来ていていたということで、美輪さんがお祓いしていましたねぇー。おー、気合を入れていくと徐々にいなくなっていったようですねぇ。やはりこう家系に思い半ばに亡くなっているかたなどがいらしたようで、満杯になってしまったということですねー。江原さんに言付けしていこうとしていたということですねぇー。

まぁそれだけ歌舞伎界の担い手でおありだということですね。わかってもらえる人、責任の重い人に陳情に来る、ということですね。

そして前世も歌舞伎役者さんだったと、またガイドさんの中にはひとり西洋の科学者さん、微生物の研究をしていて方がいたということですね。だから何でも細かく知りたくなるということですね、シミもきになるという…。それで中心のガイドさんはお坊さんで、コンコンと理論的に説教するような方ということですね。

また辰之助さんからは、これからはもっと奔放に、というメッセージですね、いっぱいいっぱいなので…。それを聴いて左肩が軽くなったと。ご先祖さんも思いを伝えていけば良いということですね。
そして歌舞伎界全体の方の総供養をなさっていかれると良いということですねー。

また、お子さんの時にお会いしている方なども皆さんあちらから応援してくれているようですねー(^^)。また女形のほうももっと極めていくと立役もうまくなるといういことでしたねぇー。

>>

というわけで、来週は酒井美紀さんですなー、なかなか世界一になれない人との関係のことも話題にのぼるのかどうなのか?ドキドキしますねぇ(^^;)。というわけで来週も楽しみです。

Posted by fy3on3 17:43:57Comments(13)TrackBack(0)

スピリチュアルメッセージIII 愛することの真理 (江原 啓之著 飛鳥新社)

2006-10-24

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はいー、「幸せのレッスン」の起こしがなかなか進まないので(^^;)、引き続き時間があればまたUPしていければと思いまして、とりあえず次に参りますが、この本も実はまだご紹介していなかったので取り上げます(^^)。

昌清さんはもう皆さんもご存知の通り、江原さんの指導霊さんのお一人ですよねー。前書きにもこう書いてありますね。

昌清霊(昌清の命(みこと))は戦国の世に生き、もともと京都御所護衛の職にある武士で、後に出家をし、修験道の行を積み、加持により治療に長けていた人でした。

江原氏と昌清霊の交信は約20年前から始まり、その間約2年の帰還を除いて、現在まで数多く行われています。

交霊会では、まず参加者全員で「聖フランチェスコの祈り」を唱え、しばらくの間精神統一をしてから、江原氏を通して語られる昌清霊の言葉を待ちます。交霊後、それぞれの参加者の質問に対して、江原氏を通して昌清霊の言葉が語られていきます。


…ということで、そのまま昔の言葉で語られる、ということですね。そして最初に「大我の愛」と「小我の愛」について述べられています。なんだかそのまま書くとお坊さんの説法のように堅苦しい感じですが、説いていることはシンプルですよね。

「大我の愛」は霊的視点による愛です。神の愛のように惜しみなくただ与えるこの愛こそが、「まことの愛」であると、昌清霊は語っています。

一方、「小我の愛」は物質的視点による愛。昌清霊は通常この世で「愛」とされている恋愛、家族愛、友情などはみな「小我の愛」であり、「愛」と名づけること自体が誤りだといいます。ただし決してこれらを否定してるわけではありません。

「小我の愛」に身をひたし、その中で喜びもかなしみも数多く経験することが、「大我の愛」に目覚めていく唯一の道であると、本書全体で語りかけているのです。

…二つの「愛」のそれぞれを、もう少し詳しく説明しましょう。「大我の愛」は私たちの中にある、もっとも崇高な「神」の部分から出てくる愛です。そして、霊的な価値観に立ってこそ発揮される愛です。

私たちはみな「霊的存在」であるということ。このような「霊的真理」、もしくは昌清霊の言葉で言う「叡智」を深く理解したたましいからあふれ出るのが、「大我の愛」なのです。

「大我の愛」は見返りを求めません。ひたすら与えることを喜びとします。なぜなら、霊的視点では、自分と他人の区別はないからです。私はあなたであり、あなたは私。つまり人類すべてが「私」なのです。

人間だけではありません。動物も、草も木も、石も「私」。
究極的には「神」も「私」です。昌清霊が語るところの「神我」が、私達すべての人間の中に宿っているのです。

…物質界だけがすべてだと思えば、「失うことの恐れ」が生じます。他人に少しでも分け与えることを惜しみ、今もてるものに執着し、奪われることを恐れます。そして、命ある間に少しでも多くの物質や快楽を得て、詐欺や駆け引きをしてまで他人を出し抜いて生きようとさえ考えるでしょう。

…両者は、つねに混ざり合って存在しています。「大我の愛」の中にもわずかな心のゆるみがあれば「小我の愛」が顔を覗かせます。また、「小我の愛」の中にも、ふと、誰のたましいの奥底にもある「大我の愛」が小さく光ることがあります。


という感じで、私たちは「内観」をしながら自分を見つめ反省し、「光と闇の法則」のもと、さまざまな経験を積むために転生をくりかえし、…

(光と闇の)両方を体験することで、あらゆる物事の両面を理解していく。そして完全なる調和、完全なるたましいを目指していく。それが、私たちが神へと向かう旅路なのです。


ということですね(^^)。まぁ以上のような説明はもう聞き飽きた、という方もいらっしゃるかと思いますが、なかなか実生活で「大我の愛」を持ちながら生活するというのは、この社会ではムツカシイ、ということも多いですね。ですから、年がら年中自分を鼓舞喚起していないと、結構「小我の愛」をもとめて寂しい自分になってしまうことも多いかと思います。それに対して昌清霊さんは

(質問:でも固体に宿った魂は「霊性の向上」という本来の目的さえ、忘れて生きていることが多々あります。)

しらぬゆえの感動こそ、大切なのじゃ。忘れていた真理を思い起こす、思い出す、という行為こそが大切であるのじゃ。

たとえば、ぬしらは、この国にいて当たり前と思うておることが、この国より不自由な国に参ったときに、当たり前でないことを知るであろう。それにより、この国のよさが改めて認識される。このことに極めて似ているのじゃ。

感動するということは、いわば、物質界にいて忘れていた真理を「思い出す」ということでもあるのじゃ。


と、私たちは実はもともと神と一体であるということを忘れているだけですから、それを思い出せばよいという、いわば簡単シンプルなことであるようなのですね。

たましいは、もとは神じゃ。誰にでも神我が宿っておる。どの者も神の粒子なのじゃ。ぬしらはみな、神。その神が、小我に覆われて生きているのじゃ。

その覆われた小我を強く保つのか、または、その奥底に潜む神我を光らせるのか、どちらを選ぶかが大切なのじゃ。


ということで、ふむー私もこのようなスピリチュアルな考えを学ぶにしたがって、どんな人の中にでも「神我」が宿っているのだから、もし今それが厚い雲で覆われてしまって大変な状態でも、それはいつかはその人が自分自身でそれを取り去ることができ、自らの本当の力を発揮できるようになるので、その時の状態だけを見て人を判断することはあまりしなくなってきたようです、でもまだまだ未熟ですのでいろいろなことはチョコチョコありますよね、まぁ学びの過程なので、マイペースにですね(^-^)。


それで、まぁほんとにとてもこの本もよいことが書いてあるので一家に一冊、という感じなのですが、すべては偶然ではなく、今目の前で起こっている出来事もちゃんといつも自分で選んで選択している、ということに気づいて一つ一つ良い方向に向かうように前向きに対処していく、ということが、とても大切なんだなぁ〜って改めてわかった様な気がします。

そして、この本には後半に応用編として「愛」についての江原さんの解説が載っておりますね、そのなかからでは…、

(質問:親に愛されていないのではないかという、幼少期のトラウマから、自分がときどき無価値に思えます。)

育ってきた過程の中で、親などの愛をあまり受けられず、健全なプライドを持たされなかった人は確かにいます。でも、一人前の大人になってもそこで停滞してしまっているのは、本人の感性のないことの現れです。

私はいつも「10パーセントの愛に気づけない人は、100%の愛にも気づけない」と話しています。今生きているということ自体、数々の人に愛されてきたことの何よりの証拠です。

赤ん坊の時は、おしめを替えてくれた人がいたでしょう?ぎゃぁぎゃぁ泣き喚いても、回りの大人たちはみんな笑って我慢してくれたでしょう?抱き上げてあやしてくれた人もいたはずです。

それ自体、たくさんの人たちに受け入れられ、愛されて生きてきたということなのです。また、いかに愛されず育った人でも、その埋め合わせは大人になってから必ず出来ます。

現実の生活の中では、誰かとの愛ある関係を、自らの意思で築くことが出来ます。精神面においても、霊的真理を学んでいけば、いつでも守護霊や類魂といった霊的存在、ひいては神にあいされているという叡智を得ることが出来ます。

自分から心を閉ざさない限り、孤独で寂しい人など一人としていないのです。



…ということで、ふむーなるほど、なかなかやはり私もご相談受けていても、お小さいころからなかなか親が大変で自分が我慢して生きるほかなかった、という方も多くいらっしゃるので、どうなのかと思いましたが、やはりそうですね、もう過去は過去として、実は今からなんですよね。どんどん愛情を受け取るようにしていくのが良いようなのですねー。

それで、あまりにもこうやはり自分で閉じてしまうと、その波長がまた同じような方を引き寄せてしまってなかなか癒されない、ということもあるので、とりあえずどんどん前向きに心をヒーリングしていくと、私が見ていてもオーラがどんどん輝いてくるので、人間関係も変わってくる、と言うことも多いですよね。

自分=神ですから、その自分の心というのもいつも現実を作り出すパワーを持っているということに気付いて、毎日明るいエネルギーを作り出していくことが、幸せにつながっていくのではないかなぁ〜って思います(^^)。

また江原さんもこうおっしゃってますね。

(質問:遠い国で、戦争や貧困などに苦しんでいる人たちが大勢います。その人たちに対して、私たちに出来ることは何でしょうか?)

遠く離れたところからでも誰でも出来ることは、当然ながら「物質面での支援」そして「祈り」です。

…(しかし)大切なのは具体的な物量をどれだけ与えたかではなく、どれだけの愛を込め、祈りの思いを送ったか、なのです。

祈りは大切です。祈ることは寝たきりの人にも出来ます。祈りの力、人間の念の力をおろそかにしてはいけません。世界の数十億の人たちが一度に同じ思い出祈りをささげたなら、それがどれだけ大きな力を発揮するかは、計り知れません。

ところで、世の中には重い障害や意識のない状態ゆえに、祈る行為さえ出来ない人たちもいます。しかし彼らは、その存在自体が十分「祈り」になっています。

彼らが生きているのは、奥底にあるたましいが必死に生きようと働いていることの表れです。そうした賢明さが周囲にも勇気を与えていること自体、尊い祈りに匹敵するのです。

もう一つ、ぜひ行っていただきたいとても大事なことがあります。それは「霊的視点を伝えること」です。…「霊的真理」という贈り物こそが、人間の価値観を大きく変え、たましいからの平和と幸せをもたらすことができるのです。


という感じで、イヤーホントそうですよねー、祈りってこう私もどんどん明るく祈るどんどんその方に伝わって行くのがわかりますよね。まぁ祈りとともにその行動も伴っていくのが良いわけですから、また今後とも一歩一歩と思います(^^)。

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江原啓之の幸せのレッスン 第3回 (ニッポン放送)その2.

2006-10-22

はいーでは<今思うこと>つづきです。

>>

また親も親で、自分自身のトラウマでもって子供を見るでしょ?公園デビューとか、幼稚園とか、いっぱいカウンセリングうけるけれども、「うちの子は、友達とうまく行ってないんです、どうしたらよいでしょうか?」ってね、よく相談来るんですが、

幼稚園くらいってね、いじめって行ってもそんなにたいしたことないんですよ。あのね、(親が)自分自身を投影してみちゃうんですね。子供がグループから離れて遊んでいるのも、一人で遊びたいだけだったりするんですよ。それが何か自分がかつて疎外されたーなどのトラウマがあると、「この子は私と同じで疎外されている!」ってとるんですね。

で、この被害妄想がまたおかしなことを生んでいっちゃって、しまいにはね、こう事件にまで発展して行ってしまうこともあったりとか…。

で、やっぱり一番問題なのは核家族化だと思うんです。どうして核家族化が起きるかというと、やっぱり物質的価値観だと思うんです。みんなと暮らすのが面倒だからだと思うんですよ。我慢するのがやだから。その分密室になっちゃうんですよ。

でね、親はみんな未熟ですよ、一人の人間ですもの。親も子も人間関係ですから、だから未熟なんだけれどもそこで密室になるから、キーッって切れたときに力のほうは大人のほうがあるからああやって虐待、なんてことが起きちゃうんです。

昔はね、お父さんお母さんにこっぴどく怒られても、おじいちゃんおばあちゃんのとこに逃げ込んでね、そうするとね、おばあちゃんとかが、あーよしよし、とかばってくれた。だけど、そんなときにもおばあちゃんがね、「でもね、お前ね、お母さんが起こり気持ちもわかるだろ?お前もちゃんとしなきゃダメだよ。」と言ってくれたんですよ。

そこでね、自浄能力、自浄作用があった。だけど今は密室、どうして密室になるかというと、やっぱり物質的価値観、邪魔なのはいらない、夫と子供だけでいい、ね、親は要らない。

こんなふうになってしまったりして、余計に自分たちを苦しめてるの。だからどっちをとるかです。

面倒なことがあってもはぐくみあう道がいいのか。
それとも物質的価値観で、どんどん自分にとって面倒なことを排除し、その分孤独や暗闇を見るか…。
この、2つのうちどちらをとるか?ということ。


だから今こそ「教・育」が必要、教えはぐくむこと。今までは技能を身につけさせればいいんだ、とばかりになってしまった。

また「命の尊さ」というのも同じで、…

つづきます。

Posted by fy3on3 23:56:47Comments(2)TrackBack(0)

江原啓之 幸せのレッスン 第3回 (ニッポン放送)

2006-10-20

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はいー、一度書いたのですが、全部消えてしまったので、もう一度起こしてますが、これも修行ですね(^^;)。

というわけで、また書きます<m(__)m>。

>>

…と、今日は東京別院の万灯万華大法会という縁日があったので、それを見に行っていましたね。壁に耳ありクロード・チアリさん(古い!)のコンサートは残念ながら鑑定で見れませんでしたが、インド舞踊奉納や大般若転読護摩大法会はなかなか迫力ありましたねぇ(^^)。動画も少しのせました。

はい、ではひきつづきUp致しますね。

>>>

偶然に出会う人は、誰一人いません。
どんな人も、あなたに何か教えるために
出会わせてもらった人なのです…。

この世に偶然はありません。
この世の出会いはまた必然です。
電車の中であなたの足を踏んだ人さえ、
あなたと縁があるのです。

その人とであったのはなぜなのか、
どんな魂のつながりがあるのか、
常に考えるようにしてください。
人との出会いが、一層楽しくなるはずです。

そして、このラジオでの出会いも、
あなたと私の必然なのです。
さぁ、あなたも、幸せになりませんか?

こんばんは、江原啓之です。


と、いう感じに始まりましたが、10月20日は「頭髪の日」ということで、江原さんも白髪なので染めないと若年寄のようになってしまって大変だそうです。ヒゲも白髪になるのでとうとう剃った、ということですね。

またたまに洋服を着ていると「今日は着物じゃないんですねー。」とかよく言われるそうです。江戸時代の人じゃあるまいしと思うのですが…でもいつものお話の内容が内容だけに落ち着いてみせるということもあるし、もう一つは日本の文化を大切に守りたいと、女性の着物もだいぶ増えてきたけれどもまだ少ない、男性着物などは特に少ないし…、ということですね。

<今、思うこと>

今日は教育についてです。スピリチュアルな視点からすると、本来は「教えを育む」ということ、「生きることの真理」を育みあうことなのではないかと。ただですら、子育てって12歳から15歳くらいまでしか出来ないことなのではと思う。子育てとはボランティア、盲導犬のように、というとたとえが悪いかもしれないが、小さい時に愛をいっぱいかけて、いろいろマナーを教え、ある程度になったら社会に貢献するように送り出していく、ということですね。

人間の子供もそう、「肉からしか肉は生まれず、魂からのみ魂は生まれる」ようするに、家族ってみんな魂は別なんだということ。おかあさんのおなかを選んで生まれてくるけれども、でもその魂は別。

親の言葉で「自分自身がで作ってきた子」自分の私有物のようにね、言うのは間違いで、預かりものなんですね、自分も同じようにこうやって世に出て、経験と感動をしているのと同じように、この世に出て学びたい魂がいっぱいいる。子育てとはそれをボランティアしましょ、ということなんですよね。預かり物なんですね。

それで、12から15歳くらいまではどうしたら良いかというと、この現世のマナー、ルールを教えたり、感性を育ててあげること、いろんな絵画を見るとかもそうだし、いろいろな人とのふれあいもそうだし、そういったことを協力してあげて、15歳以降というのは、その子がどういう風に生きて生きたいかということをサポートしてあげることなんだと思うんです。

それで、親子というのも、そんなに奇麗事ではなくて、ケンカしたりしますよね。そんなときにお母さんだったら子供の好きな物を夕ご飯につくってあげようかな?って思ったり、こどもだったら普段していないごみ捨てくらい手伝ってあげようかな?とか
言葉ではすぐあらわさなくても、そういう思いやりがあればいいんですよね。言い過ぎたことに対しての反省とか、ですね、そういうのが出来れば良い、そういうのが「育み」で、そういうことがあって、「あぁ、親って大事だったよな」とか「子供って層は言っても、自分のもとに来て、自分も教えてもらえて、よかった」なんていう風になる。

そもそも、最初から親っていないんですよ、どうやって親になるかって言うと国家資格があるわけじゃないですよね。ですから子供が親にしてくれるんですね、鍛えてくれるんですよ親として。もう休み、っていうと熱出すとかね(笑)。そういったことは、もうみんな経験することだと思うんですよ。

だけどももうそうやって鍛えてくれるって言うもんでね、そうやって、子供もお世話になった分、子供も親を鍛えるという恩返しをしてくれる。親も親でボランティアしながらいろいろ教えてもらえるという、お互いギブアンドテイクの関係でもあると思うんです。

ですから、教育とは私は元はと言えば、親子、家族が一番もとだと思います。


最近恐ろしい話とかこう聞くんですね、どういうことかというと、学校の先生とかから聞くんですが、
最近は父兄から、学校へ苦情の電話が来るんですって。「うちの子供が、うちでうんとマナーも悪いしね、親に対しての口答えとかもして、一体学校で何を教えてるんですか?」って言うんですって。

昔はね、学校が家にね、連絡して「ご家庭では一体何をしているんですか?」というのが 元なんですよね、それが今じゃひっくり返ってて、学校に全部預ければ、学校でちゃんとぴかぴかの子供作り上げてくれるように思ってしまう、これも物質的価値観、なにか預ければ、成長して帰ってくるとか。
そこにまた「育み」がないんですよね。

だから全人類家族として、育んでいく、真理ををそこから見出していくということが、大事だと思うんです。

また、最近キレル子が多いんですが、その原因としてまず第一にみんな睡眠不足。昔の子は大体夜九時くらいにはねなきゃいけなかった。でも塾なんていっている子はへたすれば12時近くになってからねるようになっちゃうでしょ?だからそういう風な社会がつくられちゃってる。大人だって寝不足が続けばやっぱりキレちゃいますよ。

また食生活、おうちでご飯を食べるなんてのはみんななくなっている。「買い弁」なんて何のことだろうと思っていたら、買う弁当のことなんですね、そういうふうになっちゃってたりとかで、栄養バランスとかも悪くなる。「食育」なんて最近言われてますけれども、やっぱり食べるもの、というのはすごく大事ですね。

あとは、表現力。キレる子というのはやはり表現力が乏しいんですよね、ボキャブラリーがない。…だから、自分の言いたいことを表現できないとなると、カーッってなるんですよ。小さい赤ちゃんがよくかんしゃくを起こすでしょ?あれは伝えられないから、じゃないですか?本も読まないし、それでいて、会話を楽しむこととか、ラジオとかもっと聞いていただきたいし、そういう言葉っていうもの似興味がなくて、友達ともしゃべらず、友達が来ても一緒にテレビゲームやってあまり会話がなかったりしますよね。だから表現が出来なくなっちゃう。

またコンピューターなんかも、私は小さいころから子供にやらせようとするのは反対なんですよね。いまITで活躍している人たちだって小さい時からあったわけじゃないですよ。やりたいと思ったら子供はやるんですよね。

だから、小さい時だったら、ピアノやらせたほうがいい、指先動かしてね、それに、同じように弾いても同じようには出来ないんですよ。ねこふんじゃったを弾いても、十人十色になるんですよ。だからそこに自己表現、昔のドラマなどにもいきなりピアノに向かって「情熱」とか弾き始めちゃったりするものとかありましたけど、そういう「表現」が出来ないから、結局キレる。

何かを伝えたいのなら、伝えればいいのに伝えることが出来ないんですよね。だからそういう意味では芸術的なことなどは大事にしたほうがいいと思うんですね。



…という感じで、少し長くなりそうなので分けます。(^^)

Posted by fy3on3 21:59:21Comments(5)TrackBack(0)

いつまでも若々しく生きる(中村天風述 日本経営合理化協会)

2006-10-20

はいー昨日のアンビリバボーの前世のお話はすごかったですねぇ〜、あそこまで詳細に立証できるとなるほど他の飛行機好きな少年は戦時中飛行機乗りだったかも??って思えちゃうくらいですよねー。それほど前世は今生とつながっているということですねー。

ですから、そんなに今の人生でものすごく成功しなくても、長ーい目で生きていくのがやはり良いんだなぁって思いますよね。それで今の人生で会っている仲良い人たちも、またそうでない人も、あの世とか来世でもまた出会っちゃうことになっちゃいそうですから、今のうちになるべく仲直りしておいたほうがよさそうだな…というのもわかりますね(^^;)。

>>

さて、またまた天風さんの講演の本ですね、この本も値段見たら9800円ということで、ものすごくムツカシイことが書いてありそうですが、内容を読んでみるとこんな感じですね。

私ね、人間の心が変わるってぇと、実際、こうも尊い結果が来るかという事実を知ってます。

ある女の人の話をします。東京の京橋の木挽町六丁目に上総屋という、もう三百年も続いた染物屋がある。そこの娘さんがおときさんといって、いま、甲府に嫁いで62歳になるんですがね、この人が17歳の時、腸結核になった。

これは結核の中でも一番始末がいけなくて、死亡率も高い。今会場にみえてるお医者の大谷博士のお爺さんの時代ですから、古い話だな、これ。それはそうだ、63歳のおばあちゃんが17の花恥ずかしい乙女の頃の話だからね。

大谷博士のお爺ちゃんもお医者だったんだが、僕のところへやってきて、「到底見込みはないんだけれども、親子ともに神経が高ぶっているので、あの分じゃ、息引き取る時の苦痛が思いやられる。一遍、先生、見てやってくださらんか?」ってんで、私が行った。

それから、型の通り診察して、手を洗ってますと、その62の…じゃない、17の乙女子が、病でやつれていて、おばあさんのわずらってるのよりは、いとど哀れですよ。若い乙女がわずらってるのはね。

「先生、私、助からない?」、こういうから

「なに、こんな病、何でもねぇよ」

「うそつき、私、知ってるわよ」

「何を?」

「私の病」

「ふうん、何だと思ってるの?」

「腸結核でしょう」というからね、

「誰が言った、そんなことを」

「この先生がそう言った」

そうしたら、大谷博士、

「いや、僕は何にもあんたに言わない」

「私じゃなく、おかあちゃんにそういってた。この前、先生が来た時、おかあちゃんに次の間で言ってたのを聞いたのよ」

病人の耳ってぇものはすごく鋭いもんで、ちょいと冗談にも、小さな声で話したらいけないというのはそこなんです。それからねぇ、

「それで、腸結核だと、お嬢ちゃんは思っているの?」

「そうよ」

「あのね、大谷先生がなんと言おうと、天風先生は、これは腸結核じゃないと、あんたに言うから、安心おし」

「うそつき、そんなこといったってダメよ。」

そこへちょうどね、お母さんが、「まぁ、お暑いところをありがとう存じました」とアイスクリームを持ってきた。ヒョイと私、名案を思い出して、

「そうだ、嬢ちゃん、腸結核というのはおっかない病でな、腸結核の人の息をそばにいて感じてもうつるというくらいなんだ。そのくらい感染力の強いものだ。どんなお医者でも、腸結核の恐ろしいことを知っているから、同じ部屋でもってお茶も飲まないだろ。大谷先生、今までお茶の間なかったろ」

「飲まないわよ」

「それはね、腸結核だと思っているから。天風先生は。思っていない。その証拠を見せてやろう。ここにアイスクリームが来た、アイスクリーム好き?」
と言ったら、

「好き」と言うから、

「じゃあここに来いよ、こっちのさじで、嬢ちゃん、先のどうぞどうぞ食べなさい。さあ、口をあけてお食べ。このさじでもって先生が食べるわな。」

二人でもってアイスクリームを食べちゃった。不思議な顔をしながら、ジーッと私の顔を見て、一緒に食べていて、それと同時にすっかり安心しちゃったんだね。

「あら、先生、一緒に食べたわね」

「食べたよ」

「うつるわよ」

「うつりゃしないよ。もしも、あなたが腸結核だったら、これ食べりゃ、私は心中しなきゃならない。いくら私がね、物好きでもだよ、あんたと年が違うしねぇ、今日来たばかりで、急にあんたを好きになる気遣いもないだろ。いくらなんだって、はじめてあった患者と心中したかないよ。あんたが腸結核でないから、私は平気でたべてんだから」

「ほんとに、腸結核じゃないのね?」

「ない。心配しなさんな。あんたの口の中に入れたもの。そのままでも私、食べてあげるよ」

「あぁ、そうなの」

この事実で、一遍でなおっちまったよ。それから三週間たったら床上げよ。いま、五人の子供があって、やっぱり甲府の大きな染物屋に嫁に行って…63歳。

…とにかく、そのとき私がだよ、腸結核だということを恐れてだ、「こんな病人と心中なんかしてたまるかい」といういうような気持ちでいたならば、そりゃもう、アイスクリームなんか食いもしません。

けど、私は人間の観念の力というものに対する尊い信念を持っています。この人間にも強い観念を作ってやりゃ、決して死なずに済むという高い愛情から
私は食べてやったんだから、私が腸結核にかかる気遣いはない。

こっちはもちろんかかる気遣いはなく、向こうもそれで治っちゃった。人間の観念と言うものは、実際そりゃ恐ろしいものだと言うことをよく考えなきゃダメよ。

…だから、今後ともだよ、かりそめにも天風哲学によって目覚めたあなた方だ、本当に注意して、自分自身も周囲も、よりいっそう気分を引き立たさせてやらなきゃいけないよ。悲観的に、消極的になりやすいんだから、病人てのは。

…いつも、第一番に自分の心を堅固に守ってやることを心がけて、その心がけが徹底すりゃ、あなた方の人生は万全な、理想化された尊いものになりますからね。いかなる場合でも、自分の心の中に営ませる思考は、「あぁ、恵まれてる、ありがたい」と言う感謝で有らしめるように心がけよ。自分の人生を祝福し、自分の人生の栄光を常に礼賛すると言うこの気持ちこそ、あなた方をどんな境遇においても恵まれた感謝で生かす秘訣であります。

と、いう感じで、全く天風さんも無鉄砲というか豪快なわけですね、とはいえ、良い子はあまりまねをしないようにとも思いますが(^^;)、その心のエネルギーが病気をなおしてしまうパワーに実際につながっちゃうということはあると思いますねー。人間の思いのエネルギーと言うは結構強く働くという例として、取り上げさせていただきました(^^)。



というわけで、そういえば今日は江原さんのラジオがありますね、ではまた後ほどと思います。

Posted by fy3on3 13:30:55Comments(3)TrackBack(0)

スピリチュアルな人生に目覚めるために 心に人生の地図を持つ (江原啓之著・新潮文庫)

2006-10-18

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はいーホント「オーラの泉」も格調高い番組で、どんどんそのような番組が増えてくれば良いなーと思いますが、こないだもガイドさんがお坊さんであろう稲盛和夫さんがゲストに来てお話ししてた番組がありましたね。稲盛さんもほんとにオーラが輝いていらして優しい感じでしたねぇ。

番組では「京セラフィロソフィ」についても取り上げてましたが、こちら少し読んでみてもなかなか納得しますよねぇ。では稲盛さんのお言葉を少し引用させていただくと…

もし会社経営に哲学がなく、ただひたすらに利益を上げることを目指して、合理性や効率性のみ追求していく経営姿勢をとったとしたらどうなるでしょう。利益至上主義に陥り、「儲かれば何をしてもいい」と考える社員も出てきて、社会的な問題を引き起こすかも知れません。

というわけで、今年はそういう利益至上主義な人たちが出ては自業自得になった年だったのですが(^^;)これって霊能者のような人の世界でもいえるようで、あまりにもズバズバとわかるからといって、物質的なものをあれこれお告げして運勢がよくなる風にしても、その方がスピリチュアルな心に目覚めるのを妨げるばかりだったりすることもありますよね。本来あるべきな魂の成長をする、ということから遠ざけてしまったりすることもあるようです。

病気の治癒に関しても、病気はその方へのシグナルですから、その病を得た意味を考えずになおしてしまったらなんだか意味がない、なということもあったりするようです。ですからあまり学ぼうとしない方は再発するということももあったりするのかなーって思います。

ですから、遠回りに見えても自分がしっかりと、「人間として何が正しいか」を基準として価値判断をして、そして高い目標をもって人生を進んでいくことは重要だろうなーと思います、とはいえ、なかなかむつかしいことですけどねー(^-^)。

>>

さて、この本ですが、一度半年前に取り上げようと思ってそのままになっていましたね(^^;)これも江原さんのそのままのお考えが非常によく書かれている本で好感が持てますね(^^)。

と、いうわけで、この本からは引用していたらきりがないほど良いことが書かれているわけですが(^^;)その中から少し引用しますと…

霊は何も恐れるべき存在ではありません、私たちの死後生の姿であり、私達そのものです。…この現世に生きる人間だって、他人に危害をもたらす悪人ばかりではありません。もしそうなら、おちおち外も歩けなくなってしまいます。それと同じように、私たちも以前はこの現世にいた人間ですから、すべての霊が人間に害を与える存在ではないのです。

…私のもとにも「憑依霊」の問題で訪れる相談者はかなりいます。「今すぐとってください」と、さも被害にあったような調子で訴えかけてくる人もいます。

ところが霊視すると、どの「憑依霊」も口をそれえてこういうのです。「私はこの人に呼び寄せられてきたのです…」

…憑依の連鎖を断ち切ることは、結局のところ本人にしか出来ません。本人の心のエネルギーさえ高まれば、霊能力者の手を借りなくても憑依霊は自然と離れていきます。憑依霊が、自分がついた人間が前向きに変わった姿を見て、「なるほど、もっともだ」と教えられ、浄化していくことも珍しいことではありません。

…生霊も否定的なものばかりではありません。尾家が子を心配する思い、遠く離れた人を思う愛といったエネルギーもまた生霊であり、思われている側がそのエネルギーに守られて助けられたり、難局を切り抜けられたりすることは、本人は気づかなくても、日常よくあることなのです。

すべては自分自身の波長しだいです。自分が波長と志う大事なエネルギーを放っていることを自覚し、常に自分の波長を高く保つように努めてください。日々出会う人や出来事を自分の鏡として常に意識し、そこから学び取っていくことが、「波長の法則」をフルに活用した生き方なのです。


…ということで、8つの法則についてことこまかにかいてありますねー。そして第三章には、江原さんがスピリチュアルな人生に目覚めるまでのことが書いてあります。

で、その内容につきましては、こちらの方のページにまぁほんとによく書いてありまして勉強になりますね、ということで省略と言うことですね(^^;)。

その中で江原さんも20人くらい霊能者めぐりするうちに、T先生に出会うまでは「ご先祖供養しなさい」一辺倒の霊能者ばかりに会い不信感をぬぐえなかった、ということでしたね。私も具体的にわからないわりにはよくご先祖供養を説きますからなんだかなーという人の中に入ると思いますが(^^;)、あせってもしょうがないのでもっと精進して来世までには江原さんくらいにわかるようにとりあえずマイペースということで(^^;)、今生ではもうスタートラインもが違いますし、江原さんまでにはいつみても波乱万丈ではなく、「経験と感動」も少ないので、地道に8つの法則を肝に銘じていければと思っています。まぁ人生は魂を成長させる過程を楽しんでいるわけですから、最初から完璧ではつまらないですよね(と自分を慰めてみる^^;)。

…でも、いろいろな方拝見していると、確かにご先祖さんのいろいろな因縁やらなんやらを超えるような元気ハツラツとした気概を持った方は、さまざまな困難にぶち当たってもあまり悩まないですし、自分にも執着しない、ガンコにならないんですよね。

またポジティブに考えられるので、オーラも自然と明るくなりあまり病気にもならないと、またちょっとくらいの病気になってもくよくよしない、ちゃんと身体は借り物だということを認識しているわけですよね。それで、そういう方ほど別に強制されるわけでもなく、稲盛さんのように自然と神仏を拝むようになっちゃったりする方も多いですよね。松下幸之助さんとか、税金対策だとしても、神社仏閣に寄付ばっかりしてますものね、こないだ見たら、うちの裏のお寺にも寄贈してましたね(^^;)。

まぁですから、そんなにどんどんご先祖さん明るくーってやらなくても良いか?といえばうーん自分が見るとなんだかまだそうではないようで、いろいろなニュースで犯罪起こしちゃう人のご家系なども見てみるとあーこれは…というオーラが必ず見えるので、ふむー家系エネルギーも実はその人の性格構成上、結構重要な部分を占めるものなのではー?っては思うようになったのですね。

また霊感体質なども、ご両親、またはご家系が全くどこまでさかのぼっても霊感体質の人は全然いなかった、という方が、いきなり霊能者のように見えるようになった、という事例も少ないようで、江原さんにしてもお母さん方がそう、ということですから、ふむー人生家系だけではないですが、家系にも偶然はない、ということで、つながりがあるし、それはもっと広く見ると国民性みたいなものにもつなかってくるのかなーと、自分なりに解釈しています。

でも、家系から火の粉が降りかかってくるのも、それも自分で選んで生まれてきているわけですから、結局家系がどうというのも、それは自分の責任でもあるわけですよね(^^;)。そして、自分の選択なら、今からでもまた変えることができるわけです、いつでも前向きに行動するというのが大切なようですねー。


まぁでも、ご家系の因縁だけで脅かして金品巻き上げようとする霊能者も相変わらず多いらしいので、それは気をつけないとと思いますね、ご供養だけで平気でウン十万要求するんですから、まったくーって思いますよね(^^;)供養にお金はホントかかりませんよねぇ。

ですので、やはり霊能者というのはあの世とこの世の間をきちんと取り持つのも確かに大切ですが、江原さんを見ていても、モラルをもって人生のより良い生き方をクライエントさんにアドバイスできる能力もきちんと必要になってくる時代になってきたんだなーって思います(^^)。

というわけで、この本は476円(税別)でとても安いので、私はついつい購入してしまい、でもそれをもうどこかに無くしてしまいまた図書館から借りているわけですが(^^;)一家に一冊ということで、オススメです(^^)。

Posted by fy3on3 13:59:40Comments(3)TrackBack(0)

青木さやかさんの「オーラの泉」。

2006-10-18

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はいー今日は青木さんですね、吾郎ちゃんの番組でも放映していた、引越しの時のきわどいお話が出てくると思いますが(^^;)実際にとてもよくガイドさんにも守られている方のようですねー(^^)。

というわけで、ミンカル&ミンプレもお待ちしております。今回のミンプレもわざわざ実家に行って残っていたのを持ってきた「わんちゃん五十鈴」さんになります、これでホント今年最後の五十鈴さんになりそうですので、欲しい方はミンプレ希望とお書きいただきご応募お待ちしております(^^)。

ちなみに、いちおう今年も伊勢神宮で年越しする『SODR☆お伊勢初詣でツアー2007』を予定しております。年越しの伊勢神宮なんてもう寒くてコミコミで大変なのでコリゴリ…でもありますが、やっぱり無病息災祈願、健康が一番!と丹波さんもおっしゃっていらっしゃいますから、今年も万難を排して日本一の神社で年越しなのでありますね(^^)。

そしてさらに、12月は今シーズンも恒例

「のなぞー・遅れてきた青春18きっぷの旅
   ☆キング・オブ・普通列車☆
       東京<>九州往復ほぼ各駅停車の旅」

を立案企画進行中です(^^;)。

>>

さて、美輪さんが見ると青木さんは実はお嬢さんで、なにやってもあまり下品に見えない、ということですね。また江原さんにも2年前に見てもらったということで、よく頑張ったと、ガイドさんも褒めているようですねー。

また小さいころから不安だったので、仮面のかぶりっぱなしだったということですね、また彼氏さんと別れたのも転機だったということですね。

そして引越ししたところがいろいろあった、ということで、いろいろな霊的なサポートも以前から多かったということですね。

またそして実はご両親に、特にお母さんに素直に愛されたいと、いつも母親から否定されているとか怒られているとかいう気持ちがあったと。お母さんにも愛情があるんだけど、フジコさんのお母さんのように絶対褒めない方だったと。だから「100の言葉より一つの愛のまなざし」が欲しかったと。

また異性もお母さんの代用だから、実るわけではない。お母さんを乗り越えてられていないということですね。

またオーラも赤から紫、ブルーも強いということですね。それも経験があって上のことであるということですね。

付き合った男性も、逆にわがままになってしまって続かなかったと、そしてガイドさんは上品な武家の奥様と巫女さんなどですね、だから文才もあるといいということですね。

また前世もフランスで女性評論家だったということですね。だから皮肉って見るのが得意と。また前世でも母親と問題があって、母親の異性関係見てて男性不振になったと。だから母親を「この女は」という感じでみてしまうと。

また前世でも自分ではかなんでしまっているので、今生でも悩んでしまうと、また今生のカルマはお母様を許すことだということですね。でも、そういったそのマイナスの要因が芸に生きていると。また前世でなくなった年が来たので、本当の今生がこれから始まるでしょうということですね。

好きになるということがわからないということですが、いろいろなものも男性に求めすぎているからわからない、ということでしたねー。

>>

というわけで、やっぱりなかなかガンコな方でしたねぇ(^^;)でもこれからの活動もまぁ期待ですよね。

そして来週の中村さんですが、スタジオに何か来ていたようで、美輪さんもひさびさに気合を入れてましたね(^^;)、また楽しみです。

Posted by fy3on3 02:32:28Comments(17)TrackBack(0)

霊界探訪 「近死体験」で私はこう生まれ変わった!(ケネス・リング/著 丹波哲郎/訳)その2。

2006-10-17

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はいー今日の丹波さんとトットちゃんの天然対決も楽しみですねー(^^;)。

またウィキに『三船敏郎に次ぐ国際俳優と呼ばれるようになる。』とあるように、三船さんもこう見てみるとやっぱりオーラが明るいんですね、プライベートの時と役を演じるときでの差はあるのは、霊感体質の人ではしょうがないとはいえ、ですね(^-^)。

>>

さて、近死(ニア・デス)体験がもたらす超能力、ということで続いてこんな事例が載っています。

ある年配の婦人は、インタビューが終わろうとする頃、次のような近死体験後の話を私にしてくれた。

「ある朝、一つの半透明な箱を持っている女性の幻を見ながら、私は目を覚ました。箱の中には一枝の白い“くちなし”の花が入っていました。そして、それは私たちがこの世で見て知っている種類の”くちなし”ではありませんでした―それは気高い花でした。すると、まるで私が自分で言っているようにはっきりした声が聞こえてくるではありませんか。


『この花を持っていってください。私の母であるヘンリー婦人に持っていってください。そして、私はいつもお母さんと一緒にいますと、母に伝えてください。』と

しかし、私はヘンリー夫人という人には心当たりがありません。いつも午前中、仕事の合間に、カフェテリアに出かけてコーヒーを飲むのが習慣になっていましたから、私はその朝もカウンターに腰掛けていました。カウンターの向こうはしに腰掛けている婦人の他には、お客は誰もいませんでした。

私はウェイターが彼女に『コーヒーのお変わりはいかがですか?ヘンリーさん』といっているのを耳にしました。私はは思い切って話しかけようか、と思いました。

しばらくして、私は彼女に近づき、『失礼ですが、ヘンリーさんではございませんか?』といいました。

『ええ、そうです。』

『ちょっとお話したいことがございますが、よろしいでしょうか?』

『ええ、どうぞ』

私はその朝耳にしたことをヘンリー婦人に話しました。すると彼女は悲しみにくれたまなざしで、私を見つめてこう言いました。

『“くちなし”は私の娘が好きな花でした。娘は自動車事故でつい先日亡くなったばかりです。』


…というように、臨死体験をすると、霊視出来るようなそのようなチャンネルが開く、ということも多いようです。かといって…

「どの瞑想道場でも、これらの諸能力は、高度の瞑想力を体得すれば、その副産物として身につけることが出来る。ただし、その誤用は戒めなければならない。」

と、さらに、

「仏教徒の視点からすれば、このような諸能力の獲得はほんのちいさなご利益にすぎず、解放への全身に比べれば無価値に等しい。涅槃の境地にまだ達していない者が、これらの能力を身につけると、自尊心が高まり、その結果、自我に執着するようになるから、むしろ障害にさえなる、と説かれている。」

またさらに、

彼女が肺炎で死に掛けたのは、ちょうど16歳のときであった。彼女は近死体験について語り終えた後、続いて次のような話をしてくれた。

「朝、目がさめて辺りを見回すと、私にはすべてのことがわかっていました。…他の人が考えていることがわかっていたのです。

誰が部屋に入ってこようとしているのか。廊下を誰がやってくるのか。そして、その人たちは何を言おうとしているのか、みんなわかっていました。また、誰かがラジオをかけようとすると、何がかかるかを、私は予知していたのです。…

毎日、いろいろなことが耳に入ってきました。一切合財が私の中に入りこんでくるのです。…そんな力を取り除きたくてありとあらゆる努力をしました。

一年ほどの間は弱まる気配は全くありませんでしたが、私は締め出してやろうと頑張りました。

そんなある日のこと、部屋のドアを誰かがノックしましたが、それがだれか、私にはわかりませんでした。『わぁ、やった!』と私は思いました。約二年もかかりました。やっとのことで、超能力が消え始めました。」


という感じで、能力が出たとしてもなかなか歓迎ばかりできることでもない感じですよね(^^;)、20代の頃の江原さんのように、能力があるのだけれどもわけわからなくて憑依体質で苦しむ方というも多いですよね、心療内科などの病院に行っても薬出されて終わりなわけですから、ホント大変だっただろうなぁって思うのです。

ですので、霊視能力などが出れば出たで自分と精神的な戦いにも勝たなくてはいけなくなり、これまたやっかいなことも多いわけですが、最近の日本人でほとんどの方が「スピリチュアルな世界が実際にある」というのを理解するのに一番助けになったのが『霊視してズバーっと当てることが出来る人に出会ったこと』だったわけですから、霊視能力が出るのもお役目でしょうし、やはり能力は使いようですよねー。

もしわかるようになっても、我欲に走らず謙虚に、そして依存せず適度に使うようにすることがよいと思います(^^)。


>

そしてこの方も、12歳の時に臨死体験した看護士さんのお話ですね。

今では、もう私には、人と争って暮らす気などございません。私には神霊の力が宿っているように思われます。病院のエネルギーに波長を合わせる才能に恵まれていて、呼び出しを受けなくても、私を一番必要としている場所に姿を現すことが出来ます。

真夜中でも、或る患者の容態が変わって死期が迫ったりすると、私は目を覚まして、病院から呼び出しがかかる前に私のほうから電話を入れる、というようなことがよくありました。

患者やその家族の人たちと話しているとき、普通ならば頭に浮かんでこないような理解や言葉が生まれてくるのがよくわかりました。何もかもが胸躍る思いでした。

近死を体験したことが仕事の役に立っている、と私は思います。臨終の床で患者に付き添っていると、患者がいつまで、“肉体の中に”止まっており、いつ肉体から“抜け出す”かが、私にはわかります。

緊急治療室で、もう言葉が“暗号化”している患者とその家族との間でつなぎ役をしているときの私は、近死状態に陥っていて、“天井の一隅にいる”患者とよく話を交わします。そんなときの患者は、自分が経験しつつあることを理解できる私と話が出来るものですから、心が大変安らぐようでした。」


…と、いうように、能力のある看護士さんが臨終を看取れるようになる日も近いかもしれませんねぇ。病院でさまよっている方々も多いので、医療機関にお勤めの方こそスピリチュアルなことをより学んで活用していただきたく思いますよねー(^^)。

そして最後に、臨死体験者には“希望のメッセンジャー”としての役割もあるようです。

ジャニスも、キャロルと同じように、地球の大異変についての暗示を得て、近死体験から生き返った女性である。彼女に語ってもらおう。

「力をあわせて働き、争いをやめるようにしなければ、人々は自分で自分を滅ぼすようになるでしょう…お互いに仲良くし、お互いに気遣い地球上の生きとしいけるものを愛しましょう。さもないと地球は消滅するでしょう。

近死を体験しているとき、この地上にはもうそんなに多くの時間は残っていない、何か手を打たなければ、という切迫した思いに私は駆られました。“これが最後のチャレンジだ”と思い、私はこの世に戻ってまいりました。何しろ時間がないので、急がなければなりません。」

またナンシーさんは臨死体験中に“光の神”にこう告げられます…

「あなたは、授けられた賜物を持って出て行きなさい。そして大衆に告げなさい―皆さんは光の神の完全なる愛を経験するでしょう!愛は万有に通じる鍵である、と。

皆さんはチャンスが残されている間に、この地球上で、平和に、お互いに調和しあいながら生きなければなりません―と。これはとてつもなく大きな仕事で、大変難しい任務だと思う。しかし、あなたはやり遂げなければならない。あなたには私の愛がある。」


…と、いうわけで、丹波さんからのメッセージも数多く含まれている感じでしたねー。私たちもまぁ霊界に行くまでの間にまだ時間があるわけですが、そのわずかな時間中で何を成して行くか?いかにそれぞれの方のお役目を自分なりのやり方で果たしていくか?ということが問われているのかなーと思いました。(^^)

Posted by fy3on3 10:39:33Comments(4)TrackBack(0)

霊界探訪 「近死体験」で私はこう生まれ変わった!(ケネス・リング/著 丹波哲郎/訳)

2006-10-16

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はいー今日の「徹子の部屋」で丹波さんの追悼番組をやっていましたねー、まったくもって豪快というか女好きというか…な性格が面白い方なのですが(^^;)明日も放映されるようなので楽しみです(^^)。

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さて、この本ですが、臨死体験をなさった方の体験談がたくさん書かれているわけですね。もう立花隆さん本もだいぶ前の話になりましたが、霊界宣伝ビデオ「心からのメッセージ」で丹波さんがおっしゃっているように臨死のときはまず「光」に会いますよね。それらの体験を通していろいろ人生変わっちゃった、という方も多いようなんですねぇー(^^)。まず、トラックの下敷きになってしまって臨死体験をしたトムさんのお話です。

すると、光が早速語りかけてきます…よく言うテレパシーというやつです。ものすごく早いけれど実にはっきりわかるんです。どんな言葉で話されてもわかります。

「くつろぎなさい、すべてのものは美しく、何も気にすることはありません。」これが最初に聞いた言葉です。すると、たちまち心が和みます。たとえようもないほどいい気持ちで、この上もなく、清純な愛に満たされ、心の底から温まってきます。

そこで、光が語りかけてくれるのは、真実で清い愛情についてです。その愛は、妻の愛や子供の愛と比べることは出来ません。強烈な恋こそ愛であり、おそらく人生で一番美しい瞬間だ、と考える人がいるかもしれませんが、とても比べ物になりません。これらを全部あわせてもこの光の愛には及びません。

…あの臨死体験をした結果、私は死ぬことについて少しも不安を覚えなくなりました。もし死が、私が体験したようなことによく似ているとすれば、死は何にもまして待ち望まれるすばらしいことです。


と、いう感じで、えもいわれぬ愛の光みたいなものに包まれていく、ということですね、このように自然に亡くなった場合、結局無理せずに悟りのような状態に導かれるようですねぇ。

で、そんな楽しい臨死体験を語れた、ということはやはりこうあちらからこの世へ引き戻されるときがあった、ということなんですね。

ダリルの場合、例の光のお方から、「帰りなさい、そして“つとめ"を果たしなさい」と告げられた、ということである。ダリルは次のように語っている。

「“つとめ”とは何でしょうか?すると、私の三十年の生活の中で、かつて味わったことのない最悪の気分に襲われました。それは後にも先にも経験したことのない深い深い失望感でした。私は帰りたくありませんでした…この地上の世界は、地球以外には何も知らない人々にとってはすばらしいすみかです。しかし、私は別の世界を知っているのです…」


という感じで、江原さんも生まれてすぐ気づいたときに「あー大変なところに来ちゃったなぁ〜」と思った、というのと似てますよね(^^;)。まぁ毎日こういろいろなことがある世の中というのも、何でも出来てしまう天国のようなところから見れば得がたいテーマパークみたいなところではあるので、それはそれでとても生きる価値があるところだと思いますが、まぁ皆様人間やっててもお分かりのように、悩みが尽きない場所でもありますよね(^^;)。でも自分たちは実は志願してきているので、はじめちゃったらしょうがないということで楽しく生きていったほうがよいようですねー(^^)。

そして、しょうがなく戻ってきた方々は、あちらの世界を知っている、つまり、この物理的な世界だけがすべてじゃない、ということを体感してしまっているので、価値観が全然変わってしまうようです、肝不全で死に掛けた、アルコール中毒患者からの手紙には…

「私は今では全く別人のようになっています。あんなにみじめで自壊的な人間だったのに、落ち着いて、物静かで、幸福に暮らしています。たとえば、不幸せと思われるほうに向かって、微笑みかけるだけでもう良いから、一日一日、人のためになることをしたい、と願いながら暮らしています。」

そしてまた他のインタビューでは…

「むかしは、私はいつも不安でなりませんでした…今では、誰かに好かれなくてもちっとも気になりません…信じてもらえないかもしれませんが、私はかつては、はにかみ屋で内気でした。ですから、多くの人の前で自分の考えを述べるなんて、とても出来ないことでした。ところが、見事に180度の変身をやり遂げました。」

…たいていの近死体験者たちは、自分をあるがままに肯定している、自分を信じている、自分には何らかの存在価値があると思うなど、おおらかな気持ちで暮らしていることを示す回答を寄せている。


という感じで、自信を持ち、自己を肯定することが出来るようになるようです。なるほど、こうみていても、自信がない人はオーラの輝きが少ないですものね。まず自分の存在意義、常に自分が愛されている、という気持ちが、この世を生きるにしてもとても大切なことなのかもしれませんねー。(^^)

たとえば、光との遭遇について、或る婦人はこのように書いている。

「光は私を受け入れて許してくださり、少しも裁かれませんでした…そして、今までに経験したことのない深い安らぎの心をお授けになりました。私はその光を愛しました。光は完全な神でした。光は深い深い、絶対の愛でした…。」

…ある人のコメント

「近死体験からこの世に戻った私は、何か、体中にエネルギーが充満するような感じがして、とても幸福でした。何もかもがすばらしかったのです。すべての人を、すべてのものを、私は愛しました…みんな立派な人たちばかりでした。与えられるこの時を、最高に生かしましょう。無駄にしないようにしましょう。」

「近死のおかげでいろいろなことを経験させてもらいましたが、有意義な人生を送るためには、現在の中で生きることに専念することだ、という智恵を与えられたことも、その一つでした。

現在に生きれば、永遠の中に生きることが出来る、と私は信じております。これは、私が体験して知っていることで、私の勝手な憶測ではありません。

近死から回復した後、退屈な毎日を送っているような人はいないようですね。こんなわけで、私の人生の一日一日は、どの昨日よりもよくなっていくような気がしてなりません。」


…と、まるであやしい自己啓発セミナーの宣伝体験談のような言葉ばかり続いてしまいますけれども(^^;)、いやいやまぁやはりそうですよねー、絶対的な光、というのを経験してしまうと、私たちの魂もどうやらそこから抜け出てきているということなので、懐かしさを感じる、また一体になりたいと感じると思うのですね。一時的に修行中の仮の姿として人間の着物を着ておりますが、まぁ本来は大きな光の一部、ということですから、今の時点でもそれを毎日思い出しながら生きていくと、どんどん元気が湧いてくる、ということなのかしれません(^^)。

では長くなりそうなので分けます。

Posted by fy3on3 18:10:59Comments(0)TrackBack(0)

スピリチュアル生活12ヶ月(江原啓之著 王様文庫)

2006-10-15

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はい、こないだノーベル平和賞を受賞なさったムハマド・ユヌスさんのオーラはやはりすばらしく輝いてますよねー。グラミン銀行は、サイトのオーラもほんとあたたかいですねぇ(^^)。

日本の銀行といえば、自分的には「日本四大行きたくない場所」の一つに挙げられる所なのですが、このような銀行を作ってしまうことが人間ってできるんだなぁって思うと幸せを感じますねー、まぁ見習って私もなにかしないといけないですよね(^-^)。

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というわけで、図書館の予約待ちでずいぶん待ってやっと借りれたこの本ですが、やはり最初から良いことが書いてありますねー。

お金が先ではありません。お金のために仕事をするのではないのです。経験を積んだり学んだりするために、お金があり、仕事があるのです。

「新しい経験をしよう」「自分を充実させていこう」と思えば、何かにチャレンジしなければいけません。

以前、亡くなった私の母がこんなことを話してくれました。

ある時、母のところに現世でとても生真面目に働いてきた男の人がやってきました。
その男性は、あるときは冷蔵庫を買うために、あるときは家を買うために、コツコツ真面目に働いたのです。でも、その人は、母にこう言ったそうです。

「自分の人生は、何もしない人生だった。『こんな風に生きたい』という指針を持たずに、ただ真面目に働いてきた。でも結局自分には何も残っていない。わざわざこの世に生まれた意味がなかった…」と。

ものすごく後悔し、嘆いているその人に、ガイド・スピリットは、「もう一回、生まれて、行き直して来なさい」と言ったそうです。