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プロの占い師が集う[占いブログ]

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チベット・スピリチュアル・フェスティバル2007

2007-04-30

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はいー晴天の中行って参りましたねーフェスティバル。やはり境内のオーラも明るくなっていましたねぇ。

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さてその前に、明日の映画オフの告知なのですが、楽しいコメディ映画もやっぱり見たい!ということで、昼の部は12時からカレー屋さんでお昼してから「ナイトミュージアム 14:00〜」を渋東シネタワーで、という感じになりそうです(^^)、そして気力があれば夜にあの2本のどちらかを、という感じですね。またご参加なさる方はメールお待ちしております(^^)。



また今日のスマスマ「ニワさん」も面白かったですねぇ(^^)、あぁやってある程度なんでも見通せちゃう人がいるんだー実際〜というのを見せられちゃうと、あーきっと自分の中にもすごい能力があるんだなぁということで、「百匹目の猿」効果というか、なんだか自分でもいろいろできるんじゃない?って思ったりして、人生に希望が持てますよね(^^)。

でも、こちらの下のほうででダライ・ラマさんもおっしゃっているように、別に見えないものがわからなくても、人生で大切なのは人のために生きるということ、それはほかならぬ自分を生かすということに繋がるということ、などを自覚して生きることが大切なのですよね。

また確か、イエス・キリストさんも、人が奇跡を要求するだけで肝心なことは信じないので苦労したんですよねぇ…、「もしあの時代にテレビがあったのならば、彼は絶対にテレビを使って布教をしただろう」と聞いた事がありますが、なるほど、今はちょうどそんな時期なのかなぁ〜と思いますね。

また当時も頭の固い「律法学者」たちは奇跡を目の当たりにしても絶対信じませんでしたものねぇ…(^^;)、まぁ奇跡を行う人だけが「神の子」ではなく、うちらもみんな神の子なので、生きているだけで祝福されているわけなのですが、もう少しいろいろ感謝して皆さん生きていければ世の中さらに明るくなるのではーって思います(^^)。



さて、今回フェスティバルでは、砂マンダラは本堂で制作してましたね、チベット僧さんはなかなかみなさんオーラが明るいですから、こう遠くで見ていても体が温かくなる感じもするくらいですが、製作途中はよりガイドさんも入ってオーラが輝きますからよい感じでしたねぇ。まだ中心のところ少しだけしかできてませんでしたが、また日々出来上がっていく様子が楽しみですねー(^^)。

そして午前中の瞑想会にもでてきました。でも瞑想会というよりは、その動機が大切、ということで、私たちはツーリストのようなものですから、お互い仲良く助け合ってという精神でいきましょうと。また仏教的に言うと仏法僧を敬いましょう、菩提心を発しましょうということをお話してくださいましたね。

それであら、お釈迦様とか、法力さんとかには良いとして、どうしてお坊さんとかにも帰依しなくてはいけないのかな?ベンツとか乗り回している生臭坊主さんにはあまり帰依したくないですよねぇ…と、わたくしも思うわけですが(^^;)、

まぁそれも、もともとお坊さんというのは精進している人で、精進している人は、たとえば肉食をしない、怒らない、慈悲の心を持つように心がける、布施をする、とかやっているわけですね。

そうしているとなにがあのよろしかというと、やはり見ているとオーラが綺麗になるわけです。まず肉には私が見るとですが、こないだもブログに書いたように、大体豚さんとか牛さんとか鳥さんとかも、あまり良い環境で育てられていない、

そうするとモヤモヤがたまってしまうわけですね、とうぜん植物さんだって心がありますから、あまり農薬ばかりかけられたりしているとどうかとも思いますし、あとは植物さんによっても性格というか器質があるので、植物なら何でも食べてよいかというと、例えばにんにくさんとかは元気が出すぎてしまってあまりたくさん食べると攻撃的になっちゃったりするのでほどほどにするとか、あるわけですね。

それでお話を動物さんに戻すと、まぁ確かに殺生をしないためにまず肉食しない、というのもあるとおもうのですが、大事に愛情をかけて育てられた動物さんの気持ちはやはり優しくなりますし、まぁあの世に帰るときにも思いを残さず還れるわけですね。
そうするとその思いが肉体=抜け殻みたいなものかと思いますが、それに残らないからオーラもすっきりしていると思うのです。

ところがブロイラーとか、ぎゅうぎゅうのところで育った動物さんはもうイライラしていますからオーラも暗い、それを安いからといってスーパーでガバー買って焼肉焼肉とか食べていると、まぁ楽しく食べている分にはそれはそれで浄化にもなるかと思いますが(^^;)、やはりいろいろこうオーラにも曇りが、ということのようなのですね。

あとは怒りや不安や不満を持つと、いつも申し上げているように人間の心は発電機みたいなものですから、ネガティブなことを思うとマイナスのモヤモヤオーラを作り出しますし、それもオーラに影響すると。

でも慈悲心や思いやりや、楽しい気持ちを持つとオーラが明るくなるわけですねーですからつねに明るい心持を持つというのが、大切なわけですよね。そういう修行をしている人がお坊さんなので、あぁこうカネカネスキャンダル大好き人間な俗世間にまみれている人は、そのような明るい人のオーラの方と同調して浄化しましょう、ということだと思うのですね、ですから「人を見て法を説け」、という格言もありますが、先生もえらばないといけないわけですよねぇー立派な資格があるからといってみんながみんなオーラ良い方かといえばそうではない、まだまだ人間誰でも修行中ですから、やはりそのあたりを見極めながら、そういったものも雰囲気や言動などにもでますから、それを見ていけばわかると思うのですが、頭から信心しちゃうのではなくて、なんでも見えない世界は理性的に判断することが大切かと思うのですねー(^^)。



で、この瞑想会も、実はみんなで瞑想するはずが、お話の時間で全て時間を使い終わってしまってゴーンと鐘が鳴って時間が来たのではい終わり、という感じになってしまいました。「私たちはインドから来たのでインド時間になってしまってすみません(^-^;)」と冗談おっしゃってましたが、まぁそれものんびりした感じでそれもよかったですねぇ(^^)。

それからチベットの綺麗な写真や、ショップなども見回ったりして楽しかったですね。お香などもなかなか素朴で落ち着く感じだったので購入してみました。またチベタンベルもですね、なかなか良いオーラしているものが多かったですし、あとあれなんですよね、お坊さんだけでなく、チベット人の通訳の方も、日本の前世もある方だと思うのですが、なかなかオーラよい方多いんですよねー、いろいろ楽しくお話させていただきました(^^)。

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…というわけで、もう1日のお昼なのですが、映画よりもやはりチベットでしょう、ということでこれからまた午後の法話を聞きに行ってみようと思います(^^)。

Posted by fy3on3 22:41:46Comments(2)TrackBack(0)

向井亜紀さんの「オーラの泉」。

2007-04-29

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はいーGWも順調に始まりまして、東京も晴天でなによりでしたねー(^^)。そしてチベットフェスも始まりますねー、写真は護国寺の系列、真言宗豊山派の総本山「長谷寺」からみた風景ですね。本堂が山の中腹にあって、まるでポタラ宮殿を髣髴とさせる威容なのが、またチベットとのご縁を感じさせますよねぇ〜(^o^)。

で、明日も一応オフ会!といういう事にはなっておりまして、まぁ毎度おなじみ三々五々お寺に全員集合でイインダヨ!という感じでも良いのですが(^^;)、

あしたは瞑想セッションが朝10時からございますので、それに皆さんおでになる方は10時前くらいにお集まりいただいて、それ以外の方は最初からお昼集合で近くでまずランチをいただきましょう、という感じですね(^^)。

ちなみにあさっては毎月恒例「映画オフ会」も行います(^^)、お題は先週のスマステでゴローちゃんが上位にランクしていた「ブラッド・ダイヤモンド」もしくは「クイーン」のうーんどちらにしましょう?と悩み中ですね。たまにはコメディなど明るい映画も見たい!と思うので、時間がありましたら2本立てでみてもよいかなーと思います(^^)。

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さて、向井さんのこちらブログを見ると、あーこの場所は…、後ろはあの電話屋さんのビルだし、ということで、なんだかご夫婦でうちの近くも散歩なさっているんだなぁ〜と、妙に身近に感じられましたねぇ(^^)、またお子さん見てもとてもオーラが明るく穏やかで聡明ですねー。また将来的には気骨がでてきてしっかりした性格になっていきそうですねー(^^)。

つづきます。

Posted by fy3on3 21:27:04Comments(2)TrackBack(0)

なんばしょっとか(武田イク・倫書房)

2007-04-25

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はい、今日は品プリシネマが何周年か記念で千円になるのを知って、おめでとさんということで、じゃぁせっかくですから何かひとつ、というわけで、映画「東京タワー」を見てきました(^^)。

で、実は、私もあまのじゃくなものですからベストセラーになった原作は読んでいないのですね(^^;)。リリーさんとお母さんのこと、という知識だけ持って、見に行ってきましたが、キャストや特別出演の方も豪華でよかったですよね、そんなにこれみよがしに泣かせる場面もなく、淡々と進行してましたよねー。

ただ、あのオカンの若い頃の女優さんがやはり樹林さんに似ていてなかなk良かったのと、ネタばれにならないかとは思いますが、樹林さんの抗がん剤に苦しむ演技がなかなか真に迫っていて、薬の副作用はやはりよくないですよねぇ〜ということがよくわかりました。

また時々オトン、ということでしたが、絵の才能や、どうしようもないボクの性格というのはめちゃめちゃお父さん譲りですよねー、家系的に見ると代々男性はこう頑固で凝り性、女性は大らかで苦労性なのだけれども、それを乗り越えて明るく生きていく、というお家なのだなーと思いました、またオカンのご兄弟もみんな明るい性格の女の子ばっかりだったようですものね(^^)。



もうすぐ母の日ということで、親子関係がテーマにある映画では眉山も公開されますが、「東京タワー」はそのガンで亡くなるオカンを以下に看取るかというテーマもあって、意外にもターミナルケアを考えさせられる映画でしたねぇ。

死ぬ間際になって親のありがたみがわかる、というのは、いつの時代でも同じだと思いますが、だからといって延命だけを目的とした医療を進めるというよりは、

たとえばよりよい他界の仕方というのは、よく江原さんもまるでホテルのような、やさしいケアができるところでこの世からの旅立ちを、とおっしゃっているように、これからのターミナルケアーでの課題にもなっていくのかなぁと思いましたねー。

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さて、この本ですが、最近でてきたこの「オカン」とか「佐賀のがばいばあちゃん」よりもずっーと前から有名な、元祖九州の偉大なお母さん、「コラ!鉄矢!」の「やさしいおふくろ」さんですね(^-^)、その武田イクおばあちゃんの苦労話がいっぱい詰まった本です。10年前に発行されていますね。

で、何で私もこの本借りたか?というと、じつはこの武田イクさんはこちらにも載っている様に鶴瓶さんともTV出演果たしていたり、たくさん講演会をしていたりしていた元気なお母さんだったのですね。その話をこないだも鶴瓶さんと武田鉄矢さんのトークでしていて、こんな話があったと…。

武田鉄矢さんが海援隊でライブをしたときに、まだ売れる前で、400人くらい入るホールでお客さんがたった15人しか来なかったときに、

家に帰ってから「もう歌うのやめたい」と愚痴ると、おふくろさんが言うには、

そりゃお前 お客さんがすわっとらん席見ながら歌を歌うからはいっとらんって思うったい。

15人しかおらんなら、15人のお客さんだけ見て歌わんか。その気持ちがあればどこでも満員やろが。

来たお客を見ながら商売せんと。タバコ屋も芸能人も同じ、やってこないお客のこと考えて芸売ってなんになるか?お前どこに向かって歌ば歌いよっとか?


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はいーなかなか本題に入れませんが、次回に続きます(^^;)。

Posted by fy3on3 21:52:26Comments(2)TrackBack(0)

江原啓之 幸せのレッスン 4月8日(ニッポン放送)

2007-04-23

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はいー、私も毎日祝詞あげたりお経読んだりお祈りしたりしておるのですが、なんだか今までは少し自分のために祈っていたところがあるナァ〜、とやっーーと気づいてきたようなのですね(^^;)、健康のためとか、家内安全とか。

で、実は本当は祈りというのは、世界は一つ屋根の下のような感じで家族同然なので、まぁ自分も含めてなのですが、みんなのために「全ての物や人のたましいの成長がありますように、そのために自分ができる範囲のことをしますので見守っていてください」というような感じで祈ることなのだなぁ〜、なんて思いましたね(^-^)、どうもやはりまだまだ自分は利己主義でいけませんねーと思いました。

また例えばこれは良くヒーラーさんとかカウンセラーさんとかにありがちのことかもしれませんが、自分が助けてあげている、という意識になってしまう、だから祈りも「自分のクライエントさんがよくなりますように」と言う感じになったりしますよね。

でも、べつに自分を通さなくったって、その人が他の人に導かれて明るくなっていくのもOKなわけですから、そうすると「自分を通して」と言う部分はだいぶ「小我の愛」っぽくなっているなぁと、自分があがめられたい、寂しい人物だったのでは?と思うわけですね(^^;)認められたい願望があるという感じですね。

ですからまた今後は、またそういうような気づきを含め、自分のできる範囲で着実に無理せず、もし間違えているところがあれば素直にいろいろ正しましょう、大きな気持ちで日々できることさせていただきましょう、と思いました(^^)。



そして、今日のこの鈴木ヒロミツさんの出版記事を見てもいいですねー、本当に実感がこもっている感じなので、ちょっと引用させていただきますと…

「お別れ前に、一つだけ生意気を言わせてください。

皆さん、これからの人生を、どうか楽しむために生きてください。

人にはそれぞれ願いがあると思います。

でも、目的が何であれ、笑って、笑って、腹の底から笑えるような人生を送って欲しい。

僕はね、死を前にして、はっきり思ったんです。人生とは楽しいものだと。

だから、どうか、楽しむために生きてください」。


ということで、鈴木ヒロミツさんというとモップス時代はあのユーミンが追っかけをしていた、というくらい人気があったというすごい人だったようなのですが、自分的には「火曜日のあいつ」(古い!)での少しイヤミな西田専務役が印象的でしたね(^-^)。実生活でもいろいろご苦労も多かったようですが、ですのでこのような言葉も味わいがありますね。

まぁ本当にこの世は江原さんも例えるように修学旅行のようなものなので、生きているうちにいろいろな経験をして、そこから何かを汲み取っていくことが大切なのだなぁと思います(^^)。



…で、それにしても、スピリチュアルな知識をもっていると、アーまた事件や事故や病気や寿命でいろいろな人が他界されて…というニュースを見ても、いやいやたましいは存続しますし、自殺以外はきっとある程度偶然ではないわけですしということで、スピリチュアルな考え方では亡くなる事はただ単に肉体という衣服を脱ぐだけで、もと居た世界に帰るだけ、ということですが、本当にそうで、

わたしなども亡くなった方のオーラ見るとあーだいぶ痛みも取れて軽くなっていらっしゃるナァとか、それはわかったりしますよね、ですから現世で大変だったかたはお役目お疲れさまでした〜という感じで、安心したりもするのですねー。

ですからあちらの世界に帰った人が、まだこちらの世界に居る人たちがいろいろあってかわいそうね、って思う気持ちもわからなくはない感じは致しますね(^^;)。まぁそんな現世の修行の世界なので、辛いこともあって当然なのですから、毎日少しでも笑って楽しく行きましょう!と、また改めて教えられたような気がして感謝いたしましたねー(^^)。

ではすこし間あきましたが、祝!番番組継続!といいうことで、引きつづき江原さんの良いお話が聞けてうれしい限りですよね!(^o^)岩手県と山口県にもネットされるようになったそうですから、これまた明るいエネルギーが広がっていくことと存じます。

ではまた内容を引用させていただければと思います。

>>>

さぁ、舞台に上がりましょう、主役はあなたです。

しあわせになるには、一生懸命ひたむきに生きようとするほかありません。

全ての基本は自分です。

自分の心と自分の行動が、幸せを作るのです。


【今思うこと】

・今日4月8日は「花まつり」ですね。

…さて、私も良く申し上げている「偶然ではなく必然」という言葉を勘違いする方も多いんです。そこで交通事故にあうのも必然?人殺しにあっても必然?と、なんでも必然と結び付けてしまう人が多いんです。

自分の怠惰までも「必然」とこじつけてしまって、宿題をしないもの必然、会社面倒だからと行かないのも必然でしょ?という、逃げ道のためにある言葉ではなく、

いわゆる因・縁・果の法則、原因があって、縁があって、そして結果として結ばれるということなんですね。

例えば忘れ物をしました、それは、「必然」です、なぜならば、あなたがうっかりしたからです、という「原因」があるからですね。おっちょこちょいだった、または気持ちが緩んでいた、ということが原因なのだから、結局人のせいにはできないわけなんですね。

また何でもそのせいにするというのであれば、人の人生は全て決められている、という考え方になっちゃうんです。宿命と運命は違います。宿命は自分が生まれるときに持ってきたカリキュラムで、国や時代、性別なども含まれます。

運命というのは、いかようにも変えていけるもの。「素材と料理」という風にもいつも言っていますね。素材は変わらない、例えばレンコンで私は生まれました。だから大根になりたい!といってもなれません。

ですから人をうらやむことは一番無駄なことですよね。でも自分のレンコンと言うことを見つめて、レンコンを熟知すれば一番おいしいレンコン料理ができます。その料理が「運命」。だから人は、「運命」は変えられるという風に申し上げているわけなのですね。

それで、魂というカリキュラムの中で、「宿命」をつくってきて、そこでいろいろなこと、例えばこの容姿になったのも必然、これはたましいの流れの中の必然ですよね。この日本に生まれたのも必然、けれどもあとのことは、現世の「運命」で作っていく必然が多いわけです。

これを言葉をまた作ると、「宿命的必然」と「運命的必然」という風になるのですね。「宿命的必然」というのは寿命、というのもそうだろうし、この日本に生まれたのだとか、またこれこれという家にうまれたとか、

でも自分がどういう風に生きるか、というのは「運命的必然」要するに自分でいかようにもなるということ。

だから「偶然ではなく必然」とはいっても、これだけしっかりとね、分類して分けていかないといけないのですよと。

たとえば、私が人の頭をバシン!となぐっても、「必然必然!」って言えちゃったらおかしいわけですよね(笑)だから一つ間違えばこの「偶然ではなく必然」を逃げ口上という風に使う方たちがいらっしゃるので、そういうような方々にはもう少し深く考えていただきたいなぁと、思っております。



では次回につづきます。

Posted by fy3on3 14:40:25Comments(8)TrackBack(0)

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは(越川 禮子・林田 明大 著 三五館)

2007-04-22

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はい、今日でようやっと選挙が終わって街も静かになりますナァ〜という感じですね。で、候補者の方々もオーラ見ていくとまぁその方のご苦労なさっている様子というかナンとやらもよくわかるので、一応明るい方に私も投票しましたね。



さてこの本の「江戸しぐさ」なのですが、公共マナーキャンペーンでもありましたねー。もともとは商人しぐさ、繁盛しぐさといって、商人の方向けということですが、小さい江戸に百万人くらい居た江戸時代の人間関係を円滑にする工夫でもあったようです(^^)。

それで、こちらの方のページこちら、そしてまたこちらさんなどにもいろいろ載ってますね(^^)。

その中でも紹介されておるしぐさですが、本から少し引用させていただきますと、

【街で見つけた江戸しぐさ】

小春日和のある日、JRのプラットホームに、慎ましい感じのお母さんと四歳くらいの男の子がいました。男の子はヤクルトを飲んでいて、「おいちい、おいちい」と言っています。

その言い方がかわいらしかったので、私から「おいしい?」と声をかけました。男の子は笑顔でうなずきます。

お母さんが男の子に「こんにちは?」と促しました、すると男の子は、「こんにちは」と挨拶し、それから空をぐるりと見渡しているのです。

なにをしているのかしら、と不思議に思っていると、空から私に目を転じてこう言いました。

「きょうは、いいおてんきですね。」

驚きました。これは立派な江戸しぐさです。

江戸しぐさでは、「おはようございます」「こんにちは」の後に、「今日は良いお天気ですね」「寒くなってきましたね」などの挨拶言葉を言うことを「世辞を言う」といいます。

「世辞」とはへつらいやおべんちゃらのことではなく、人間関係を円滑にする社交辞令(付き合いの対応の言葉)の第一歩、いわば大人のことばのことです。

江戸の寺子屋では、人付き合いを大切にする江戸商人の子供たちに、世辞の心得を九歳までに学ばせていたといいますが、現代は大人でも、きちんとした挨拶ができる人は少ないのが現実。

それを、4歳の子供がさらりとこなしているのです。江戸しぐさは幼いころから繰り返してくせにするべきものですが、こんな小さい子供でも世辞がちゃんと言えるのです。

こういう子供の将来がとても楽しみです。そして、このしぐさを見習わせたであろうお母さんに、拍手を送りたいと思います。



ということで、なるほどー、まぁこういうような今の学校では教えてくれないが、人間関係の基本のようなことを江戸の寺子屋さんでは教えていた、ということのようなのですね。寺子屋の中でも一般の寺子屋と江戸寺子屋というのがあって、「江戸寺子屋」のほうは商家の親たちが子弟のためにお金を出し合って共同で師匠を雇った公塾のようなものだったそうです。

オーラの泉なども、実は今までは親御さんがちゃんと子供に伝えていた美徳などが伝わらなくなっているから、それを改めて興味深い形で提示しているような番組だと思いますよねー(^^)。

またそうして「世間」と言うものを大切にしていったようなのですね。「江戸っ子は家に住まない、町に住む」と言うそうで、面白いなぁと思いましたね(^^)。

その他にも簡潔にとってもよいことが書いてあるので、一連の江戸しぐさ本もお勧めしたいのですが、その中でもなるほどと思ったのは

<束の間付き合い>

人はみな仏様の化身と考えていた江戸では、道で出会った人や渡し舟に乗り合わせた見知らぬ人とも、軽く和やかに挨拶を交わしました。

現代では長時間乗る新幹線の隣席でも挨拶しないことが普通になってしまいましたが、一言挨拶するか会釈をしておくだけで、互いに気持ちよく過ごせます。


というような、当たり前と言えば当たり前なことが昨今ではしなくなっていると言うことのようなのですねー。そうするとこうお互いのオーラもピリピリしたものになりますから、変に疲れちゃったりするのですよね(^^;)。とりあえず現代は個人主義でいけるのでよいかもしれませんが、逆に便利になりすぎたからそういう人間関係のマナーもしらないでも生きていけちゃうことが、このような基本的なしぐさを風化させてしまうことになっているのかなーとも思いますねー。

で、江戸の人も「ロク」を良く働かせたということなんですが、ロクというのは第六感ということで、「心を研ぎ澄ませば、本体が見えてくる」ということだそうです。

江戸時代には、はやり病になれば地域もろともですから、日々健康には注意しました。江戸商人だけでなくみんながロクを働かせなければ、生きてはいけなかったのです。

おかげで因習や迷信を増やすことにもなったのですが、それが本当か嘘かを判断するのもロクなのです。

ロクが聞く人が、さらに子供をロクが利くように育てますから、三代続くとロクはいよいよ研ぎ澄まされていきます。

…今は温度計があって、何度になればビールが売れるなどのマーケティングがされています。しかし、便利さにかまけて自然の畏怖の念や、他者への思いやりを忘れ、日本人の感性はどんどん微弱になっているのではないでしょうか。

感性の衰えに比例して、国力も民力も弱くなって行くのではないかと危惧しています。


というわけで、こないだのウルルンでも、ゴリさんがタイのジャングルで生活体験した最後の感想で「いつもは人間が世界で一番と思っていたんだけど、こういうところに来て生活してみると、人間って大きな自然の中の、動物の一種類にしかすぎないんだなぁーってよくわかりました。」とおっしゃっていたのが思い出されますねぇ〜(^-^)都会だと便利すぎちゃて地球とか自然のありがたみをわすれちゃいますよね。

ですから、人がもっと謙虚になり毎日感謝していきるようになるには、やはり一人一人がそれなりの感性を磨く…、でも霊能者になる、というほどまでになるというわけではなくて、みながもともと持っていた、雰囲気を感じ取るような感性ですよね、徐々に取り戻していって、本来名誉職であるべき政治家さんなども選んでいくことが、この世の中を明るく平和にまあるく治める一番早い方法なのではないかなぁと、改めて思いました(^^)。

Posted by fy3on3 05:18:07Comments(4)TrackBack(0)

オーラの泉SP7。

2007-04-21

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はいーもうすぐ始まりますが、あれ面白いですよね、今回前番組の「ポカポカ地球家族」のエンディングは江原さんの歌「小さな奇跡」なんですよねー(^-^)。

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さて最初はイノッチさんですよね。

不思議な体験、偶然人と会ったりすることが多いと、前もピン子さんに電話した次の日に有楽町で偶然会ったと。江原さん曰くそれも几帳面さの思いが引き寄せているのでは?ということですね。見てみるとお部屋が綺麗なのも太一君とは違う、とのことですねー。

またなんでもポジティブシンキングだと。何かあっても落ち込むことなく、それにも意味があったというふうなことを考えていくのだと。

それも美輪さんいわく「悟り」であると、悟りはもっと簡単なこと、一つ一つの生活や過ごし方などで「これが最良の方法だ」と発見していくことだと。

またお父様が創意工夫の精神に富んでいて、タイガーマスクのマスクを欲しいと言ったら自分で作れと言うような感じだったと。だから粘土でつくったりしたと。想像力を働かして自分で作っていくとありがたみを感じるし、いろいろな教育がそこに入っているのだと。

またお母さんはずっと笑っている人だと、「なんとかなるわよ」という人だったと。

美輪さん曰く、人間形成は親しだい、「自分の子供に思えない」という親が自分を棚に上げていると、親が厳格しすぎると子供も捻じ曲がると。だからさじ加減が大切と、「子は親の鏡」ですね。

それで自分は嫌いな人が居ないということに気がついたと。いやな人も以前はいたが、そうするとその人のことばかり考えてしまうので、さかのぼって考えると、その人も赤ちゃんだったのでかわいそうに思うと。それも悟りだと。



また高校のときに落第したりして、あまり勉強が好きじゃなかったのだと。零点とっったら、父親が「いさぎよい!」と褒めてくれたと、30までには卒業すればよいと。

それで16歳と、27歳での授業の受け方の違いも違っていたと、16のときは勉強嫌いでやらない時期だったのだなぁと。

それで、美輪さん曰く親が勉強ができないからといって人格否定をしなかったからよかったのでしょうと。

また最近のこどもたちがボロボロに言われていたが昔と何も変わっていないのだと気づいたと。夢や希望を語るのは素敵なことだと。

だから親がなにもおしえられないと。それはマスコミも良くなくて、悪いことばかり報道すると。

またガングロって言われている女の子が、卒業のときに一緒に学べたことに対して感謝の手紙をくれて、あぁ外見と中身は昔と変わっていなくて純粋なんだなぁとわかったと。また美輪さんも若い人とおはなししているとそうだと、みんな親の犠牲になっていると。虐待している親などもいて、そういう人が「いまどきの若者は」とよく言いのだと、「お前がいえるか!」という感じだと。

評論家でも論ずるだけでなにもしない無責任であると、実践することが重要ということですね。人が立ち直ってくれたり、人が喜んだ顔を見ることが一番うれしいというのが一番大切ですよと。

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さてスピリチュアルメッセージですが、いろいろきちんとしている方だと、そうはいっても、親御さんも紆余曲折あったと、逃げ出したくなるような苦労もしていると。でもその中で明るい光を見出して生きていたのが偉いと。その中で大きな愛でもって生きてきたのが偉いと、じつは心の中には「地獄の深淵」のようなものもあるのだと。

そのようなものも、いろいろなものを全部自分で解決して、その若さで偉いと、兄弟との架け橋にもなっているので、偉い。地獄もみていると、バラバラになってもおかしくない家族であったが、そうでないのは不思議なくらいだと。この若さで地獄を極楽に変えたのだと。

また造形に興味がないですか?と。守護霊さんが都市設計などをしていた方がいて、またお部屋におくものも造形的、見栄えがよい感じと。バランス、調和がすきなのだと。

また寝ると寝続ける、27時間寝続けたことがあると、また感情のオーラに青紫があって、すこし人恋しい、遊びもしなくなってさびしい感じもすると。

泥沼の中を通り抜けて咲いてくるからハスの花には値打ちがあるのだと、でもその泥には栄養があるのだと…いうことですねー(^^)。


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さて、泉ピン子さんですね。美輪さんの追っかけでもあったと。恋愛に悩んでいたときに「愛の賛歌」も見に行って吹っ切れたと。また杉村春子さんにも育てていただいて、言葉使いの調子にも気遣うようになったと。

そして昔は美容師、髪結いさんになりたかったと。
またお父さんが反対したのは、2歳のころにお亡くなりになった生みの母がそうだったからだったと。

そしてそのことを小学校のときに聞いたときに育ての母親をもうお母さんと呼べなくなってしまったと。またお母様は人生ずーっとつきそっていらっしゃって。性格も容姿もとてもにていらっしゃるのだと。

生みのお母様もまたお話したいことがいっぽあいあると、お父様も闇を抱えて生き抜いたのだと。ピン子さんはお父様が好きだったのですが、お母様も憎みきれずに葛藤があってドラマがあったと。

またお父様自身も、母親生き写しだったから、後妻さんにも遠慮したりしたと。

また育てのお母さんにも、結局助けようとしてくれたと、感謝して言っていると。お金にシビアな方だったと。また自分のお子さんは情が入らないように降ろしているのだと。

またどこかで女対女になっていたのだと、生き写しだからと。

またお母様が一番伝えてくださいというには、寝床をいつも綺麗にしていないときがすまない、ということですね。すぐに洗濯しなくてはいけない、肌に触れるものは特に、とのことですねー。

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またご主人は、お医者さんで、見たとたんに結婚するなーと思ったのだと。結婚もよい転機になったと。それも生みのお母様の引き合わせ、それ以外にも全部人生をコーディネートしてくれていたのだという…。

またここで故杉村春子さんが出てきていらして、ピン子さんのことよりも太地喜和子さんのことを心配していたこともおっしゃっていると。可愛がっていたのに早くお亡くなりなってしまったことを今日も報告しに来たのだと。

また、杉村さん他がいなくなってから、その後を告いだ感じになっていると、お芝居、舞台をもっとやらせたいのだと。

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それで、スピリチュアルメッセージ、前世はフランスでシャンソン歌手だったと。いろいろひどい目にあったこともあったけれども、歌い続けていったと。今生もキャバレー人生が長かったと。だから実は「洋」のものが本当は好きなのだと。この椅子のようなアールヌーボーの時代だったと、お部屋もモダンな感じだと。

またご主人もそのときにずっと支えてくれた人、パトロンだったと。全部投げ出してやってくれた人だと。だから今も恩返しなのだと。

また杉村春子さんがおっしゃるには一つ一つの動きが日本舞踊のように絵になるように心がけましょうとのことですね。

また江原さんがオーラをみると、テレビ通してみるのと違うと。赤が強かったのだが、杉村さん曰くこの三年にはいろいろな葛藤があって、苦労があったとのだと。

また芝居というのは実績、信用、自分も楽しんでお客さんも楽しんで、丁寧に作り上げたら、信用がつみあがっていくのだと。チャレンジして楽しんでやるとお客さんも楽しむのだと。

また本人曰く声帯が弱い、のだと。それも杉村さんが言うには「怖がりだから、声がおかしくなるのよ」と。江戸っ子だからいろいろ言われているけれども、実は繊細で、自己防御本能が働いてしまうのだと。

また腰を大切に、とのことですね、冷えもですね、長年こらえてがんばってきた結果なのだと。女優根性なのだと。でもバイオリンなどでもメンテナンスするように、歩いたり運動もしていったほうがよいとのことですねー(^^)。

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また最後にお二人からのメッセージで、オーラの色を気にする人も多いが、どういうオーラに輝いているかというのを知ろうとするのは一種怠惰なことでもあるのだと。自分の内面から変えてそういう心の色を持とうとすればすれば、ちゃんとそのようなオーラになるのですよ、とのことですね。

またオーラの色などはあるけれども、それにふりまわされて固執する必要はないですよと。また前世なども、現世が主体なのでそれにこだわらる必要もないと、参考に過ぎないのだと。

私たちは霊的世界の操り人形でもないと。現世主体なのだということですね。霊的世界も江原さんも感じるけれども、それを一つの人生の哲学、その一つにしましょうと。自分の人生を操りましょう、ということ。一つの参考としてこういう考え方もあるのではないでしょうか?ということを提示しているのですよ、とのことでしたねー(^^)。

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…というわけで、なんだかこの番組や「天国からの手紙」のビデオを見せて、物品の販売、勧誘など霊感商法をしている団体などもあるということなので、注意書きもありましたが、気をつけたいものですねー。

…と、私もたいした能力ないのにいろいろ便乗しているのでは?と思うときもありますが(^^;)それはまた個々の方々がご判断いただければと思います、もうただただ輪廻転生があって、波長の法則カルマの法則があるわけで、この世は修行の場所、やったことは必ず自分に還ってくるので、なるべくプラスマイナスゼロに近づけていく努力をしていくことが良いと思うのですね。

たとえばなんらかのお金が入ったら、それだけそれを良く使う責任を負わされているわけですから、自分のためだけに、なんてやっておりますとどんどん入ってこなくなると思うのですね。そういう意味ではイノッチさんのようにいろいろ苦労して悟って、嫌いな人が居なくなるように、全て回りにあるもの、いる人は自分自身の分身である、ということに気がつくようになれればと思います(^^)。



さて、来週はいよいよ向井さんですねぇー、やっぱりご主人様との前世のこと、ご出産のことなども少し気になりますが、下衆の勘ぐりは要らないですよね(^^;)、よりまたいろいろ解消されていかれたことと思います。

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今夜7時オーラの泉 直前見どころスペシャル。

2007-04-21

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はいー、お蔭様で何とか熱も下がって参りまして助かっております(^^)、さて昼間は予告番組の総集編をやっておりますねー(^^ナツカシ)。

最初は陣内さん、ご先祖様が神社に寄進したり、地域のためにいろいろ貢献したおかげで、上七代下七代に、ご神縁、さまざまなことで守られてきたと言うことですね、九死に一生を得たこともなんどもあったそうです。そしてひいおじいさんががいうには病気のお父さんのことは心配しなくてもよい、と言うことでした。

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そして次は壇れいさん、美輪さんに楽屋であったとたん涙がでてきたということですが、美輪さん自体ではなく、美輪さんの後ろにいる観音様などの波長に触れるからすーっとということでしたね。

またお亡くなりになったお父様のことについて心配だということですが、逆にお父さんに願掛けするようなかんじで心配かけていますねーということですね。事故でお亡くなりになったお父さん自体は苦痛は一切ないと。

またお亡くなりになった方というのは特に報告しなくても、ちゃんと見ているので大丈夫と、元気を出して安心させてあげましょうとのことでした。

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そして的場さんですね。京都のホテルでおじさんのような妖精さんをたくさん見たと。髪を細かく結ばれたと言うことですが、いたずらをした自然霊さんでは?ということでしたね。

そして、母方の祖父母さんにかわいがられていたので、恩がえしを、ということでしたが、まず偏食に気をつけなさいと、それが一番の恩返しになりますよ、ということですね。おねしょなどもたくさんありましたでしょ?と。

ですから親というのも愛することしかかんがえないものなのですよ、ということですね。またそんなに墓墓って考えないでいいですよ、もっと日常のご家族にきをつかうようにして、時々思ってくれるだけでよいから、とのことでしたねー。お墓かないとご先祖様に会えないわけではなくて、思えば届くということですね。

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そして羽田美智子さんですね。イギリスに行ったこともないのに懐かしい感じ、そして夢でも政略結婚の夢を小さいころからよく見たと。

それで江原さんがいうには、実際にそれはあったと、またピアノもおやりになって、それがお友達になっていてと。また木漏れ日、が憂鬱をかんじると。

また嫁いだお家が没落してしまったと、またその後に屋根裏部屋で占星術や霊能者をしていたと。それは今生でもご自身でも星占いを良く覚えてしまうと。

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そして山田優さん。子供が好きで、医者になりたくて、音楽が大好きということでしたが、どうしてそうだったかと言うといくつかある前世で、その中で共通しているのは、貧しい時代に助け合っても亡くなってしまう時代に生まれていたと。だから治してあげたくなると。

また奉公にでて、芸者さんになっていたと、だから音楽や踊りなども身についていると。また芸者さんだったからそのいときはお子さんを育てられなかった、前世の記憶で涙がでるんですよ、ということですね。

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そして、中村橋之助さん、劇場で幽霊の女の子さんを見たり、花道でご本人が演じていた徳川信康さんみたりしたときは、ちょうどその日が命日だったと。

そしてスタジオでラップ音がしてきたので、美輪さんが気合を入れていましたが、それはご家系のいろいろな思い半ばでお亡くなりになった歌舞伎関係者の方が押し寄せてきたからということですね、ご本人も耳鳴りがしたと。

そうやって来るのも、中村さんが歌舞伎界の担い手であるからだと、また歌舞伎界の方々の供養も少し必要なのでは?ということでしたね。

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そして沢村一樹さんは、オーラの泉に出たいと思ったら次の朝に電話が来たと。いまは「ただのドスケベ」ということですが、女性にもてるから、その念が関節にくる、多情多恨、死霊より怖いのが生霊、また傷つけないように逃げると、蛇の生殺しになってしまうとのことですね。

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また劇団ひとりさんは、この番組に来る前に禁煙したり女性関係などいろいろ治してきたと。でも見ると、女性に対するハードルが高くて面食いで、すぐ飽きると、そしてその先がないと。そしてもともと人と暮らせる人間ではないと。

恋愛の延長に結婚と言うのではない、結婚にあるのは苦労だけと。子育てからお付き合いやら面倒くさいことばかりだと。

また「全ては偶然ではなく必然」というのは、失敗も必然かというと誤解でそうではなくて、因縁果で、努力しなかった原因で失敗もあるのだと。そのような因果律があるので、失敗したらいい種をまく、自己弁護しないように、とのことですねー。

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そして松岡修造さん、TDLで子供より自分が楽しみすぎてしまうと。また奥様は奥様でマイペースなところがあるけれども、もっと心の交流をと、また否定される言葉が嫌いなので、それを気をつけましょうと。

また結婚はママならないこと自体が勉強だと。実は自分中心になっていると。

また前世はお殿様で、武芸もしていたが、実は不自由、金の鳥かごのような、一生のスケジュールが決められていたと。だからスケジュールが決められていないと不安になると。

またオーラのブルーの中には悲しみというのもあると、今生は里の行で、家系含め家族をまとめていくのか課題と。


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次は真鍋さんですね。ロケで不思議なことがあったりして、守護霊さんの巫女さん、昔の巫女さんは霊能者だったわけですから、力があると言うことですね。

またご家族とはなれるのが前世でも早かったので、かわいそうな生い立ち、労働を強いられている西洋の男の子で、駆け回っていて、病気で亡くなってしまったと。だからいつも働いていないといけないと思ってしまうと。

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そして須藤元気さんは、ガイドさんと間接的にコンタクトを取れていると。ガイドさんに手紙を書いておくと三日以内に中吊り広告とか音楽の詩などに答えが書いてあると。

また「対面同席5百生(すこしでも一緒にいた人は、前世で5百回以上の時を共に過ごしている)」ということで、シンクロも多いと。ガイドさんたちは誰に対しても答えを送っているのだが、それをほとんどの人たちは受け取っていないだけなのだと言うことでしたねー(^^)。

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また堀ちえみさんの回では、輪廻転生、簡単に生まれ変われると誤解されているのだかそうじゃないと。自殺したら楽になれるのではなくて、生まれ変わるときも同じ人生をまた味あわないといけないと。全ての宗教が自殺を禁じているのも、そうだからとのことですね。

またイジメに関しては、もともと大人社会がイジメ体質だからだと。その写しであると。またイジメは恥知らずなことで最低のことであると。「イジメ=犯罪」脅迫、傷害、などなので、犯罪であると。

また「目に見えないことに対する敬い」がなくなっていて、お天道様が見ている、などいう言葉もなくなってしまったと。目に見えることだけをはかりにしていると。

だからこの番組を通して、みんな見ているのですよ、ということを言っているのだと。

また親はお手本、父は男性の、母は女性の見本であると。人間が生きていくのは物質も必要だけれども、一番必要なのは愛情なのですよ、心の栄養失調になるんですよ、ということですね。

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また宮本亜門さんは、2年間登校拒否であったと。母に「どうして自分を生んだの?」と聞いたことがあったと。その立ち直りは精神科に行って、お医者さんなどに言うことを否定されなかった、その勢いで学校に行き始めたということですね。

またお母様は芝居の初日前に倒れて他界なさってしまったのですが、それはひとりでもう行きなさい、ということのようだったということですね。

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そしてフジコさんですが、いろいろ厳しいお母さんでしたが、人間で一番好きなのはお母さんだったと。お母様もピアノのそばに来てみんなに自慢していて、とても喜んでいたと。お母さんはなかなか愛情を表現する言葉をしらなかったということですね。

ピアノを弾くのに一番大切なのはハートであると、やはり心を清らかにしていないと神様も答えてくれないのだと。

またピアノのことに関してはお母さんの力が大きいのだと。音楽を奏でて人を癒すために生まれてきたのだから、ということで今回もお母様が一番喜んでいらしていると。一緒に住むのはもうごめんだけども、また会いましょうねと。

神様はいつも助けてくださるのに、もっともっとと考えてしまう。不幸せの数ばかり数えてしまうと。
神様はいつでも見ているし、この人生は一回じゃないから、変なことしなくてうまくいきましょうとのことですねー。

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そして最後に投書ですね。「オーラを輝かせるにはどうしたらよいでしょうか?」ということですが、太一君がおっしゃるには、

「オーラは経験と感動のスタンプなんです、簡単には変わりません!」

ということでしたね。又江原さんも、情熱の赤をもちたければ、自分が情熱的な経験、感動をするしかない、黄色も、またブルーも冷静沈着にものを考えるということをすればよい、だから色から入るのではなくて、内面から変えていく、心持を変えていけば自然にそのオーラになって行きますよ、とのことでしたね。

美輪さんも、慈愛深い慈悲深い優しい心の愛情豊かな人になると、ほっといても自然に紫のような腑ワーッとした綺麗な慈愛の色に変わるんですよ、だから心の持ち方しだいで何色にも、ということですね。

また前世などにも振り回されてもいけない、とのことですね。ですからそういう考えを押し付けるのではなくて、そういう考え方、人生をよりよく生きるヒントを提示しているんですよ、とのことでしたねー(^^)。

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というわけで、イヤー改めて見てみても、ほんとにいい番組ですねぇ(^o^)これからもとても楽しみです。

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江原啓之&嵐 現代人の悩みを救え! 〜明日への扉〜 序章 (その2

2007-04-19

はいー、今日は昼に歯医者さんで親知らずを抜いたので、もういまごろは麻酔が切れて痛みのピークなわけですが、自分でヒーリングしながら何とか乗り切っております(^^;)。


それにしても、いろいろな事件が続いていると、こう生きているということの大切さと言うのが身にしみますね、命を大切にして、毎日元気に生きていられることに感謝することは大切なのだなぁと、ニュース見ていても思いますね…。


で、うちの近くでも、雨の中有名人のお葬式に3千人、ということでしたが、まぁお大師さんもいろいろな方に引導を渡すのに、なかなかお忙しい感じですよね…(^-^)、今日行ったら、お寺というのは清掃がさすがに早くて、もう全部片付いていて、あぁ無常と言う感じですよねー、気持ちの切り替えが大切なのだなァと思いました。

つづきます。

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江原啓之&嵐 現代人の悩みを救え! 〜明日への扉〜 序章 (フジテレビ)

2007-04-17

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はいー、東京は春雨も降って少し肌寒い感じですねー。世界でもいろいろな出来事が起こっていてうーんという感じですが、他人事とおもわず教訓を無駄にすることなく、波長を高くもって前向きに行動ですよねー。

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さて、おまたせしました「明日への扉」ですね。第一部は午後の関東ローカル他放映だったのでご覧になれなかった方も多かったことかと思いますが、まさにスピリチュアリズム記念日にふさわしい内容でしたねー。保存版という感じなので、ご覧になっていらっしゃらない方また何かの機会にと思います。

〜スピリチュアリズムとは〜

霊的存在との交信を通して、その研究から生まれた思想のこと−霊界からのメッセージをまとめたものを言う。そして、その思想にしたがって生きる人をスピリチュアリストと言う。

近代スピリチュアリズムの発端は、1848年、アメリカニューヨーク州 ハイズヴィル村のフォックス一家に起こった事件から始まった。

彼らが移り住んだ家は、近所でも有名な幽霊屋敷で、寝室で寝ていると、奇妙な音がしたり、ポルターガイストが起こったりした。

そしてその年の3月31日、家族が夜寝ようとしていたら、いつものようにノック音、ラップ音がしてきた。うるさいのでそのまま寝ようとしたところ、その日は試しに次女のケイトが、ラップ音に答えるように、指パッチンや拍手をしていくと、そのラップ音が反応するようになった。


ケイト:「お化けさん、もし本当にいるのなら、私が手をたたくから、同じ数だけたたいてね。1,2,3.4.」

音:「トン、トン、トン、トン」

母:「あなたは…人間ですか?あなたは霊ですか?」

音:「トン、トン」

母:「あなたは、傷ついた霊ですか?」

音:「トン、トン」

…その後、村中の人たちが、この交信をフォックス家と一緒に体験。

「A…B…C…D…、」「トントン」「Dか…。」

というように、アルファベット一文字ずつを確認し、霊からの詳しい情報を聞き出した。

このような音との交信により、この霊は「チャー0ルズ・ロスナー」という名前の行商人で、31歳のときにこの家で殺されたこと、そしてその遺体が、家の地下に埋められていると言うことを伝えられたのだ。

実際に家の地下を掘ってみると、なんと霊との交信どおり、男性の毛髪と骨、さらにのちに、行商人であることを証明するかばんが発見された。

そして今もこの家の基礎部分が歴史的資料として残されている。

「それは死は終わりではなく、スピリットと交信できると初めて証明をされた日でした。」



ということで、もう定番のお話からですね。しかし、こちらのウィキにもあるとおり、いろいろなことがあったようです、まるで今の江原さん批判のような感じで、人間って変わってないナァ〜と感慨深いですが(^^;)、どちらにしてもいろいろマスコミでとりあげられるようになったことで、海外の有名な科学者なども心霊研究に乗り出すわけですね。

アーサー・コナン・ドイル
「シャーロック・ホームズ」の著者、医師、科学者

・ウィリアム・クルックス
「タリウム元素」を発見、科学者、物理学者

シャルル・ロベール・リシェ
 ノーベル生理学医学賞受賞、生理学者

心霊研究は、霊的世界を否定するために始まったのであるが、興味深いことに、研究を進めれば進めるほど、霊的世界を否定できなくなっていった。

そして彼らはそれを受け入れ生きると言う思想を持つようになった。このような人物たちを「スピリチュアリスト」と呼び、その後、霊能を使う「霊能者」が現れた。


ということで、心霊現象研究協会 (The Society for Psychical Research 略してSPR)ができたわけですね。ここに書いてあるように、いろいろなインチキ霊能者のトリックなども暴いたので、仲たがいしたりいろいろあったようなのですが(^^;)、

まぁ思想的なもの、見えない世界のものというのは、お金儲けにつながったりなど、いろいろなことをする人がでてきて困ると言うことも、また頭から批判してしまう人も、逆に狂信的になってしまう人も現われ、と、だいぶこう極端に走る人が私が見ていても多いんですよねー依存してしまうと言うか私も若いころだいぶ現実逃避的にそうであったような気もしますが(^^;)、

ですから、まぁ適当な感じに「魂は永遠」で、皆さんいろいろな役回りで人生やっているわけですから見えない世界も見える世界もどちらもあると言うことで仲良くすがすがしくですよね(^^)。

では次回に続きます。

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古代の洞窟―チベット少年僧の不思議な物語(その3)

2007-04-13

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はいー、今日はこれから「江原啓之 スピリチュアル・ヴォイス2007〜未来の創り方〜」に行って参りますね。この半年はだいぶ生で江原さんを見てきたので、あまりドキドキしなくなってきましたが、またどのような舞台演出もあるのか楽しみですねー(^^)。


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はい、というわけで、行って参りました(^^)。
で、やっぱりすごいですねぇー、歌もお話もですが、なんといっても後半の公開カウンセリングですよね。

私もあまのじゃくですので(^^;)、せっせと皆さんがロビーで公開相談申し込み用紙に書き込んでいるのをみていたら、あーまぁ自分の質問はいいやということで、今回は書かなかったりしたのですが、第二部で当たった方ってホント偶然はない感じでしたね。

今回もついこの間、とか他界なさった方からの通信がやはり多くて、それで江原さんもとても細かくその状況を伝えるものだから、皆さん感動していましたねぇ、たましいの存続を理解してもらうには一番よい方法ですよね。この人生もほんの一段階にしかすぎないのだなぁ〜って、身をもって感じますよね。

ちなみに自分もご質問と同時にオーラを見たりしていると、その方の症状や性格なども一応当たったりはするのですが、江原さんのようにはっきりと守護霊さんからの言葉、というようにははわからないことも多くて、まだまだだなぁーとホント今回も反省させられましたよねー、レンコンは大根になれないので、自分の長所をそれなりに伸ばすことに勤めて、人をうらやましがってはいけないようですねー(^^;)。


それで、第一部のお話などは、今回はサポーターズクラブのみの公演だった事もあり、すこしサービスしていただいた感じでしたよね(^-^)いろいろあるんだなぁ〜と感心いたしました。またお話の内容は私も会場先行販売で買った『未来の創り方』という本にとてもよく書いてありますから、お奨めいたします(^^)。

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まぁでも、自分がスピリチュアリズムに最初触れてからの私の夢というか、願いとしましては、このようなデモンストレーションですよね、それができる人がどんどん増えて、全国的に広がりを見せていくことだったりするのですね。

わたしも最初はハリーエドワーズのようなヒーリングができる人がたくさん出てきて、この世から病気がなくなればイイナ、って思っていたのですが、

病気も江原さんが言うところの「肉の病」「宿命の病」「思い癖の病」があるわけですから、その病気になった原因をクライエントさんが理解しないと、病気になった意味がないというか、病気はメッセージであることが多いわけですよね、ですからあまりに簡単に治しちゃうと、その人がそのことで感動を得た!生き方を見直した!というのであればよいわけですが、そうでなく依存的になってしまう方のほうが実は多いわけですから、あまりスピリチュアルヒーリングのみのデモよりは、ミディアム的なもののほうが、よいのだなーと、私も徐々に学んでわかってきましたよね(^^)。

で、今までは江原さん並にわかる人は教祖さんに祭り上げられて教団を形成してしまう場合が多かったわけですが、英国のスピリチュアリズムを江原さんも学んだおかげでだいぶちゃんとしたもの、ドグマ的でない考え方で活動できたということのようなのですね。

全くイギリスという国はよいものもそうでないものでも、ルール作りがうまい国ですよねー。いろいろなスポーツの出発点でもある国ですが、見えない世界でもそうであるようですね。きっと日本からこれからもどんどんロンドンなどに行ってミディアムシップを学びに行く方も増えていくことかとおもいます、波長の高い人たちは「全ては一つ」ということをわかっていて、お互い競ったりしないはずですから、それで大体その方の能力もわかるというものですよね(^^)。


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さて、本の続きですが、いやー読めば読むほど感心できることが書いてあるので、どこまで引用すればよいのやら…という感じになっておりますが(^^;)、今日はここからですね。

ロブサンは「国家神託」という神託僧さんと会います。ちなみにこの本では「国家神託」さんって固有名詞化しているのですが、実際はどのような英語だったのか?といろいろ調べてみると、ひょっとしたらpython(神託・ニシキヘビ)の訳語かしら?とも思ったのですね。

でパイソンと聴くとおーあの「モンティ・パイソン」ということで、私も良くビデオ借りてほとんど全部見ておりましたが(^^;)やはりなかなか天才的なくだらなさの中に風刺もある方々でしたよね(^-^)。べつに神託っていうことから名前取ったわけでもないと思いますが、コメディ界のビートルズでもある感じもしますねぇ(^^)。

さて世界的にも変わり者の国営放送局BBCの話題はさておいて(^^;)、もうひとつのほう、ニシキヘビというのも、写真見ていてもなかなか実際オーラがあったかなのが感じられるのですね。私も例の岩国のシロヘビがひきつづきマイブームなわけですが(^^;)、写真などをみるとガラとかはなかなか派手ですが、オーラはほんわかあったかですよね。人は襲わないということですから、やはりなかなか頭もよい方なのでしょうねぇ〜。

で、ニシキヘビ、というと、ほらほらこの間もキンスマで飯島さんのことをお見通しだった木村さんも、一番最初に有名になったのはニシキヘビ騒動からでしたねー、「神託=ニシキヘビ」、ふーむこれも必然なのかもしれません(^-^)。



さて、おー本題にもどりますが、国家神託僧さんは言います。

神託:「…さて、ダライラマの命のよって、お前にやってくる苦難、打ち勝つべき困難について、話さねばならぬ。」

ロブサン:「あぁ先生。私はこのような苦しみを受けなければならないように、過去世で恐ろしいことをやってきたに違いありません。私の業は、私の前もって決まっていた運命は、誰よりも過酷なもののようです。」


神託:「そうじゃないのだ。人々が、自分たちは過去の生活の罪によって、必然的に苦しむと考えるのは、共通した誤りなのだ。

もしお前が炉の中の金属を熱するとき、金属が間違いを犯し、それを罰するために、そうするのか?お前は物質の性質を改善するためにやっているのではないのか?」

そしてラマ僧も言います。

「…ごく最近私はおまえに、我々はこの世界の負担を増加させるような過去世の記憶を通常記憶しないといったはずだ。

『生活の歯車は回って、ある人には富を、またある人には貧困を与え、今日の乞食は明日の王子』

という言葉どおりだ。もし我々が過去の自分の生活を知らなければ、かえって新鮮な気持ちで、みんなが一緒にスタートすることができるのだ。」

そして

「我々の内部には、我々の魂の支配する内部には、物理世界ではできないようなことでも成し遂げられる計り知れないほどの大きな力があり、特に西洋人はこのような力を濫用しようとするが、それは、彼らがみんな金のことばかり考えているからだ。

西洋人は二つの質問だけしかしない。

お前はそれを証明できるか?そして、どうしたらそれから逃れられるか?だ。

…まず最初に彼は自分の知識の範囲内で考えて、この力を恐れ、それから次に彼の野望を越えて自分自身を富ます手立てをする。

彼は実験をし、金が彼のところにやってくる。そして金と力が増えるにしたがって。彼はますます金と力を欲しがるのだ。

百万長者は決して百万では満足せず、さらに数百万を求めるものなのだ。」


というわけで、ふーむ西洋的な物質的価値観に親しんでいる私たちも、もはやここで言われているような東洋人的な心を失っているのかもしれませんね?そのような物質的価値観で生きている人々がふえっぱなしになっていると、どうなっていくかというと…、

僧:「ロブサン、戦争がなければならないのだよ。…もし戦争がなかったら、世界の人口はあまりに大きくなってしまう。

もし戦争がなくなれば、疫病が蔓延するだろう。戦争と病気が世界の人口を調節し、地上の人々に他人に対して善行を施す機会を与えるのだ。

世界の人口が他の何らかの方法で調節できるようになるまでは、常に戦争は発生するのだ。」

「…戦争の大部分が人口の過剰によって引き起こされる。巨大な人口増加がある間は常に戦争があるのだ。…人々は物事を学ぶために地球にやってこなければならないが、もし戦争や病がなければ、人口を調節して彼らに食物を与えるには、どのようにすればよいのか?彼らは見渡す限りの全てを食いつくし、全てを汚染させ、完全に自らを終わりにするイナゴの大群のようなものだ。」


…となかなか手厳しい感じですが、確かに人々がお互い積極的に共生できる道を歩まないと、なるほど全てを使い果たして環境汚染という方向性で行ってしまうだろうなァと思いますよね。

このように戦争や病もそりゃありますよ、って言われてしまうとなんだか気力がうせてしまう感じもしますが、ある程度そのようなこともあるようなこの地球上で、いかにしてその中でも精神的に強く、そしてなるべくお互い和合して平和的解決にむかって努力していくということを、わざわざ地球にまで来て学んでいるということなので、永遠の時間からみると、さくらのように実は短くはかない100年位の今生の命でも、お互い助け合って一生懸命に生きるということが大切なんだなぁと思いますねー(^^)。

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古代の洞窟―チベット少年僧の不思議な物語(その2)

2007-04-10

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はいー昨日はあの「第79回アカデミー最優秀外国語映画賞」を受賞したドイツ映画「善き人のためのソナタ」を鑑賞させていただきました。映画の日はさすがに込むでしょう、と思いまして、月曜日にしましたね(^^)。

でもなぜかあれですよね、なんで人も閑散としている映画館でも、よりによって必ず自分の席の近くには、なんだかちょっと、ほんの少しおかしいくらいの場面で「ワハハハァッ!」って傍若無人に大爆笑!する二人連れくらいの人たちが、行くたび行くたび何かの嫌がらせのように寄ってくるのかしらーって思いますよね、まぁいいんですが(^^;)。

…そんな感じでも我慢してなんとか見てきましたが、内容はやはりよかったですよー(^^)、もうホントこれはある意味スピリチュアルな映画ですよね、いかに人生を生きるべきかを観客に問うような、シンプルなようで非常に深いテーマがありましたよね。そしてやはり最後もホント良くて、きっと前世を思い出し「僕も少し泣いたー♪」ので、またみなさまも折あらばご覧いただけましたらと存じます(^^)。

>>>

さて、あーもう「あがりかまち君のうた」とか見てルルル〜と歌っていたら2日も経ってしまいしたが、まぁ人生マイペースにですよね(^^;)。


↑クリックするとフルコーラスver.が見れます、地鎮祭についても…わかります(^^;)。

さて、引き続き本ですが、人はなぜ死を怖がるか?からです。

ロブサン:…もしこのことが本当なら、なぜ人々は死を怖がるのですが?それは地上のトラブルから開放されるだけではないのですか?

ラマ僧:それは意味のある質問だな、ロブサン。もし我々が他界の喜びのみを記憶しているならば、この世の困難に耐えることができないのだ。だから我々には死の恐怖が植え付けられているのだよ。

…我々の中には学校が嫌いなものがいる。学校で必要とされる訓練が嫌いなのだ。しかし、人が成長して大人になっていくとき、学校の恩恵は明らかになってくる。

そしてそれは、学校から離れても勉学の進歩を期待知るようになるのだ。

また人は、その人の割り当てられている時間よりも早く生涯を終わるように言われることはない。


というわけで、私たちは天国のようなところからわざわざ地球の学校に学びに来ている、ということなわけですよね。で、あの世に帰っても引き続き学び続けるということですね。わたしも学校が大嫌いで今生でも学校中退ばかりしておりますが(^^;)結局興味あることは独学でなんとなく学び続けておりますものねぇ。で、人生をなかなか中退できないそのわけは…、

人は皆、地上で、ある割り当てられた時間を持っている。もし人が自分の時間より前に、生涯を終えるならば、その人はすぐにこの世界に帰って来なければならないのだ。だから我々は、数ヶ月だけ生きるために生まれてくる赤子を見ることになる。

それは自殺した魂が、肉体を占拠するために帰ってきて、前世で生きるはずであった期間だけ生きるのだ。自殺は決して正当化されない。それは自分自身、自分の魂への重大な反逆なのだ。



ということで、なるほど、ここは江原さんの解説と少し違って、江原さんはたとえば前世で途中で人生やめていると、その先の人生は生きていないから、その年齢になるまではその前の人生と同じような苦しい人生をもう一度生きて、そしてそれをクリアしたら、さらにその前世で自殺した後の人生を引き続き延長して生きることができる、という感じですよね。

でもここの解説ですと、早く亡くなってしまうお子さんなどのなかには、前世で足りなかった期間を埋めるためにその時間の分だけ生まれてくる魂もいるということのようですね。まぁあまり深く考えず、いろいろなのケースがあるのだろうなーと思いますねー。でも、どちらにしろ自殺してしまうのは、自分で決めてきた取り決めに違反することになるので、だいぶいけないことのようですねー。



ロ:しかし先生、家族の面目を保つために切腹を果たす高貴な生まれの日本人はどうですか?彼らはそのようなことをする勇敢な人ですが。

僧:いいや、そうじゃないよ、ロブサン。勇気とは死ぬことではなく、困難や苦しみに直面して生きることなのだ。それが勇敢な行動なのだ。

切腹というプライドの劇的な発露も、人を過失に導くための目隠しに過ぎないのだ。

我々はこの世で学び、割り当てられた時間を生きることで学んでいくだけだよ。自殺は絶対に正当化されないのだ。


そして人間が持つ恐怖についてもこう述べていますね。

「聖師よ、恐怖の目的とはなんですか?なぜ我々は恐怖でそんなに苦しんできたのですか?

もはや私は恐れるものは全て起こらないことを知ったのに、それでもいまだ恐れているのはなぜですか。」

ラマは笑って言った。

「それは我々みんなに起きることだ。我々は未知を恐れる。しかし恐れは必要なものなのだ。それは、恐れがなければ怠け者になる我々を、追い立ててくれるのだ。

もしお前が先生を恐れ、他人の前で奇矯な行動をとりはしないかと恐れることがないならば、学校での勉強はできないのだ。」


と、なーるほどですねぇー、確かに苦労病死のようなものがなければ、非常に怠け者になっちゃいますよね、何もしなくてもおなかは減るし、税金もかかるようになっているから、どんな人でも少しは働くという動機にはなってますものね。そして動き出すとまたいろいろな出会いや楽しみも増えてくることもわかりますものねー、世の中うまくできているものです(^-^)。



というわけで、次回につづきます。

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古代の洞窟―チベット少年僧の不思議な物語(中央アート出版社)

2007-04-08

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はいー、都知事選も終わりまして、まぁ人生いろいろという感じですね(^^;)。ではあの築地市場移転はどうなっちゃうのかなーと思いますが、平和的に解決するとよいですよねぇ(^^)。

で、あれ築地というのは、佃島の浄土真宗門徒さんたちが埋め立てた土地だからということで、だから築地本願寺があるということのようですね、もともとは浅草にあったようです。

で、ご本尊は聖徳太子手彫りの阿弥陀仏さんで、オーラもなかなかな感じですね、パイプオルガンもあるというのもなかなか面白いお寺ですよねー、昨日のはなまつりの行事もにぎやかだったようです。

>>

さて、この本ですが、こちらにも書いてあるように思いっきり偽書なわけで、ここで取り上げるのもどうかと思われるのですね(^^;)。

まぁチベットのお坊さんがのり移って書いた、という苦しい釈明はさておいて、どうもあの「失われたムー大陸」チャーチワード大佐の影響も受けて書いたのでしょうねぇ…という本ですよね。私は確かにワイハーはムー大陸の一部だったのでは?と思うくらいよいオーラですから、そう信じたいナァと思いますけれども…(^-^)。

で、いろいろなことはともかくとして、とりあえずだまされつつ読んでいくと内容的には結構面白く、スターウォーズやラストサムライ、ハリポタやそしてマトリックス第一作目、さらにインディアンの教え、のように、ある師匠から、自分が以前は思いもよらなかったいろいろなことを、人生の教訓を交えながら教わっていき人間的に成長していくという、洋の東西問わずみんな大好きなストーリで書かれているので、どんどん読み進むことができる本ですねー(^^)。

ではまず最初に、この世界の基本的な仕組みについて、師匠であるチベットのラマ僧さんは言います…。

全世界は振動からできている。全ての生物も無生物も振動からできているのだ。あの大きなヒマラヤも、互いに接触することなのない浮遊する粒から出来上がっている。世界も宇宙も他の物質の粒の周りを回っている小さな粒から出来上がっており、それはちょうどわれわれの太陽が、自分の周りに地球を回転させるとき、常に距離を置いて互いに接触することのないように、回転する世界を構成するあらゆるものが存在するのだ。

…われわれ千里眼が寺院の中で見る幽霊は、すでにこの世を去って、その幽体が壁の一つの分子にすら触らないで厚い壁を通り抜けるほど広がっている状態に入った人たちなのだ。…すべての生命、存在する全てのものは電気であり、波動であるのだ。

…したがって、人間が千里眼という特別な才能を持つとき、いわゆる霊界の人々は、いまだこの地上にいる人々と通信することができるのだ。


というわけで、江原さんの能力の仕組みを説明していただきましたが、そうですよね、あのようにゲストのお部屋をのぞけちゃう能力はかつて「千里眼」と呼ばれていましたよね。今はかっこよく「リモート・ヴューイング」という名称にもなっておりますよね(^-^)。


ですからなんでそないなことができるかというと、全ては振動している、波動である、つまりエネルギーなわけですよね、ですから物質以下の細かい粒子になってしまえばいくらでも通過できると、そして時間なども超越できるというのが、相対性理論や量子力学の考え方だったのでは?とうろ覚えで思いますね(頼りない^^;)。

さらにテレパシーの説明に続きます。

頭脳は…ラジオである。人が四肢を動かそうとするとき、電流がそれに適切な神経に沿って流れ、希望する動作に向かうよう筋肉を刺激する。同様に人が考えるとき、ラジオすなわち電波が(実際にはラジオ・スペクトルのずっと高い部分からやってくるのだが)脳から放射される。

ある種の機械はその放射能を見つけることができ、…感受性のよい人たちも、この放射線を見つけることができ、それらを理解できる。私はお前の考えを読み、お前もやってみれば私の考えを読めるのだ。

二人の人が同情しあい調和しあうほど、考えている頭脳の放射線を読むことは、たやすくなっていくのだ。

このようにしてわれわれはテレパシーを行う。双子はしばしばテレパシーをやる。一人の頭脳がもう一人の頭脳の写しである。一卵性双生児は、互いにテレパシーを行っているから、どちらが最初に考えたかを決定するのが難しいことが多いのだ。

…昔、人類はテレパシーを使って動物の世界と交信していたのだよ。人類は戦争という愚行を経験したあとで、時節が来れば、再びその能力を取り戻すだろう。もう一度、人間と動物は一緒に並んで歩くようになり、お互いに傷つけあうことがなくなるのだ。


ということで、双子の例はマナカナさんたちを見るととてもよくわかりますね(^-^)、確かに繋がっている感じですよねー、仲のよいカップルさんやご兄弟でもそうですよね。

また確かに古代の人類はテレパシーで交信していたのでしょう、ガンダムのニュータイプは実は超オールドタイプだった、ということなのでしょうねぇ、人はみんな意識では繋がっているわけですよね(^^)。

また、アニマル・コミュニケーターの方も、最近はあまりマスコミでは耳にしませんが、徐々に日本でも増えているようですね。一般的にアメリカでもアニマル・コミュニケーションを勉強するにはペットの前世や死後の世界も含めて学ぶようですので、実はだいぶスピリチュアルな感じのようですね。

でもそうして初めて飼い主さんのペットロスに対しても援助できるわけですよね、ですから又江原さんのような感じで、アニマル・コミュニケーションできちんとした証拠を言えるようなデモンストレーターの方もまた出てきて、スピリチュアルなことに対する裾野が広がるかもしれませんねー(^^)。


そしてラマ僧の説明が続きます。

われわれは魂を持つ動物だ。我々は情報を与えられた電荷のようなもので、この世界、この生活は地獄であり、我々の魂が大きな肉体を支配することを学ぶときの苦しみによって鈍化していく試験場なのだ。

人形が人形師の操る糸によって支配されるように、我々の肉体は、我々自身からの電力の紐によってコントロールされるのだ。良い人形師は木の人形が生き生きとし、自分の意志どおりに活動するような紐を作り出す。

同様に我々も勉強が十分進むまでは、肉体が唯一のものであると考えるのだ。精神的に締め付けられている地上の意識に反応する唯一のものと考える。

そこでロブサン、我々もまず人形、すなわち、肉体が唯一のものという幻想を持つのだ。

…「先生、どこに私の電線はあるのですか。私は自分の魂と結びついているものが見えません。」

と私が言うと、彼は笑って答えた。

お前は空気が見えるかね、ロブサン。お前が肉体の中にいる間は見えないのだよ。

…我々が物理の世界にいる間、我々は物質のみが唯一つの実在と思いがちであるが、実は、これは魂の安全弁なのだ。

もし我々が霊界とその楽しさを記憶しているならば、我々はよほど強い意思がなければ、この世に残ることができないだろう。

もし我々がおそらくこの世より重要な過去の生活を覚えているならば、我々は必然的に謙虚な気持ちをなくすのだ。

…ということで、この世は魂の修行場なのですが、私たちがあの世での記憶を無くしているわけは、魂のふるさとはこの世とは比較にならないくらいのまるで天国のような楽しいところなので、それを思い出すとこの厳しい世の中に居たくなくなっちゃうから、ということのようですね。

ですから、死に対しての恐怖というのは持たなくても本当はよいわけですが…なぜ恐れるかというのは、後ほど説明されますね(ひっぱります(^^;)。




そして先生はひとりの中国人の死と再生の物語を話し始めます。


(彼が死んでから)その魂は国中を通り過ぎて、物質主義者が理解できないスケールで遠くまで流されていったが…、そこには一つの場面、彼の生涯の場面が現れた。

彼はいわゆるアカシック・レコードを見たわけだが、これはかつて起こった全ての記録で、訓練された人ならば、容易に見ることができるのだ。

そしてこれはまた、地上から他界に行った全ての人に見せられるもので、人は自分の成功と失敗の記録を見て、自身を判断することになるのだ。

自分自身の判断ほど厳しい判断はないのだよ。我々は神の前に震えて座っているのではない。我々は自分たちが行ったこと、行おうとしたことを座って見るのだ。

…と、そうですねー私たちは亡くなってから自分自身で自分の生涯に起こした行動とその結果を反省し、自分自身で自分を裁くということらしいのですね。お酒の席でカーって怒っちゃって、翌日酔いがさめて落ち着いて考えたら申し訳ありません、って言うことを死後すぐにやるわけですから、やはり日々の行動は気をつけていないとイカンわけだという、けったいな記録が明石屋さんに保存されているわけですが(^^;)、まあだからこの世の中のバランスが取れているということでもあるわけですよね、「旅の恥はかき捨て」にはできないわけです(^-^)。

では次回につづきます。

Posted by fy3on3 23:59:58Comments(5)TrackBack(0)

中世の神と仏(山川出版社)

2007-04-06

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はいー先日の江原さんの番組もホントとてもよかったので、特にスピリチュアルな偉人の方々の貴重な映像は保存版という感じでしたから、またのちほどまとめてブログにUPできればと思います(^^)。

また14日にNHKの「さんぷんまる」っていう番組にどうやら江原さんが出るようですね、本当は今日放映の予定だったのですが、きっと「守護霊だかなんだかいっている怪しい霊能者が公共放送に出るなどとはけしからん!」という苦情で延期になった、ということではないとは思いますが(^^;)、でも代わりにやっぱりすごい「怪物くん」が放映されることになりましたね〜(おそ松…(^^;)。

>>>

さて、ひややかにコメントもなにも入らないところで(^^;)、この本ですが、教科書みたいな作りのさすが山川出版社という感じな本ですね。春の番組改編特番でも歴史モノがなんだか多いですねぇ〜温故知新という感じですね(^-^)。

で、中世は実は仏教寺院のいわばおまけという感じで、よくて「神仏習合」という形で神社というのは生き延びてきた…、ということから始まります。

神前結婚という形も明治以降であるし、神道と仏教が完全に二つの宗教に分離したのは明治維新期の「神仏分離令」によってであると、それ以前は神仏習合的であったのであるが、神道というのも実は定義があいまいで、土着の信仰とも交じり合っているものも多い、とのことですね。しかし、

7世紀末には「記紀」が書かれ、天皇支配が神話的に正当化されるとともに、律令が定められ、『神祇令』により神祇祭祀の儀礼が定められるようになった。

ということで、土俗的な信仰から脱し、さらに平安時代には、『延喜式』や二十二社の制定によりさらに発展したと。そしてあの陰陽道』の影響でケガレの観念が発展し、物忌みが厳格になされるようになった。とのことですね。お祓いという儀式など、だいぶ渡来系の陰陽道から来ているものも多いのかもしれません。

また「神仏習合」という言葉のほかにも「神神習合」というのもあって、「本来、起源も成り立ちも名前もその働きも違う神と神とが、一つの神に統合されていく」ということもあったようですねー。

また平安時代から、来世にかかわることは仏教が担当し、神祇信仰は現世利益を中心とするという考えもあったようです。

また

1.神は迷える存在として、仏の救済を必要とする考え方。

2.神が仏教を守護するという考え方。

は奈良時代からあり、

3.仏教の影響下に、新しい神様が考えられるようになる場合。

4.神は実は仏が衆生救済のために姿を変えて現れたものだという考え方。
本地垂迹説

は平安時代になってから生まれたもののようです。それでそのような考え方は、もともと中国にもあり、日本独自のものでもないらしいのですねーなるほど。

で、一つ一つ簡単に解説を引用しますと、1の考え方は、

もともとは日本の神を仏教の天の範疇に位置づけたところから発する。天は人間界よりは上位であるが、まだ六道に輪廻する存在であり、解脱に達していない。

日本の神も同様に、六道の中を輪廻する苦しみから脱していないと考えられ、仏教による供養によって初めてその苦しみから脱することができると考えられるのである。

そこで、神社のかたわらに神宮寺を建造し、そこで読経などの供養を行うのである。(しかし)…神が解脱して仏になってしまうわけではないのである。


というわけで、神宮寺という少し変わったかつてのお寺、今では神社になっている存在があるわけですね。ちなみにレミオロメンの人は一文字違っていて神宮司さんですね、神主さんの家系かもしれませんねぇ(^-^)。


で、2の考え方は、

東大寺の大仏建立の際に、九州の宇佐八幡がその大事業を援助するために上京した…、

僧形八幡のように、仏教式の形をしている図像が描かれたり、彫刻として残され、また、大菩薩の尊号を朝廷から受けている。護法神という形をとることにより、仏教の力をかりて勢力を伸ばすことに成功した例である。その他、稲荷なども仏教と関係深い神である。


ともありますね。こちらの方のページにもなるほどーよく載っておりますが、当時八幡さまも遠いところだいぶご苦労様でしたよね(^-^)。

そして3は、「御霊信仰」、菅原道真さん、また祇園祭の八坂神社さん、修験道の権現さまもそうですね。

そして4は、本地垂迹(ほんぢすいじゃく)、

本と迹の概念は、中国の六朝時代から見られ、特に日本は天台の教学の影響で広まった。天台では『法華経』を前半と後半に分け、前半を迹門(しゃくもん)、後半を本門(ほんもん)と呼ぶ。

本門で説かれる永遠の仏陀に対して、インドに生まれ、80歳で死んだ歴史上の仏陀はその仮の現われ(迹)であるとされる。それが仏と日本の神の関係に適用され、仏を本地、神を垂迹とするのである。

平安末ごろには、日吉は釈迦、伊勢は大日というように、具体的に個々の神の本地が定められるようになる。


とのことですねー。あの法華経のお題目の日蓮宗というのはもともとは天台宗から、ということを、私も以前も無知で知らなかったのですが、あの美輪さんも人生相談を行っていたことがあるという、こちら「池上本門寺」のほんもん、というのはこのことが由来のようですねー(^-^)。

というわけで、さわりでしたが、他にもこちらの方のページなどでもいろいろ載っていて参考になりますね。

もうお寺も神社も権力争いをしている時期もありましたし、お祭りされている神様仏様も結構時勢にあわせて都合よく変わったりしておりますから、まぁあまりに格式などにこだわりすぎるのも…という感じのようですね(^^)。

でも、写真も上野東照宮のご神木ですが、自然や土地のパワーや人の祈りのパワーというのは、やはりオーラを明るくしますから、そういう意味ではこれからも心のオアシスとして大切にしなくてはいけない場所なのではないかなーと思います(^^)。

Posted by fy3on3 17:18:07Comments(6)TrackBack(0)

「サン・ジャックへの道」

2007-04-05

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はいー今日は夕方からすごい雷雨でしたが、六本木なんとかでもいろいろあったりして、これも浄化かしらーって思いますよね…(^^;)。



さて、オフ会の続きですが、最後に映画サン・ジャックへの道を見てまいりました。

物語的にはいろいろなしがらみを抱えた人たちが旅に出て人生の意味を理解して、人間性を取り戻していくというような感じですよね。場面の切り替えが早くてテンポがよかったのはフランス映画っぽかったかもしれませんねー。内容のヒューマンドラマも良かったのですがなんといってもカミーノの広大な景色がとても印象的でしたね。見ると誰でも歩きたくなってくる、巡礼したくなってくる映画でしたねー(^^)。

それで、例のごとくオーラとか見ていると、フランス側とスペイン側ではやはり雰囲気が違うんだなァと、またピレネー山脈もなかなか強いエネルギーがありましたよね、歴史的なもとも結構影響しているのかなーと思いました。またふもとにはルルドの泉がありますけれども、ベルナデッタさんはなるほどオーラとても明るいですよねー(^^)。

巡礼路は熊野古道とも姉妹路ということで、日本でもまた巡礼がはやってきているようですよね。もともとエネルギーの良いレイライン上の路を歩くことによって、オーラの汚れが落ちて病気が治ったり、気持ち的にも晴れ晴れするという効果があるのかなーって思いますね。四国88ヶ所も、もともとは路沿いではなくて、全部もっと山の上ばかりにあったお寺だそうですから、山自体の明るいオーラを取り込むためにせっせと歩いて、そして浄化するということだったのだろうなーって思います(^^)。

Posted by fy3on3 00:00:38Comments(4)TrackBack(0)

4月月参り&お花見&映画オフ会。

2007-04-02

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はいー「ハッピー・ニュー・フィスカル・イヤー!」ということで、新年度あけましておめでとうございますm(*^-^*)m

ようやっとモヤモヤしていた昨年度も江原さんのSP番組で仕上げして、さらに東京ではちょっと雨が降ってそれも浄化になって1日は晴れてという、よく考えたらこないだの年末カウントダウンとそっくりになっているので、面白うございますなぁ〜と思いますねぇ(^^)実際私が見ていると世の中のオーラも、まだいろいろ古い物も残ってますが、気持ち的にはどんどん今月から明るくなってくる感じですよねー。

で、昨日はお蔭様で無事に「月参り&お花見&映画オフ」を開催させていただきました。ごくごく少人数の方でしたが、お忙しいところお集まりいただきまして、まことにありがとうございました(^^)/。

それで、行程と致しましては

品川駅集合>>王子神社>お昼(インドカレー)>飛鳥山>>根津神社>谷中>芸大(休憩)>上野東照宮>五條天・花園稲荷神社>>銀座木村屋総本店(各種あんぱん)>シネスイ銀座 という感じでしたね、地下鉄一日券で巡れる範囲でした。

で、やはり飛鳥山も上野のお山も、もうもうお花見客さんですごかったですねぇ〜!もみくちゃになりましたが、何とかでも桜のよいオーラで癒されてきましたね。

で、さくらの語源をしらべると、もうご存知かもしれませんが、こちらにもありますように、穀物、主に稲の神様が宿る木ということですね。

またお酒のこともなぜ「さけ」というかというと「さ=神様」「け=ごはん」(「け」は食事の意、用例「あさげ・ゆうげ」など)ということですから、神様のごはん、という風になるわけです。まぁいろいろな説あるようですが、語源も古風で優雅な感じがよいですよね(^^)。

ですから、桜も神様の依りしろということですから、田んぼに桜が舞って良いお米ができるということでもあるようですね。でも今は、アスファルトの上でしんなりするだけで、近所のおばあちゃんとかもせっせとほうきで掃いていましたけど、すこしはそのままにしておいて、ちょっと風流さ加減を味わってもよいかもしれませんよね、花びらに妖精さんが乗って舞い降りてくるわけですものね、舞散る花に触れてみるとオーラもほんと暖かですね(^^)。



ということで、今回も十社めぐりの一環として王子神社さんからでしたね、もともとは「王子権現」ということで、だいぶ修験系だったようです、神仏習合で見た目由来がよくわからない神社も多いですが、エネルギー的にはなかなかしゃんと背筋が伸びる感じの清らかなものを感じましたねー。結構高台にあるのも魅力です(^^)。摂社の「髪の祖神」関神社もなかなかよいオーラでしたね。



それからその神社のすぐ近くにあるカレー屋さんで注文してから1インド時間くらい待たされて(^^;)ゆっくりお昼を済ましてから、飛鳥山で寝ころんだりして傍若無人なヨッパライさん達をすこし見て、また南北線で根津駅へ…。



そして根津神社ですね、つつじで有名なので、人もまばらですっきりした感じでしたねー、裏のお池には鯉さん亀さんもたくさんいて、なかなかですね、濁っている割にはオーラがよかったんですねぇ〜(^^)。

それでこの神社も、ヤマトタケルさんが来て、太田道灌さんもかかわって、ということで、だいぶ古い感じですね。で、そういう古い場所は、昔の神主さんというかシャーマン的な人はオーラがわかった方も多かったようですから、おおよそにおいて、社地をつくるにしてもちゃんとエネルギーが良い場所が多かったりするものですよね。

でも、だからといって油断していると、そのあとあといろいろな方の思い入れがあったりして、その良いエネルギーも雲隠れしてしまっている神社仏閣というのもこれまた多いように感じるのですね。

江原さんの神紀行でも、あーなんでものすごく有名なところなのにここは紹介していないんだろうなぁ…ってオーラ見ていくとなるほど…だったりする神社もありますから(^^;)いやまぁ紹介されていないところはすべて良くないわけではないですが、由緒、というものをちゃんと知ったうえでお参りするのは、とても勉強になりますし、自分のオーラにあった神社仏閣を選定する上でも必要になりますね。

私などもこの系統の神社はちょっといつもオーラが…とか、この宗派のお寺は…って、もう聞いただけでオーラ伝わってきますよーって位、このスピリチュアルな系統というのはわかりやすいですから、そういう意味では、神道、仏教、キリスト教、修験道にもまた宗派が、という感じでいくつか覚えておくと、全国にはコンビニの数以上に宗教施設というのはありますから、これから生きていくにはとても便利だったりしますね(^^;)。またそういったところも少しずつ自分のわかる範囲でですが、解説させていただければと思います。



それで、根津から谷中の下町風情な道を通って、上野のお山ですね。芸大にはショップもあって、なかなか面白い展示もしていましたね。で、芸大生かなー?っていう学生さん見ていると、これは特に楽器持ってる音楽系の方に言えるのですが、まぁやはり大体においてオーラすごい人が多いんですねぇ〜。一件見た感じ普通の若者なんですけど、やはりオーラには出ちゃいますよね、オーラに曇りが全くない、という人もいてびっくりしました。コンクール受賞者の方なども、やはりぜんぜん違いますから、やはり芸術家は巫女さん体質、ガイドさんもうまく演奏指導しやすいわけですよね(^^)。



さて、さらに上野を国立博物館方面から東照宮へ、まぁそれが上の写真なのですが、すごかったですねぇー、それでもみなさんいろいろストレス解消できているようで、それはそれでよい風景かな、と思いましたねー。

で、この上野東照宮ですが、「上野の地名はは伊賀上野から」ということで、伊賀の藤堂高虎さんの領地だったということですね。で、総金箔のお社もすごくてオーラもなかなかだったのですが、こちらの寄進者の灯篭もすごかったですね。

こういったものもオーラ拝見していくと大体その方の性格がわかったりするものですよね、私は川越藩主「知恵伊豆」さんの灯篭が見つけられたので勝手に満足していましたが、この方も実は島原の乱で活躍せざるおえなかった方なので、また心境複雑な感じだったようですよねー。



そして今度は少しお山を降りて不忍池付近へ…と思いましたが、イヤーもう大混雑でですね、通れたもんじゃない、ということで、五條天神社と花園稲荷さんをお参りしてきました。

五條天さんはやはりすこし勇ましい感じがしましたが、花園稲荷さん、というよりは「穴稲荷さん」というくらいで、その由緒はこちらの昔ばなしがわかりやすいですよね(^^)。

ですから、お坊さんが神社をつくった、というわけで、まったく神仏混合も良いところなのですが(^^;)このようにさまざまな宗教というのも、祭られ方が違うだけで、もとは同じですよね。

弁才天はもとはといえばインドの神サラスヴァティーですが、あの有名な天河神社弁天様をもともとお祭りしていたそうですから、もう宗派とかも実は結構あいまいですよね(^^:)でもそれはよく調べると日本に限らないようですねー。

でも、結構その派閥というか、スピリチュアル内宮系統ごとにオーラの雰囲気は確実に違いがあるので、またそういった意味ではちゃんとそこにこれこれの神様、って奉ることによって、そのエネルギーが降りて来る、というのはあるようですね。ですから、人間の心のパワーというのはなかなかすごいものがあると思うのですよね。ここは神棚!って毎日祈っていると、ちゃんとその方の行い、波長に応じてそれなりのエネルギーの神様が降りてくるように感じますから、ほんとこればっかりは嘘がつけない、江原さんの前では嘘がつけないという感じで、毎日生きていけば、まじめに行動していれば逆に恐れるものはない、ということにもなるので、人生簡単だ、ということのなるようですね(^^)。

で、話はそれましたが、そうそう、お稲荷さんというと、やはりこう現世利益を求める方が多くお願いするので、モヤモヤしがちになっているおやしろは多い感じはしますよね。でも、こないだの木村彰吾さんのオーラの泉でも、彼がよく行っていた伏見稲荷さんですともう大親分ですから、そんなにコセコセした感じではないわけですね。ちなみに某六本木なんとか、の近くにあるお稲荷さんに年末行ってみたらウーッって感じに一度なりましたが…、今年になってだいぶ変わってきたりしてますよね(^^)。

で、この花園稲荷さんは同じお稲荷さんでもですね、やはりこの洞窟がどうもパワースポットのようなのでオーラが明るいのですね。つまり、ここに限らず、上野のお山というのは、全体的に結構なパワーがあった、だから鬼門の守りを浅草寺からこちらの寛永寺に天界さんがした、ということもあるのではーと思います。また不忍池は琵琶湖を模しているということでしたよね(^^)。

…というわけで、一方的はスピリチュアル歴史ウンチクはともかく、でもまぁそのうち「スピリチュアリズム検定」とか誰か作るだろうなァ〜とは思いますが(^^;)簡単なものはもうありますね。自分で問題作るとなんでも覚え早いですから、こりゃいいかもしれませんねー(^^)。



というわけで、お参りもご朱印もお札もそれぞれ頂きまして、今度はいよいよ映画となります。次回につづきます。

Posted by fy3on3 18:24:44Comments(7)TrackBack(0)

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