江原啓之 幸せのレッスン 4月8日(ニッポン放送)
2007-04-23
はいー、私も毎日祝詞あげたりお経読んだりお祈りしたりしておるのですが、なんだか今までは少し自分のために祈っていたところがあるナァ〜、とやっーーと気づいてきたようなのですね(^^;)、健康のためとか、家内安全とか。
で、実は本当は祈りというのは、世界は一つ屋根の下のような感じで家族同然なので、まぁ自分も含めてなのですが、みんなのために「全ての物や人のたましいの成長がありますように、そのために自分ができる範囲のことをしますので見守っていてください」というような感じで祈ることなのだなぁ〜、なんて思いましたね(^-^)、どうもやはりまだまだ自分は利己主義でいけませんねーと思いました。
また例えばこれは良くヒーラーさんとかカウンセラーさんとかにありがちのことかもしれませんが、自分が助けてあげている、という意識になってしまう、だから祈りも「自分のクライエントさんがよくなりますように」と言う感じになったりしますよね。
でも、べつに自分を通さなくったって、その人が他の人に導かれて明るくなっていくのもOKなわけですから、そうすると「自分を通して」と言う部分はだいぶ「小我の愛」っぽくなっているなぁと、自分があがめられたい、寂しい人物だったのでは?と思うわけですね(^^;)認められたい願望があるという感じですね。
ですからまた今後は、またそういうような気づきを含め、自分のできる範囲で着実に無理せず、もし間違えているところがあれば素直にいろいろ正しましょう、大きな気持ちで日々できることさせていただきましょう、と思いました(^^)。
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そして、今日のこの鈴木ヒロミツさんの出版記事を見てもいいですねー、本当に実感がこもっている感じなので、ちょっと引用させていただきますと…
「お別れ前に、一つだけ生意気を言わせてください。
皆さん、これからの人生を、どうか楽しむために生きてください。
人にはそれぞれ願いがあると思います。
でも、目的が何であれ、笑って、笑って、腹の底から笑えるような人生を送って欲しい。
僕はね、死を前にして、はっきり思ったんです。人生とは楽しいものだと。
だから、どうか、楽しむために生きてください」。
ということで、鈴木ヒロミツさんというとモップス時代はあのユーミンが追っかけをしていた、というくらい人気があったというすごい人だったようなのですが、自分的には「火曜日のあいつ」(古い!)での少しイヤミな西田専務役が印象的でしたね(^-^)。実生活でもいろいろご苦労も多かったようですが、ですのでこのような言葉も味わいがありますね。
まぁ本当にこの世は江原さんも例えるように修学旅行のようなものなので、生きているうちにいろいろな経験をして、そこから何かを汲み取っていくことが大切なのだなぁと思います(^^)。
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…で、それにしても、スピリチュアルな知識をもっていると、アーまた事件や事故や病気や寿命でいろいろな人が他界されて…というニュースを見ても、いやいやたましいは存続しますし、自殺以外はきっとある程度偶然ではないわけですしということで、スピリチュアルな考え方では亡くなる事はただ単に肉体という衣服を脱ぐだけで、もと居た世界に帰るだけ、ということですが、本当にそうで、
わたしなども亡くなった方のオーラ見るとあーだいぶ痛みも取れて軽くなっていらっしゃるナァとか、それはわかったりしますよね、ですから現世で大変だったかたはお役目お疲れさまでした〜という感じで、安心したりもするのですねー。
ですからあちらの世界に帰った人が、まだこちらの世界に居る人たちがいろいろあってかわいそうね、って思う気持ちもわからなくはない感じは致しますね(^^;)。まぁそんな現世の修行の世界なので、辛いこともあって当然なのですから、毎日少しでも笑って楽しく行きましょう!と、また改めて教えられたような気がして感謝いたしましたねー(^^)。
ではすこし間あきましたが、祝!番番組継続!といいうことで、引きつづき江原さんの良いお話が聞けてうれしい限りですよね!(^o^)岩手県と山口県にもネットされるようになったそうですから、これまた明るいエネルギーが広がっていくことと存じます。
ではまた内容を引用させていただければと思います。
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さぁ、舞台に上がりましょう、主役はあなたです。
しあわせになるには、一生懸命ひたむきに生きようとするほかありません。
全ての基本は自分です。
自分の心と自分の行動が、幸せを作るのです。
【今思うこと】
・今日4月8日は「花まつり」ですね。
…さて、私も良く申し上げている「偶然ではなく必然」という言葉を勘違いする方も多いんです。そこで交通事故にあうのも必然?人殺しにあっても必然?と、なんでも必然と結び付けてしまう人が多いんです。
自分の怠惰までも「必然」とこじつけてしまって、宿題をしないもの必然、会社面倒だからと行かないのも必然でしょ?という、逃げ道のためにある言葉ではなく、
いわゆる因・縁・果の法則、原因があって、縁があって、そして結果として結ばれるということなんですね。
例えば忘れ物をしました、それは、「必然」です、なぜならば、あなたがうっかりしたからです、という「原因」があるからですね。おっちょこちょいだった、または気持ちが緩んでいた、ということが原因なのだから、結局人のせいにはできないわけなんですね。
また何でもそのせいにするというのであれば、人の人生は全て決められている、という考え方になっちゃうんです。宿命と運命は違います。宿命は自分が生まれるときに持ってきたカリキュラムで、国や時代、性別なども含まれます。
運命というのは、いかようにも変えていけるもの。「素材と料理」という風にもいつも言っていますね。素材は変わらない、例えばレンコンで私は生まれました。だから大根になりたい!といってもなれません。
ですから人をうらやむことは一番無駄なことですよね。でも自分のレンコンと言うことを見つめて、レンコンを熟知すれば一番おいしいレンコン料理ができます。その料理が「運命」。だから人は、「運命」は変えられるという風に申し上げているわけなのですね。
それで、魂というカリキュラムの中で、「宿命」をつくってきて、そこでいろいろなこと、例えばこの容姿になったのも必然、これはたましいの流れの中の必然ですよね。この日本に生まれたのも必然、けれどもあとのことは、現世の「運命」で作っていく必然が多いわけです。
これを言葉をまた作ると、「宿命的必然」と「運命的必然」という風になるのですね。「宿命的必然」というのは寿命、というのもそうだろうし、この日本に生まれたのだとか、またこれこれという家にうまれたとか、
でも自分がどういう風に生きるか、というのは「運命的必然」要するに自分でいかようにもなるということ。
だから「偶然ではなく必然」とはいっても、これだけしっかりとね、分類して分けていかないといけないのですよと。
たとえば、私が人の頭をバシン!となぐっても、「必然必然!」って言えちゃったらおかしいわけですよね(笑)だから一つ間違えばこの「偶然ではなく必然」を逃げ口上という風に使う方たちがいらっしゃるので、そういうような方々にはもう少し深く考えていただきたいなぁと、思っております。
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では次回につづきます。
Posted by fy3on3 14:40:25 │Comments(8) │TrackBack(0)
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