チベット・スピリチュアル・フェスティバル2007(その2)
2007-05-02
はいー昨日も雨の中、結局チベットオフとなりまして、午後からチャド・リンポチェさんの法話を皆さんと聴きに行きました(^^)。
それで、テキストとして「入菩薩行論」というのがあったのですが、今回のテーマは「怒りと忍耐について」でした。少し引用させていただきますと、
忍耐とは、他者による害や苦によって汚れない心です。忍耐は菩薩の修行の中心と言えます。
忍耐の修行の最大の妨げは怒りです。怒りには重大な過失があります。
1.目に見えない過失…怒りは、善なる法を行い、それを継続する上で最大の障害です。千劫にわたって積んだ布施などのあらゆる功徳も、たった一つの怒りによって打ち破られます。
怒りほどの罪は他にはありません。そして、怒りの対治である忍耐のような修行もまたありません。ですから、さまざまな方法で忍耐に注目し、努力すべきです。
2.目に見える過失…
怒りによって眠れない、あるひは、体や心の幸せをなくしてしまう、そして、友人や家族を傷つけてしまう…、とにかく、怒ったままで幸せな人はいません。
怒りは、今生においても、自分にとっても他者にとっても、その心相続における幸せを、直接、間接に破壊し、苦や害を生み出します。
一方、忍耐には多くの利益や良さがあります。常に忍耐に従うことができたなら、心の喜びをなくすことはなく、今生においてはどんなときでも幸せであり、来世においても三悪趣の苦を受けることはなく、特別な善趣(有暇具足(うかぐそく)を得た人間)に生まれます。
究極的には解脱や一切智智を得ることになり、永遠に幸せになります。ですから、どのような害や苦が生じても、決して善を喜ばないことはしてはなりません。どんな嫌なことがあっても、それを菩提道の助けとして理解し、逆境を道として受け入れて、学ぶのです。
…もし現状を改善できるのならば、なぜその方法を進んで行わないのでしょうか?改善の方法によって、直ちに改善すべきです。
ただ嫌がっているのではなく、改善に努めるべきです。しかし、もし改善できないのなら、それを悩んでも何の意味もないでしょう。「このいやな事は過去のこと、終わったことで、今はとなってはどうしようもないのだ。」と考えて、気にしすぎないことです。そうすれば、重大な苦もいくらか忍耐しやすくなります。
…という感じで、なるほど、怒りは三毒(怒り・貪り・無知)の一つということで、だいぶいけない事のようですよねー、こちらにも良く書いてあります。
まぁわたしも見ていると、オーラにしても怒るとその人からカーッとピリピリした赤いオーラがでて、
あまり近づきたくなくなりますよね(^^;)それが繊細なオーラを汚してしまうので、怒ってはいけませんよ、ということのようですね。怒りっぽいお友達などにも感化されないように、ということでもあるようです(^-^)。
それで上にも書いてあるように、まぁ苦しいことも長くは続かないので、気にせず忘れましょう、というのは重要なことのようですよね。人間の心は発電機のようなもの、というのは前回も書きましたが、落ち込んでいるときでも、考え方を変えれば、瞬間的にプラスのエネルギーを発することができ、マイナスのエネルギーを吹き飛ばしていけるように私も思えるのですね(^^)。ですから、それが一秒前のことでも、過ぎ去ったことに対してこだわらず、常に前向きに考えていくことはとてもオーラを明るくする良い方法であると思いますねー(^^)。
それで、まぁ個々2年くらいはだいぶあの番組…「オーラの泉」のおかげで、前世も来世もちゃんとあって、この世での生活も実は一瞬の出来事にしか過ぎない、ということも広まりつつあるので、チベット仏教の人が来世は…とか言っても受けられるようになってきてよかった良かったと思うのですが、
一時はオウムさんが輪廻転生の法則などをだいぶそれを曲解して、マインドコントロールに使ってしまいましたよね。結局人間の恐れの部分を利用して修行と称して人の心を閉じこもらせて、一般の人を良い人間に生まれ変わらせるためにと称して事件を起こさせてしまったわけですが、本当の教えとはそうじゃなくて
実際の密教というのは人に害を与えないための教えですよねー、それをいろいろな人生経験を積んで生まれ変わっていくうちに、より新しい学びをしていくという、魂の壮大な旅路なわけですが、そう考えると、今日本人に生まれてまぁやはり安逸な便利な生活をさせてもらっているというのは、なかなか得がたいことでもあるのだなァと、でもこの生活もいつかは過ぎ去り、またあの世に帰るのであるから、一日一日また大切に生きて利他すなわち大いなる自分に貢献しなくてはいけないのだろうなぁと反省する日々ですねー(^-^)。
…というわけで、いろいろな事がある毎日怒らずにいつもにこにこ、というのは難しいことかもしれませんが、徐々にのんびり心に余裕を持って生きることが一番近いのかなーと思いました(^^)、まぁなかなかドライになる感じでもありますが、この世は夢だって言うことを見抜くということですよねー。自分にしても前世で散々悪いことをしてきていると思うので、何とか今生で良いことをしていければと思いますが、まだまだ精進ですよねー。
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それで余談ですが、実はあれですよね、一緒に行った方はご存知なのですが、実は法話のときにもある芸能人の方がきていらっしゃいまして、我々一同もびっくりしたのですが(^^;)まぁなんとオーラの泉のゲストにもなった方がきてらしたのですねー、とはいえもう百人以上になるので誰だか検討つかないかもしれませんが、こちらのダライ・ラマさんの名言集の本に関連している方ですね、でもグレートなんとかさんではありません(^^;)。
で、実は、私事で恐縮ですが、この方とはエキストラ時代にも一度一緒にお仕事させていただいたことがありまして、それでですね、またなんとですね、そのときも、お寺での撮影だったのですねぇーこれが、八王子の(^^;)そのときも少し不思議なことがありましたねー。
3度目またお寺であったら何か自分とも関係があるのかな?と思いますがさすがにもうないと思いますねぇ(^^;)。でもやはり宗教と関係が深い前世がおありの方なのだなぁと思いました(^^)。
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それで、お話は法話に戻りますが、最後に質問コーナーがありまして、その中に「私は会場でチベットの人が中国政府にだいぶいろいろなことをされている映画を先ほど見ましたが、そのようなことをされてもチベットの仏教の修行が進んだ方は、怒りを出さないでいられるのですか?」というような趣旨のご質問がありましたね。
で、リンポチェさんもおっしゃるには「私も全ての人の考えを知っているわけではないが、確かにひどいことをされて怒る人もいるでしょう。でも、その加害を加えた人も一人の迷える人、衆生であるので、その人に対して、というよりも、その行為に対して理性的に対処するのがよいでしょう。
同じ人でも、昨日したことと今日したことは違いますし、またその人の考え方が変わったら、私たちの友人になる可能性もあります。」とのことでしたねー。
でも、こちらのページにもあるように、エグザイル、というとかっこよく聞こえますが、実際の難民の方の数は日に日に増しているようですね。
中国も政治的軍事的目的でですから、まぁオリンピックどころでもないのでは…とか、ネズミさんをまねしている場合でもないのでは…と思いますが、なんでも表向き裏向きのものがあって、全ての人が良くない人というわけでもなく、はやりシステム、組織がいろいろこう変な方向に進ませるので、それを改変する時期というのはまたいつか来るような感じがしますよね、人間として生きているとこういろいろ毎日考えさせられて、勉強になります(^^)。
Posted by fy3on3 22:50:30 │Comments(7) │TrackBack(0)
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