愛と癒しのコミュニオン(鈴木秀子著・文春新書)
2007-06-29
はい、写真は神田明神さんですね。さて、毎日いろいろな方のお蔭様で【SODRスピリチュアルウェブ講座】も何とか毎日さほど大幅に講師が寝坊することもなく(^^;)開催させていただいております。m(__)m
で、こうやって毎日早起きしていると、やはり一日が長く使えていいですねぇ〜、講座の後は氏神様と近くのお寺にお参りに行くのですが、朝ですとエネルギーも新鮮でまたすがすがしいですねー(^^)。
それで、こないだも朝6時半ごろに神社に行って、神社の脇のいつもの階段からとっとっとっとあがる途中で頭を上げると、こんな朝早くからアラ、今風の巻き毛の髪の長い若い女性の方がじっとお祈りしていらしていたので、感心感心と思って、邪魔しないようにーと、そー、とあがっていったら、
実はそれは狛犬さんの後姿が長髪の女性に見えただけだったりして…、だからピシーっとしっかり巻き毛(名古屋巻風?)だったりして…、小柄だったりなで肩だったりして…、と、まぁ朝からボケボケしてないでちゃんと前日も早寝してから早起きしましょう、という教訓にもなりましたね(^^;)。
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さて、そんな小話はさておいて(^^;)、少しスピリチュアルなテレビ番組のご紹介ですが、あしたの日曜日は「美輪さんデー」という感じですね。
愛と魂のピアニスト フジコ・ヘミング物語
7/1 (日) 14:00〜15:25 (85分) この時間帯の番組表 テレビ朝日
[S][字]イングリッド・フジコ・ヘミングの「愛と魂の200日」に迫る。「奇蹟のカンパネラ」の衝撃的ブレークから8年。高齢になっても限りない情念を弾き続ける。年末の日本公演からパリ公演、そして新年を迎えてのアメリカ、ヨーロッパ公演から再び来日し、新たに活動を開始する。彼女の私生活を含め、彼女の現在を描く。また、対談ゲストに美輪明宏を迎え、新たなフジコ・ヘミングの魅力を探る。
というのが昼で、よるには
メントレG 7/1 (日) 21:00〜21:54
フジテレビ
ゲストは、美輪明宏。「美しい生き方の勧め」をキーワードに、1週間のスケジュールを公開、謎めいた美輪の素顔に迫る。毎日行うという「チベット体操」をスタジオで披露。美輪の素早い動きにTOKIOも驚く。また、色には、それぞれ秘められたパワーがあり、生活に大きな影響を及ぼしているという美輪に、服の色の選び方をチェックしてもらう。
(ONTVより)
ということで、美輪さんのチベット体操が見れるという、ものすごい番組にもありますね(^-^)。
まぁ実は、こないだ私もはじめて美輪さん公演を拝見したのですが、 安いチケットだったので後ろから何列目?というくらいで、もうちっちゃくしか見えなかったのですけれども、
美輪さんご自身は広い舞台を軽やかに舞いながら歌っていらっしゃいましたねぇ〜!あっちが痛いこっちが痛いと言って運動不足なうちのオヤジさんと同い年とは思えない身のこなしでしたね、江原さんもあそこまでは動けないのでは?とも思いましたが…(^^;)すごかったですねー。
またもちろんヨイトマケの歌やフランス語での愛の賛歌も生で聴けて、イヤー感動しましたねー。やはり声というのはたましいの響きを伝えるものなのだなぁ〜とまた学びました。観客の方も女性の方が圧倒的だったわけですが、その歌声で浄化されて、帰りにはみなさん体から湯気が立つようにオーラが明るくなっていましたねー(^^)。
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あとまもなく夜九時から「世界がもし100人の村だったら5」がありますねぇー、やはり世界のいろいろなことも、いつか生まれ変わるかもしれないから、というのもあるかもしれませんが、世界全体が一つの生命体という認識を持って日々生活していくとまた今回の人生も充実していきますよね(^^)。
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さて、この本ですが最初に「傾聴=アクティブ・リスニング」について説いてますね。ミヒャエル・エンデさんの「モモ」でモモが持つ特殊な能力とは「相手の話を聴く」能力だった、ということですね。
考えを引き出すのでもなく、積極的に質問するのでもなく、ただ話し手に注目し、注意深く耳を傾ける、つまり「傾聴」することで、話し手は自分で解決していく知恵をだすことができるということだ。
傾聴してくれる相手に話すとき、人は自分の内面の見えなかった根の部分にまで光を当て、いままで出なかった知恵をくみ出していくことができるのだ。
ということで、確かに批判もせず受け入れて聴いていくというのは結構簡単にできるようで難しい、ですので、ちゃんとした養成講習をうけてから「傾聴ボランティア」などもしていくほうが良いというのはあると思いますねー。
で、実際私もいろいろな方拝見していると、実は人間は言葉だけで会話、コミュニケーションをしているのではない、ということがわかってきました。
つまり、その人が意識を別の人、動物、物でもそうですが、なにか対象物に向けると、その方のエネルギーがすーっとその対象にどんどん触れるように流れていくというか、なにかみえない触覚が触れていくようにオーラが伸びたししていくのがわかるのですね。
それは別に至近距離にいなくても、電話などでも伝わりますね。私もかなりいろいろ悩みが深い方のお電話を受けると、最初は耳が痛くなったり、またそのような方がお電話する前、つまり、「この人に相談しようか、どうしようか?」と考えているだけで、どんどんこちらにその思念が飛んでくるわけです。
とくにプロでスピリチュアルな活動をしている方でなくても、霊感が強い人は、そのようなものをしょっちゅう感じるわけですね。ですから疲れやすい、などということはあるようです。私もこの仕事始めてやっとこさ3年くらいかと思いますが、友人関係も大分変わりましたよね。ネガティブ思考の人でくよくよしている人とは自然に離れていき、周りにスピリチュアルな思考を持ちながら生活する人たちが徐々に増えて、今ではほとんどそのようになってきましたね、ですから、これも波長の法則かと思います。
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それで、私ももともとはスピリチュアルな感性がほとんどない心理カウンセラーとして活動しておったのですが、なんだかいろいろなクライエントさんとお話して心理療法していくうちに、なんだかこちらも具合が悪くなる、よく眠れない、頭が痛くなる、ということはあったようなのですね。
こちらが一生懸命に良くなってほしい、といろいろやっても、それこそいろいろどんどん寄り添う時間を増やしても、一向によくならない、またそのときは良くても、家族の中にもどったり、会社学校に戻るとまたいろいろな症状が出てくる、ということが多かったわけです。
それで、今考えてみると、なるほど、一緒にいて会話してるときは、その方のネガティブなエネルギーを自然に解消しているのだと、クライエントさんが家族、学校、社会のどなたかが持っているストレスの黒い雲のようなオーラを吸い取り、
それをまたさらに私が吸い取るので、その方はまた自分自身に戻ったように元気が出る、という仕組みだったのだなぁということも、よくわかってきたのです。
ですから一種対症療法的な感じでもあったのだなぁということもよくわかりましたね。根本原因は祖の方が所属している集団にあるので、それに立ち向かう、その場所を明るくするように努力するか、もしその集団がもうガンコでどうしようもない組織の場合は、わざわざそのような戦場のような場所のなかで人生の幸せを見つけようとしないで、もっとのんびりした、人間的なところに自分の居場所を見つけて、本来の自分の生き方を見つける、マイペースに人生を送れるようにする、という感じにしたほうが、良いのでは?と思うようになったのですねー。
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ですので、例えば鑑定をお受けいただく方や、ウェブ講座を朝お受けいただいたいる方の中でも、現在そのようなカウンセリング、ヒーリングなどのお仕事をなさっていらっしゃる方もいらっしゃいますし、これからそのようなことで悩みを解消するお手伝いをしたい、という方もいらっしゃいますが、一番気をつけたいことは、人間というのは本当にいろいろなオーラを作り出す発電機みたいなものだと、
だから、悩んでいる方というのは多かれ少なかれ、自分自身で不安になり、そのネガティブなオーラで一杯になっているので、そのエネルギーを解消する際に、自分までそのエネルギーに負けてしまって「ミイラ取りがミイラになる」ことのないようにするということが、一番重要なことのようなのですね。
まぁこの「ミイラ取りが…」というたとえも、よく考えたら「ミイラ取り」さんって言うのが結構有名だったんだなぁ〜エジプトのお墓のことかしら?と思うのですが、ちょっと若い人はもう使いませんよね(^^;)。
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あーさて、まぁそういうわけで、常に自分自身がこの世の中のネガティブなエネルギーにまみれないで居る為に、常に何があっても「この世は夢、この世は幻想」と、ノブナガさん「辞世の句」のようなことを唱えながら生活する必要があると思うのですね。でも、本能寺でバタバタしているときに、ほんとにそうおっしゃったのかいな?誰が聞いたんじゃ?といつもこちらの方のようにツッコミを入れたくなるんですが…(^-^)、まぁでもなかなかその通りですよねー。
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というわけで、いつのまにか戦国時代までもどってしまったわけですが、よくよく考えたら昔からの仏教的価値観というのも、慈悲慈愛、利他行と、江原さんのスピリチュアルな考え方とも似ているところが多いので、非常に聴いていて面白いですよね。
スピリチュアルなことにはあまり関心がないけれども、たまたまお子さんに連れられて江原さんの講演を聴きに行ったある年配の方が、「江原さんも守護霊とか前世とか、そういう変なことを言わなければ、立派なことを言う良い人なのにねぇ〜。」と愚痴っていたということを聞いたことがありますが(^^;)、
まぁ普通のお坊さんは前世とかガイドさんとか言って説教しちゃうと教義の違いで本山から破門されてしまうと思うので(^^;)、私たちもそのようなことは聞かされていないわけですね。でも、前世なんてちゃんとお釈迦様も言っていてお経に書いてあるわけですから、まったく宗教というのも組織的になってしまうと洋の東西問わずウーンという感じになってしまうというのもよくお分かりかと思います、かといって前世だ守護霊さんだと言っている新興宗教さんも、実はいかがなものか?というのもあるんですが…(^^;)。
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はい、それでそれで、この本ではですから他を受け入れる、受容する、全てを受け入れるということが愛ですよ、と言うことを説いていらっしゃいますね。
心理的内観や分析の方法も、さすが鈴木さんも学者さんだけあって、心理学用語を交えながらもうもうことこまかく、そしてわかりやすくお書きになっていらしていますね。何でも感情的にではなく冷静に分析すれば問題解決する、と言う感じに書いていらっしゃいます。
しかしその一方、第四章の「大宇宙に聞く」ではさまざまな例を挙げて、実は「幸せは今、全ての人の目の前にある」ということも説いてますね。そして無条件の愛の絆、「コミュニオン」を支える気づきのメッセージとして次の三つを挙げています。
1.あなたは愛されています。
大切な、かけがいのない尊い存在として、あなたは深く愛されています。
2.あなたは許されています。
あなたが後悔や自己嫌悪で自分を苦しめているときも、あなたは許され、暖かく見守られています。
3.あなたには価値があります。
たとえ自分には何もできず、何も価値もないと思っていても、あなたには生きている価値があります。
ということですねー、なかなかシンプルなお言葉ですけれども、すばらしいですよねー(^^)。もう心が癒される感じですよね。
…と、おお「この人生は美しい!」とショーシャンクの空に両手を広げて感動していていてもよいのですが(^^;)…、
実は現実社会はそんなアマちゃんじゃイカンよ!ということで、自分には価値がない、と思っているから、裏で隠れていろいろなことをやっている政治家さんや大企業の役員さんたちが世の中にのさばって居ることがものすごく明白でも、「小市民であるわたくしには政治や社会制度に口出しする価値はありません」と宣言してしまって降参してしまっている状態、といえるのかしらーとも思いますよね(^^;)、そのようなことは、コチラなどを読むとすこしずつわかってきたりします(^^;)、でも人間というのはやはり目の前の欲につられて魂を売り飛ばしてしまうと、オーラが暗くなってしまいますから、いつでも正直に生きるのが良いのだなーと思いますねぇ。
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で、さて、鈴木さんはいま病気でお悩みの方に、このようなことを書いておられますね。
私は、「苦しいのでお祈りをしてください」「病気なのでお祈りをしてください」とたくさんの方から手紙をもらう。私はその手紙の名前をリストにして、いつも祈っているのだが、その中で、手術をしなくても良くなったり、病気が治ったり、あるいは痛みはあるけれども心が悩まなくなったりと、とてもいい報告をしてくれる人もいる。でも、私に祈りを頼めば病気が癒されるとか、奇跡が起こると言うことではないのだ。
病気を乗り越える力を発揮し、奇跡的な回復を見せる人には、共通点が三点ある。
第一は、病気も意味があって起こると考え、病気になったからと言って不幸とは限らないと思っている点だ。
辛く苦しいことに変わりはないのだが、病気があっても人間は幸せを失わないと信じているのである。こうした思いを持つ為には、現実を受け入れ、現実と戦わないことが重要となる。
苦しみは現実と戦うことから起こる。病気がどんなに体と気持ちを虐げようとも、心の深いところで、人の知恵を超える計らいにまかせきった安らぎに通じるものがある。
もし死が訪れるのが自分の運命なら、大いなるものにゆだねて、自分の運命を引き受けようと言う覚悟から来る安定感がある。
そして、もう一つの共通点は、自分の運命は自分で引き受けると言う覚悟とともに、それでも生きる意欲にあふれていることである。生きたいという力強さを失わないのである。
それは、生かされていることへの感謝である。いま、こうして家族と話ができる。生かされ、楽しみを得られることに対する感謝の気持ちがとても大きいのだ。
人間を超えて命を与えてくれる存在への感謝である。
そして第三の点は、もし病気が治り、生きながらえることができたら、与えられた時間を何らかの形で、人の為に生かしたい、人に尽くしたいと言う強い願望を持っていることである。
もちろん、こうした条件がそろえば治るとはいえない。しかしガンの自然退縮など、奇跡としか思えないような病気の治癒が見られる人には、そういう共通点があるのだ。そして苦しみを通じて、自分自身を大切にし、他の人を尊重する力を育っているような気がするのである。
というわけで、確かに不満や不安を持つ方というのは、今生かされていることの感謝というものをほんとにスッポリ忘れていらっしゃることが多いですよね(^^;)。そのような感謝の輪が広がればどんなにこの世の中も平和になることか、と思うのですが、そのような現代社会を選んで生まれてきたのも自分たちの選択、ということで、如何にそのような世知辛い世の中でも明るく行きぬくことができるか?というバーチャルリアリティ・ゲームというとなんですが、そのよな物を毎日地球上で繰り広げている、というのが現状でございますよねー(^-^)。
でもこのような「地獄に落ちる前にもうすでに地獄にいるようなこの世界」とはよく言ったものですが(^^;)この人生でいかに楽しく明るくユーモアあふれて生き抜いていくかという過程が大切、自分がそうできたならば他の人もそのようにお互い助け合っていく、ということを学んでいるようですよね。
そして本文の最後にこうおっしゃてますね。ちなみに私も毎日お経や祝詞、主の祈りなど何らかの形で祈っておりますが、自己満足のようでもありますが、不思議とその祈りのオーラが確かに世界中に広がって行くがわかる感じがします(^^)。
他者は変えることはできない。過去も変えることはできない。変えることができるのは自分自身と、自分のものの見方だけなのだ。
変えられるはずのないものを変えようとして苦しむのは愚かである。
変えられれば幸せになるのに、変えないのはもったいない。
そして変えられるものを良く変える知恵、変えられないものを受け入れる知恵によって、自分を無限に幸せにする力を全ての人が持っている。
私の好きな祈りがある。
「変えられることを変える勇気と、変えられないことを受け入れる心の寛(ひろ)さと、変えられるものと変えられないものを見分ける叡智を与えてください」
Posted by fy3on3 23:59:30 │Comments(9) │TrackBack(0)
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