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プロの占い師が集う[占いブログ]

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『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著・池田香代子訳) みすず書房

2007-07-26

30521.jpg

はい、東京はすっかりもう梅雨明けかな?というくらい晴れておりますね〜これから横浜に行くのですが、その前に少し書ければとおもいます(^^)。

と、もうおとといの話になりますが、実はぐっさんの月極報告会、というイベントに行ってきたのですね。

ぐっさん部屋

もういつもチケットすぐ完売してしまうのでなかなか入手大変だったのですが、とりあえず一枚取れたので野郎ひとりで行ってきたわけです(^^;)。神楽坂にある「音楽の友」ホールという150人くらいしか入らない小さなところでのトークライブのような感じでしたね。

たしか、もうホント懐かしいオーラの泉の初期に出られて、うしろにひょうきんなお坊さんがいるんですよーっていわれて皆さんも納得、というのも非常に記憶に新しい感じも致しますが、ですからこの報告会、というのもぐっさんが毎月あったことをネタにお話しするというのもあるのですが、お客さんの日々の生活でであったこともアンケートとって、その中からおもしろいものも読み上げて掛け合いトークするという、なんだからラジオ番組のようなノリでもありましたね(^-^)。

私は座高が高いのでいつも後ろの人の邪魔にならないように、今回も自由席だったので一番後ろの壁際に座ってみていたのですが、それでも表情もよくわかるくらいアットホームな場所でしたねぇ〜。



で、あまりぐっさんもテレビでひとりトークというのはない感じなので、ネタばらしなどご迷惑にならない感じにすこしだけ列挙させていただきますと、

・初整体
・カブトムシ
・人気スポット
・祭りで男を上げる(とかなんとか)
・ロバ、コラーッ! 他

といった感じだったのですが、まぁわたくしもですね、最近江原さんとか美輪さんとか、講演言ってはそのお話をわすれないようにとメモづいているので、こんな気楽な会でもメモメモって考えたりし、別に芸人になるわけじゃないんだから〜とは思うんですが、なんだかまったくお話も面白かったので全てのシーンが目に焼きついているくらい、非常に印象的でしたね(^^;)。

で、ではつかみの部分だけでもということで、ぐっさんもいつも「笑っていいとも!」に出ているわけですが、当日の昼のいいともであのセロさんがマジックをしたと。

で、そのマジックがどこから見ても、後ろで見ていてもぜんぜんタネがわからないので、とっても感動した!というお話をお客さんに伝えようとするのですが、

その日の昼にあった事なのに「えーっとたしかコインを…、どうしたんでしたっけ?」と忘れてしまい、お客さんがフォローして「そうそうマッチにねー入れちゃうんですよー(^0_0^)」と、いうくらいなんだか天然で、ホント今にしか生きていない人なんだなぁということもよくわかりましたね(^^;)。

そういえばオーラの泉でもオープニングで美輪さんに何度か会っているのに「えーっと?」って忘れていたので美輪さんに「コノヤロー!」って言われていたんですよねー、こりゃー重症だ、と思うわけです(^^;)。でもそんな性格だからか、ぐっさんもとてもオーラの明るい方で、もう2児のパパさんなんですよねー、奥様はそれなりにフォローで大変かもしれませんが(^^;)。



また他のお話は、たとえばあまり広まっちゃうとなんなのでここでは具体的にいえませんが、と前置きして、ごくフツーの住宅街にあるんだけれども、ものすごいよく効く整体師さんをある女優さんに紹介してもらって、最初ものすごい荒療治なのでホントこの人大丈夫なのか?と思ったが、

長年の腰痛首のコリ、あと言っていないのに捻挫なども見つけられ全部治って元気になってしまった、ということとか、

アンパンマンミュージアムに家族で行ったらアンパンマンのキグルミの人にぐっさんが来た、と気づかれて、そのあともなんだか中の人が自分の事を探している感じでそわそわしていた、そしてまた見つかったらものすごくこちらの家族ほうに手を振ってくれたのはよいものの、なんだか微妙なせつない気分にもなりましたねぇ〜、とか、

まぁそのほかよーくいろいろな日常生活のことを観察なさっていてたくさんネタがあるなぁという感じでしたね(^^)。身振り手振りももうほんとおもしろくて文章化するのは難しいですが、イヤーほんとに楽しかったですねぇ〜(^o^)。

で、最後には音楽の友ホールということで音響もとてもよいところなので、ご自慢のギター演奏をして終了したのですが、

まぁ普通ライブですとなにか自分の持ち歌とか歌うと思うんですが、ぐっさんはいきなりギターとあのよくある「歌謡曲1000」とかいう歌本をですよね、舞台のソデから持ってきてひろげて、自分の好きな歌を歌いだすという…、永ちゃんとかサザン桑田さんの物まねとか交えつつですね、それでコードがわからなくなると途中でやめっちゃったりと、まぁホントマイペースな和やか進行で癒されましたねぇ〜。

ですからまたまたみなさまもひょうきんなお坊さんや四角いものが好きな大工さんが好きな方は、機会がありましたらと存じます(^-^)。



さて、今回ももう大分有名な本ですが、日本でもこう暑くなって来ると終戦記念日が近づいて来るのも感じる、ということで、とりあげてみました。

それで、「夜と霧」というのは映画もあるわけですね、心臓の弱い方は見ないほうがよいかもしれませんが、こちらの方のサイトでも取り上げられています。いやー写真だけでも実際にまのあたりにするともうなにをかいわんやで、ありきたりな言葉ですけれども、戦争はいけない、と思うわけですね…。

わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とは何者か。人間とは人間とは何かを常に決定する存在だ。

人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。



と、こちらの方のサイトでは本の要約も載っていて、私が改めて書くまでもないと思う感じなのですね。そこでも触れられていますが…、

<内面への逃避>

強制収容所に入れられた人間は、その外見だけでなく、内面生活も未熟な段階に引き摺り下ろされたが、ほんの一握りではあるにせよ、内面的に深まる人々もいた。

元々精神的な生活を営んでいた感受性の強い人々が、その感じやすさとは裏腹に、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。

そうした人々には、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ち戻る道が開けていた。

繊細な被収容者のほうが、粗野な人々よりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。


…という感じで、苦しい状況でいるときこそ、内面の真の豊かさが問われるというということのようです。闇を知らなくては光の明るさがわからない、と言いますが、まさにそれですよねー、とはいえ、いきなりこのような大変な生活がやってきたら逃げだしたいと思うのが人情かと思いますが…。

その収容所生活とは比べ物にならないにしても、実は今の日本の社会では、物が豊富でなんでもできて自由なように見えて、受験戦争や会社のノルマ、世間体など、見えない鎖に縛られている人も多いわけですから、そんな中でも心の平安を保つために、内面の豊かさを見出していく必要があるわけですねー。そしてこうも言っています。

人間として破綻した人の強制収容所における内面生活は、追憶を事とするようになる。本来の目的によりどころを持たないからだ。…現実を丸ごと無価値なものに貶めることは、被収容者の暫定的なありようにはしっくり来るとはいえ、ついには節操を失い、堕落することに繋がった。何しろ「目的なんてない」からだ。

このような人間は、過酷きわまる外的条件が、人間の内的成長を促すことがある、と言うことを忘れている。収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受け止めず、これは非本来的な何かなのだと高をくくり、こういうことの前ではかこのせいかつにしがみついてこころをとざしていたほうが得策だと考えるのだ。

このような人間に成長は望めない。被収容者として過ごす時間がもたらす過酷さのもとで、高いレベルへと飛躍することはないのだ。…けれども現実には、人間の進化は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく招集の人々のように内面的な勝利を勝ち得たか、ということに。

…ラテン語の「フィニス(finis)」には、よく知られているように、二つの意味がある。終わり、そして、目的だ。(暫定的な)ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的を持って生きることができない。普通のありようの人間のように、未来を見据えて存在することができないのだ。

そのため、内面生活はその構造からがらりと様変わりしてしまう。精神の崩壊現象が始まるのだ。これは、別の人生の諸相においてもすでにおなじみで、似たような心理的状況は、例えば失業などでも起こりうる。

失業者の場合もありようが暫定的になり、ある意味、未来や未来の目的を見据えて生きることができなくなるからだ。


と、収容所生活の心理状態と、失業時の心理状態も実は似通ったところがある、ということですね。わたしもみていると、失業だけでなく、失恋、離婚、死別、ペットロスなど、さまざまな場面で目的を見失う機会が人生多いわけですが、それを乗り越えてて生きがいを見出すためには、いわゆるスピリチュアルな知識や考え方を持って生き抜くことがとても重要なのではないか?と思うわけです。実際フランクルさんもあの世の存在などはさすがに述べていませんが、収容所の仲間たちの前で、こう述べていますね。

…こうして、私は語り始めた。まず、とらわれのない眼には、お先真っ暗だと映っても仕方ない、と言った。…収容所には発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は5パーセントと見積もっていた。…にもかかわらず私個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来のことは誰にもわからないし、次の瞬間自分に何が起こるかさえわからないからだ。

…わたしは未来について、またありがたいことに未来は未定だということについて、さらには苦渋に満ちた現在について語ったが、それだけでなく、過去についても語った。過去の喜びと、私たちの暗い日々を今なお照らしてくれる過去からの光について語った。

私は詩人の言葉を引用した。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」

私たちが過去の充実した生活の中、豊かな経験の中で実現し、心の宝物としていることは、何も誰も奪えないのだ。

…人間が生きることには、常に、どんな状況でも意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をも含むのだ、と私は語った。

…わたしは、一人の仲間について語った。彼は収容所に入って間もない頃、天と契約を結んだ。つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。

この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。…


と、人生で必要なことは経験、そしてまた、人の為に生きると言う自己犠牲の精神ですね、自己犠牲、というのも、実は他人も自分の一部なので、究極的には犠牲という概念すら本当は存在しないのかもしれませんが、目的を失いそうになったときに、何でもよいから人に役立つことをしましょう、そうすればそこから生きがいが見出せてくる、というのは、あの夜回り先生もよく言っていることですねー。



そして、そんな非人道的な行為が続く収容所の中でも、さまざまな方がいたようです。

ここでは、私が最後に送られ、そこから解放された収容所の所長のことにだけ触れておこう。彼は親衛隊員だった。当時は収容所の医師(やはり被収容者だった)しかしらず、解放後に明らかになったことだが、この所長はこっそりポケットマネーからかなりの額を出して、被収容者のために近くの町の薬局から薬品を買ってこさせていた。

…このことから見て取れるのは、収容所監視者だと言うこと、あるいは逆に被収容者だということだけでは、一人の人間について何も語ったことにはならないと言うことだ。

人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。

いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だったと、などという単純化は慎むべきだ。

…こうしたことから、私たちは学ぶのだ。この世には二つの人間の種族がいる、いや、二つの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。

この二つの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入り込み、紛れ込んでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない、監視者の中にも、まともな人間はいたのだから。


と、現代もニュースでさまざまな組織、会社、国などのなかで影で隠れていろいろなことをしている方々もいますが、だからと言ってみながそうではない、まともと思っている組織、会社、国の中でも、そうでない人もいるので、しっかりとそれを見極めないといけない、と言うことですよね。そしてまた、私たちもこれからさまざまな役割を背負わされそうになっても、人間的なモラルをちゃんと守って生き抜いていくのは必要ということですね、それはあの映画「善き人のためのソナタ」のテーマでも出てきたものですよねー。



と言う感じで、もう人間の究極的な生きる目的について考えさせられる本なのでお勧めなのですが、こちらの方のサイトの引用部分にもあるように、私たちは普段物質的な物事に追われていると見失っているものがたくさんあるのだなぁ〜と気づくこともできますね。

そしてまたユーモアにも触れています。

ユーモアも自分を見失わない為の魂の武器だ。ユーモアとは、知られているようにほんの数秒間でも周囲から距離を取り、状況に打ちひしがれない為に、人間と言う存在に備わっている何かなのだ。

ひとりの気心知れた仲間と数週間、建築現場で働いたとき、私はこの仲間にすこしずつユーモアを吹き込んだ。毎日、義務として最低一つは笑い話を作ろう、と提案したのだ。それも、いつか解放され、ふるさとに帰ってから起こるかもしれないことを想定して笑い話を作ろう、と。…

…たとえば、こうも言えるだろう。人間の苦悩は期待の塊のようなもの、ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。空間の大きさにかかわらず、期待は均一に行き渡る。人間の苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、本の小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。


ということで、私も確かに心配、不安のある方はそのエネルギーがモクモクと体に広がっている感じがわかるのですが、少しのユーモア、喜びを感じるだけでも、明るい光を差し入れることになり、その状態を解消することができるということですね、ですから困ったり行き詰ったりしたときこそ、「人はだれでも滑稽やー」というがばいばあちゃんの言葉も忘れずにと思います(^^)。

Posted by fy3on3 13:14:32 │Comments(4)TrackBack(0)

Posted by のなぞ at 2007-09-05 11:58:27

はいーありがとうございます。そうですねーいつものアドレスでもわたしの携帯では何とか見れるようです、コメント書き込みもできますね。

また最近はフルブラウザ機能もある機種も多いので、
http://arena.nikkeibp.co.jp/article/col/20061205/120061/
いろいろ環境は整って来ているようです(^^)。

Posted by みけ at 2007-09-03 15:04:27

こんにちは。
野中さんのブログや紹介記事を携帯で見ることはできますか?
携帯しか持ってない友達に紹介したいのですが・・・

Posted by のなぞ at 2007-07-30 01:00:30

はいーありがとうございます。そうですねーこちらの左の方かと思いますが、やはりオーラ良い方ですねぇ(^^)。 http://www.astarte-education.com/hvem.html

Posted by ハチルー at 2007-07-29 01:51:21

ちょっとブログ内容と関係ないかもしれないのですが、ノルウェーの王女様が天使と話せる能力があると、ご自身も参加されている特殊教育ウェブサイトで発表された、というニュースをみつけたのでどうぞ。http://www.excite.co.jp/News/odd/00081185482452.html  

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