もういちど会えたら 最愛の人−天国からのメッセージ (ジェームズ・ヴァン・プラグ/著 光文社)その4。
2008-04-30
はいー今日もお留守番なので、正月あたりに放映していたジュセリーノさんの大予言番組を見ていたのですが、10年以上前に日付や名前まで正確に夢見ている、ということもたくさんおありですよね、それはつまり、おおよその人生の青写真というのはやっぱりある程度書かれているものなのだなーと思いますよねー。
それでも私たちは日々選択肢があるようにみえますし、実際気をつければ未来は変えられるのだけれども、気をつけないとなかなか、という、魂の修行にはもってこいの面白い世界に私たちも生きているわけですね、ほんと夢のような世の中です(^-^)。
そんな中、今日も青森沖で地震がありましたが、東通村の近くでということで、なんでこう原発の近くで地震が多いのやら…とも思うのですが(^^;)なんらかの意志が働いているようにも見えますよね…。
またジュセリーノさんが未来の「鳥インフルエンザ」の大流行も予言していましたが、今日、十和田湖で亡くなった白鳥さんも実は鳥インフルエンザだったというニュースもありましたね。
私も青森の地震大丈夫だったかなー?と旅行中の両親に電話したら、ちょうど十和田湖方面に観光していたのでぜんぜん感じなかったよー、ということで、それはそれでよかったですが、まぁウチの親も引き寄せられるのか、話題性のある場所に行っているものですよね(^^;)。
そうです、私の予言で、決して絶望してほしくはないのです。
これからは、地球を守るために、私たち一人ひとりが何かしなければならない。
自分のこと、自分の国のことだけではなく、世界が協力して行動すれば、未来は変えられます。
ということで、ホントに環境問題などについては結構自覚して行動しなきゃ、って思うことは思うんですが、では何からやっていきましょうか?というと、やはり自然に身についてきてしまった資源の無駄づかいなどを少しずつ減らして行ったりなど、ということから始まって、
そうやっていくとあまりこう荒々しいオーラって出なくなりますから、ストレスも低減されていきますよね。花壇荒らしたりして発散する必要もなくなるわけです(^^;)。
もうずばり予知夢としていろいろ見ているジュセリーノさんの警告はきちんと聞いておいて、気をつけるようにしたほうがやはりよいですものねー(^^)。
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さて、本の続きですが、“霊能力者(サイキック)”と“霊媒(ミディアム)"の違いについて述べられているところがあります。
物理的にせよ精神的にせよ、死後の霊体の速い振動に同調できる人を霊媒と呼びます。
その言葉が示すとおり、霊媒は媒介者もしくは仲介者のことで、霊界と物質界の間を仲立ちします。
…“霊能力者”という言葉は超常現象を引き起こす人に対して広範囲に使われがちです。誰もがある程度の霊能力を持っているのですが、誰もが霊媒と言うわけには行きません。霊媒は占い師ではありません。
言い換えれば、霊媒は霊能力者ですが、霊能力者は必ずしも霊媒ではないのです。…霊能力者は物体なり人間なりが放つエネルギーの同調することでその物体や人間いついて読み取ることができます。物体や人間の持つこのオーラを解釈して、霊能力者は過去や未来を明らかにするのです。
一方、霊媒は霊界からの思考や声や心象を感じ取ったり聞いたりできるのです。
…霊媒術の概念でもっと分かりやすいのは夢です。わたしたちは亡くなった身内や友人をよく夢に見ます。あまりにもなまなましい夢で、間違いなく一緒にいたのだと思うでしょう。そうに違いないと強く感じるのです。
それは、夢うつつの間に愛する人の霊と一緒にいたからなのです。
…ということで、江原さんは「スピリチュアル・カウンセラー」と名乗っていらっしゃいますが、つまりはミディアムさんなわけですね、また私などはミディアムではなくて、今のところはオーラからさまざま感じ取るような霊能力者なので、「スピリチュアルカウンセラー」とは言えないなーと思うわけです(^-^)。
とはいえ、ある方の友達、と聞いただけで名前も知らなくてもなんとなく浮かんでくることも多いので、こりゃー実際はいろいろなガイドさんから教えてもらっているのでは?と思うこともありますねー、でも過去には私のようなそのような霊能力をひどく否定する方もいらっしゃいましたから、そうじゃないのかもしれません(^^;)。
それで、プラグさんもそのような能力を持ちたい方のために、こうもおっしゃってますね。
あらゆる出会い、あらゆる行動において愛と奉仕に生きる生活を始めましょう。愛の教えを示す生きた手本になりましょう。
あらゆる物事を、神と呼ばれる創造的な愛の表現とみなしましょう。批判の必要性がないことを自覚しましょう。
批判とは、次元の低い物理的な自己、つまり、エゴの属性だからです。人間としてのレッスンをまだ身につけていないからといって、自己の神性の中に恐怖は存在しません。
それどころか、恐怖によってあなたは真実に背を向けてしまうでしょう。
自己の表現をより高次に理解するためには、現実でないものを捨てる必要があります。
批判、偏見、つまらないエゴイズム、すべて棄てましょう。そして、変わりに寛容と愛の光を受け入れるのです。
愛、それも純粋無垢の愛です。つまらない余計な物事でこれを曇らせないように心がけましょう。
と、いうことですが、なかなかたとえばチベットのことなどもミラレパさんもおっしゃるように「良い修行の相手」という感じで捉えられるかというとなかなか難しい、わけではありますが、それでも一歩ずつ和解の道を模索していくことが、それぞれの国の人たちが選んできている道でもあるのかなーとも思いますね…。
また私も見ていると前世でひどいことをしている人はやはり来世でそのカルマを解消するようなことをするようですから、ホント非常に長い目で何でも見ていくことで、落ち着いてこの世の中を生き抜いていくことができるのかも、しれません。
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というわけで、この本は次回の「スピリチュアルウェブ講座」のテキストに決定!ということにいつの間にかなりましたね、前のテキストの復習も中途半端なので(^-^;)、こちらもあわせてと思っております。5月中にはまた第四期開始のみことのりを出せればと思いますので(^^;)、どうぞよろしくお願い申し上げます。
Posted by fy3on3 01:41:56 │Comments(4) │TrackBack(0)
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