教養の日本史 平安京くらしと風景(木村 茂光 編 東京堂出版)
2008-05-28
はいー、オーラの泉も「ひな壇形式」に変わってきたので、そのうちきっと土田さんなんかもでてきちゃうのかな?と思うのですが(^^;)、あまりスピな人が出なくてもそれはそれで基礎からいろいろ復習できる感じもしますので、また良いですよね(^^)。
それでもなかなか編集してある場合が多いなぁ〜と、もっと深イイスピな話が聞きたいなぁ〜、ということで、今週も新宿であるこちらのフォーラムなども参る予定なのですが、まだチケットもあるようですのでよろしければと思います(^^)。
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さて、平安京に行ってきたばかりなので今日もこのような本を読んでましたが、そういえばあの「せんとくん」もいろいろあれこれなのも、そりゃー前の居場所がいろいろになったから刷新して遷都するわけですから、それを記念した場合もなにかしらごたごたするのも、よく分かりますよね(歴史は繰り返す?^^;)。
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さて、今日(27日)は渋谷センター街に泊まっておるのですが、TVを見ているとCMでショーン・レノンさんってこんなに親父ににてきているのか!?とか、ジンタの「夏祭り」も聞こえてきて懐かしい、と思っている間もなく、「プレゼント」も含めなかなかよい曲を書いとるやん、と思って作者をしらべていくと、破矢ジンタさんなわけですね。でこの方の本名は「秦伸治」さん、奈良県出身ですから、ひょっとしたら京都の渡来系の秦さん由来かも?というわけで、この本とも少しつながってくるわけですが(^-^)、やはり渡来系のかたがたの子孫の方は芸能方面強い方多いような感じを個人的には受けますよねー、霊感体質な方が多いかも、とも思います(^^)。
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ではなぜ霊感体質の方が多いのか?ということになりますと、
もともと芸術(芸能といってもよいであろう)は、J.E.ハリソンによれば、祭式を基盤にして発生したものらしい。だとすれば、芸能はもともと神々にささげるために行われたものであったと言ってよい。
ということで、神楽などを舞っていた巫女さん的な能力がある人がもともと芸能をつかさどっていたから、ということもあるかもしれませんね。また、宮廷での雅楽、に相対する、娯楽的要素の濃い芸能=散楽につきましては、
散楽が史料的に確認できるのは奈良時代からであり、天平年間には渡来人によって弄槍(ほこゆけ) という演技が披露され、雅楽寮の高麗楽師の中に散楽師が置かれた。
と、ありますから、よくよく考えたら芸能自体も舶来文化の影響をこの国もとてもよく受けていたわけですねー。そこからさらに「田楽法師」や「琵琶法師」などが生まれ、と連綿と続くわけですね(^^)。
まぁ「No music,No life」という人もとても多いですし、CMでも音楽がないCMってありえないのでは?というくらいで、さらに踊りや舞台、つまりドラマですね、も人生になくてはならないものだったりしますので、つまり芸能を通じて私たちは波長の高いエネルギーとつながる、本来の自分自身を取り戻す作業を節句やお祭りなどを通して行ってきたのでなんとかやってこれた、というのもあるかと思います(^^)。
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で、この本には祇園祭や葵祭、もともとは「賀茂祭」といわれていたのが徳川の時代になって葵の御紋と掛けられたので名称が変わったらしいですが、やはり千年も経つと少しずつ形式や意味づけが変わっているんですよ、ということもわかって、伝統伝統、と言いつつわやなところがあるところが、ある意味以外に適当なんやなぁ〜ということで、なんだか安心もしますよね(^-^)。
老舗というのはいつも変化を恐れないで挑戦してきたので生き続けてくることができた、というのはたしか和菓子「とらや」さんか何かのちょっとしたパンフで教わったと思うのですが(^^;)、まぁそのとおりでもあると思いますし、日本文化というのもさまざまな時代の変化に柔軟性を持って対応してきたことにより独自性を保ってこれたというのもあったりとよく言われますよね〜、ですから今後の激動の時代も、たとえばいろいろなひずみも織り込み済みで(^^;)、各々が自己責任で力強く生き抜いていくことが大切、というようなお話を昨日も江原さんもおっしゃってましたが、また講座の話もまとめて書けましたらと思います(^-^)。
Posted by fy3on3 00:57:40 │Comments(0) │TrackBack(0)
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