はいーパラリンピックも続いておりまして、見ていましてなかなかすごい選手がいらっしゃいますよねー(^^)。選手の方々もハンデをお持ちになるようになってからより気持ちが強くなったという方もいらっしゃるようです。
ですから、選手の方もそのような人生の筋書きを書いてきて、五体満足な人々にいろいろなすばらしさを見せてくれるお役目なのかもしれませんねー(^^)普通に動けて、または五感が使えてあたりまえ、と思って天狗になっていると、オーラが見る見るうちにあらら、ということになり、大きな会社でも破綻してしまうように、人間も…ということになりかねませんよね(^^;)。
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というわけで、周りに起こっているネガティブなことは反面教師となるわけですが、それはそれで、実はこのような原因があってのことですよーと、二宮さんは教えてくれているようです(^^)。
推譲
「推譲の論、いまだ了解すること能わず」。人に譲ることを推譲といいますが、これは人に自分の財産を与えて、人を助けることです。
しかし、どれぐらいをどう譲るのか、という内容がよく分からない。
そこである人が「推譲」について、尊徳に聞きます。
この質問者は、自分の収入の半分で生活して、半分は人に譲るのが「推譲」の法則だと思っていたようです。
…そこで、尊徳は「夫れ譲は人道なり」、譲るということは天道でなく人道、人間の道なのだ。
「今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲る」
という「譲道を」努めない人は人にして人にあらず。
「十銭取て十銭遣ひ、二十銭取て二十銭遣ひ、宵越しの銭を持たぬというは鳥獣の道にして…今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、その上子孫に譲り、他に譲るの道あり」
…つまり、譲るという行為だけは他の動物はしていない、これは人間だけの人間らしい行いだというわけです。
だからこそ、生活の分限は常に守らなければならない。分限(小欲・知足)を守ると必ず余る。余った金を来年に譲ったり、子供に譲ったりする。
馬も鳥も、ちょっと成長した子供には譲りません。サルの親子にバナナをやったら、子供の分までとって自分で食べてしまいます。…
道譲・功譲・言譲
…「言も譲らずばあるべからず」
これを言譲といいますが、自分が勉強したこと、修行して得た知恵は、一生懸命それを推譲する。
また生きる道を譲ることを道譲といいます。たとえば自分が部長だったら、自分の部長の地位を人に譲ることが道譲です。…
「功も譲らずばあるべからず」。自分の功、立派なことをしたときにも「おれがやった、おれがやった」とはいわない。これはカミさんのおかげだとか、家族のおかげだとか、あるいは、村の人たちのおかげです、と譲る。これを功譲といいます。
つまり推譲とは、単に財とか、物だけを他譲するのではないわけです。人間生活のあらゆる場面において、譲ることを修行する。そこに人道があるのだといっています。
二宮尊徳は、何もないときには、笑顔を譲ればいい、ともいっています。いつも笑っていれば馬鹿だといわれるけれども、笑えば人の気持ちも明るくなります。
という感じで、なるほどー、譲るっていうのはケチケチ大王な私には非常に難しいんですが(^^;)確かに生まれてこのかた、常に人から大自然から譲られて生きてこられているわけですから、それを世の中に還元していかんといけないわけですよねー自分のできる範囲ですよね。それでまた子育てでお子さんが可愛く思えるのも、笑顔を返してくれるからですものねー(^^)。
そのようにお互い譲り合えば世の中丸く治まる、ということのようなのですが、どうも足の引っ張り合いになってしまう、というのはやっぱり資本主義の行き着くところなのかどうなのか?というのが判明してきているような時代になっておりますねー(^-^;)そんな中またスピリチュアルな目でもって客観的に判断していけましたらと思います。
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では明日は都内で、夜にはまたバス(今回は三列(^^;)で大阪に向かいます(^^)。