ふと。
銀朱様とデスノートの話をした。
デスノートとは名前を書かれると、書かれた日時・内容で死神が殺してくれる。
ただし、その先に天国も地獄もなく、無になるというという代物。
私自身、話ができる程度にしか知らないから、
深い話はできないのだけれど。
そんな話をしつつ、
「もし、デスノートが自分の手に入ったら、どうする?」と問い掛けられた。
酒の席での、小さなお話。
それが、ただの死ではなく。
その先に輪廻がない代物なら。
私はあってはならぬものだと想う。
それを使った時点で人為らざるものになるのだとも想う。
私には、使えない。
使おうとするなら、私は多分、自分の私利私欲のために使うだろうから。
大切な人にも渡せない。
彼の答えは、わかっているから。
「俺はね。多分、使うよ。裁くために。今の世界はやっぱり悲しいから。
だけど、人知れず、こっそりとつかうよ」
「でも、貴方とて、1000年は生きられませんよ。
平安がそれで訪れても、たかが50年です」
「ならば、継ぐものを育てるだろうさ。お前ではないよ、それは。
お前はそういう考えをもっちゃいけない。
常に慈しみ、常に包み込む。それがお前の役目であり、俺の望みだ」
そういう回答をすることが分かっていた。
私の大切な人は、私以上に手段を選ばない人だ。
ギリギリまで、考えて、考えて、動くけれど。
それでも、無理だと想ったなら、手段は選ばない。
暖かくて、冷徹な人。
「今も、必然であるなら、その時も必然であるだろうから。
この世の理の一部となり、この世のルールと為れと言うことが世界が俺に与えた役
目なら。
俺はそれに従うまでだ」
「・・・だから、背負いすぎるんです。今、この現実でも」
「そうかもしれんな。
まあ、その場合、善悪で言ったら、悪なんだろうな、俺の考えは。
だから、俺が最後に書く名前は、俺の名前だ」
「・・そういうと思いました」
・・そう。そういう人。
多分。
そんなことはないのだろうけれど。
私の大切な人が「人」を止めてしまうなら。
どんなことをしても、私は止めてしまうのだとおもう。
絶対的なセイギという「理」になるなら。
人を超えて、この世の理(ことわり)になるのならば。
私は私の我侭で、その理を壊すのだろう。
それは優しさではなく、私のエゴだということも分かっている。
「止めますよ。きっと、私は」
「俺はお前のウラをかきつづけてやる」
「・・手段は選びません」
「俺は、一生、お前には追い越させてやらないよ。
お前を止めてやれるのは俺だから」
帰り際、少し高い彼を見上げる。
「どうした?」
「あのですね、あの、えっと・・なんでもないです」
「酔っ払ったか?」
いつか。
この人が舌を巻く位の人になろう。
今まで、自分では無理だと想っていて。
今でも、どこかで想っている。でも。
幾多の未来を、私は変えてきた。
願いと行動によって。
ならば、今は夢でしかないソレも、叶うのではないか?
いつか、この人が舌を巻くくらいの人になろう。
でも、その力は。
たくさんの物を背負っているその背を、護るために使おう。
冒頭のあの物語の主人公も。
一番最初の願いを忘れなければ、
多分、悲しい最後にはたどり着かなかったと想う。
それと同じように、
抱いた純粋な願いが欲に変わらないように。
この願いを、忘れずに抱いて歩こうと想う。
画面の向こうにいる貴方の今の願い。
最初、抱いた時のこと、覚えていますか?