ずるいだろうか。
見えている未来を言わないのは。
クライアントなら、こちらも仕事だから言うし、
クライアントも受け入れる覚悟を持って依頼してくれるから、まっすぐに伝えられる。
けれど、友人だとそうもいかない。
受け入れられる覚悟なんて、できないだろうから。
・・覚悟しているなら、クライアントとして来るだろう。
「お友達」として、尋ねる甘さがないならば。
「友達じゃないの?見えてたなら早く言ってよ」
その言葉に昔は「言ったじゃないか」と返したけど、
今はもう、笑って流すことにしている。
許される範囲でのアラートはあげた後だから。
そういうことを、口にされるときは、もう手遅れだ。
だから、笑って流すことにしている。
その直後に別れがあるなら、怒っても仕方がないから。
「私、どうしたらいいんでしょうね。
正解がわからないのですよ。
伝えた方がいいのか?最後まであきらめない方がいいのか?
でも、最後までは付き合うことはできないんです。
私は貴方と行くと決めたから」
2月ほど前、銀朱様に問いかけたことがある。
「お前に許される・・できることをして。それでダメなら。
それは相手の自由だから、そっとしておいてやれ。
人によって、幸せの形は違うから。お前から見て最悪でも、そいつが幸せかもしれない。
自由というのは、羽ばたいて、どこかへ行って。野垂れ死ぬ自由もあるんだ。
それをお前は侵すことはできない。
その人の選択を受け入れてやることは、相手の自由や権利を認めることだ。
だから、許される範囲以上のことはしてはいけない」
泣きじゃくった私に対して。
まるで、子供に言い聞かせるようにして・・彼は教えてくれた。
彼もまた、"未来線"を見られる人。
調子がいいときは、私より長いラインを見ることができる。
だから、私の抽象的な言い方もわかったのかもしれない。
「全てのことが予測できて。不確定要素なんて排除できる。
完全な未来を見る力があればいいのに」
「でも、そうしたらもっと苦しいぞ。きっと。
やる前に全てのことが見えたら、生きることさえ諦めてしまうかも知れない。
それを伝えたら、誰かを殺してしまうかもしれない」
人は自分勝手なんだよ。
銀朱様はそういって、締めくくった。