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プロの占い師が集う[占いブログ]
占い師プロフィール

占いは科学か?

2012-03-20

さてさて・・・
 ちょいと前に自称占い師の話題で、世間も騒然となりましたが、今はその報道も鎮静化したようです。
 しかし、おかげで私たち占い師はますますもって肩身の狭い存在になってしまいました。
 「お前だって同じ穴のムジナじゃないか」と言われたら、沈黙するしかありません。
 でも「本当は違うんだあっ!」と叫びたい人は、一人や二人にはとどまらないだろうと思います。


  しかし、この事件が占術全般の過小評価につながるであろうことは想像に難くはありません。
 それでなくても占術は今一つ世間から迎え入れられてはおらず、他の文化や学問と比べて低く扱われることが多いのが、悲しいかな現実です。いかに占術を学問として確立させようとしても、これでは困難でありましょう。


 占術への揶揄として、占術は非科学的じゃないか、というのが挙げられます。確かに占術は決して科学ではなく、科学にはなり得ません。せいぜいよくて疑似科学でしょう。こう書くと反発する方もおられると思いますが、どう扱っても科学そのものにはなりえないのです。
 なぜなら、占術における第一原理は、どうやっても科学とは相容れないからです。そんな馬鹿なとおっしゃるかもしれませんが、よく考えてみればわかります。たとえば四柱推命は陰陽説と五行説に基づいており、生年月日と出生時間の十干十二支に含まれる五行を、様々な方法で分析するのであり、確かに良く出来た体系だと思います。しかし問題は生年月日の干支の根拠なのです。たとえば今年がなぜ壬辰でなければならないのか、その根拠はどこにあるのでしょうか? それは去年が辛卯だったから、六十干支の並びに従えばそうなる、ということなのでしょうけど、それも、なぜそうなっているのかは科学的な説明はできません。
 では西洋占星術はどうでしょうか。これは太陽系の惑星の公転の周期を正確に捉えて、そこからさまざまな事柄を割り出しており、技術の精密さでは群を抜いています。しかし、星座や惑星が与える影響については、科学的な説明は出来ません。
 手相はどうでしょうか。人相と手相は医学に近い位置にあるとは思います。しかし生命線について、なぜそれが生命線なのか? という質問には何と答えるでしょうか。それは親指が生命力の象徴であり、拇指丘の外延に位置するから、ということになりますが、それではなぜ親指が生命力の象徴なのか、医学的な根拠はどこまであるのかとなると、それは疑問符をつけざるを得ません。
 つまり、占術の母胎が自然哲学であるとはいえども、その第一原理はあくまでも便宜上のものであり、それに乗っかって様々な理論や技術体系が構築されているわけです。


 しかし、だからと言って、そのことをもって占術を否定できるのかというと、それは違うのです。科学とは相容れないものを全部否定したら、それこそ宗教や哲学まで、全て否定しなければならなくなります。それでは、単なるニヒリズムでしかありません。それに宗教や哲学の中にも、優れた教示や示唆はたくさんあります。そして何よりも占術は実学であり、当たるのが基本であり、それによって人を善導することが可能であるところにこそ価値があるのであり、科学かどうかは末の話だと思います。そして占術は技術体系を教えることによって、同じような鑑定が出来るようになるのであり、そこには何らかの法則性がある証拠であり、注目に値すると思います。


 占いは統計学であると言われることもありますが、私は違うと思います。なぜなら運命の統計を完全に取ることなど不可能だからです。占いはむしろ自然哲学を根本にすえた経験智の集合体であり、それが何年もかかって、さまざまな経験が積み重ねられて、今のような体系が出来上がったと思われます。


 むしろ占術は科学ではないからこそ、古今を通して普遍的なニーズにこたえられたのではないでしょうか。科学は最先端の技術が出来上がると、それ以前のものは存在価値を失ってしまいます。たとえば夏の冷房を例に取れば、元々は団扇であり、それが扇風機になり、さらに今日のエアコンになったわけですが、今日、扇風機とエアコンを併用する人はいても、エアコンから扇風機に代替する人はまずいないでしょう。
 しかし占術は芸術や哲学などと同じく精神的生産物ですから、いかに時代が変わろうとも存在し続けることが出来たのではないでしょうか。そして不思議なことに、現代の占術家が及びもしないような名人が、過去には存在していたのであり、それは精神的な生産力が物質的な生産力とはけっして歩調を同じくしないことを現していることにほかなりません。


 そして、占術は一つだけ科学と共通しているところがあります。それは占術が自然や宇宙の法則を表しており、占術を究めることは、自らが自然や宇宙の法則と一体になることであり、真正な占術は道こそ違えども、科学とは帰するところは同じになるところです。これは命術や相術は言うに及ばず、卜術においても同じです。なぜなら偶然の中の必然とは自然の法則であり、それを自在に操ることは、取りも直さず自然の法則と一体になることにほかなりません。


 現代が平和な時代になり、科学も長足の進歩を遂げており、人々の生活はいよいよもって幸福になっていなければならないはずなのに、必ずしもそうではなく、自殺者が3万人を超えている現実はどう説明すべきでしょうか。過去より現在が幸福なら「三丁目の夕日」があれほど人気があるはずがありません。それらは全て心の問題に帰するのであり、どのような立場であろうとも、占いには普遍的なニーズがあると思います。


 私も最近、面と向かって「あんな掌のしわだの、生年月日なんかで、いろんなことがわかるものかねえ」と言われたことがあります。
 その時は「なんなら賭けてみますか」という言葉がのど元まで出掛かったのをぐっと抑えて、
「ところがこれがわかっちゃうんですよ」
「本当ですか?」
「本当ですとも。よかったら一度いかがですか」
とまあ、こんなやりとりがあったのです。
 それと「私は占いなんて信じてないけど、占い師って占いを信じているのですよねえ」と言われることもよくあります。
 そういう時はこう答えることにしています。
「占いは信じるよりも先に、まず理解するものですよ」

Posted by ivan 22:35:19Comments(0)TrackBack(0) │占い

自分を変える。

2012-03-06

人生には、自分が変わる出会いが幾つか訪れます。
 ある時は恩師、
 ある時は恋人、
 ある時は友人、
 ある時は配偶者、
 ある時は自分の敵。
 あるいは書物、映画、絵画のような文学や芸術にふれることによって自分が変わることもあると思うし、一人の占い師との出会いで変わることもありえます。
 

 思い起こせば、私の人生の過程にも、自分を変えてくれる出会いが幾つかありました。
 一番最初は友人、次に恩師、その次が恋人、更に次は占い師でした。
 特に、自分が鑑定を行うようになってから、確実に変わったと思います。
 

 では、自分が変わるとはどのようなことでしょうか。
 それは、自分の生き方や考え方を照らす人に出会うことによって可能ではないかと思います。
 それらに善導されることによって、自分が変わってゆくのではないでしょうか。 
 肉体は肉体を生むことが出来ます。しかし、精神は精神からしか生まれてきません。
 そして、人間は肉体は生まれ変わることは出来ませんが、精神は生まれ変わることは可能です。 


 人は好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな現実をくぐって生きています。
 そして時には、意図しない現実にぶつかることもあります。
 たとえば裏切り、
 たとえば愛情飢餓、
 たとえば挫折、
 たとえば疎外、
 たとえば劣等感、
 たとえば、さまざまなエゴイズムを目の当たりにする瞬間、などなどなど。
 そんな現実は、世間のどこにでも転がっています。
 そんなものに体をぶつけて、つらい思いをして生きていたら、大なり小なり、人間の良心や善意、愛情といった領域に疑問を投げるようになったとしても不思議じゃありません。
 そして、それらの現実に対応するためには、必要と思えるものと、邪魔だと思えるものもあると思います。
 たとえば、思いやり、控えめな心、優しさ、公正さ、美しいものを美しいを言える心。
 これらを、自分にとって必要だと思うか、はたまた邪魔だと思うか。
 歳を食っても、これらを持ち続けることができるかどうか。などは、誰しも疑問符を呈さざるを得ないのではないでしょうか。
 つまり、人は純粋でいられないということでもあります。 
 おそらく私も、まるっきりの例外ではないと思います。


 しかし、それと同様に、人間にとって善意や愛情とは何かを考え直すことが出来る機会もあると思います。 
 私はデカルトではありませんが、人間の理性とは、本来は誰もが平等に分け与えられているものだと思います。
 それを高めるか、あるいは邪魔なものとして捨てるかの違いなのでしょう。
 つまり、自分が変わる要因は、さまざまな出会いより以前に、自分の中に備わっていると思います。


 甚だ僭越で恐縮ですが、これが私の考え方です。

Posted by ivan 03:25:29Comments(0)TrackBack(0) │占い

直感とイマジネーション

2012-02-20

以前も書きましたが、私には霊感はないと思っています。
 現在、私が使っている占術には、霊感を必要とするものは一つもありません。
 周易のような卜術を「あれは霊感系でしょ?」と言われることもありますが、それは違います。
 しいて言えば、必要なのは直感とイマジネーションだと、私は思います。

 
 四柱推命のような命術は生年月日や出生時間を基礎設定としており、しかも理論が確立していますから、誰がやっても答えが同じになりそうですが、実際には違います。これは同じ師伝であっても起こる現象です。つまり、経験を積んだ人ほど読みが深いのです。これはどんな占術でも同じであり、ましてや卜術ともなれば、こういう現象は顕著です。


 卜術とは何ぞやといいますと、私は「偶然の中に含まれる必然性を法則とする占術」だと思っています。
「そんなもんが当たるのか?」とおっしゃるかもしれませんが、それが不思議と当たるのです。
 タロットに到っては、相手の心まで読んでしまうのですから、恐れ入谷の鬼子母神であります。
 では、直感とイマジネーションとはいかなるものでしょうか?


 私が鑑定を開始する、ずっと以前のことですが、知人から囲碁の名手を紹介されたことがあります。
 その時に、こんな話を伺ったことがあります。 
「囲碁は先ずは定石を覚えるところから始まります。でも、数をかけることによって上昇線を描いて上達するのではないのです。最初は誰でも平行線を辿るのです。しかし、ある瞬間に一気に伸びるのです。つまり、平行線から垂直に、ある高みまで上がって、そこから下降線を描くことは決してないのです。そして、その高さで平行線を描いていって、さらにまた、ある時に垂直上昇するように伸びてゆく。それを繰り返して上達してゆくのです」
 それは具体的にはどういうことですか?と問うと、
「相手と手合わせをする時に、最初に一番有効な方法をパッと思いつくようになるのです。そして、それに従って石を置くと、だいたいにおいて勝ちにつながるのです。そして、それがより巧妙な方法へと変わってゆくのです」
 

 つまり、大局的な読みが鋭くなってゆくわけですが、ここにおける急激な上達とは、直感とイマジネーションの醸成によってなしうるのだろうと思います。

 でも、よくよく考えると、これって占いの上達に似てませんか?

 
 占いもまずは方法論を学ぶところから始まります。しかし、それだけでは通り一遍の解釈しか出来ないことになります。特に卜術のような、現実の悩みや選択を対処する占いでは「こんなのが出ました。おしまい」では心許ないでしょう。卜術で求められるのは類推であり、これがどれだけ出来るかによって対応度も違ってきます。そして周易の場合、長く続けていると、出てきた卦(か)を見て、パッと言葉が浮かんでくる瞬間があり、それを言うと不思議と正鵠を得ていたりするのです。もちろん、口から出まかせを言っているのではなく、基本の延長を拡大解釈しているに過ぎませんが、面白いことに、それがある時にふっと頭に浮かぶようになるのです。タロットも同様でしょう。
 つまり、これらは方法論を土台とする、直感とイマジネーションの醸成によって成しうるわけです。そしてそれは、命術であっても大なり小なり使われていることになります。
 たとえば、四柱推命を例にとれば、比肩や食神といった通変星をお客さんに説明する段階で使われているわけです。いくらなんでも「お客さんには比肩があるでしょ。だから勝気なのですよ」では困りますよね。そうではなくて「お客さんは大変な努力家で、何事によらず戦闘的なのは良いことだと思います。いざという時に底力が発揮できますから。でも、周囲の方々がみんながみんな、戦闘的とは限らないんです。もしかして、周囲の方と対立してはいませんか?そういう時は、相手には相手の立場や意見があること、それが自分とは違っていても、一つの見識として認めることを忘れないようにするといいですよ」と言えば、かなり違いますよね。
 つまり、これは拡大解釈によって可能になるのであって、単に弁が立つということではないのです。もちろんこれは一例ですから、人によっては、もっと気の利いた言い方をすることでしょう。そして、少しずつ拡大解釈の外延を広げてゆくわけですが、これを成しうるのがイマジネーションなのです。


 そもそも占術とは言い換えれば、水面上に出ている氷山の形から、水面下の氷山の形を探る技術ではないかと思うのです。つまり、形而上の姿から形而下の姿を探るわけです。以前も書いたように「星の王子さま」で、帽子の絵としか見てもらえなかったものが、実はゾウを飲み込んだウワバミの絵だったという場面がありますが、一見帽子のような絵から、それとは異なるような描写を創造することこそがイマジネーションのなせる技であり、そういう感覚的なことを認められるかどうかなのでしょう。


 こう書くと「え〜っ!そんなの無理だよ。出来ないよ」という声が聞こえてきそうですが、心配はありません。直感もイマジネーションも、伸ばそうと思えば伸ばすことは出来ます。
 たとえば、目を閉じて音を聴くと、どちらから聞こえてくるかがはっきりとわかるし、小さな音でも聞き逃さずにすみます。それは普段は音の出所を目で追っているために、音の方向を聴覚によって確認していないからであり、目を閉じると、いやでも耳で確認せざるを得ないので、聴覚による音の確認能力が研ぎ澄まされるからです。人間の感覚が使う気になれば発達するという一例ですが、このような集中力の鍛錬を日常の生活の中で行うようにすればいいと思います。人によっては直感力を鍛えるために、ヨガや瞑想をやったり、滝行をやることもあると聞いています。イマジネーションに関しては、文学や音楽、絵画などの芸術作品に触れることで鍛えることは出来ます。
 要は、自分にとってそれらを必要とするかどうかにかかっていると、私は思います。

Posted by ivan 03:31:08Comments(0)TrackBack(0) │占い

宿命とは何か?

2012-02-10

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随分前のことですが、松本清張原作の「砂の器」という映画を見たことがあります。その中で、加藤剛扮する和賀英良という作曲家が登場し、「宿命」というピアノ協奏曲を作曲するのですが、この時になかなかどうして印象的な台詞を口にするのです。

「幸福なんてものはこの世にはない。だからこそ、みんながそんな影みたいなものを求めるんだ」
「宿命とは、生まれてきたこと。そして、生きていること」
 
 そしてストーリーの進行につれて、和賀英良の出自や子供時代に起きた数々のなぞが解き明かされてゆくのであり、なかなか圧巻でした(結末は、見ていない人のために特に秘・・・)。


 ここで特に印象的なのは「宿命とは、生まれてきたこと。そして、生きていること」という台詞です。
 なかなかどうして意味深ですね。
 かのベートーベンは「運命の喉首を捕まえてやる」と言ったそうですが、運命と宿命とはどう違うのでしょうか。
 ちょっとだけ考えてみましょうか。


 まず運命ですが、これは「命を運ぶ」と書きます。
 つまり、何らかの動きに伴って生じる事象です。
 たとえば「犬も歩けば棒に当たる」ということわざがありますが、この場合、犬が歩かなければ棒には当たらないのであって、歩くという動きに伴って、棒に当たるという事象を生じているわけです。
 だから、言ってみれば行動の選択肢に因るところが大きいことになります。


 それに対して宿命は「命に宿る」と書きます。
 つまり、持って生まれた何らかの特質です。
 自分がどういう両親がいて、どういう家庭に、男または女として生まれて、どういう資質があって、というのも宿命です。
 この資質に関しては、残念ながら平等に分け与えられてはいません。
 なぜかって?
 たとえば、画家になれる資質、100メートルを10秒台で走れる資質は誰にでもあるわけではありません。
 それに代わる資質なら、誰でも何らかの可能性は持っていると思います。
 でも、そういう可能性は生かさなければ損ですよね。
 だから宿命は、自分を全部使って生きるためのツールだと言えます。
 

 私事で恐縮ですが、私は体に先天的な障害を持って生まれてきました。
 それがために、少年期から、血涙を流すような思いをいくつも味わってきました。
 それも宿命ではあるのでしょう。
 しかし今になって考えれば、私のような障害を持った人間だけが得るものも沢山あったと思います。
 たとえば、小学生と高校生の時の二度の入院生活で、ありとあらゆる命の姿を目の当たりにすることによって、人間の命の姿とは実に多様であるという認識を持つことが出来たこと。
 そして、人間として人間にやさしくなれるようになったこと。
 つまり、人間のいかなる苦悩にも寄り添える自信がついたこと。
 これらは、占い師としてお客さんに接する際に、大いに役に立っています。


 釈迦ではないけれども、人間は生きること自体が本質的に苦なのかもしれません。
 だから、幸福は求めてやまない青い鳥のようなものかもしれません。
 しかし誰でも、生きる喜びに満ちる瞬間はあると思います。
 それは現在の充実の中にあると、私は思います。

Posted by ivan 04:03:01Comments(0)TrackBack(0) │占い

口下手

2012-02-05

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「私は内気なので、人に話しかけるのが苦手なのです」
 こういう相談を受けることがあります。


 何を隠そう、かつての私はとても内気で、神経質で、大変な口下手でした。
 特に中学や高校の時分はそうで、ほとんど対人恐怖症でした。
 こう書くと「うそでしょ?」と言われかねませんね。
 でも本当なのです。
 どのくらい神経質だったかというと、授業中に先生に指されても、発表が出来なかったのです。
 人前で発表しようとすると、得てしてシドロモドロになっていたのでした。
 だから、私は口下手な人の気持ちもよくわかるのです。
 今でこそ、そんなのは平気だし、大勢の前で講演もやっています。
 だから、当時の私を知る人にとっては、今の私は別人でしょうね。


 私が本当に変わったのは、少しだけ演劇を経験してからでした。
 それによって、自分に自信をつけることが出来たと思います。
 今でもよく覚えていますが、舞台に立つと、瞬時にドン・キホーテ(1)になっていたものでした。
 ひょっとしたら、私は本当はナルシストなのかな、とも思います。


 でも時と場合によっては、ドン・キホーテになった方がいいこともあります。
 なぜなら、行動すべき時に自信を持って行動できるからです。自分への自信こそは行動力の源です。
 そのためには少しぐらいはドン・キホーテになった方がいいと思います。


 よく「どうすれば人に話しかけることが出来るのでしょうか」と相談されることもあります。
 そんな時には、私はとっておきの秘伝「誰とでも簡単に話が出来る術」なるものを伝授するのですが、自分で言うのもなんですけど、とにかく効果絶大であります。


 今回は特別に、その秘伝を解説することにしましょう。
 それは「天地姓、住居ニュースに見える趣味、健康家庭に仕事人生」です。
 1、「天」は天気。たとえば今日の天気について。「寒くなりましたねえ」など。
 2、「地」は地名。「どちらまで帰るのですか?」など
 3、「姓」は苗字。「珍しい苗字ですね。なんと読むのですか?」など。
 4、「住居」は住んでいる家について。「変わった造りのお家ですね」など。
 5、「ニュース」は最新ニュースについて。「どうやら消費税がまた上がるみたいですね」など。
 6、「見える」はその場で見えるものについて。「その服はとてもいいですね」「あれって何の建物ですか?」など。
 7、「趣味」は文字通り趣味について。「趣味でやってることはあるのですか?」など。
 8、「健康」は文字通り健康について。「風邪が流行しているようですけど、大丈夫ですか?」など。
 9、「家庭」は家族や兄弟について。「御兄弟はいらっしゃるのですか?」など。
 10、「仕事」は職業について。「仕事は何をされているのですか?」など。
 11、「人生」は人生や生き方について語ること。「生きるというのは、私はこれこれこういうものだと思いますが、いかがでしょうか?」など。


 いわば話のきっかけ作りですが、要はこの順番通りに話をすればいいのです。自信がなければ最初は「天地姓」ぐらいに留めておけばいいでしょう。「仕事人生」まで話が出来るようになればもう安心。誰とでも確実に話が出来ます。


 私は今でもけっして話し上手ではないと思っています。
 だから話術のなんたるかを心得ているわけではありません。
 しいて話術というのであれば、それは、「話とは単にしゃべるものではなく、相手に伝えるもの」という意識ではないでしょうか。
 つまり、相手に伝えることを前提にして話せば、話の内容は確実に変わってゆくと思います。
 それともう一つ大事なのは論理的な思考です。つまり思考回路を明確にすること。たとえばA=B、B=C、∴A=Cのような表現です。 文章でもそうですが、これがないことには内容が支離滅裂になってしまいます。
 また、一見話し上手に見えて、実は言葉が足りないケースもあります。それは、誰でもかゆいところに手が届くと錯覚しているからです。それでは伝わるものも伝わりません。
 要は必ずしも能弁でなくてもいいと思います。訥弁でもいいから、確実に伝えてゆくことが大事だと思います。
 


(1)♪ドンドンドン、ドンキ〜っていうアレじゃありません。セルバンテス作の小説に登場するナルシストの主人公です。念のため。

Posted by ivan 14:58:13Comments(0)TrackBack(0) │占い

何をどこまで占うか?

2012-02-05

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 さて、占い師は何をどこまで占うべきなのでしょうか?
 ちょっと考えてみましょうか。


 占術にはそれぞれ適用方法が微妙に異なっています。個性や人生傾向、適性を見るなら四柱推命や西洋占星術、あるいは手相や人相のような相術がいいし、具体的な問題には周易や断易、タロットなどの卜術がいいでしょう。


 それでは命術を使って、具体的に恋愛運や仕事運などを一年ごとではなく、日を限って答えることはできるのか? となると、もちろん見ようと思えば見ることはできます。しかし具体的な問題に答えを出すことに関しては、素直に卜術を使った方がいいと思います。
 確かに命術の技術には卜術や方位学の要素もあるし、卜術でも周易などは方位を出す方法があります。しかし何と言っても餅は餅屋であり、専門技術に勝るものはないのです。
 命術をもっぱらとする占い師の中には、相術や卜術を軽視することもあると聞いています。たとえば「卜術は逃げ道だ」とか「相術は大雑把な鑑定しか出来ない」とか何とか。もちろん両方とも間違いです。実際の相術はかなりきめ細かに見るし、卜術は「初筮は告げる、再三は涜れ(けがれ)、涜れれば告げず」と易経にあるように、一事一占が基本であるところにこそ真髄があるのです。そして卜術にしろ相術にしろ、それを徹底的に追及している人は、あっと驚くような名人芸をやってのけるものだし、それだけの可能性はあるのです。要するに、名人芸に値するような衝撃的かつ革命的な経験をしていないことが軽視の原因ではないかと思います。


 そしてもう一つ。

 占い師のニーズは実際には多様であるということ。

 もちろん占いは運命鑑定、すなわち未来予知が基本ではあります。
 たとえば事業運を見る場合は、何しろお金が動くわけですから、具体的な良し悪しが出せる方がいいでしょう。
 私のクライアントには事業主や会社の経営者もおられ、「この仕事を請けるべきかどうか」あるいは「この仕事は取れるのか」という質問も受けます。そんな場合はストレートに結果を出して、駄目な時は駄目だと言わなければなりません。
 
 しかし、そういうニーズしかないのかといえば、決してそうではありません。

 以前も書いたことですが、占い師は技術を売るより以前に、まずは自分のパーソナリティを売るものだと、私は思っています。つまり「この人に会えてよかった」と思われるだけのものを持っているかどうかなのです。占い師によっては一時間に数万円という鑑定料の人もいますが、たとえ数万円だろうと、この人に会えるならそれだけの価値があると思えるのなら、人はやってくるでしょう。
 つまり、その人に会うことで心が癒される、生きる勇気がもらえる、というのも、占い師のニーズではあるのです。つまり、心のケアであり、むしろそういうニーズは、これからも増えてゆくことでしょう。そして、とどのつまりは占い師が目指すのはこれではないかと思うのですが、最初からそれを持っている人も当然いるし、その方が有利であることは言うまでもありません。


 これに敷衍することなのですが、占い師の中には、占術のレベル低下を防ぐために、占い師に国家試験のような資格制度を設けるべきだという意見もあります。私はその趣旨には必ずしも反対ではありませんが、しかし実際にはどうだろうかと思います。現状にそぐわないこともありますが、占術は当然ながら師伝によって技術は異なっており、加えて前述したようにニーズも一様ではないので、共通の尺度は設けにくいと思われます。
 もちろん占い師として鑑定を行うためには、最低限度身に着けるべき技術はあります。たとえば手相なら流年を読めること、四柱推命なら命式に加えて大運や年運の喜忌(吉凶)を読めることなどですが、これらはまともに師事して一定期間勉強している人なら誰でも出来ます。
 では万が一、そういう技術がなければどうなるでしょうか。何のことはありません。占いとして用を成さなくなるだけのことです。お客さんだって分別はあるのですから、この人は駄目だと思ったら即座に遠ざかることでしょう。それだけのことです。占術の体系は実際にはきわめて論理的であり、特異な素質がなくても、まじめに勉強していれば、誰でも一定レベルの答えを出すことは出来るし、その後の研鑽いかんによっては一定以上の答えを出すことも可能です。だから、しいて資格というのであれば、それは教える先生方の裁量に任せればいいのではないかと思います。実際に資格制度を採用している団体もありますが、それはそれでいいと思います。
 むしろ、占い師に公的な資格制度がないということは、占い師としての立場を保障するのは自分しかないことになります。自分がどれだけのことが出来るのか、お客さんを納得させられるかが資格だと言えば言えそうです。だから前述したように「この人に会えてよかった」と思えるだけのものがあるなら、それは充分に資格と呼ぶに値すると思います。
 

 そういうわけで、占い師になることよりも、占い師であることの方がはるかに難しいと思います。占い師を占い師たらしめているのは何なのか。それを常に自分に問わなければならないと思う今日この頃です。

Posted by ivan 02:46:19Comments(0)TrackBack(0) │占い

ある夜の出来事

2012-01-30

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それは草木も眠る丑三つ時、午前2時半頃のことです。

 静かな夜でした。
 さすがに夜更かしな東京都豊島区も、スヤスヤと眠っておりました。
 ところが・・・

 突然、枕元にあった携帯電話がけたたましく鳴り始めたのでした。

 何事かと思って電話に出ると、
「夜分すみません。私は以前に占って頂いた○○ですが、実は友人を連れてきたので、是非占ってほしいんです。駄目ですか?」
 
 ええ〜っ!!
 あのね・・・
 駄目ですかって・・・?
 むちゃくちゃ眠いんだけど・・・
 などという言葉がチラリと頭の中をよぎったけれども、ほとんど反射的に、

「わかりました。今はどこですか?」

 ああ、
 なんという馬鹿正直!
 でも性格だからしょうがない。

 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン!
 私は待ち合わせ場所を知るや、すぐさま身支度をして、くしゃみで呼ばれたハクション大魔王さながらに、池袋の某所に向かって自転車を飛ばしたのでした。


 待ち合わせ場所に到着してみれば、以前鑑定したリピーターさんが連れてきた友達は二人。合わせて3人を鑑定し、終わったのは実に午前5時でした。でもスッキリして帰っていったから、まあいいか。


 それやこれやで、私は再び眠りについたのでありました。
 ちゃんちゃん!


 まるで急患の往診みたいな鑑定でした。
 滅多にないことですが、ごくまれにはこういう依頼もあったりするのです。
 こんなことを書いたら、自分を安売りしているんじゃないかと心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうことはありません。ちゃあんと頂くものは頂いておりますからご心配なく。なんなら、タクシーみたいに深夜割増にでもしようかな(笑)。


 それと、これはどうも最近の傾向らしいのですが、占ってほしいとなると、ほとんど待つことなく、たった今、たちどころに占ってほしいというニーズが増えているようです。電話鑑定やチャット鑑定も、こういうニーズに応えてのことなのでしょう。つまり、安い、早い、うまいという牛丼みたいなニーズが占い業界にもあるってことでしょうか。
 以前も「そちらではどうすれば占ってもらえるのでしょうか?」という問い合わせの電話があり、私は「そうですね。今日はこれから予定があるので、明日の夜はいかがでしょう」と言ったら「わかりました。もういいです」とプツンと切られてしまったこともありました。何日後に予約を入れるのがまどろっこしいのでしょうか。ううむ・・・
 まあ、占い業界も含めて、産業構造は常に変遷してゆくのが世の常ではありますけどね。


 しかし私は、今のところは対面鑑定オンリーで、電話やチャットのような通信鑑定を行う意志はありません。理由はただ一つ。顔のない相手は苦手だからです。
 人は面と向かえば、表も裏もちゃんと見せてくれるものだし、その方がずっといいと思うからです。
 もちろん、電話鑑定やチャット鑑定を否定するのではありません。なぜなら、そういう領域だけが果たせるニーズもあるからです。要はポジションの違いです。
 ちなみに、私がメールで鑑定したのは今のところ一度だけです。何しろ海外在住の知人からの依頼ですから、こればっかりは致し方ありません。
 それはともかく、人にはそれぞれ、拠って立つポジションがあります。私は私なりのポジションがあり、それを守ってゆこうと思います。

(写真は愛用の筮竹、筮筒、算木、万年暦など。筮筒は拙作)

Posted by ivan 22:02:33Comments(0)TrackBack(0) │占い

私の占術について −余滴−

2012-01-18

前回触れなかった姓名判断について、少し書くことにしましょう。
 姓名判断は私が最初に学んだ占術であり、今も愛着があります。鑑定を始めた当初はこれを中心に据えていて、先ずは流年を算出し、一年単位で運気の流れを割り出し、続いて性格や適性、人間関係などを読み、運命傾向を掴んだ上で、細かいところは手相、具体的な問題は易を立てるという方法を使っていました。


 姓名判断とは読んで字の如く、名前の画数(或は読み)を鑑定の基本材料にする占術であり、性格や適性、人生、相性などを見てゆきます。画数は、それ自体の意味を中心に、陰陽五行説も交えて解釈してゆきます。
 ところが厄介なことに、基本となる画数の算出方法が師伝によって異なっており、画数が違えば解釈も違うことになります。この点に関しては今も論議が尽きないのですが、私はとりあえず初めに教わった方法に従っています。
 さて、その画数の鑑定ですが、苗字の画数を足した天格、苗字の最後の字と名前の最初の字の画数を足した人格、名前の画数を足した地格、苗字の最初の字と名前の最後の字の画数を足した外格、姓名の全ての字の画数を足した総格の五つ(五格)を基本とします。天格は家庭運、人格は生き方、地格は本能的な部分、外格は人間関係や外面、総格はトータルだとされますが、実は総格が生き方で、他の四格が全て人格形成のパーツと見るのが妥当ではないかと思います。確かに外格は人間関係や外面を表していますが、それを機能させているのは主に人格なのです。つまり、画数は五格をバラバラに見たのでは支離滅裂になってしまいますから、その相互関係を見てゆく方が、より占断率が高くなります。何となれば、画数にはそれぞれ一長一短があり、長所が出るか短所が出るかは、五格の特性によって決定されるからです。
 確かに画数には、基本的に吉数と凶数に分かれてはいますが、実際にはそれぞれの画数には色々な意味が多層的になっていますから、通り一遍の読み方ではなく、出来るだけ深く読むようにして、そこから関連性を読み解き、どの要素がどのように作用するかを見てゆく方がよいと思います。


 ところで、姓名判断にはいくつかの矛盾点が指摘されることがあります。たとえば、五格が同じなら同じような人間になるのか、あるいは同姓同名ではどうなのか、という点ですが、結論を言ってしまえば、同じ運命を持っている人間など、この世には二人とおりません。早い話が、伊藤という家に生まれた男の子に博文という名前を付けたからといって、総理大臣になるわけじゃないし、平という家に(以下略)です。しかし、共通点が全くないのかといえば、必ずしもそうではなく、性格や生き方の面では似てくる部分もあります。つまり占術によって、カバーする部分が微妙に違ってくるのです。そして、世に出て功成り名を遂げた人、たとえば政治家や芸術家の中には、どちらかといえば凶数を持っている人が不思議と多いのです。ということは、もしかしたら功なり名を遂げるとは、波乱に富んだ人生を歩み、苦境を生きることで成し得るかも知れません。それを考えると、人間にとって何が幸福なのかを考えさせられます。
 ちなみに伊藤博文という名前を見ると、意志が強く、人の先頭に立って、こうと決めたら目標に向かって前進するところが長所ですけれども、自我や権勢欲が強く、ために孤立しやすいという特徴もあります。女性に甘いところもあります。内実はさまざまな苦悩を抱えていて、晩年運も必ずしもよろしくありません。おそらくはあまり人には好かれず、人間関係のもつれにも苦しんだのでしょう。で、同姓同名か、同じ画数の配分の人には、こういう要素が出てきます。
 私見ではありますが、画数の吉凶は、成敗(成功と失敗)よりも福徳(幸福感)の方が出やすいようです。


 姓名判断は確かに手っ取り早く開運に結びつくし、赤ちゃんの名づけにもよく使われています。私もこれまでに役者の芸名や作家のペンネーム、あるいは会社や店舗のネーミングを依頼されたことは何度もあるし、赤ちゃんの名づけもやったことはあります。しかし、芸名やペンネームは別として、名前に良くない画数があったからといって、すぐに改名すればいいとは決して思いません。姓名判断を使う人の中には、凶数を指摘して、やたらと改名を迫り、金をぼったくろうとする人もいるという話を聞いたことがありますが、それは私としてはあまり感心できません。前述のように、名前には一長一短があって、長所を知っていればそれでいいからです。どうしても悪い部分が気になるのであれば、仕事用の通称名を考えればいいと思います。


 そういうわけで姓名判断について少しお話ししましたが、私がこの占術を学んでから、すでに20有余年が経ってしまいました。今も研究途上にあります。いずれは姓名判断の技術体系を私なりにまとめて、一つの形にしたいと思っていますが、それにはもう少し年月がかかりそうです。

Posted by ivan 20:40:02Comments(0)TrackBack(0) │占い

謹賀新年、そして特別鑑定のお知らせ。

2012-01-03

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明けましておめでとうございます。

旧年中はブログの拙文をお読み頂き、まことにありがとうございました。

これからも精進してゆく所存です。

今年もよろしく御願い致します。

 そこで、正月にちなんで、今年一年の運勢、ならびに半年間の運勢の鑑定をやりたいと思います。
 御希望の方は、予約の際に御名前、生年月日、出生地、出生時間を御伺い致します。出生時間が不明な方は、その旨を教えて頂ければ幸いです。
 姓名判断と四柱推命で一年全体を見て、さらに周易で半年間の運気の流れを観ます。観てほしい具体的なテーマ(たとえば仕事運、恋愛運等)に分けて見るのもOKです。
 通常料金は5000円ですが、これに関しては3000円でやります。
 期間は1月末日まで。

 連絡待ってま〜す。

 ちなみに、写真は元旦に描いた龍の絵です(龍は初挑戦)。
 文章は易経の乾為天の一部を抜粋しました。

Posted by ivan 02:56:51Comments(0)TrackBack(0) │占い

私の占術について −その2−

2011-12-19

続きです。
 相術と卜術については書きましたので、今回は命術についてお話ししましょう。
 私が主に使う命術は四柱推命ですが、これは現時点では予約鑑定に限っています。従って使う機会は多くはありません。それというのも、生まれた時刻をちゃんと知っている人が意外に少ないことによります。私の場合は最初は両親の記憶から知ったのでしたが、それをもとに紫微斗数の命盤を作成したら、まったく違う人物になってしまい、一時間ずれていたことが判明したのでした。
 そんなわけで、生まれた時刻がはっきりしないことには、四柱推命では不完全な鑑定しか出来ないことになります。紫微斗数に到ってはまるっきり不可能で、こればっかりはどうにもなりません。そうかといって、出生時刻がわからない人はお断り、なんていうわけにはいきませんよね。私が現在、命術よりも相術をもっぱらとしているのは、このような事情によります。


 そもそも四柱推命とは何なのかというと、生まれた年、月日、時刻を十干十二支に直し、その相互関係から性格や適性を読み解いてゆく技術であり、干支のわずかな八文字だけで、さまざまなことがわかる点が魅力ではないかと思います。鑑定の材料である通変星や十二運にしても、結局は干支から導き出されるのであり、干支が全てと言っても過言ではないのです。しいて難を言えば、覚えなければならないルールが色々あり、とっつきにくいところもあります。私も学んでいた最中には、あまりの複雑怪奇さに「果たしてこれが使えるようになるのだろうか?」と何度も思ったほどでした。そもそも私は頭がいい方ではなかったことと、デジタル的な発想が苦手なことも災いしたのですが、これはもう、がむしゃらに学ぶしかないと思い、何はともあれ学び続けたのでした。私の場合、習うよりは慣れよ方式ですから、とにもかくにも使える範囲から実験的に使って、その範囲を広げていったのでした。しかしながら、悪戦苦闘した分だけ、愛着があるのも事実です。学問が好きだったり、研究や探求が好きな人には向いていると思います。
 もう一つの難は、良いか悪いかが情け容赦ないくらいにはっきり出てしまい、下手をすれば人を傷つけてしまうことですが、これは使い方を工夫すればすむと思います。
 ちなみに出生時刻については諸説あるようですが、私はとりあえず、肺呼吸を始めた時刻、という説に従っています。私の場合は生まれた時は仮死状態だったらしく、おそらく両親が出生時刻を間違えて覚えていたのも、これによると思われます(ちなみに東洋の命術は二時間単位で時刻を見るので、完全に一時間違うわけではありませんが)。


 ところで、現在日本で行われている四柱推命は、大別すれば中国直輸入のもの(つまり子平とか八字と言われているもの)と日本で独自に発展したものとがあり、両方ともそれぞれ師伝によって技術が少しずつ異なっています。これは現在出版されている多くの専門書を読めば歴然としています。日本における四柱推命の専門書の第一号は、江戸時代中期に桜田虎門という医師が、中国の教典の一つである「淵海子平」を翻訳解説した「推命書」だとされており、私も目を通したことはありますが、既に日本で広く行われている通変星や十二運、神殺を使った技術が書かれていたことは興味深いところです。ただ、私が今までに多少なりとも読んだ中国の教典は「滴天髄」と「子平大法」だけであり、「淵海子平」は読んだことがないので、どのような内容なのかはわかりません。「滴天髄」に関しては原文が抽象的で、注釈なしにはさっぱりわからない代物で、読み解くには根気が要ります。きっと、わかる人だけわかればいい、という姿勢で書かれたのでしょう。
 また、中国式を使う人の中には、日本式をよく言わないこともあるようです。私の場合は、偶さかの縁で中国式の一派を学びましたが、技術的な優劣について論じたり、排他的な姿勢はあまりよろしくないという立場におります。もしも優劣があるとしたら、それはその占術を使う占い師の優劣だと思います。どんな占術や師伝でも腕の立つ占い師は存在するし、腕が立つということが肝要だと思うからです。なので、もしかして、これをお読みの方の中には、これから何らかの占術を学ぼうとされている方もおられるかもしれないので、念のために書きますが、最良と思えるのは、まずはどんな師伝でもいいから、出来るだけの占いのノウハウを学んでおくことです。鑑定という現実を潜らないことには、自分が求めていたことが正解かどうかわからない領域が存在するからです。その結果、もっと学ばねばならないと感じたら、改めて学べばいいと思います。占いにおいて何が真実かは人によってそれぞれ違うからです。


 というわけで、私が主に使っている占術について少し述べましたが、話が少々専門的になった点は御容赦下さい。正直なところ、四柱推命を語るのはまだまだ忸怩たるところがあるのですが、とりあえず率直な感想と意見を述べるに留めました。これからも研鑽を続けてゆく所存であり、伸ばせるところは伸ばしてゆきたいと思っています。

Posted by ivan 03:49:19Comments(0)TrackBack(0) │占い

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