桃が咲き、菜の花やいろいろの花が芽吹くこの月を 「花月」そしてこの時期に降る雨を「木の芽の雨」とも言われます。 まだまだ寒暖差が続く今日この頃ではございますが、ご自愛されよき3月をお迎えください。 この月は 「雛祭り」 や 「お彼岸」とまたいろいろ行事がありますね。今回も明日の「雛祭り」由来や飾り方、お雛祭りに遊びたい「投扇興」の遊び方などを毎度復習方々書き留めておきます。
○雛祭り
3月3日は雛祭りです。女の子の健やかな成長を祝ってお雛様を飾ります。桃の花や菜の花を生け、雛あられ、菱餅、白酒、蛤の吸い物、ちらし寿司を食べてお祝いします。
雛祭りは、中国由来の「上巳(じょうし)の節句」と、日本古来の風習や習俗がミックスして形づくられました。 上巳は本来、3月初巳の日のことでした。中国ではこの日は忌み日とされ、穢れを祓うための宴が催された。 これが奈良時代に日本へと伝わり宮中で曲水の宴を催し祓いを行うようになった。
一方、日本には夏越しの祓えなど「形代」や「人形」に穢れや厄を移して身代わりとする風習が古くからある。これと巳の日の穢れ払いが融合していった。 「形代」や「人形」の一種で子供の身代わり人形「這子」(ほうこ)とは別に平安時代には「雛遊び」という人形遊びがあった。「雛遊び」は道具や屋形を使ったままごと遊びだった。
江戸時代になって、3月3日を五節句の一つとして幕府が公式の祝日とすると飾り雛が発達しました。 大奥で姫の誕生を祝って「お雛様」を飾るようになると装飾性も高まってきたようです。始めは2つの立ち雛、子供たちが飾った雛で遊んでいたようです。 十二単をまとった座り雛が生まれるとどんどん華美になり大型化していきます。段飾りも江戸時代から登場しました。 質素倹約令によって大きさを制限されたことから、江戸時代後期には小型化され、これが現在の雛飾りの原型となった。
雛人形の段飾りは、飾り方が決められています。
最上段 男雛(むかって左)女雛(右)左が尊いという思想に従って男雛を置いた。 (明治以前と以降では入れ替わっていますが、2段目以降からは昔のまま、左が位が高い)
2段目 3人官女 (むかって左から)手提げの加銚子、三方、長柄銚子、
3段目 5人囃子(能のお囃子)で (向かって左から)太鼓、大鼓、小鼓、笛、謡
4段目 随身 武官の右大臣(向かって左)、高官の左大臣(向かって右)
5段目 仕丁 (向かって左から)台傘(日傘)沓台、立傘(雨傘)でこの段の向かって左に「右近の橘」右に「左近の桜」
6段目に道具、7段目に乗り物 を並べる。
※現代ではさまざまに省略されることもすくなくありません
ともあれ現在でも雛人形の種類、地方によって旧暦でされたりとさまざまなお祝い方があるものですね♪~
写真は我が家の内裏雛や投扇興や市松人形、博多人形を載せました。
※投扇興(とうせんきょう)
この時期にどうということはありませんが、王朝の風雅を伝えるこの伝統的遊戯はやはり江戸時代からはじまりました。 遊び方は箱より2~3m離れたところから、上の扇形の飾りに扇子を飛ばします。 そして源氏五十四帖に因でおります、今で言うルールで扇子とトップの飾りの落ち方で点数を決める優雅な遊び。
我が家ではこの投扇興はあまりにも美しい。。この箱に描かれている扇子の柄はすべて手書きですので、遊びにはもっての外。 サイドボードの中でいつもは飾ってあります。(京都 宮脇買扇庵の作品)
まだまだ寒気が残っていますが暦の上では2月は春。 この春から1年が始まると考え良い年を願う行事がおこなわれます。
ここでまたまた今月の行事、「節分」と「初午詣」についてお浚い方々勉強しましたので書き留めておきます。
節分
昔は四季の最後の日はすべて「節分」だった。 今でこそ2月の立春前日(2月3日頃)をさしますが、元は二十四節季の中の季節の始まりを表す、立春、立夏、立秋、立冬のすべての前日を、季節の分かれ目として「節分」と言っていた。
春の初めとする考えにより、江戸時代以降、節分と言えば立春前日に限定されるようになりました。
鬼退治と豆まきの倣い
同じ由来から生まれたものではありません。
冬から春に変わる季節の変わり目は体調を崩しやすいので、邪気=鬼が体調を崩す原因と考え、それを祓うた豆まきを行うようになった。
鬼退治 飛鳥時代に中国から伝わった宮中行事「追儺」(ついな)や「鬼やらい」の邪気祓いの儀式がもと。
大晦日の夜、陰陽師が祭文を述べたあと、金色の四つ目の面をかぶった「方相氏」=邪気払い役の人が矛と盾を携え「鬼やらい」と唱えながら宮中を練り歩く。
これが変化して節分の行事となった。
豆まき
室町時代、鞍馬山から鬼が出て人々に災いをもたらし、そこに毘沙門天が「鬼が出てくる穴に豆をぶつけよ」と告げた。 そこで煎った豆をぶつけると鬼はすっかり出なくなった。
豆は「魔滅」に通じると考えられ、さらに「立春前の節分が1年の最後の日」ととらえられるようになった。
初午 春の初めに福をいただく「初午詣で」
2月に入って初めての午の日(今年H29は2月12日庚午)をいいます。 稲荷神社(お稲荷さん)に詣でる週刊がある。
本社は京都、稲荷山にある伏見稲荷です。 山頂に神様が祀られたのが、和銅4(711)年2月初午の日だったという伝承から、初午には全国の稲荷神社で初午まつりが営まれる。
旧暦2月は春の農事が始まる時季。初午の日は田の神が山から降りてくる日と言われ農作祈願や1年の気候を占う日。 それが稲荷信仰と結びついて「初午祭」となった。
明日は早朝から毎度お馴染み、中区東新町CBCTV局前の「永安殿」で節分行事のお手伝いに行って来ます☆
昼と夜の時間が同じになります。 秋分を境に夜が長くなってきます。
※今年の彼岸入りは19日(月曜)
お中日は22日(木曜・秋分の日)
彼岸明けは25日(日曜)
彼岸=日願で太陽信仰に基づく言葉 彼岸はサンスクリット語のパーラミータ(波羅蜜多)=到彼岸の略
この日の日没には先祖の霊と交信できると言われていた。 この時期にお墓参りをして先祖供養をするとともに、秋の訪れを祝う。
※「ぼたもちとおはぎ」のお話。
春に食べるのが「牡丹もち=ぼたもち」(牡丹の花のように大ぶり) 秋に食べるのが「お萩=おはぎ」(萩の花のように小ぶり) それぞれ季節の花でなぞられている。
おはぎはつぶあん。秋に収穫した小豆は粒が綺麗に炊ける、 ぼたもちはこしあん。
冬を越した春の小豆は乾燥して割れも多いので。 ぼたもちはこしあん以外にアンを米の中に入れて外側にきなこ、また昨今はいろいろありますが。。
秋の夜長♪~ご自愛しつつ楽しみましょう♪♪
今月はお盆行事で先祖の霊をお迎えする月でもありますね。 ここでちょっと「頼みの節句」と「月遅れ盆」「盆踊り」についてまたまた例年同様、書いておきます。
●「八朔」(はっさく)=「頼みの節句」
人々の想いが今も繋がる行事としては「八朔」(はっさく)(朔とはついたち=旧暦8月1日を指す) 「田の実の節句」を語呂あわせして「頼みの節句」などと呼ばれる。
田の神に五穀豊穣・風水害除けを願うとともに早生の稲穂を本家や知人に贈り収穫の前祝をする風習そのものを意味します。 現在では祭礼としての「八朔」は続いていますが、お中元、暑中見舞いと重なって一般的には「頼みの節句」贈答習慣は残っていません。 例外として花街・祇園では新暦八朔の日に芸子さん、舞妓さんが日ごろ「頼み」にしているお茶屋や芸事の師匠宅へ挨拶回りをする。
●「月遅れ盆」
8月15日を中心に夏季休業に入る企業や商店が多いのは江戸時代商家で始まった「薮入り」と言う習慣の名残です。
お盆のしきたりを時系列で追いながらご紹介
12日:精霊棚(盆棚)供物、お花を用意します。 13日:迎え盆。位牌などを仏壇から精霊棚に移し供物を供えます。夕方の迎え火には麻の皮をはいだ麻幹(おがら)を焚いてお迎えします。 14日~15日:供養。法要や墓参り、会食などを行います。 16日:送り火。迎え火と同様に門口で麻幹を焚いて霊を送ります。
京都の「五山送り火」も大規模な送り火ですね。 また小船に明かりを灯し、供物を載せて川に流す精霊流し、燈籠流しも送り火の一種ですね。
●「盆踊り」
平安時代に僧の空也が提唱した「念仏踊り」が始まりとされ、室町末期に一遍上人(いっぺんじょうにん)が広めました。
もう一つのルーツは菅原道真が讃岐に赴任中(886~889年)干ばつにあい命がけの物乞いで成功。 道真の感謝の踊りを見た法然上人(ほうねんしょうにん)が引継ぎ「念仏を唱えながら踊ると良い」と勧めたもの。
お盆の行事として全国に定着したのは江戸時代、地獄の業苦から開放された霊の喜びを表現している説。
今月はお墓参りに行きご先祖さんに感謝し、毎度お盆休み恒例の中津川「岩寿荘」にいって念仏踊りをまたまた踊りまくって行きたいと思っております。 そして「頼みの月」新暦で今日は皆様に感謝!!何卒、よろしくお願い致します。
]]>おはようございます(^^)/この梅雨が終わればいよいよ夏本番!
この月は、祇園祭、ほおずき市、海開きなどいろいろ行事満載! ここでちょっと、文月の由来や七夕のお話をまたまた復習方々勉強しましたので書いておきます。
文月の由来
●稲が穂を膨らませる時期から「穂踏月」(ほふみ) 、含月(ふくみ)が変化したという説。
●七夕が由来という説。 (牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の2つの星に、詩歌を短冊に書いて供えたことから「文月」となった。
●7月は互いに文を出しあって無事を確かめ合う暑中見舞の時期と言う説。
七夕のお話 七夕は正しくは「しちせき」と読み、「桃の節句」「端午の節句」と同様、五節句のひとつ。 日本で「七夕」を「たなばた」と読むのは「棚機つ女」が語源であることは言うまでもありません。
七夕行事は中国と日本のいくつかの伝説と風習があわさってできたもの。 「星まつり」伝説と「乞巧奠」(きっこうでん)の風習です。
星まつりの伝説
●牽牛と織女の話で、あまりに中の良かった二人は仕事をおろそかにしたため神の怒りを買って天の川をはさんで離れ離れにさせられた。 しかしその後7月7日の夜だけは神から会う事を許されたという伝説。
●秋の収穫時に洪水が起こらないよう川の水の神に祈りを捧げる神事が発達したという説。
「乞巧奠」(きっこうでん)風習 織物が得意だった織女星にちなみ、裁縫や習字などが上達するようにと願う風習
もう一つ七夕の行事で、願い事を書いた短冊の色は5色が正式です。 5色とは青、赤、黄、白、黒で木、火、土、金、水の五行説による色を用います。
今日の七夕には、まだまだ女性?!。。らしい願い事を書いてみることにしました☆
久々の朝の地下鉄のラッシュに遭遇!
参拝は10時から4時まで。私は本堂で参拝に来られた方たちのお接待のお手伝いに奮闘!
毎度の事ながらおっさまや他のお寺様方に加え、女子プロレスラーの豊田真奈美さん、加藤園子さんも本堂参拝行司に加わる。
いつも思うのだが流石街のど真ん中、CBCTVのまん前、おっ様以外は皆さん若いお寺様、会社の方の参拝客も多く、、
そんなこんなでこの節分の日は他のお寺より活気付いているなーと思います♪~
ここの参拝は祈願のお札と一人ひとりおっさまがお経の合間に祈願とお名前を読んでくださる。
このお経をお寺様の皆さんが般若心境を3回早口で読み上げるのですがお経本をズラーとさらすのも見所!
あとお菓子の詰め合わせ(遠足みたいな 笑)くじ引きでお米や洗剤などいろいろ当たります♪~ 休憩室にはいつも姉たちが係りでめっちゃ美味しい甘酒を振舞い、みかんやお菓子、美味しい漬物がおいてあり皆さんに好評です♪~
今回も私の鑑定のリピーターさまたちも参拝!丁度休憩近くにいらしたリピーター様を休憩室にお招きしてパチリ!お土産まで戴いちゃいました♪~
最終時間に道了さん全員が参拝を終え最後におっ様の十二一重の美しいお姿やこちらの道了さんメンバーを写真に収めてお開きになりました♪~
終わると軽ーーい疲れが来ますが、気持ちはお勤めをさせていただいたことに爽快さいっぱいになります♪~☆~感謝!☆
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速いものであっという間に今日から2月!ですね☆~ まだまだ寒気が残っていますが暦の上では2月は春。 この春から1年が始まると考え、良い年を願う行事がおこなわれます。 ここでまたまた今月の行事、「節分」と「初午詣」についてお浚い方々勉強しましたので書き留めておきます。
...節分 昔は四季の最後の日はすべて「節分」だった。 今でこそ2月の立春前日(2月3日頃)をさしますが、元は二十四節季の中の季節の始まりを表す、立春、立夏、立秋、立冬のすべての前日を、季節の分かれ目として「節分」と言っていた。 春の初めとする考えにより、江戸時代以降、節分と言えば立春前日に限定されるようになりました。
鬼退治と豆まきの倣い 同じ由来から生まれたものではありません。
冬から春に変わる季節の変わり目は体調を崩しやすいので、邪気=鬼が体調を崩す原因と考え、それを祓うた豆まきを行うようになった。
鬼退治 飛鳥時代に中国から伝わった宮中行事「追儺」(ついな)や「鬼やらい」の邪気祓いの儀式がもと。 大晦日の夜、陰陽師が祭文を述べたあと、金色の四つ目の面をかぶった「方相氏」=邪気払い役の人が矛と盾を携え「鬼やらい」と唱えながら宮中を練り歩く。これが変化して節分の行事となった。
豆まき 室町時代、鞍馬山から鬼が出て人々に災いをもたらし、そこに毘沙門天が「鬼が出てくる穴に豆をぶつけよ」と告げた。 そこで煎った豆をぶつけると鬼はすっかり出なくなった。
豆は「魔滅」に通じると考えられ、さらに「立春前の節分が1年の最後の日」ととらえられるようになった。
初午 春の初めに福をいただく「初午詣で」
2月に入って初めての午の日(今年は2月11日戊午)をいいます。 稲荷神社(お稲荷さん)に詣でる週刊がある。
本社は京都、稲荷山にある伏見稲荷です。 山頂に神様が祀られたのが、和銅4(711)年2月初午の日だったという伝承から、初午には全国の稲荷神社で初午まつりが営まれる。
旧暦2月は春の農事が始まる時季。初午の日は田の神が山から降りてくる日と言われ農作祈願や1年の気候を占う日。 それが稲荷信仰と結びついて「初午祭」となった。
今回も3日は毎度お馴染み、中区東新町CBCTV局前の「永安殿」で節分行事のお手伝いに行って来ます☆
あっという間のもう12月。クリスマスや忘年会、、一年の締めくくりの大掃除と、、何かと忙しいですね。
今月は「正月事始め」、冬至(とうじ)などいろいろ行事がありますが、 まず日付の近い「正月事始め」と「師走」の語源を復習かたがたまたまた書き留めておきます。
○師走
語源は諸説ありますが、当て字からきたと言うのが有力です。 大掃除、お正月の買い物、里帰り、集金、、等々と何かと忙しくなってきますね。 「師が走る」と当てた昔の人の気持ちが今現在もかわりありませんね。 もうひとつ、これはうちの母がこの時期になると言ってたこと。。 お師匠さんは本来どっしり構えているのに、この時期はそんな人でも気忙しく走る。。 とこの時期が来るとよーく言われてました(^^)
○「正月事始め」
お正月の準備を始める日と置き換えておきます=煤払い(大掃除) お正月の準備のスタートをする行事です。 地方によっては日付が異なりますがおおむね12月8日または13日です。 東大寺の煤払いは毎年13日に行われます。
戦前まで大掃除は13日に行い、月半ばの年の市で松飾りの買い物をし、 26~28日に餅つき、門松を飾り、29~31日におせち作りをして大晦日をむかえました。 こうしてみると現在は途中クリスマス行事が割り込んで来たため、13日では少し早い。 26日辺りから慌ただしくお正月準備をする家庭が増えましたね(^^)
煤払いを13日に行うことになったのは、1640(寛永17)年、3大将軍家光が火事で焼けた本丸を再現した年。 13日を選んだのはその後で宿曜道の鬼宿日に当たり大吉日だったから。
正月事始めはなかなか江戸時代のようにはいきませんが、気を付けたいのは門松やしめ飾り、鏡餅を飾る日です。 29日は「二重苦」につながり、31日は「一夜飾り」といって年神様をお迎えするのに誠意がないと嫌われます。 おせち以外の飾り付けなど28日までにするか、作業が残っていたなら30日のほうがこの言い伝えですといいかもですね(*^^*)
母も同様、3は身を切る、4は死を招く、9は苦になるとこの時期になると特によく言われました。
クリスマスや忘年会もはさみ何かと忙しい中、心置きなく新しい年神様をお出迎えする準備をして、清々しい新年を迎えたいものですね(*^^*)
神無月(かんなづき)
由来は諸説あります。 一番有名なのは11月に行われる「新嘗祭」(にいなめさい)の為に新酒を醸造する月という意味の「醸成月」(かみなしづき)が転じたと言う節。
しかし、よく知られているのは日本中の神様が出雲に出かけて不在になる為「神無し月」と呼ばれる節でしょう。
えびす講は、この節に由来する行事。出雲に全国の神様たちが出かけている間、留守を預かる「留守神」がえびすさまでした。 そのひとりぼっちのえびす様をお慰めするためにえびす講が始まったとのこと。
「講」とは魂を供養する「法要」と同じ意味。
えびす講は流れとともに内容が変化して豊魚を願う祭礼となった。 (えびす様の像が釣り竿や鯛を持っている)
海の神様から商いの神様の要素が加わったのは日本に市が立つようになった中世以降。
えびす様は市場の神様と信仰され七福神の一人と数えられるようになり商売繁盛の性格を持つことになった。
紅葉狩り
落葉樹が鮮やかに色づき全国の野山では紅葉狩りが楽しまれます。 「狩る」=「野山に捜し求めること」を意味します。
秋の紅葉狩りは、春の花見とともに古くから人々の心を潤す大切な行楽行事。
紅葉を楽しむ習慣は奈良時代から始まったと言われ平安時代は貴族たちが紅葉を愛でながら宴を催し、和歌を詠んだ。
江戸時代になると一般の人々も弁当を持参して野山の美しい紅葉を楽しんだ。
ここに来て秋の気配がしてきましたね♪~行楽やスポーツのシーズン、、そして秋の味覚、、☆♪~ 楽しみながらこの秋の夜長をお過ごしくださいね~☆
※写真はこの時期になると我が自宅で眺めている 京都「宮脇賣扇庵」の紅葉飾り扇子。
]]>今月は「重陽(ちょうよう)の節句」「中秋の名月」「お彼岸」といろいろな行事満載!
ここでちょっと「重陽(ちょうよう)の節句」と「中秋の名月」について復習かたがた勉強しましたので書き留めておきます。
重陽(ちょうよう)の節句
9月9日は、五節句の最後の「重陽」の節句の日。
五節句とは、一年間に5つある式日のことで、
入日(にゅうじつ)(1月7日) 上巳(じょうし)(3月3日) 端午(たんご)(5月5日) 七夕(しちせき)(7月7日) 重陽(ちょうよう)(9月9日)
どれも奇数月の奇数日、
中国では陽の気をもつ「めでたい数」とされていた。
なかでも9は陽の気がきわまる最高の数で9が重なる日を陽が重なると言う意味で「重陽」と呼び、邪気を祓い、不老長寿を願う行事の日とした。
日本では平安時代の貴族の間で「菊の節句」として広まりました。
観菊会を催し菊の花びらを酒に浮かべた菊花酒を飲み一日を楽しんだとか。
中秋の名月
秋を8月の初秋 9月の中秋、10月の晩秋(13夜) といい旧暦8月15日(現在の9月中旬ごろ)=(H27現は9月27日)を「中秋の名月」と言う。
また中秋の名月は単に「十五夜」と呼ばれることも少なくありません。
これは月の満ち欠けを基準にした暦(太陰太陽暦)をつかった旧暦8月15日の月が、ほぼ満月になる為、中秋の名月と言えば十五夜の満月を意味していた。
観月の風習は、古代中国では月は欠けても必ず満ちることから、不老不死の象徴とされ、月には神様が宿っていると信じられていました。
供え物を供えた十五夜飾りをするのはそのためです。
現在では新暦9月9日が菊の開花時期とはずれてしまったこともあり、他の節句に比べて影が薄くなりました。
各地の神社仏閣では現在でも菊供養などの行事と併せて栗ご飯を作る習慣が残っています。
十五夜飾りのしつらい
縁側などに机を置きその上にススキや秋の七草(萩、薄、桔梗、撫子、葛、藤袴、女郎花)、秋の収穫物(里芋、栗、柿、葡萄、枝豆など)と月見団子を飾る。
飾る時の数は収穫物は5種類を各5個または15個づつ、月見団子は15個で三宝に積み上げる。
ススキを飾るのは魔除けの意味があり家内安全の意味。また、神様が天から降りてくる時の目印とも言われている。
27日の夜は月に向かって思いを寄せたいと思います。
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暑い、暑い、蒸すーーーっ!と言って喚いても暑いのには変わりなし!笑 でもーーーっ暦の上では秋!Σ(゚д゚;)
由来も落ち葉の「葉落ち月」実りの喜びと凶作への不安を感じる月だったのでしょう。
今月はお盆行事で先祖の霊をお迎えする月でもありますね。
ここでちょっと「頼みの節句」と「月遅れ盆」「盆踊り」についてまたまた例年同様、書いておきます。...
●「八朔」(はっさく)=「頼みの節句」
人々の想いが今も繋がる行事としては「八朔」(はっさく)(朔とはついたち=旧暦8月1日を指す)
「田の実の節句」を語呂あわせして「頼みの節句」などと呼ばれる。
田の神に五穀豊穣・風水害除けを願うとともに早生の稲穂を本家や知人に贈り収穫の前祝をする風習そのものを意味します。
現在では祭礼としての「八朔」は続いていますが、お中元、暑中見舞いと重なって一般的には「頼みの節句」贈答習慣は残っていません。
例外として花街・祇園では新暦八朔の日に芸子さん、舞妓さんが日ごろ「頼み」にしているお茶屋や芸事の師匠宅へ挨拶回りをする。
●「月遅れ盆」
8月15日を中心に夏季休業に入る企業や商店が多いのは江戸時代商家で始まった「薮入り」と言う習慣の名残です。
お盆のしきたりを時系列で追いながらご紹介
12日:精霊棚(盆棚)供物、お花を用意します。
13日:迎え盆。位牌などを仏壇から精霊棚に移し供物を供えます。夕方の迎え火には麻の皮をはいだ麻幹(おがら)を焚いてお迎えします。
14日~15日:供養。法要や墓参り、会食などを行います。
16日:送り火。迎え火と同様に門口で麻幹を焚いて霊を送ります。
京都の「五山送り火」も大規模な送り火ですね。
また小船に明かりを灯し、供物を載せて川に流す精霊流し、燈籠流しも送り火の一種ですね。
●「盆踊り」
平安時代に僧の空也が提唱した「念仏踊り」が始まりとされ、室町末期に一遍上人(いっぺんじょうにん)が広めました。
もう一つのルーツは菅原道真が讃岐に赴任中(886~889年)干ばつにあい命がけの物乞いで成功。
道真の感謝の踊りを見た法然上人(ほうねんしょうにん)が引継ぎ「念仏を唱えながら踊ると良い」と勧めたもの。
お盆の行事として全国に定着したのは江戸時代、地獄の業苦から開放された霊の喜びを表現している説。
今月はお墓参りに行きご先祖さんに感謝し、毎度お盆休み恒例の中津川「岩寿荘」にいって念仏踊りをまたまた踊りまくって行きたいと思っております。
そして「頼みの月」新暦で今日は皆様に感謝!!何卒、よろしくお願い致します。
七夕、、この月は、祇園祭、ほおずき市、海開きなどいろいろ行事満載!
ここでちょっと、文月の由来や七夕のお話をまたまた復習方々勉強しましたので書いておきます。
文月の由来
●稲が穂を膨らませる時期から「穂踏月」(ほふみ) 含月(ふくみ)が変化したという説。
●七夕が由来という説。
(牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の2つの星に、詩歌を短冊に書いて供えたことから「文月」となった。
●7月は互いに文を出しあって無事を確かめ合う暑中見舞の時期と言う説。
七夕のお話
七夕は正しくは「しちせき」と読み、「桃の節句」「端午の節句」と同様、五節句のひとつ。
日本で「七夕」を「たなばた」と読むのは「棚機つ女」が語源であることは言うまでもありません。
七夕行事は中国と日本のいくつかの伝説と風習があわさってできたもの。
「星まつり」伝説と「乞巧奠」(きっこうでん)の風習です。
星まつりの伝説
●牽牛と織女の話で、あまりに中の良かった二人は仕事をおろそかにしたため神の怒りを買って天の川をはさんで離れ離れにさせられた。
しかしその後7月7日の夜だけは神から会う事を許されたという伝説。
●秋の収穫時に洪水が起こらないよう川の水の神に祈りを捧げる神事が発達したという説。
「乞巧奠」(きっこうでん)風習
織物が得意だった織女星にちなみ、裁縫や習字などが上達するようにと願う風習
もう一つ七夕の行事で、願い事を書いた短冊の色は5色が正式です。
5色とは青、赤、黄、白、黒で木、火、土、金、水の五行説による色を用います。
今月の七夕には、女性らしい願い事を書いてみることにします☆
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宿命で定められた運気が出てきます。しかし己を知らないと旨くその運気に乗れないですね。
手相で自分を知り運気を乗り切っていく。
手相は丘と線を読んで占っていきます。
感情、性格、才能、健康、生き方、金運、結婚、出逢いの時期と。。 その方の手相を通じて過去、現在、未来が解ります。
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手相・占星カルチャースクール毎週月曜日、火曜日、木曜日、随時開講 ご案内
○ 基礎短期コース
4大基準線(生命、感情、知能、運命線)をもとに手相の基礎が一通りわかる、勿論自分の事も、お友達との交流にも見て差し上げることが出来ます。
1回150分 × 4回 (1ヶ月2回の目安で2ヶ月)
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基礎短期コース プラス もう少し奥深く、また他の線も組み入れて授業をしていきます。プロにもなれる道が開けてきます。
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○ プロコース
普通コース プラス プロを目指して高度な技術を身につけていきます。
1回150分 × 12回 (1ヶ月2回の目安で6ヶ月) プラス 3ヶ月(1回150分 ×6回)
当ホームのトップページのプロフィール写真横のメールにてお気軽にお問合せください
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6月は別名水無月(みなづき)
今日から入梅宣言がでましたね^^;
ここでちょっとなるほどと思うことがありましたのでまたまた復習方々書いておきます。
6月は和名では「水無月」(みなづき)、これから梅雨の季節でもあるのに「水がない月」?!
語源では諸説があり、ひとつは旧暦の6月は梅雨も終わった酷暑 の季節で水が枯れ果てたことを表しているという説。
もうひとつは 田植えが終わって 農事が「皆尽きる」との解釈からの説。
さらに田植えが終わって田に水を張るため「水の月」を 「みなづき 」と読ませた、との説もあります。
季節の風習では「衣替え」「時の記念日」また、田植えの季節でもあり、田の神に豊作を願う風習が各地の農村で生まれる「お田植え祭」
京都の伏見稲荷や大阪の住吉大社、三重の伊勢神宮などをはじめ、各地の神社や農村で 伝統的な儀式に則っておこなわれます。
6月と言えどもますます暑さがましてまいりましたが、お部屋の中でも熱中症になる今日この頃。水分補給をマメに摂り元気でこの時期を過ごしたいものですね(^^)
※私のコレクションの京都「傘源」の手書き日傘&雨傘
おはようございます(^^)/5月15日の今日は葵祭り♪~
ここでまたまた「葵祭り」について復習方々勉強しましたので載せておきます。
○葵祭り
京都の上賀茂神社と下鴨神社の祭礼です。
正式名は「賀茂祭」(かもまつり)で時代祭、祇園祭と並び、京都三大祭の一つ。
欽明(きんめい)天皇の頃(6世紀中ごろ)、日本全土で風雨が続き、原因を占わせると賀茂大神の崇りとのこと。天皇は勍使を神社に派遣し、盛大に祭りを行ったらところ、風雨は収まり五穀は豊かに実りました。これが現在の葵祭りの始まりといわれています。
当初の賀茂祭は馬上から矢を射る「騎射」や猪の頭を被って走る「猪頭走」(いのがしら)などが行われる野性的なものでした。
怪我人も出て、奈良時代には朝廷から騎射を禁じる命が出ています。現在のように優雅な姿になったのは、平安遷都がきっかけです。
都の東北にある賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社はもともとひとつだったようです)は「鬼門封じ」の役割を与えられ、社殿は新築されました。
そして賀茂祭は天皇の命で行われる勅祭(ちょくさい)となり、洗練されていった。
江戸時代以降は「葵祭り」と呼ばれるようになりました。
行列のすべてがフタバアオイで飾られたからです。
アオイを用いるのは、別雷神の生誕地に双葉のアオイが生じたとの伝説からで、これを神社の紋章としているためです。
葵祭りの見どこには、なんといっても「路頭の儀」
平安時代の装束に身を包んだ勅使、斎王代(葵祭りの主役)、付き添いの貴族や警護の武士に扮した総勢約500人、牛馬40頭が教頭御所を出発して市内を練り歩き、神社に礼拝をして舞楽を献上します。当日の前にも「前儀」という儀式が始まります。
平安時代の装飾をまとった射手が「イン、ヨー」という掛け声とともに的を射抜きます。
この掛け声は「陰陽」のこと。
陰陽の調和がとれて、五穀豊穣が叶うとされています。