8/24のブログの続きです。
そして、父もまた孤独な人だった。
リーディングしていくと、自分の欲求が何一つ通らない幼少期を送っていたようだ。
戦時中に生まれ、戦後に育った時代背景もあるため、仕方の無い部分があるかもしれない。
しかし、それでも。父が切望したことはすべて
「あなたはね、おにいちゃんなんだから」
という両親からの言霊によって封じられ、素のままの自分を受け入れてもらえず、両親の欲求したとおりに弟や妹の世話をする子供でいなければならなかったようだ。
祖夫母の代、曾祖夫母の代まで遡ってみてみたが、みなさんどこか同じような育ち方をしていた。
気づくと、全員が長男長女である。一番最初の子供というのは、いつの時代でも親の鏡ということなんだろうか。
それを見て、思う。
かつてわたしの両親も、苦しい幼少時代を送ったに違いない、と。
貧しかろうが裕福だろうが、かわらないもの。それは、どれだけ素のままの自分が小さな頃に親に受け入れてもらってきたかどうか。
その後の人生を決めてゆくのは、もしかしたらこの部分に尽きるのかもしれない。
小さな頃の記憶は、大人になると残っていないものである。
しかし、辛かった経験や記憶は、潜在意識という自分自身の深いところの、自分が見なくていい場所に、必ず閉じ込めていると思う。
どんな形であったとしても、親の愛は愛だったんだとおもう。でも、何もわからないほど小さな子供にも意思はあり、喜怒哀楽をきちんとだす。それには必ず、理由がある。
その理由をきちんと聞いてもらいコミュニケーションをとってきたか、ただ大人から見て好ましくないと感じ、子供の意見を聴かずに頭ごなしに抑えられて育ってきたか。
それによって、その人が大人になってからの子育ての仕方が決まるのだろう。
親の世代以前のリーディングをしてみて、心底そう感じた。
そして、愛し方を知らずに精一杯愛した母を、わたしは丸ごと許した。
と同時に、受け入れてもらえずに泣いている幼い母のイメージを、目いっぱい抱きしめた。
こういった負の連鎖を断ち切るには、相当の覚悟が必要だし、相当自分の中の痛い部分と向き合う必要がある。
しかし、全ての流れを把握できたその時に、全てを受け入れてその連鎖を断ち切る事は誰にだってできると、確信している。