天使はいつでもあなたのそばにいます。

私は、そのころ慟哭のときの中に埋没しておりました。全てを失ったように魂は死んだようになっており、何も考えることができませんでした。

ただ、なんで?という質問ばかりが心の中を何度も行き来していました。それは第二子を死産したからです。平成10年のことですから、今その子が生きていれば18歳の美しい青春時代を迎えて意気揚々として未来を見据えていたことでしょう。

十月十日私の中で育った赤ん坊はいざ生まれようと陣痛がきて数時間後にはお腹の中で死んでしまったのです。何が起きたのか分かりませんでした。小さな産院から川崎市立病院へと向かう救急車の中では赤ちゃんはまだ生きていると信じていたのです。でも、やがて処置が終わり麻酔から覚めた私は現実を知ることとなります。

さて、それからは半年ぐらいの間ごみ捨てに外へ出るのも不安なほどに精神的に疲れきってしまっていました。大きな300世帯もある夫の会社の社宅に住んでいた私は、当時内職のあっせん業をしており、社宅の奥様たちに内職の仕事を配っていて、かなりいいアルバイトになったため私に取り入って仕事をもらおうとする社宅の奥様達にとってはかなりの有名人でした。なので、死産を知って周囲はどのような声をかけてくるのだろうかなどと考えると、どうしても心が澱んでしまうのです。何とか内職の仕事は続けていたもののそこはかとなく人生を諦めているような状態でした。

そんな時、長女が泣きながら学校から帰ってきたのです。当時娘は小学校1年生でした。

彼女が言うにはご近所のおばさんに「赤ちゃん生まれたの?」と聞かれて「赤ちゃん死んじゃった」とありのままに答えたところ、「なんて嘘つきな子だ!赤ちゃん死んだなんて!」と言われたというのです。彼女は私の膝にうずくまって悔しさと悲しさがこらえきれずにいつまでも大声で泣いておりました。

その時、このままではいけない!と私は一大奮起、大切な上の娘のために、亡くなった赤ちゃんには申し訳なく想いながらも力強く生きて娘を守らなければっ!と思ったのです。

強くなることでどんなゆがんだ道もやがてはまっすぐに進めるものです。

私のきっかけを作ってくれのはまだ幼き娘の泣き顔でした...。あのときはひどいことをいう近所の人に腹をたてましたが、その気持ちはやがて感謝に変わっていきました。その時の一言がなければ私はいつまでもなんてかわいそうな私!と思いながら立ち直れずにいたことでしょう。

それから占い師になるまでの道のりを徐々に書いていこうと思います。

本日もありがとうございました。感謝♡     癒阿弥(ゆあみ)