スピリチュアルな学び

ドリーン・バーチュ博士の本に出会い、エンジェルセラピーの講座を受け、段々とスピリチュアルに傾倒するようになった私はその後、数々の霊能者のセッションを受けることになります。当時、子供の死産から立ち直るためには何でもいいから取り組んでみようという思いでいっぱいでした。最初にきたのは数々の宗教でしたが、結局それらには何の救いも感じられず、スピリチュアルカウンセラーの言葉が私には救いになったのです。

当時はどこからともなく噂を聞きつけた人が私の元へ来て、宗教への入信や勧誘をされることが多く、勧誘された宗教は8か所。私には宗教に頼りたい気持ちもあったので、色々な宗教の総本山的な場所まで行ったり、教えを聞いたりしましたが、どれもピンとくるものはありませんでした。

むしろ死産した子供は三途の川の片隅で石を積む修行をさせられている、子供を産めなかったお母さんはその子を助けるためにお経を詠む修行をしなければならない、などと脅されたこともありました。果たして辛い思いをしている人にそのような言葉をかけることで救われることがあるのでしょうか。私はのめり込むこともなく、むしろ今度こそはと、叩いた門の中にどれもお金の匂いを感じて嫌な気持ちになるばかりでした。

宗教の誘いは善良な人が本当の気持ちでその人の魂を救いたいという思いを置き去りにして、洗脳により勧誘することで徳が上がると騙されている人たちの集まりでした。1回のお布施の金額を聞いてびっくりして、騙されているのではないかと心配しても、洗脳されていますからその洗脳を解くことは私にはできません。そこから遠ざかるしかありませんでした。そういう人ってたいがい善良で世間知らずでいい人なので、逆にこっちが救ってあげたかったのですが、それもおこがましいですよね。だって、その人たちはそのお布施によって、自分は救われていると心から信じているから、本当に、信じるものは救われるとしか言いようがありません。

そんな私の心を打ったのは、スピリチュアルなセッションでした。ヒーラーさんの個人セッションを受けたり、チャネラーさんの言葉をいただいたり、レイキを受けたり、オーラ療法やヒプノセラピーに行ってみました。

スピの世界には宗教によくある脅しや、しなければならない決まり事などややこしいことがなくて、私には向いていたようで、スピリチュアルカウンセラーの言葉は真実を伝えているように感じられたし、癒されました。そんなことをやっているうちに段々と元気になり、いつしか漠然とですが、私もこのようなことを仕事にして、色々な人を救いたいなどと、身の丈以上の想いを持つようになっていきました。スピリチュアルを学ぶことは実際宗教よりお金がかかる場合もありましたが、私は相応の価値があると思っていました。これもまたひとつの宗教かもしれませんね。でもお金はやはり信じているものに使うのが一番だし、むしろそこに使わなければ無駄金だとおもうのです。そして、私はスピリチュアルカウンセラーの道を目指すことになります。

続く