占い師が語る、占い師の日常から占いの極意まで・・・

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真音(まお)のブログ

もちろん鑑定はちゃんと真面目にやりますが、
ここでは普段の自分に近い、素の真音で書いておりますw

2008-04-09

もう4月か!w

いよいよ4月になって期も変わり、気分も一新しようという気運になってきてますが、
世の中はなかなか鈍く渦巻いているようですねぇ・・・

ホントはここで色々いっぱい書きたいのですが、
毎度のごとく邪魔が入るのは
「書かれたくない」
と思う想念が、猛攻撃をかけてきているからでしょうか?
それもこれもインターネットならではの現象かもしれません。

さて、幾度となくアップしようとしている話題に行きましょう。

土浦の無差別殺傷事件です。
この痛ましい事件の直後に、今度は
ホームから見知らぬ男性を突き落とした事件が起きました。

これは霊能的にみれば、完全に

憑依

と言っていいでしょう。
憑依による殺人事件は実際には、毎月のようにあります。
過去にも似たような事件はありました。
今回は連続したことで、マスコミは
「少年が無差別犯罪を断行する心の闇」
みたいな部分にスポットを当てていますが、
さらに自分が付け加えるとすれば、
これらはすべて

宅間守


と言い切っても差し支えありません。
彼は付属池田小殺人事件の死刑囚です。

死んでいるので、生霊ではありませんが
そのあまりの恩讐に、天に帰ることを拒み、
自縛霊となった存在です。
もし、我々が住む地上が、もっと幸せに満ちており
彼のような想念が棲むには適さない波動だったら
彼も行き場を失うはずなのですが、
いかんせん現代の地上は悪波動に満ちていて、
彼が共鳴できる人間がいるから隠れやすい、ということです。
これがすなわち、今回の凶行に及んだ少年達です。
彼らが求めた救いの声は、世の闇にかき消され
結果的に世の中すべてを恨むに至った、と。

彼らは本当であれば、自分達を不条理の檻に押し込めた
肉親達を恨んでいたのですが、その惨状を見てみぬ振りした
他者にも、その恩讐を向けました。

特に宅間は、自分が幼い頃に憧れた幸せな家庭に住む
幼い命を奪うことで

「お前らも同罪だ」


と言いたかったわけです。

さて、ここまでを表記することは良いのですが
自分も立場上、彼らの意見を聞くことは出来ても
許すわけにはいきません。

まったく、3回も4回もアップの邪魔をしやがってw
甘えるのもいい加減にして欲しいもんです。

彼らは神の裁定のよれば

魂ごと消滅


という裁定結果を知っていますから、激しく抵抗しています。
隠れ蓑になる人間、憑依出来る対象があれば
彼はいくらでも神の手が及ばない場所に潜むことが出来ます。
神々は肉体を持っている、本来の宿主を憂いますから。
まぁ、汚いやり方ですねぇ。やはり。

では、一見無関係に見えても、ある日被害者にあるかもしれない我々は、
こういった現象に対してどう対処するべきでしょうか?

これは結局

「人に優しく」


という、ありきたりな言葉に落ち着いてしまいます。
荒んでいる人を見たときに、どういう言葉を投げかけてあげられるのか?
感情の行き場を失っている子供に、
社会通念上の話だけをしていても埒があかないでしょう。
誰のためでもなく、自分のために自分の才能を開花させるべき、と
答えてあげるしかないでしょうね。
なによりも利己的な考え方を両親が持っていては、
子供はぐれる一方です。当然に帰結です。
もし、あなたの息子や娘が憑依されたら?ということを
考えたら、いかに守っていくべきかをおのずと考えるでしょう。
殺人者を死刑にしても、場合によっては断罪できないのです。
それくらい、人の魂は思いによって強くなれる、という
逆説的な証明とも言えます。
これが、本当に愛情に根ざしたパワーなら、どれほど
凄いことが出来たでしょう。

さて、冒頭で「生霊ではない」と書きましたが
生霊が憑依して、様々な事件を起したケースも存在します。

宮崎勤


です。彼の場合も機会があれば、いつか紹介します。
Posted by maoh at 16:48:13Comments(0) │その他
2008-02-22

毒ギョーザとイージス艦

いやあ、もうイージス艦のおかげですっかり
毒ギョーザが過去の話
みたいな気運になってますねぇ。
もちろん大事故ですから、それはそれで大変なことなんですけど・・・

さて、結論だけ言いっぱなしの毒ギョーザですが。
いろいろ霊視をしていると、見えたり聞こえたりするのは

「たぶん、死にはしないはず」
「こんな工場、日本の政府に怒られてしまえばいい」
「こんな値段でギョーザを買える人々なんかに自分達の気持ちはわからない」


みたいな台詞が出てきます。
反日感情を糧にして伸びてきたと言われる中国ですが、
今や共産主義から中途半端な自由競争主義になりつつあります。
ついこないだまで、毎日ちゃんと働けば
それなりに給与が保障されていた人々が、
今や夢も希望も無い、まさに絶望の淵に立っているようです。
子作り制限の為に、たった一人しかいない子供に
自分達の老後をすべて委ねなければならない強迫観念と、
大学まで進学させるのにかかる費用のバランスが
まったく取れていないのでしょう。
今の中国では、親が子にとことん尽くすしかないのでしょうが、
それも実際にはやはり歪んだ親子関係と言わざるを得ません。
ただ、それでも同情をせざるを得ないのは
あまりにも彼らには選択肢が少なすぎるということです。

何よりも中国の家族の幸せのあり方が極端に収束された状態で、
この辺りが共産主義の難しい部分でもあるのでしょう。

そういった中で、今回の事件は民衆の
「もうこんな終わりの無いレースみたいなのはごめんだ」
という、

体制に対する反発
会社に対する反発
経済格差に対する反発(特に日本)


が爆発したものと言えます。

同時に、これがもし一般大衆の集団犯罪だという
事実が発覚したら、それはそれで大変なことなので、
最後の最後まで、本当の真実は出てこない可能性が高いです。

ちなみに、自分がみた限りでは
ダンボール肉まん
は、報道関係者の捏造ではないんですね。
あれも事実が隠蔽されたと見ています。
少なくとも、
肉を水増しするためにダンボールを入れる
というアイディアは報道関係者から出たのではなく、
製造業者の発想です。
おそらく本当に流通・販売していたと思います。

反面、

証拠隠滅、事実捏造したかったイージス艦

は、そうなりませんでした。
ここに起因するのは、霊能的な見方で言えば

御巣鷹山の日航機墜落事故


ということになります。
あの時と同様、自衛隊の人為的ミスを隠蔽することを
墜落事故で亡くなった霊たちが許さなかったのだ、
と自分は見ています。
もちろん、神も。
Posted by maoh at 01:03:21Comments(0) │霊能って?シリーズ
2008-02-12

今年の気

いよいよ旧暦でのお正月を迎え、
新しい「地球の波動の傾向性」とも言うべき
今年の気が明らかになりました。

鑑定を受けていただいている方には、すでにお伝えしている通り、

今年は火の気


となります。

去年は水の気ですから、まさに正反対になりましたね。

これを乗り切る方法はいくつかありますが、
去年の水の気よりも、対処しやすい人が多いみたいです。
要は「直感勝負」
これまでの経験と判断力をフル動員させて
瞬間で突きつけられる選択肢を即座に解答していく
まさにギャンブルのような気
です。

まさに火の気であるという兆候が、この3日間にありました。

ロンドンのカムデンマーケット
ソウルの南大門


この二つが業火で焼け落ちました。
これはすなわち

あなたたちの思い出に満ちた印象的な建物を
一瞬で燃やし尽くしてしまう。
それくらい、
すべてを賭けてのぞむか
あるいは賭けから降りるのか
もしくはすべてを失うのか

みたいな事を迫られるということです。

なぜこの二つの建築物が消失したのか?というのは
残念ながら、そこにあった波動が

どよーん


としていたからに他なりません。
そこを愛している人々の愛情の結界が砕けてしまった
からです。

そして、これは前回話した
「毒ギョーザ」
の一件と関連性があります。
Posted by maoh at 20:47:50Comments(9) │霊能って?シリーズ
2008-02-07

ギョーザですけど

いやぁ、今年一発目のブログが2月になるとはw

なんだかずいぶん、サボっててすいません。
正直、書くことはいっぱいあるんですけど、
まとめている時間が・・・

いやいや、言い訳はこの辺にしておいて

とりあえず、今もっとも親近感のある話題にふれてみましょう。

「毒ギョーザ」


もうね、このネーミングセンスですでに脱帽ですよ。
ものすごいインパクトがあります。
どこの新人お笑いコンビなのかと思うくらい。

そもそも口に入れる食品に対して、
決定的な恐怖感が存在する今回の事件において、
どうしてこれほどキャッチーな名前にになったんでしょうか?

「農薬混入ギョーザ」
ではなかったのは、なんででしょうか?

もちろん、マスコミの鉄則でもある
「文字数制限(短いほうがまとめやすい。ラテ欄は特に)」
もあるでしょうし、
もちろんキャッチーな方が紙面も文面も映えます。

が、しかし・・・
この奇妙な曖昧さがすでにゆるいんですね。
この空気感が、世相を表しています。
もし、農薬会社や農家に気配ってのことなら
世間の中華料理屋には気遣いはないのか?とも思います。

元来、人間が食事をする、
厳密に言ってしまえば

捕食という行動


は、常に一定の危険性が伴っています。
ありとあらゆる食物には、採る際にリスクがあります。
森で動物を狩るにもリスクがあります。
山菜を摘んで食べるにもリスクがあります。
海へ釣りにいくこともリスクがあります。

これはすなわち、地球が確実に有しているシステムなんですね。
それをより安全に豊かに、という目標をもったときに
それらは文化に発展しました。

が、しかし人間がいくら発展に力を注ぎ、
安全な毎日という未来に夢を馳せたとしても、

「毎日美味しいご飯をいただける幸せ」


に対して感謝がなければ、
何度でもこういった事故は起こるでしょう。

狂牛病も
鳥インフルエンザも
食品偽装問題も
毒ギョーザも
神の視点からみたら、同質です。

どれも人為的なミスなんですね。
故意か過失か偶然かは、この場合関係ありません。

ですから、これはやはり大事な警告と見るべきなんです。

まぁ、霊能のくせに能書きばかりと思う人もいるでしょうから、
ここからはみなさんが知りたい
「事件の真相」
に迫ってみましょう。

一切の現実的な裏づけもありませんし、
不特定/特定の個人・企業を非難するつもりもありません。
ただ、そこにある波動と残像思念を追ってみたら、
というだけのことですが・・・

これは不特定多数の故意によるもの



となります。

つづく
Posted by maoh at 18:04:41Comments(2) │ひとりごと
2007-12-21

予知夢とは何か?

年末の割には、なんとなく手が空いてたので久々にテレビを見ました。

予知夢による預言者ジュセリーノさん。



うーん、興味深いですねえw
番組でも見てわかるとおり、この人はいわゆる本物です。
愉快犯でもなく、知能犯でもありません。
自分の予知夢に基づいた警告書を各政府機関や個人や企業に
証書をつけた公式文書として送付しているんですが、
ほぼ毎日のように予知夢を見るといいます。
それらをいくつか紐解くと、見事なほどに未来に起きる
事件を明瞭に予知しています。
それを毎日のように文書として、各方面に送っている日々なわけです。

そして、見事なほどに相手にされていませんw
相手にされていない、というよりは対応出来ないと言うべきでしょうか?

ここでみなさんが疑問に思うであろう
「なぜ預言は当たっているのに、事件、事故は未然に防げないのか?」
「なぜ日付までほぼ正確に言い当てているのに、自然災害の被害は減少しないのか?」

を考えてみたいと思います。
テレビを見た人はお気づきかと思いますが、
彼は預言が当たる外れるに関して、まるで無頓着なほど
執着していません。
「ほらだから預言したとおりじゃないか!」
とも言いませんし
「外れたからって自分の予知夢が偽者とは言えない!」
みたいな、感情の乱れがありません。
淡々と見えたことを文書にしたためて、送付していきます。
例えば、9.11のワールドトレードセンターの様に
「ビルが破壊され、人がたくさん死ぬ」
とまで書いておきながら、
彼自身はその現場に言って
道行く人々に警告を与えたり、止めたりしません。

ここら辺が、見ている人が不思議に思うことではないでしょうか?
神から予知能力を授かったにも関わらず、彼の予知夢から示された
起きるかもしれない大災害を、誰も回避しようとせず、
本人も傍観者を決め込んでいるように見えます。

意地悪な人なら
「予知夢が当たっていることを証明するために、そのまま結果を見ている」
と考える人もいるでしょう。

これらに関して番組では公開していない部分があるので
頑張って補足してみようかと思います。

自分は番組中にテレビのモニターを見ながら、
ジュセリーノさんにコネクトを試みているので、
細部が違っていたら、ごめんなさい。
大まかには間違っていないと思います。

まず、彼は御自身で語っているように、あの能力を
神から授かったわけです。
彼自身は確実に理解していると願いますが、
予知夢の能力を私利私欲に使ったら、
99%その能力は神から奪われるはずです。

(最近、能力を奪われちゃって困っている人もいますが)

神は彼に対して
「使徒として世界へのメッセンジャーであれ」
という大儀を仰せつかっています。
国家のリーダーになれ、とか
NPO法人を立ち上げて行動せよ、などとは
言われていないでしょう。
メッセージを聞いて行動するか否かは、民意に任せておくべし。
ということなのだと思います。
これはすなわち、現象一つ一つに対して
そこに遭遇した人々すべてに「学ぶ」チャンスを与えるためです。

未然に事故を防いだら、多くの命は救われるでしょう。
しかし、災害も事故も因果として理由があります。
とくに自然災害は「神の意向」で起きることがほとんどです。
その対極にある「生きている人間の悪波動」が台風や
地震を起すことはありえません。
それらは神の管轄化にありますから。

しかし人間のエゴは
「自分たちも神同様に自然を支配出来る」
と本気で勘違いしているので、それに似た現象が起きます。

ビル災害、火災、暴風雨

などです。
人的災害は特に「怒り、妬み、恨み」などの想念が
大きな渦になって起きます。
ですから、9.11もイスラム系民族紛争の悪意が
それを可能にしていましたし、
直接行動したのは少数でも、
アメリカに対する強烈な敵意が固まりとなって
それを可能にしたとしか言い様がありません。
そして、恨まれるには理由があるわけです。

さて、ジュセリーノさんの話に戻りましょう。
彼が預言をいただくのは、大抵10数年後に起きる
出来事です。
これは因果の基点が出来たタイミングに間違いないでしょう。

例えば、地下鉄サリン事件も彼は予知していますが、
それを予告したのは、さかのぼる事10年以上前です。
その時に、圧倒的な悪意の芽が吹き出たことを
神々が感知し、彼に託したわけです。
当然、その悪意も勝手に生まれるわけではありません。
宗教の自由を逆手にとって、日本で宗教法人が好き勝手に
巨額のお金を集めだしたタイミングと重なるはずです。
要は、その国に住んでいる民衆すべてが、まともな感性なら
警告を発してもおかしくないような出来事が基点になるわけです。


これは長崎市市長殺害事件も同様です。
彼が警告を与えたとき、長崎市は10数年後に起きる
市長殺害事件に関して、準備できるわけがありません。
日付まで正確に言い当てていたとしても、役所の職員にとっては
誰の管轄なのかさえ、定かではないのです。
しかし、暴力団に銃殺されるような因果を市議会が
結んでしまい、市民の知らないところで汚職が始まったのは
このタイミングなわけです。
役所の職員は、この汚職には対応出来たはずなのです。


ではなぜ、10数年という年月をかけて因果は果たされるのでしょうか?
これは神の視点からすれば

「気が付いて行動すれば回避できる猶予」


ということに他なりません。
だからジュセリーノさんも

「未来は変えられる」


と発言しているわけです。
彼は他者の因果に首を突っ込むほど愚かではない、ということなのです。
当事者が気付き、成長し、学べる機会を奪う必要がないわけです。

当然のごとく、イスラムの民衆を戦争に抱き込んで
兵役させ、自分たちは安全な場所から指示していれば
アメリカは報いを受けるわけです。
自分たちの戦争ですから。

ワールドトレードセンターで死亡した人々は
それを悲観し、自らの命を捧げてまでも
生きている残された人々に、本当の愛情を知るきっかけを
与えたに過ぎません。

同様に
アメリカ・イスラム間で渦巻いていた悪意の連鎖を
身をもって止めたかった人々
、という事なわけです。
単なる可愛そうな被害者、ということではないのです。
すごく尊い魂の決心がもたらした結果なわけです。

ちなみに真音には、もちろんジュセリーノさんのような
予知能力はありません。
きっと、もし自分が持っていたら我慢できないからでしょうねw

毎晩悪夢に近い悲惨な予知夢を見てもなお、
ジュセリーノさんのように達観していられるだろうか?
と思うと気恥ずかしくもあります・・・
それくらい、彼は民意を心から信じているということでもあります。
自分はきっと言いたくなっちゃうw
「お前ら死にてーのか!」
みたいな・・・
あぁ、反省w

興味があるようでしたら、次回はこれに当てはまらない
アイルトン・セナの場合を書きたいと思います。
Posted by maoh at 02:08:53Comments(3) │霊能って?シリーズ
2007-11-27

魂と肉体の関係はドラクエに似ている

いよいよ師走も近づいてきましたね。
さて、今日はいつかここのブログに書こうと思ってたネタです。
ネタなのか?w まぁネタでいいか。

みなさんの中でもTVゲームをやったことをある人は多いかと思います。
ニンテンドーDSなんかは特に、
国内で2000万台を突破しているハードですから
遊んだことがあるでしょう。
(国民の10人に一人は所持している計算です)

人気のソフトは様々ありますが、今回はその中でも

ドラクエ


について、話したいと思います。
ご存知ない方に簡単に説明すると、これは
ある日、「勇者の子孫である」と告げられた少年が
世界を暗黒に包む「竜王」を倒しにいくという話です。
あなたが動かすのは、この「勇者」
もちろん最初は弱く、装備も心もとないですが
魔物たちを倒していくことで経験値を獲得、レベルをあげていき
徐々に使える魔法より強力になり、
力も強靭になるので刀で斬る攻撃も強くなります。

行く先々で困っている村人たちを助け、問題を解決していくことで
その世界の人々から「勇者さま」と崇められていきます。

魔物を倒したり、洞窟を踏破することで所持金を増やし、
より強力な装備を手に入れていきます。


この一般的にロールプレイングと呼ばれるゲームの種類は
日本では圧倒的な人気を誇っています。
もちろん秀逸な物語にぐいぐい惹き込まれていくから、
というのもありますが、何よりも
「戦うことで成長を実感していくゲーム」
という、コツコツやれば誰でも強くなり
その手応えを感じることが爽快感になっています。
レベルが一つあがった途端に、新たな呪文を覚え、
それを使うことで、それまで苦戦していた敵が
あっさり倒せるようになったり、
洞窟で見つけた剣を装備したら、それまで与えてたダメージを
軽く超えるようになったり。

労力はすべてダメージという数値で報われ、
例え冒険の半ばで尽き果てても、勇者は教会で息を吹き返し、
もう一度レベルをあげてチャレンジしなおすことが出来るわけです。
これはすなわち現代社会の理想的な人生そのものであり、
現代人の根源的なストレスを見事に逆説的に現しているように見えます。
これが日本を「ロールプレイング大好きな国」にした要因でしょう。
頑張れば、それはすべて報われるわけですから、
報われやしない現代社会では、非常に達成感があるわけです。

さて、ここまでは様々なところで書かれてきたことですが、
今日の本題はここからです。

こう仮定してみましょう。
画面の中で一生懸命に奔走している、「勇者」は実はあなたの肉体です。
テレビ越しに「勇者」を操作しているあなたは「魂」です。
勇者に自分で名前をつけ、冒険の指針を決定しているのは
魂であるあなたです。

コントローラーを使って自在に「勇者」を操作し、
行きたい所へ赴き、話したい相手と話す。
ゲームの世界では、操作方法さえ間違えなければ
それらはスムーズに行えます。
それでも、冒険に伴う難解な謎解きは自分で試行錯誤しなくてはなりませんし、
現時点では倒し切れない敵や、まだ開けられない宝箱は
数多く発見されます。
しかしレベル上がったり、強い装備を手に入れれば
難敵でもいずれは倒せますし、
開けられなかった宝箱は、場所さえ忘れなければ
いつかは開けて中身を見ることが出来ます。

が、しかしです。
魂が不都合や苦痛を感じるような「勇者」だったらどうでしょう?
西にある村に行きたいのに、まるで違う方向に進んでしまう。
今、この敵と戦えばちゃんと勝てるのに逃亡してしまう。
一度、「この呪文は利かない敵だ」と学習したにも関わらず
何度も同じ呪文を唱え、結局不利になっていく。


ゲームだったら、それを面白がる人もいるかもしれませんが
大抵は苦痛を感じるでしょう。
面白がれる人がいたとしても、それは
「あざ笑う対象」
として見てしまい、自分の分身とは決して思わないでしょう。

でも、鑑定しているとこういう「困った勇者」は
けっこうたくさんいるのです。
魂に素直になりなさい
と口だけで言うのは簡単です。
その方法も中々掴めないでしょう。

波動が落ちて、何をやっても虚脱感を感じる人は
一度自分自身と向き合う覚悟をもってみてください。
本当にやるべきことを、してきたか?
救うべき村人を見過ごしてないか?
今の自分にあった敵を倒しているか?
耳を傾けるべきメッセージを見落としてないか?

そして何よりも

「自分が倒すべき竜王を探そうとしているか?」


あなたの人生で存在する竜王は、人それぞれです。
自分のパラメーターを見て、どこが秀でているのかを
ちゃんと理解しているか?
どこの部分の数値が伸びているかを把握しているか?
思うように戦えない自分をめんどくさがったり
放棄したりしていないか?

魂も虚脱感に見舞われ、分身である肉体への愛情が
感じられなくなったら、
「勇者」はひたすら足踏みをしたまま、画面は変わりません。
肉体がゲームの電源を切りたくなるとき、というのは
すなわちこういう時なのです。


しかし実際のゲームと違って、そのスイッチを切ったら
神は二度とあなたに新たなゲームを与えようとはしません。
どんな形であれ、クリアして終わると言うのが神との約束であり、
それを誓ったから、我々は肉体を授かったのです。


うーん、今日は堅苦しい話になってしまいましたねえw

P.S.
明後日よりしばし、海外へ出張に行ってきます。
1週間ほど電話での鑑定はお休みさせていただきます。
メール鑑定は受け付けております。
よろしくお願いします
Posted by maoh at 02:23:17Comments(0) │霊能って?シリーズ
2007-11-13

ニュータイプは存在するのか? 2

さて、いよいよ冬至もすぎて本格的な冬です。
日本の季語に

「ドラクエ=年末・お正月」

を入れても
いいんじゃないかとおもう真音ですがw

非常に多くの方から好評だった

ガンダム

の話をば・・・
はい、まったく興味が無い方は読み飛ばしてくださいましねw

霊能的に見て、「ガンダム」というか
「1年戦争」は違う宇宙で起きた実話ではないか
という話を前回にしました。

ちょうど、月刊ガンダムAの最新号に安彦先生が
インタビューで
「当時、そこまで考えていたわけじゃないですけど、
不思議とつじつまが合うようなことが
ガンダムではいっぱいあるんですよ」

と発言しています。
製作していた79年当時は、まるでそこまで計算したわけでも
シナリオに必要だったわけでも、
監督から具体的な指示が無かったのにも関わらず、
最終的に背景も含めた設定が事細かに決まっていたかのように
つじつまが合っている不思議。
そう当事者である安彦先生は語っているわけです。

具体的な事例は各先生のいろんなインタビューを
見ていただくとして、
自分がこの物語に強く確信を持てる部分は
「ニュータイプ」の存在です。
劇中ではニュータイプは
「エスパーのようなもの」
「人類の革新」
「空間における他者の意識への認識能力の拡大」
「物事のあるべき姿を察知出来る人」

などという、マニア以外はてんで理解不能な設定です。
場合によっては物語を脚色するときに都合良い
「なんでもありな存在」
という見方もされたりします。

要は、普通の少年だった主人公のアムロが
いきなりマニュアルを拾っただけで、ガンダムを動かせた。
これはニュータイプだからだ、という。

こういった部分や、つじつまあわせに
ニュータイプという存在を便宜的に使われたというのは
決して間違ってもいないでしょう。

だがしかし。

自分が着目するのはアムロが初めて、他のニュータイプと
本格的に接触・交戦したララアとの関わりです。
(この当時、他からの評価はともかく、シャアはまだ
ニュータイプとしては覚醒してませんでした)
(同じくシャリア・ブルはお互い敵はニュータイプらしいと認識しても
個人として認識しあっていません)

いやぁ、ガンダムの話になると理屈っぽくなっていけませんねw

んで、アムロが初めて他者を「同類」として求め合ったのが
ララアであり、
これまで戦争という状況下で、敵兵をいくら殺しても
「これは戦争なんだ!」
と、自分に言い聞かせていたアムロが、ララアを撃破した瞬間に
「取り返しのつかないことをしてしまった」
と戦闘中にも関わらず号泣します。
これまでも、あっさり敵兵をあの世に送ってきたアムロが
生命を奪うと言う意味では、
とっくに取り返しがつかないことを繰り広げてきたにも関わらず、
なぜ、アムロはララアの死を大きな喪失感として
受け止めたのでしょうか?


「愛していたから」
というには、あまりにも二人が直接接触した時間は少ないです。
「一目惚れだった。」
という言い方は語弊がありますが、
要は自分の欠けたピースを持ち合わせていた人で、
それはもうかけがえのない存在である、といえるほど
その時のアムロはニュータイプとしてのみならず
一人の人間として、孤独だったはずなのです。
しかし、ララアだけは自分と同じく
戦争という得意な状況下で初めて、他者から
「存在意義」を見出されたわけです。
つまりは「戦争の道具として非常に優秀」という。

これは鑑定をしていても、よく散見されることですが
「執着を越えた男女の結びつき」
には、

複数の酷似した人生経験・価値観・置かれた背景


というのものが、たくさん出てきます。
鑑定で
「あなたたちはここが似ているんです」
と、惹かれあった理由を説明することがあります。
それは出会った時に共鳴出来るように、同じファクターを
もって進んでいるから、起こる出来事も似通るのです。
あの世で再会を約束した人間同士は特にそういう共通点を持っています。
これは男女に関わらず、親友や同士にも言えます。


単なる機会好きだった少年が連邦の白い悪魔と呼ばれ、
孤児だった少女が適正を見込まれ、研究所に送り込まれたあげく
パイロットとして初陣から左官扱い。

当然、この二人には一般的な兵士たちから
「アイツは自分たちとは違うのだ」
と識別されます。
そういう描写はシリーズにも出てきます。

その二人が、一度会話を交わしただけ、
次に会ったら戦場で敵同士だった。
そういった中でお互いのすべてを分かり合えるのか?
ここがある意味、非常に霊能的なんですね。

エスパーよろしく、二人は二人の想念で会話をします。
「あなたは守るべきものも、守るべき人もいないのになぜ戦うの?」
そうララアはアムロを諭します。
「だったら、戦ったらいけないのか?」
とたずねるアムロに
「それは不自然なことだわ」
とララアは返します。
もちろん、アムロには両親がいました。
守るべき家族と言えば両親や、幼馴染のフラウをさすはずです。
しかし、アムロの心に彼らは存在していないことを
ララアは見抜きます。
(すでに父親のテムが事故死しているのをアムロは知りません)

そして
「あなたが来るのが遅すぎたのよ」
とララアは自分を先に見出してくれ、救ってくれたシャアに対して
献身的に戦っていることを吐露します。
彼が望むのであれば、傷つくことをいとわない。
これは多少強引に見方をしてしまえば、

無償の愛の一つの形

ともいえます。
というか、こういった愛情を基準に戦う人間は
このララアとククルス・ドアンだけでした。
この二人は
「どうしても失いたくない人がいるから、兵器を手にする」
わけです。

この二人に出会ってもなお、アムロが明確な形で

「真実の愛」


を知るのは、まだまだ先の話です。
というか、知らずに死んでしまうのですが・・・

少し話がそれましたね。

アムロがララアを撃破した瞬間、二人は
「時が見える」
と確認しあいます。
これ超時空で、実際の時間軸とは違った空間で接触したともいえますが、
現実に振り返ってみれば魂が触れ合った瞬間に酷似しています。
(これは普段、みなさんも行っていることです。
それがあったことを知覚していないだけです)
同時に死にゆくララアは、これまでの人生に終止符を打ち、
次なる再生に向けて、過去世を開いて見た瞬間ですから、
彼女にとっては前世やその前々世で、自分が何をしていたのかを
知った瞬間なわけです。
だから、彼女にはなぜアムロが現れたのかを
この瞬間は明確に理解したと言えるでしょう。

みなさんも、将来肉体を失ったときに知るんですね。
なぜ、この人と出会ったのか?を。
そして、自分の過去を知り、現世での役割を改めて知るわけです。


ただ、アムロはまだ肉体を持った状態、
彼女は肉体をたった今失った瞬間ですから、
その空間において認識の量がまるで違うわけです。
しかし、想念の交差という意味ではアムロは
三途の川の一歩手前の世界をのぞき見たということです。


これ以降、アムロはニュータイプである孤独感を
より一層、前向きに受け止め始めます。
孤高で他に類を見ない存在であることを自覚するのです。
まぁ、ここからが彼の個人としての本格的な苦悩が
始まるんですが・・・

さて、機会があれば次はシャアの話を書こうかと思います。
Posted by maoh at 05:29:05Comments(2) │霊能って?シリーズ
2007-11-04

鬼が笑う

ずいぶんと寒くなってきました。
思えば今年は「水の気」だったせいか、
ホントにいろんなことがあったように思えます。

いや、まだ2ヶ月残ってますけどね



寒いとつい人間は考え事に没頭しがちです。
これは単なる生理現象みたいなもんでしょうけど、
この時期に人が考えることは
「今年はこんな年だった」
「あんなことやこんなことがあった」
みたいなことでしょう。
ここにちょっと現実的なことや将来への不安が入ると
「年末のボーナスってどんくらい出るんだろう?」
「来年もうちの会社は業績悪いのかな?」

みたいな要素が入ってきます。
こうなると人は一気に

どよーん

としてきます。

「来年の話をすると鬼が笑う」


こういう意味だったんじゃないか?という
気がしてきますねw
人間が不安に襲われれば、鬼は喜ぶということです。

まだ今年の間に出来ることがある、と踏ん張るもよし。
流れを見極めてリスクとカロリーを少なく乗りこなすもよし。
ただ時間が過ぎ去るのを待ちながら、ガマンするもよし。


いずれにしても、長かった「水の気」の神様が最後に
人間たちに「選択の余地」を与えてくれています。

今年はずっと寄せては返す波のように事象は流れ、
人間はそこに浮かんでいる木っ端のように
視点がまるで定まらない日々だったでしょう。


そういった中で自分を見失ってなかったか?
異質で掴みどころのない変化を続ける周囲の中で
みるべき方向を間違えていなかったか?

それを己に問うてみる瞬間と言えます。

そこにある「チャンスのような出来事」を掴むのか?
それとも、惑わされているとしてスルーするのか?


判断するのは御自身です。

開けてビックリ玉手箱

ですから、

金銀財宝魑魅魍魎


その結果をみて、今年の自分が間違っていなかったのかを
知ることが出来ます。

ちなみに小沢幹事長は、
開けたら化け物が出ちゃった
ということなんでしょう。

連立が成り立てば、彼は一躍時の人を福田総理以上に
勝ち取ることが出来た

という夢を見たんでしょうね。

夢は儚いってことでしょうか?
さあ、あなたの玉手箱はどっちでしょうか?
Posted by maoh at 23:45:55Comments(2) │霊能って?シリーズ
2007-10-30

裏切る人、裏切られる人

なんだか、金八先生の主題歌みたいですねえw

いやいや、最近ふと気がつくと多いんですよ。

「どうせ、裏切られるから気を許せない」


という感触を職場に感じている人が。
まぁ職場全体とはいかなくても、特定の個人とかも含めてです。

そういう人たちを霊聴すると、たいがい

「信じてたのに」
「やってくれると思ったのに」
「絶対にアイツに伝えたはずなのに」

という声が大きいんですね。
これは職場でのセクションが違う、ポジションが違う
人間同士の仕事上での摩擦です。
もしくは、プライベートな内容も含めた秘密の漏洩とかね。

んじゃあ、真音ではなく、一人の社会人・経営者としての
意見を言ってみましょうか

お前の詰めが甘いんじゃw



職場でのスムーズな関係は、
コミュニケーションがまず肝要と言われますが
要は伝言ゲームなわけです。
伝達に使うのが、文書や口頭よりも
メールや携帯になった、このご時勢において
「ついうっかりの連絡ミス」
とか
「伝えたはずなのに間違ってる伝達ミス」
は減ったでしょうか?

絶対に増えてます。



それは伝える側のリスクヘッジの為に
伝達ツールを使っているからなんですね。
例えば何か業務上の問題を発見したとします。
原因は自分のミスではなく、チームのミスだとしましょう。
それを発見したのが、就業時間を越えた夜だとしましょう。

「やべえ、こりゃあ上司に報告しなきゃ」
「自分だけじゃ判断出来ないなあ」
「なんだよ、留守電かよ。とりあえず簡潔にメッセージ残しておけ」
「報告書に書かれるから、メールでも詳細を書いておくか」


こんな感じでしょうか?
まぁ一般的な会社での通常の処置方法に見えます。
ところが、です。
これを上司の立場で変換してみましょうか。

「なんだよ、接待中だったのに留守電入ってるな」
「なんだか慌ててるなぁ、そのくらいお前らで何とかできないのかよ」
「コイツまた留守電に肝心な部分が入ってないよ」
「なに、メールで詳細を送っただと? 今からオフィスに帰るのかよ!」


これがそれぞれの本音です。
これってコミュニケーションでしょうか?w
ミスの原因と罪のなすりつけあい、とも言えますし
何よりも、これじゃあ業務に支障があるほど想念が
悪くなります。
これが会社ってもんだし、みんなそんなようなもんだ。
これも一つの真実でしょう。
が、しかしこれでは個々の本領を発揮するよりも
平均点の追いかけっこにしかなりません。

なによりもタイトルにあるように、お互い

「裏切られた」


って感触がすごく残るんですね。
言葉通り、裏切ったわけではないので言葉にはしません。
しかし、
「部下を信頼出来ない」
「上司の言動・行動を信用できない」

という感慨だけが残りがちなわけです。

だって、
部下は言われた通りに報告している。
上司は基本に則って対応している。

という主張は間違っていないのに、

「なんでオレがまだ働いてるのに、上司は留守電なんだ」
「なんで部下は自分で考える前に、報告して終わりにするんだ」


という感情ばかりが走っていく時間が確実に、しかも
就寝する前の時間、つまり魂を安らげるべき時間に
圧倒的なイライラを感じるわけですから。

これは、誰しも他人を恨みたくもなるでしょう。

んじゃあ、どうすればいいのか?
実はすごく簡単で、
いま一番困っている人をまずフォローする。
と発想すれば良いんです。

「こりゃ大変だ、オレがとにかく大変だ。」
「今、この界隈で一番困った事態になってるのはオレだ」


この基点が、そもそも間違っているんですね。
誰の為でもなく、チームのために

「こりゃあ、明日うちの上司は大変だぞ。なにが出来るか同僚を捕まえてみよう」
「すまんな、接待で携帯が切れてたばっかりに部下を大変な思いにさせたみたいだ」



こっちに持っていけりゃあいいんですね。
裏切られた、という経験はチームを失速させます。
難局をチームで乗り切ったという経験は強くさせます。
ここに損得やら保身を持ち込めば、確実に
「裏切り」
はあなたについてきます。

最近の政治家や、ボクサー一家をみたら解りませんか?w
Posted by maoh at 02:45:29Comments(0) │ひとりごと
2007-09-28

ニュータイプは存在するのか?

ここんとこ、やたら電波なことばっかり書いてましたのでw
いよいよもっと突っ込んで身近な話題にいってみようかと。

はい、ガンダムです。


(ガンダムが身近ではない方々、読み飛ばしてくださいましね)

バンダイのお偉方いわく
「ガンダムがある限り、うちは絶対に潰れません」
と豪語したのを聞きましたが
(コレ、本業で聞いたホントの発言ですよ)
そういう幻想も事実じゃないのか?と思えるほど
商品としてのガンダムは
すでにとんでもないレベルにあります。
もちろん、多くの人々に愛されてきたからなわけですし、
何よりもこれだけ多くの派生を生んでもなお、
まだまだ増殖を続け、飽きられることがない。
その本当の理由は
作品性や商品価値、というよりも

「あれは神のデザインである」


という帰結の方が、よほどしっくりきます。

まぁ、そう聞いて怒る人もいるでしょうなぁ・・・

でも、白亜の騎士赤い単眼の巨人
違う世界で現存した伝記の登場人物ではないか?
とも霊能的には思えるわけです。
少なからず、
モビルスーツのような乗り物で戦争した世界
ってのは、あったとしか言いようがないんですね。

うっわー。またもやおかしな事書いてんな、オレw



いやまぁ、違う宇宙での話ですからね。
4本足のたこみたいな宇宙人よりも
シャアみたいな革命家になりそこねた男がいたって
方がよほどスッキリするじゃないですか。

だから、思うんです。
コレを作った富野監督(安彦先生、大河原先生もかな)が
「自分の脳みそがひねり出した空想物語」
だと思ってしまったら、これは悲劇ですよ。

だって、違う宇宙で起きた本当の話を、
コネクトしてきただけだったとしたら?
また、ああいう作品を作ってくださいと
云われても出来るわけがないですよね。

いやいや、それを彼らに託す、というだけで
相当光栄な話でしょう。
だって人類の半数以上が死滅した戦争での
戦死者の霊が彼らに英雄伝記として託したわけですから。
彼らの壮絶な独立戦争と、そこにあった数々の
逸話を違う宇宙の人々に伝えて欲しい。
そうすることで、戦死者たちが成仏できるわけですから。

どこまでいっても、ファースト・ガンダムだけが
異質な輝きをもっているのは、そういうことではないかと。

いやぁ、こんなぶっ飛んだ話を書くのも
最近霊視でみた、ある出来事があったからなんですけど、
まぁ、それはまたの機会に。

タイトルの話題に触れられなかったなぁ。
Posted by maoh at 03:55:15Comments(0) │霊能って?シリーズ
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