最近、お客様からの質問に多いのが
「波動はどうやって維持するのか?」
ということです。
そもそも、鑑定依頼される方は
時間の経過と共に過ぎ去っていくと思っていた
苦痛がいつまでも続いていて、
その苦しさの根源やきっかけが理屈では解るんだけど、
それが一体、どう悪かったのか?
どうしたら良かったのか?
どう判断すれば良かったのか?
友人知人のアドバイスに従ってみても
一向に解決せずに
その苦痛が慢性化していくのに、
耐え難い逼迫感があったりするわけです。
そういう方たちの魂を見ると、そのほとんどが
「原因は今に始まったことではない」
はるか以前にきっかけが存在していたりします。
ですので、長い期間をかけてその苦痛のシステムが
出来上がっているので、即座には解決しません。
例えば10年という月日をかけて熟成された絶望が
来月に解消されるわけがないのです。
ただ、時間と共に痛みが和らぐだろうと思っていても
心のどっかで
「これは死ぬまで続く苦痛なのではないか?」
という感覚が残っているわけです。
どうにもこうにも、自分の理想的な毎日がやってくる
雰囲気を感じないんですね。
非情に端的な言い方をしてしまうと
時間
お金
礼節
この3つがズレた人は波動が下がっていきます。
この3つの要素は、社会生活を営む上で
どうしても価値観を共有していかなくてはならないものです。
時間は神が与えた、もっともフェアな領域です。
どんな人にも一分一秒は等しく訪れます。
与えられた肉体が朽ちるまで、自分たちは
己の宿命と器と願望と希望を照らし合わせながら
刻々とやってくる明日に夢を馳せるのか?
それとも、もう明日なんてこなければいいのに、
と感じるか?
いずれにせよ、限られた時間で精一杯に自己を
燃焼しつくしていくのが人生なのです。
お金はありとあらゆるものを、一度換算できる単位です。
その人にどれほど有益で、他の人をどれほど幸せに出来るか?をお金という単位で一度換算するわけです。
ですので、いかに成果主義の生活をしているとはいえ
その動機に
「お金さえあれば幸せになれる」
という強迫観念が生まれるわけです。
残念ながら、金銭そのものには人を幸せにする効果はありません。
お金に汚い人がお金に裏切られるのは、古今東西変わってません。
礼節は、知り合いだろうが友人だろうが家族だろうが、
好むと好まざると関わっていく他人に対しての
許容量だと思ってください。
自分に精一杯な人は他人を思いやるどころか
感情に機微さえ解らなくなります。
他人がいまどういう感情なのかを感知できなくなるわけです。
挨拶さえしていれば万事良しとは言いません。
しかし、ちゃんと挨拶できない人はその側面に
気付かずに我欲にはまっていきます。
これらを一つ一つ丁寧に鑑みていけば、
自分がどこから間違ったのか?のに
気がつくはずなのです。
しかし、やり直したくても自分だけではどうしようも
ない場合がほとんどだったりします。
なぜなら、絶望の淵に立った人は
誰にも声が届かないですし、誰の声も聞こえてきません。
自分だけに与えられた、無限の苦痛に感じるわけです。
しかし、自分の状況がわかれば、そこから脱却する以外に
方法はないわけです。
待っているのは圧倒的な絶望から来る自殺願望か
あるいは、自分以上に他人を傷つけて安心するかです。
そして神々が与えた非情に良く出来た仕組みに
絶望の淵から立ち返ってみると、
真理は目の前に転がっている
ということです。
真っ暗な視界からは、明るい星が見出しやすいのです。
あなたの転機は、実はそばにあるんです。
これに気がつけば、大抵の苦痛は単なる試練になるはずです。
試練は、それを試練と見出せば、勝手に出口へと向かいます。
誰がどう抵抗しようと、人間はそういう風に出来ていますから。