さて、いよいよ冬至もすぎて本格的な冬です。
日本の季語に
「ドラクエ=年末・お正月」
を入れても
いいんじゃないかとおもう真音ですがw
非常に多くの方から好評だった
ガンダム
の話をば・・・
はい、まったく興味が無い方は読み飛ばしてくださいましねw
霊能的に見て、「ガンダム」というか
「1年戦争」は違う宇宙で起きた実話ではないか
という話を前回にしました。
ちょうど、月刊ガンダムAの最新号に安彦先生が
インタビューで
「当時、そこまで考えていたわけじゃないですけど、
不思議とつじつまが合うようなことが
ガンダムではいっぱいあるんですよ」
と発言しています。
製作していた79年当時は、まるでそこまで計算したわけでも
シナリオに必要だったわけでも、
監督から具体的な指示が無かったのにも関わらず、
最終的に背景も含めた設定が事細かに決まっていたかのように
つじつまが合っている不思議。
そう当事者である安彦先生は語っているわけです。
具体的な事例は各先生のいろんなインタビューを
見ていただくとして、
自分がこの物語に強く確信を持てる部分は
「ニュータイプ」の存在です。
劇中ではニュータイプは
「エスパーのようなもの」
「人類の革新」
「空間における他者の意識への認識能力の拡大」
「物事のあるべき姿を察知出来る人」
などという、マニア以外はてんで理解不能な設定です。
場合によっては物語を脚色するときに都合良い
「なんでもありな存在」
という見方もされたりします。
要は、普通の少年だった主人公のアムロが
いきなりマニュアルを拾っただけで、ガンダムを動かせた。
これはニュータイプだからだ、という。
こういった部分や、つじつまあわせに
ニュータイプという存在を便宜的に使われたというのは
決して間違ってもいないでしょう。
だがしかし。
自分が着目するのはアムロが初めて、他のニュータイプと
本格的に接触・交戦したララアとの関わりです。
(この当時、他からの評価はともかく、シャアはまだ
ニュータイプとしては覚醒してませんでした)
(同じくシャリア・ブルはお互い敵はニュータイプらしいと認識しても
個人として認識しあっていません)
いやぁ、ガンダムの話になると理屈っぽくなっていけませんねw
んで、アムロが初めて他者を「同類」として求め合ったのが
ララアであり、
これまで戦争という状況下で、敵兵をいくら殺しても
「これは戦争なんだ!」
と、自分に言い聞かせていたアムロが、ララアを撃破した瞬間に
「取り返しのつかないことをしてしまった」
と戦闘中にも関わらず号泣します。
これまでも、あっさり敵兵をあの世に送ってきたアムロが
生命を奪うと言う意味では、
とっくに取り返しがつかないことを繰り広げてきたにも関わらず、
なぜ、アムロはララアの死を大きな喪失感として
受け止めたのでしょうか?
「愛していたから」
というには、あまりにも二人が直接接触した時間は少ないです。
「一目惚れだった。」
という言い方は語弊がありますが、
要は自分の欠けたピースを持ち合わせていた人で、
それはもうかけがえのない存在である、といえるほど
その時のアムロはニュータイプとしてのみならず
一人の人間として、孤独だったはずなのです。
しかし、ララアだけは自分と同じく
戦争という得意な状況下で初めて、他者から
「存在意義」を見出されたわけです。
つまりは
「戦争の道具として非常に優秀」という。
これは鑑定をしていても、よく散見されることですが
「執着を越えた男女の結びつき」
には、
複数の酷似した人生経験・価値観・置かれた背景
というのものが、たくさん出てきます。
鑑定で
「あなたたちはここが似ているんです」
と、惹かれあった理由を説明することがあります。
それは出会った時に共鳴出来るように、同じファクターを
もって進んでいるから、起こる出来事も似通るのです。
あの世で再会を約束した人間同士は特にそういう共通点を持っています。
これは男女に関わらず、親友や同士にも言えます。
単なる機会好きだった少年が連邦の白い悪魔と呼ばれ、
孤児だった少女が適正を見込まれ、研究所に送り込まれたあげく
パイロットとして初陣から左官扱い。
当然、この二人には一般的な兵士たちから
「アイツは自分たちとは違うのだ」
と識別されます。
そういう描写はシリーズにも出てきます。
その二人が、一度会話を交わしただけ、
次に会ったら戦場で敵同士だった。
そういった中でお互いのすべてを分かり合えるのか?
ここがある意味、非常に霊能的なんですね。
エスパーよろしく、二人は二人の想念で会話をします。
「あなたは守るべきものも、守るべき人もいないのになぜ戦うの?」
そうララアはアムロを諭します。
「だったら、戦ったらいけないのか?」
とたずねるアムロに
「それは不自然なことだわ」
とララアは返します。
もちろん、アムロには両親がいました。
守るべき家族と言えば両親や、幼馴染のフラウをさすはずです。
しかし、アムロの心に彼らは存在していないことを
ララアは見抜きます。
(すでに父親のテムが事故死しているのをアムロは知りません)
そして
「あなたが来るのが遅すぎたのよ」
とララアは自分を先に見出してくれ、救ってくれたシャアに対して
献身的に戦っていることを吐露します。
彼が望むのであれば、傷つくことをいとわない。
これは多少強引に見方をしてしまえば、
無償の愛の一つの形
ともいえます。
というか、こういった愛情を基準に戦う人間は
このララアとククルス・ドアンだけでした。
この二人は
「どうしても失いたくない人がいるから、兵器を手にする」
わけです。
この二人に出会ってもなお、アムロが明確な形で
「真実の愛」
を知るのは、まだまだ先の話です。
というか、知らずに死んでしまうのですが・・・
少し話がそれましたね。
アムロがララアを撃破した瞬間、二人は
「時が見える」
と確認しあいます。
これ超時空で、実際の時間軸とは違った空間で接触したともいえますが、
現実に振り返ってみれば魂が触れ合った瞬間に酷似しています。
(これは普段、みなさんも行っていることです。
それがあったことを知覚していないだけです)
同時に死にゆくララアは、これまでの人生に終止符を打ち、
次なる再生に向けて、過去世を開いて見た瞬間ですから、
彼女にとっては前世やその前々世で、自分が何をしていたのかを
知った瞬間なわけです。
だから、彼女にはなぜアムロが現れたのかを
この瞬間は明確に理解したと言えるでしょう。
みなさんも、将来肉体を失ったときに知るんですね。
なぜ、この人と出会ったのか?を。
そして、自分の過去を知り、現世での役割を改めて知るわけです。
ただ、アムロはまだ肉体を持った状態、
彼女は肉体をたった今失った瞬間ですから、
その空間において認識の量がまるで違うわけです。
しかし、想念の交差という意味ではアムロは
三途の川の一歩手前の世界をのぞき見たということです。
これ以降、アムロはニュータイプである孤独感を
より一層、前向きに受け止め始めます。
孤高で他に類を見ない存在であることを自覚するのです。
まぁ、ここからが彼の個人としての本格的な苦悩が
始まるんですが・・・
さて、機会があれば次はシャアの話を書こうかと思います。