いやぁ、今年一発目のブログが2月になるとはw
なんだかずいぶん、サボっててすいません。
正直、書くことはいっぱいあるんですけど、
まとめている時間が・・・
いやいや、言い訳はこの辺にしておいて
とりあえず、今もっとも親近感のある話題にふれてみましょう。
「毒ギョーザ」
もうね、このネーミングセンスですでに脱帽ですよ。
ものすごいインパクトがあります。
どこの新人お笑いコンビなのかと思うくらい。
そもそも口に入れる食品に対して、
決定的な恐怖感が存在する今回の事件において、
どうしてこれほどキャッチーな名前にになったんでしょうか?
「農薬混入ギョーザ」
ではなかったのは、なんででしょうか?
もちろん、マスコミの鉄則でもある
「文字数制限(短いほうがまとめやすい。ラテ欄は特に)」
もあるでしょうし、
もちろんキャッチーな方が紙面も文面も映えます。
が、しかし・・・
この奇妙な曖昧さがすでにゆるいんですね。
この空気感が、世相を表しています。
もし、農薬会社や農家に気配ってのことなら
世間の中華料理屋には気遣いはないのか?とも思います。
元来、人間が食事をする、
厳密に言ってしまえば
捕食という行動
は、常に一定の危険性が伴っています。
ありとあらゆる食物には、採る際にリスクがあります。
森で動物を狩るにもリスクがあります。
山菜を摘んで食べるにもリスクがあります。
海へ釣りにいくこともリスクがあります。
これはすなわち、地球が確実に有しているシステムなんですね。
それをより安全に豊かに、という目標をもったときに
それらは文化に発展しました。
が、しかし人間がいくら発展に力を注ぎ、
安全な毎日という未来に夢を馳せたとしても、
「毎日美味しいご飯をいただける幸せ」
に対して感謝がなければ、
何度でもこういった事故は起こるでしょう。
狂牛病も
鳥インフルエンザも
食品偽装問題も
毒ギョーザも
神の視点からみたら、同質です。
どれも人為的なミスなんですね。
故意か過失か偶然かは、この場合関係ありません。
ですから、これはやはり大事な警告と見るべきなんです。
まぁ、霊能のくせに能書きばかりと思う人もいるでしょうから、
ここからはみなさんが知りたい
「事件の真相」
に迫ってみましょう。
一切の現実的な裏づけもありませんし、
不特定/特定の個人・企業を非難するつもりもありません。
ただ、そこにある波動と残像思念を追ってみたら、
というだけのことですが・・・
これは不特定多数の故意によるもの
となります。
つづく