人間って、見れば見るほど面白いというか参考になるというか。
個性、個性的という言葉があるものの。
その性質ってどんどん変わる。
あんまり固定されているようでそうでもないのですね。
人間関係が変われば変わるだけ、そこに生き残ろうとすれば、
そのたびに自分に葛藤が生まれ、殻を破る。
これぞ、私。これぞ、俺。
成長も怯えもここから始まる。
ここ数週間。
あまり、仕事に意欲的ではなかったが、
相談内容よりもその人の『個』に関わる部分、
その変化を見つめる時間ばかりだった。
相談の内容、本人の希望、
そこに直接結果が出るように気持ちだの、記憶だのの考え方を改めたりするものと、
その相談を介して、新しい自分を安心して発見して自分が作り上げてきた、
『臆病』という殻を捨てるための小さな自信を肉付けして、
目指す方向に走り出すための気持ちの変化。
要するに今までの長い時間で出来上がってしまった
生産効率の悪い自分、
成長を思いっきり阻止して保護しているつもりでいるおかしな考え。
そのあたりがバキバキと変わりだしたのは、
少し私も含まれるのかも。
いや、含まれたい、うーん、いや、今度こそ、
入れてください。
なーんて。
言った直後にまた、ボー然、…、
これは終わった。
よかった、よかった。
ニワトリ、たまご、の世界なんでしょうが、
ある目的を掴みたければ、それに充分合うだけの運の強化がいるわけで、
運、が分かりにくければ、
『何かに楽しんで立ち向かう心』
と言葉を入れ替えてください。
そこに他人の目、他人がどう思うのかなどというどうでもいいことを意識して動けない自分を作ったり、動かない自分を作ったり、人間はアホーなのでするものみたいです。
それとは逆に、人の目ではなくて、自分の行動、自分の発言に縛られて動けなくなる、おかしな制約という殻もあったりします。
吐いた言葉は我に返る、
では解決できない。
自分が出した発言に自分が縛られて偽りの負担だらけの自分が増える。
こうしたほうが分かりやすいな。
他人の目、に対する意識の発生のは
やはり、親子関係、兄弟関係から始まり
ドンドン階段を駆け上がる。
そこの癖から始まり、今の自分、今の自分の最もできないところ、ダメなところを見つめる勇気は完全に失う。
『今更、自分なんて、どうでもえぇわぁ。』(私でしょうか。)
『こんなもんは変わるわけない。』(一番苦しいかもと思います。)
『どうしても人の目が気になる。』(あ、数人いましたよね。)
『どうせ認めてもらえるわけない。』(昨日はどうも。)
色んな変化に対する願望はあるのでしょうが、
ま、私のケースをちょっとだけ。
私の場合、ある成長、外に向けた成長というわけではなく、
…、というより、外に向けた成長なんか望む前に、
家の中、
そこに大きな問題が。
家、片付かない、物増える、物なくなる、嫌になる。
これはずっと分かっていたことですが、
ある日、ちょっとした自分の成長を外に求めてみようかな、
なーんて思う出来事をお客さんからいただいたりして、
考えてみたりした。
全然できなかった。
もう一歩も何も新しいものを迎え入れるだけの運が全く無い自分に気がついた。
でも、当たり前といえば当たり前。
日ごろ、何もほしいものがなく、
(金はほしいとは思うけど、思うだけで努力なし。)
自分の成長、変化に対する欲なんか全然無かった。
だからそれまでの自分がなぜか持ち合わせてきた運、
その量だけで今までを賄ってきただけ。
なので、不思議ですが、この2年。
占い師を開始してアホの頃からドアホウの今まで、
収入面に一切の変化なし。
普通、出来るようになったら伸びるんと違うんかいな。
全く、です。
でもそれで全然構わないし、むしろ、自分に無駄が無いなら、
減らして、一つに集中したい。
これは多分この先も当分変わらない。
ここはもともと伸ばしたくない分野。
だから、現状のままの継続。
そら、内容はさすがに変わります。
ただし、それ以外が全然成立しない自分にやっと気がついたのは、
ちょっとぐらい自分に変化を望んでみようかと、本気で考えてみたから。
で、色々自分のアホさ加減に注目してそこで得たのは、
自分の家、ここに注目するのが嬉しくなった自分がいた。
自分にとって無意味な無報酬作業で無人がなぜか楽しい。
私の仕事の場合、考える時間があまりに長く、
仕事を完全に閉めている場合でも、
何かの答えを考えている。
そーいう、面倒で疲れそうな頭の動き、
単純、真っ白でできる作業が、
本当に嬉しいことに気がついた。
何も考えなくて良い時間があるなんて、
どんだけ素敵なの。
って、先週だったか、草引きをしてたら、アシナガバチ5匹に刺された。
めちゃくちゃ痛かったので殺気は沸いたが、
でも頭真っ白作業が面白かったので、そのまま続け、
その後対面鑑定に下駄を履き、電車に乗って出かけた。
アホみたいだが。
普通は逆なのでしょうが。
だからそれは人によってテーマは違うが。
ま、とにかく自分のペース、そこを壊して、発想を壊して、
挑戦だか解決だかをしたいのに縛られてできないそんなときこそ、
新しい自分にやっと変われる。
いや、本当にこれ、嬉しい。
私のこのつまらんテーマ、でもこれ4年ぐらい越せないものだったような。
はははは。
掃除が?
いえ、そーじ、をしたかった、じゃなくて、
自分をより楽しく見つめることでしょうか。
分かりやすくします。
わたし、多分、仕事、仕事、仕事だけ見つめて数年だったのだと思います。
理由は家庭、環境から逃れられず、自分を認められず、
周りが変わってもずっと世間から遠ざかるような自分を受け入れるわけにはいかない自分が
ずっしりと存在。
だから、どういうハンデがあろうとも、どういう縛りがあろうとも、
個である自分を色んな形で探しまくったのでしょうねぇ。
やっぱりアホや。
なので、私の場合変化を望みたかった自分じゃなくて、
同じ環境、同じ風景、変化なし、
これをどれほど嬉しく思えるか、のほうが本当に欲しかった物である。
もし、次を望むなら、
自分の環境すべて、そこに注目出来てから考えたり、
注目しながら動いたり、
そーいう感じでしょうなぁ。
私の話はおしまいにして、ここからが人の話。
鑑定師らしいものの見方から説明すると、
自分の保護、ここが行き過ぎている人の本能と肉体の関係。
不思議ですが、あまりに幼い本能が、つぶされないようにソロソロと主軸になって、
今の年齢の肉体を引きずってハイハイ歩く。
社会に出る赤ちゃん。肉体は引きずられてボロボロ。
こんなように見える。
こういう人、保守的で、自分の生活がかなり枠に収まっている。
行動面での保険もぎっしりかけてあっていざ、というときに自分が責められる事はうまく逃げれる。
この人達の問題は
いざ、自分の本音を言おうにもいえず、
何が自分の本音なのかもわからず、
理想的な自分が本音なのか、そもそも本心って何なのか、
本当の自分が見えてこない。
自分から変化に富む冒険はできない。
欲しくなった時が悩み時。
これ、長年のしがらみから這い出て
最近大変化に大成功をしたある人の場合こっち。
この人の変化はリクエストどおり、もう少ししたら書いてみる。
また逆に、
自分の嘆きを自分という肉体にどうにかしろと叫んでいるご様子の人達。
これは逆に肉体から離れた本能が常に常に自分の体に怒っている。
上とは逆に怒った人は歩きもしないし進みもしない。
と見えます。
だから時間が止まって解決できない問題にずっと縛られる、
そいういう展開がやってくる。
これは結構恋愛のお客さんで多いケース。
どっちもどっち。
どちらも苦しさを自覚できるか出来ないかぐらいの違いで、
どちらのほうが良いとは言えない、と思います。
これ、統計的な物の味方でも傾向がはっきりと出る。
目で見ても統計占術でも同じなのねぇ。
どこを見るかという視点だけ。
本能の悲鳴なのか、肉体の悲鳴なのか。
どっちも肉体に問題はでるが。
参考までに、
私、
以前までは上の人。
肉体労働重視に酷使。
自分の時間ってそれは何。
そして、最近、占い師になってから、
どうしても自分の本能と相談者の本能、
そこを居座って見るわけで、
どうしても考えに固執して体動かしてない。
私はどうもこれは苦手。
こういうの、そろそろ止めよう。
ま、どちらをとっても
要するにバランス。
何時でも一つのテーマに縛られるのは時が止まり、
自分が無さ過ぎると覚悟に困る。
日々の危険に対する臆病なのか、
今までの自分の責任を受け入れられない臆病なのか。
どういう気持ちを直すにしても、
テーマは臆病。