こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 春はもうすぐそこって感じですね。
 本当にやりたいことは? それが仕事として成り立つのか?
どこに向かっているのか? いまだに彷徨い続ける 煌龍 剛 です。


 さて... 対人関係を中心とした社会生活を送る日常において、
精神的なバランスを崩しやすい判断(認知)傾向や、
うつ病などの症状を生じやすい思考傾向、特有の偏った捉え方を
「推論の誤り」とか「認知の歪み」といいます。

 今回のブログは、そんな「推論の誤り」「認知の歪み」の中で、
代表的な項目を挙げて説明したいと思います。

1.憑依的推論
 ①根拠も無いのにネガティブな結論を引き出すこと。
 ②結論を支持する証拠が無く、出来事を客観的に判断できないにも関わらず
憑依的な推論による主観的な結論を下す(決め付ける)。

 これ↑って、 誰でも心が弱っているときに陥りがちですよね。
不快な出来事や受け入れ難い状況によって自信を喪失したり
落ち込んだりしているときは、全般的にネガティブな捉え方をしがちです。

2.結論の飛躍
 A.心の読みすぎ
他者が(自分にとって)悪い反応をしたと早合点する。
 B.先読みの誤り
  事態や状況が確実に悪くなると決め付ける

 これ↑って、占いやスピリチュアルを否定的に捉えれば、
ある意味、けっこう当てはまるようにも感じます。

3.感情的決めつけ
 自分の憂鬱な感情は、現実をリアルに反映したものだと考える。
 「こう感じるのだから、それは本当のことである」みたいな...

 これ↑も、占いというか、霊能系で当てはまりますよね。
嘘や作り話を言ってるのではないでしょうが、
それが本当のことなのか? 事実なのか? の根拠や証しはありません。

 ここまではネガティブな方向ばかりですが、
逆にポジティブな方向で捉えてみると... やはりやや問題アリです。

・根拠も無いのにポジティブな結論を引き出す。
  ☆楽観的過ぎる人も周囲にとってちょっと厄介かもしれません。
・他者が(自分にとって)良い反応をしたと早合点する。
  ☆いわゆる勘違い系か思い上がった自意識過剰みたいな...
   きっと私(俺)のことが好きなんだ
・事態や状況が確実に良くなると決め付ける
  ☆完全にフラれて失恋しているのに、
   自分の想いさえあれば、そのうち絶対に私(俺)を好きになる...
   みたいな、ある意味、現実を認めようとしない感じかもしれません。

 心理学では、このような↑ポジティブ思考を
「ポジティブ・イリュージョン(幻想)」と表します。
 ネガティブ思考よりはマシで、精神的な面の心配は少なく
むしろある程度は楽観的側面の効能はあるものの...
現実味が無く、無責任で、テキトー過ぎる感じもあります。
 悲観的にならないことは良いかもしれませんが、
何もしないで「なんくになるさぁ」は困りものかもしれません。
多少は危機意識も必要かもしれません。

 そう考えると、結局のところ...

 ネガティブで悲観的過ぎるのは良くないけど、
危機管理意識が強いという長所としての捉え方も可能ですし...
 ポジティブで楽観的過ぎるのもお薦めできないけど、
物事や未来の現実を深く考えず、楽しく生きていけるように感じます。

 そんなこんな、いずれにしても...
やはり極端に偏った思考や捉え方の癖は、
改善するように心掛けた方が良いかもしれませんね。


 ご覧いただきありがとうございます。
健やかで穏やか、少しだけ刺激的な毎日を愉しく過ごしたいですね。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 花粉症の人はたいへんな時期ですね。
この時期の花粉症ではないものの、寒暖差やハウスダストなどに
アレルギー反応があるため、日常的に点鼻薬を携帯する 煌龍 剛 です。


 さて... 直接お会いしたことはありませんが、
著書を通じて尊敬するお坊さんが'ブッダの教え'として、
欲望を手放す「離欲」の重要性を説いています。
足りないから満たそうとするのではなく、
ものがいらないことで心を満たす安らぎの道を説かれています。

 諺(ことわざ)で「登っても峠を知らぬ欲の道」があります。
物欲、愛欲、名誉欲、金銭欲... 人の欲に限りがないことを表します。
欲を追求して満たすために頑張ったところで、
どこまでも行っても際限なく「不十分」と感じてしまいます。
禅の教えでは『足るを知る(知足)』も有名ですね。

 ただ、頭では解っているつもりでも
欲を手放すことはけっして簡単ではありません。
ある意味、自分の欲に束縛され自由を奪われてしまいます。
 今の幸せとその大切さに気付くことができれば、
足るを知り欲を手放すこともできるのかもしれません。

 物質的で俗的な欲に支配されている感じではなくても、
先への「不安を手放したい」という欲に駆られている人もいます。
それもまた「峠を知らぬ...」でしょう。

 また、「欲があるから人生は面白い」と説く人もいます。
「欲を満たそうとするから努力したり頑張ったりする」と説く人もいます。
 そんな人は、欲の支配や束縛から解放された自由の幸福を
知らない人なのかもしれませんが、現実として世間では、
そんな考えを賞賛したり、羨ましく思うような風潮もあります。
ぶっちゃけ、リッチな男性の方が女性にモテる傾向にあるのは事実です。
多くの問題はお金で解決できるもの事実です。

 欲にも色々ありますが、欲の充足を最優先にする行動は、
理性を持たない動物レベルだと捉えることもできます。
動物的な人は、周囲の人にとって非常に危険です。

 う~ん... どうなんでしょうねぇ...

 一つだけ確実に言えることは、
皆が欲にとらわれなければ、争いや諍い、戦争はなくなるでしょうね。


 ご覧いただきありがとうございます。
自分を磨き、幸せな体質となることを目指したいですね。

●自己探求

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 春はもうすぐそこって感じですね。
 トレーニングを怠けていたために
自分が定める体重リミット限界に近付いた7 煌龍 剛 です。


 さて... 自分とは何者か?自分には何ができるのか?
どんな使命や役目を担ってこの世に生まれてきたのか?
そんな自分自身への問い掛けを「自己探求」といいます。

 多くの人が10代~20代前半、いわゆる思春期に
自己探求における不安定感を抱えるとされ、
心理学では、そんな時期を「第二次性徴」と表します。
 また、この時期は精神的に成人(大人)となって
背負なわければならない義務や責任を免除され、
多少は大目にみてもらえる期間として「モラトリアム」と表されます。
 この時期は、他者との比較によって客観的に自分を知ることで、
優越感や挫折感を味わうこともあるでしょう。

 親から精神的に自立し、自分の価値観で大人としての未来を
切り拓いていかなければならない時期を「第二次性徴」といいますが、
その猶予期間(20代前半くらいまで)を「モラトリアム」といいます。

 ただ、実際のところ、思春期や20代前半までに、
しかりとした自己概念を持つ人の方が少ないのではないでしょうか。
 年齢や経験を重ねる中で価値観は変遷し、
自己概念は流動的に変化するものだと考えられます。

 ひょっとしたら死を迎える瞬間まで、
自己探求をし続けるのかもしれません。
 たとえば中年を迎えると「この歳で何ができるか?」とか
自分で気付いていない自分の可能性が気になる場合もあります。
年齢的には「モラトリアム」ではないものの、
自己探求における「第三次、第四次... 性徴」もあるかもしれません。

 そんなこんな...
年齢に関係なく多くの人が自分を探しています。
生きることとは、すなわち自己探求なのかもしれません。


 ご覧いただきありがとうございます。
健やかで穏やか、少しだけ刺激的な毎日を愉しく過ごしたいですね。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 三寒四温を実感しますね。
 自分の都合で勝手な期待をして、
期待はずれな結果に凹むことを繰り返す 煌龍 剛 です。


 さて... 気に入らないことがあるとキレる人、
露骨に苛立ちを表面化させる人、怒って大声を張り上げる人...
 そんな人を見掛けた経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
あるいはひょっとすると... 自覚がないだけで、
自分が周囲からそんな人と思われている可能性もあります。

 そんなキレやすく怒りっぽいクレーマー系... の人が
なぜそのような行動や振る舞いをするのかについて考えたことはありますか?

 その理由や原因が明確な1つという方が稀で、
殆どの場合、複数の心的要因が複雑に絡み合っていると考えられます。

 まず、最近流行りの'アドラー心理学'的な解釈で考えれば、
あらゆる行動や感情には目的がある... という「目的論」が挙げられます。
 また、人の行動や考え方は、全て自分が決定権を持っている... という
「自己決定性」も関連するでしょう。
 したがって「怒りたくないのに怒らせやがって!」は認められません。
自分が怒りたいから、怒りをあらわにする行動を取ったと考えられます。

 では、なぜ怒りをあらわにする行動を目的にするのでしょう。

 それは、その目的はスバリ「報酬」です。
怒りをあらわにする行動によって得られる報酬があるのです。
 ただ、ほとんどの場合、報酬を意識計算はしていません。
ほぼ無意識に近い領域からの行動でしょう。

 では、怒りをあらわにする行動の目的である報酬とは、
どんなことが考えられるでしょうか。

 自分の主張が通りやすい... 威嚇する(脅す)ことで服従させやすい...
これらら単純に「そうすることが得」という発想があるかもしれません。
 ただし現実として、仮に目先の小さな利益を得たとしても、
他者を不快にさせ嫌われてしまう可能性が高いため、大きな損失に繋がります。

 次に「精神分析」的な解釈で考えれば...
乳幼児期や幼少期において、誰もが抱く万能感が満たされなかった可能性、
泣き叫び暴れないと相手にしてもらえなかった可能性、
泣き叫び暴れれば反応してもらえる(放っておかれない)という
誤った(不適切な)学習が潜在意識に固着した可能性... など、
誰もが生得的(本能的)に備える「承認」や「愛着」の欲求が
充足されないままパーソナリティを形成しているのかもしれません。

 また、別の視点では、やや精神疾患に近付きますが、
例えば何らかの脳の機能障害によって、
感情を制御(コントロール)することが困難なのかもしれません。

 最後に、占いやスピリチュアル的な解釈で考えれば...
霊の障りや憑依、前世からのカルマ(因果)なども挙げられます。

 そんなこんな... 厄介で扱い難く不快な...
キレやすく怒りっぽいクレーマー系... の人に関して考察してみました。

 たとえばDV(家庭内暴力)で、身体にアザや傷を負いながら
暴力をふるう相手より「私が悪いから...」と言う人は少なくありません。
 その状況は、思考が麻痺しているか、機能不全という感じで
正常な判断ができ難くなっており、かなり深刻で重篤な問題でしょう。
事情はどうであれ、ほぼ無条件で、暴力をふるう側に問題があるのは明白です。

 相手の嫌な態度を自分の責任だと思わなくてイイし、
無理して相手を好きになる必要もないでしょう。
「何とかして変えてあげたい...」と思っても、特に成人後の人格は、
他者が変えてあげられるものではないかもしれません。

 残念ながら... 被害を最小限にする距離をとるしか、
対抗手段は無いのかもしれませんが、それもまた自分次第でしょう。


 ご覧いただきありがとうございます。
健やかで穏やか、少しだけ刺激的な毎日を愉しく過ごしたいですね。

参考文献:雑学活脳研究会(2017年),
 アドラー心理学 もう悩まない 人間関係を楽にするコツ,大創出版 

●運に頼る

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 三寒四温を実感しますね。
 ここ1年くらいはほとんど運動をしていないためなのか、
この冬はこれまで以上に身体の冷えを感じた 煌龍 剛 です。


 さて... 私は占師という仕事をしているからだけではなく、
個人的な興味や関心、そして自分の都合による願望もあって、
これまで相当な数と奥行きの『 開運術 』を研究してきました。
 これまで購入した「運を良くする」とか「引き寄せの...」といった
書籍は軽く100冊を超え、風水や九星気学に関する本を加えると...
かなりの費用を投資してきました。

 それらの本を読んで知識を情報として収集するだけではなく、
可能な限り実践し検証を繰り返してきました。
 しかしながら、今のところ独自の開運法則などを
見出すまでにはいたっておりません。

 これら裏を返せば、正直なところ...
どれだけの効果があるのかを実証することもできません。
 というか、そもそも『 運 』は明確に数値化できるものではなく、
実証することが難しい領域であることを再確認しています。

 そんなこんな... 現時点での結論として、
開運に関して1つだけ確実に言えることがあります。

 それは... 「願望は、運に頼らず、実力で叶えよう」です。

 「なんだそれ!?」という声も聞こえてきそうですが...
ひょっとすると『 運 』は引き寄せられないものかもしれません。
何らかの方法で引き寄せられるものなのかもしれません。
 いずれにしても、期待していない無欲で運に恵まれることもあれば、
期待していたのに'運がなかった'みたいな不安定なものでしょう。
 そうであるなら、もっと安定した、より確実な...
自分の思考や行動による実力と必然に目を向けるべきではないでしょうか。

 社会的な成功をした人が、その秘訣を尋ねられたとき
控え目に「良縁や人に恵まれたからです」と答えたとします。
それは『 運 』に恵まれたと言い換えられるかもしれませんが、
その人の誠実な努力と真剣な頑張りの積み重ねであり、
他者に感謝できる謙虚さが必然として恵まれたのではないでしょうか。

 多くの占師やスピリチュアル系の人が、
運を引き寄せる方法、奇跡を起こす秘策... などを宣伝に使っています。
それもありかもしれませんが、個人的な都合や願望で世界は動きません。
 それよりもっと確実な手段として、その本質や自分と向き合い、
自分を磨く精進があるのではないでしょうか。


 ご覧いただきありがとうございます。
人生の質、幸福も不幸も自分次第でしょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 春の足音は聞こえますか?
 3月に入って10日近くが経過しましたが、
いまだに防寒インナーヒートテック)を着用する 煌龍 剛 です。


 さて... 私は占師として、心理カウンセラーとして、
連日のように色んな相談や質問を受けています。
 その範囲は多岐に渡りますが、内容が私の専門外であったり、
知識が乏しいときは、正直にそうお伝えするようにしています。
したがって答えに困る場面は少ないように思います。

 そんな対応をしていますが、専門の「占い」に関することでも
答えに非常に困ってしまうことがあります。
というか、できれば「その質問はしないで欲しい」かな。

 たとえば... ほぼ全て占いCafe HERMITS(エルミッツ)の
深夜にいらっしゃった、常連客でないホステスさんですが...
 ひととおり真剣にお話しを聴いて、真剣に占って、
お客様の反応も上々な感じで、けっして思い上がりではないはずの
私なりに手応えを感じられるような状況で帰り際に
「よく当たる占師を知りませんか?」とか訊かれることがあります。

 何というか、ずっこけるというか、脱力するというか...

 悪気は全くないのだと思います。
私の占いが駄目だと否定しようとしたのでもないと思います。
 質問は'占い'に関連することですが...
他の占師の評判や情報は知識がなく専門外です。
 というか「その質問を俺にする?」という感じで驚きます。
一歩間違えば、かなり無礼な質問のようにも感じます。

 でもひょっとすると私が「悪気は無い」と思いたいのかもしれませんし、
私の占いなどがイケてないのかもしれません。
 フランス料理を食べた後、(イタめしでも和食でも中華でも同様でしょうが)
そのシェフに「美味しいフランス料理の店を知りませんか?」とか...
せめてジャンルが違う料理のお店に関する質問が妥当だと思う
私の感性が小さいのでしょうか。

 いずれにしても...
あれこれ考えさせられる題材をいただいたことは間違いありません。
 謙虚でありたいとは思いますが、それなりのプライドももっていたいし、
へりくだる必要もないと考えています。

 もし「おすすめの占師はいますか?」という質問であれば、
「よく当たる占師を知りませんか?」より多少受け入れやすいのでしょいうか。


 ご覧いただきありがとうございます。
人生の質、幸福も不幸も自分次第でしょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 春の足音は聞こえますか?
 特に予定が無いときでも、何かとやることがあり、
暇な時間を持て余すことはない 煌龍 剛 です。


 さて... 受け入れ難い状況、不快な出来事、理不尽な展開... は、
誰にでも起こります。残念ながら避けることは不可能です。
全てが思い通りの人など皆無です。

 また、受け入れ難い状況、不快な出来事、理不尽な展開... は
自分の思考や行動の結果として因果応報的に起こることもあれば、
因果関係が不明な場合もあるでしょう。
どう考えても自分に非が無いこともたくさん起こりますし、
そもそも予測できない災いに備えることは不可能です。

 誰もが、落ち込んだり凹んだり、嘆いたり悲しんだり、
怒ったり憤ったり、不安や心配になったり、恐れたり... します。
誰一人として逃れることができない各々の宿命です。

 それでも、何が起こっても... お迎えが来る(死ぬ)まで
向き合わなければならないことも宿命で定めです。

 ただ... 悪いことばかりでもないのも人生です。
嬉しいこと、喜ばしいこと、楽しいこと、癒されること... も起こります。
それらにどれだけ気付くことができるかによって、
幸不幸が決まるではないでしょうか。その選択は自由です。


 ご覧いただきありがとうございます。
人生の質、幸福も不幸も自分次第でしょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 三寒四温という言葉が似あう時期ですね。
これから徐々に暖かい季節になるのだと感じるだけで、
少しだけ気分が軽く開放的になりがちな 煌龍 剛 です。


 さて... 私は連日連夜、様々な人とお会いして色んな話を聞いています。
話の全てというわけではありませんが、つくづく感じることは、
私自身を含め人それぞれに大なり小なりの悩みを抱えていることです。

 そんな悩みの中で、ジャンル的に最も多いのが「対人関係」です。
というか、直接的か間接的かはあるにせよ、
全ての悩みは「対人関係」に関連するといっても過言ではないでしょう。
 最近の流行りで、しばしば質問を受ける「アドラー」の心理学でも
中心的概念として、全ての悩みや喜びは対人関係にあると説いています。

 そんな対人関係における悩みと向き合っていて...
当然ながら各々に状況や詳細、鍵か核あるいはポイントは異なりますが、
共通しているように感じられる要因があります。

 それは... 他者に対して、自分が望み求める役割です。

人はみな自分と関わる他者に対して、自分を中心に据えた役割を期待し、
その関係性の中で自己を確認しようとする習性を備えています。
 そんな習性か本能が良いとか悪いとかとい話ではありません。
自分の人生は、自分が主役でなければならない... 逃れられない宿命もあり、
どれだけ大切な存在であろうが主役を譲ることはできません。
自分以外の他者全員が自分の人生における助演か脇役です。
 ときには他者の主役としての宿命を変わってあげたいこともあるし、
羨ましく、または妬ましく感じられることもあるでしょう。

 いずれにしても... 
他者に対して自分の人生の主役となるような期待をすること、
それは主体性のない依存的となり、幸せとは言い難い人生となるでしょう。
 また、自分の都合、想い、価値観... で
他者にお役目を押し付けようとすれば、それが悩みとなってしまいます。
多くの人がそんな悪循環に陥り苦悩しています。
 親なら、上司なら、恋人なら、家族なら、友達なら...
見ず知らずの無関係の人なら迷惑をかけないで! みたいなことも含め、
他者へのお役目の期待を見直してみると悩みが減るかもしれません。


 ご覧いただきありがとうございます。
自分を磨き、幸せな体質となることを目指しましょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 三寒四温という言葉が似あう時期ですね。
風邪の症状が悪化せずにおさまり、すっかり元気になって、
そろそろ筋トレやランニングを再開しようと考えている 煌龍 剛 です。


 さて... 何かの目標に向かって、それなりに頑張ってみたものの
好ましい結果とならないことは誰にでもあるのではないでしょうか。

 たとえば会社で、一つのプロジェクトを任されたとします。
そうなると目標は、期限までに収益をあげることになります。
 知恵を絞り、労力を費やし、仲間と協力して頑張ったけれど、
赤字続きで将来性も見込めず、プロジェクトは終了したとします。
その結果だけをとらえると『失敗』であることは明らかでしょうし、
責任を負わされる感じで退職しなければならないこともあるでしょう。

 たとえば会社で、出世を目指したとします。
前述のプロジェクトに比べると、目標は個人的なものです。
知恵を絞り、労力を費やして頑張ったけれど、出世競争に敗れ、
リストラ対象になったり、再起のチャンスも無く冷遇されたなら
目標に対する結果として『失敗』でしょう。

 このような失敗で失うものは...
職そのものや安定性、メンツやプライドが考えられます。
 ただ、失敗という結果が出るまでの身分や給料は保証されています。
もし自営業者や経営者であれば、事業の失敗はお金を失うことであり、
後に借金が残ってしまうこともあります。

 たとえば恋愛で、死ぬまで一緒にいたいと願ったとします。
しかし、どんな事情かは別として、残念ながら別れることになったとします。
これも願った目標に対する結果として『失敗』に終わったと考えられます。

 このような... 目標や願いが結果として失敗に終わった場合、
そこに費やした労力は、無駄で意味がないのでしょうか?
取り返しのつかない無駄な時間を過ごしたことになるのでしょうか?
 無駄かどうかは別としても、人生を賭けたくらいの経緯からすると
その結果は、激しい空虚感があり、相当に落ち込むでしょう。
どんな励ましも影響しないほど凹むのも当然でしょう。

 これら、結局のところ...
失敗という結果だけで捉えれば'無駄'となってしまいます。
逆に、努力や頑張りが'無駄'とならないのは、
失敗という結果が出るまでの期間や経緯が幸せであったかどうかです。
加えて、失敗という結果から別の成功を導き出すことでしょう。

 目標を達成し、好ましい結果となることが最善でしょうが、
勝負は時の運次第だったりします。
どんな結果となるかはコントロールできない領域なのかもしれません。
結果は、自分の努力や頑張りには関係しない次元で出るものかもしれません。
 そうであるなら、確実に自分で統制できるであろう
結果が出るまでの期間や経緯の過ごし方に比重をおく方が得策でしょう。
いずれの結果でも受け入れ、幸せを追求し続ける覚悟を決めておけば、
昨日、今日、明日、今この瞬間を大切に優先して、
不確定な結果は二の次になるのではないでしょうか。

 結果にこだわり過ぎると、結果(未来)が不安となります。
そうなると今その瞬間の幸せを感じることができないだけでなく、
不安に貴重なエネルギーを奪いとられてしまい、
目標達成から遠ざかってしまうような悪循環となりかねません。

 また、後悔を恐れることは無駄です。
目標とした結果が出なければ後悔するのは当然です。
成長したからこそ「今ならこうする」がみえてきて、
それに気づかなかった過去を悔やむのです。
ある意味、後悔は成長の証しです。


 ご覧いただきありがとうございます。
自分を磨き、幸せな体質となることを目指しましょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 春の気配を感じますか?
 最近の10年くらいで最大の節目か転機を迎え、
新たな方向性やビジョンを描きつつある 煌龍 剛 です。


 さて... 日ごろ何気なく使っている言葉で、
何となく意味を使い分けているものの、改めて考えてみると、
明確に意味を示せないような言葉って多くないですか?
 今回のブログでは、そんな類義語の中から
「体験」と「経験」を取り上げ語りたいと思います。

 体験と経験... 一文字違いであり、英語では両方とも experience です。
(近藤いね子・高野フミ 編(1994年).プログレッシブ 和英中辞典.小学館)

 この体験と経験を、意識や意図、意志という側面からみるとどうでしょう?
どちらが意識的あるいは意図的で意志が働くものだと考えますか?

 国語辞書では...
体験... 直接自分自身が経験すること。またその経験。
経験... 実際に見聞きしたり、自分でやってみること。
(それによって得た知識や技術) ... とあります。
(金田一京助・柴田 武・山田明雄・山田忠雄(1996年).新明解国語辞典。三省堂)

 辞書の意味だけでは、よく解らないというか、
余計に解り難いと感じるのは私だけでしょうか?
 ただし、そこから(その後に)得る知識や技能という点では、
体験と経験に大きな差があるように感じます。

 実際の使われ方(使い分け方)」を例に挙げて考えると...
体験
・喜びの体験... 「喜ばしい経験」でもおかしくない感じもします。
・初体験... 「初めての経験」でもおかしくないですよね。
・臨死体験... 一般的に「臨死経験」とは言わないけど変ではないかな。
・体験入学... 「経験入学」とは言わないですよね。
経験
・様々な仕事を経験... 体験だと期間が短い感じがしませんか?
・経験を積む... 「体験を積む」とは言わないですよね。
・豊富な経験/.経験が浅い... 「体験」に置き換えると違和感があります。

 哲学における定義は...
体験... 個々の主観のうちに直接的または直観的に
見出される生き生きとした意識過程や内容
経験... 理念や思考、想像、記憶によってではなく、感覚や知覚によって
直接に与えられ、体験されるものごと... だそうです。
 これらを咀嚼すると、体験は、自分が意識や意図が働くことで、
経験は、意志とは関係ない実際的なことだと捉えられます。
 ちなみに哲学では、フランシス・ベーコンが提唱し、
ジョン・ロックが発展させた「経験論(または経験主義)」が有名です。
概念として「体験論」や「体験主義」という表現は用いられません。

 これらを総括して考察すると...
意識や意図、意志が働いた結果としての出来事は「体験」であり、
主観的体感を示す「体験」は、そこから知識や学びを得ることは含まない。
一方で、意識や意図、意志には関係しない出来事は「経験」で、
そこから知識や学びを得る(身につく)ことまで含むという感じでしょうか。

 体験は「する」もので、経験は「させられる」という感じでしょうか。

 ただ、そのように定義すると矛盾が生じます。
例えば「臨死体験」は、意識や意図、意志には関係しない出来事ですよね。
意識や意図、意志... で分けることに無理があるのかもしれません。
 しかしながら、「死にたくない」という意識や意図、意志が働き、
結果として生還したからこその「臨死体験」と捉えることも可能で、
それは「体験」で良いようにも考えられます。
 また、人の思考や行動の基の半分は'無意識'によるとされます。
この'無意識'とは、自分では意識されず気づいていない『意識』を示します。
このような'無意識'という意識の働きによる行動の結果としての出来事は、
どういう扱いになるのでしょう?

 たとえば'占い'はどうでしょう?
当たった外れたのレベルが「体験」で、どう活かすかが「経験」でしょうか。
 たとえば「運命」はどうでしょう?
自発的ではなく受動的に「させられる」を「経験」とするなら
変えようのない「宿命」は「体験」ですね。

 う~ん... 解ったような、解らないような...

 そんなこと... 体験だろうが経験だろうが、どうでもいい...
そんな理屈っぽくめんどくさい話より、
現実として「素敵な恋愛がしたい」とか「幸せになりたい」と
考える人もいらっしゃるでしょう。実際、そんな人の方が多いでしょう。

 では... 「素敵な恋愛」は「体験」なのか「経験」なのか...
「幸せ」という感覚は「体験」なのか「経験」なのか...
そういうところ↑が「めんどくさい!」と叱られそうですね。
ただ、不快な悩みやストレスを抱える根本原因は、
めんどくさがって深く考えようとせず、自分を省みないことかもしれません。
ままならない状況は、感覚や情緒を中心として生きていることが問題で、
論理的あるいは哲学的な思考や発想が乏しいせいかもしれません。


 ご覧いただきありがとうございます。
自分を磨き、幸せな体質となることを目指しましょう。

*参考サイト:http://違いは.net/archives/3699.html(2017年2月26日)