先ほど… 『
自己改革のすすめ 1』 で、
対人関係で理不尽な評価を受け、憤りを感じた場合…
の云々… を綴りましたが、その続きを掲載したいと思います。
憤りを感じた本人が、ストレス解消や気分転換のために、
気心の知れた友達などに話しを聴いてもらうことは、
悪いことだとは思いません。
ただ… その憤りの処理の仕方に落とし穴があるように思います。
自分自身で… 或いは、友達から…
「そんなレベルの低い奴とは関わるな!」とか、
「そんなアホは放っておけ!」 「バカは相手にするな!」
「そんな奴に憤りを感じることが自分の価値を下げる」とか…
そんな感じで… 相手にしない方向で、
理不尽な憤りを処理することって多くないですか?
もちろん、個人差があると思いますが、
仮に、私が個人的に、
気心の知れた人に理不尽な憤りをぶちまけたら、
ほとんどの人が当たり前のように、悪気無く、
「そんな奴は相手にするな…」的な、
気持ちの処理を促すのではないかと思います。
その処理方法が全て誤りだとは思いませんが…
それって、別の角度から視れば、
完全に「上から目線」で、人を見下した発想ではないでしょうか?
人を上から見下すなんて… 何様のつもり?
神様?仏様? いえいえ、神や仏は人を見下しません。
そんな風に、プライドや自尊心を保って何になるのでしょう?
一般化しているような、そんな処理の仕方を、
今後はしないように心掛けてみてはいかがでしょう?
全く接点が無く何の絡みも無い知らない人(気の毒な人)から、
無差別的攻撃であれば「相手にしない作戦」もイイけど、
だとしても、上から見下すような発想は、
人として、徳という側面ではいかがなものかと思います。
ましてや、相手が職場の人であったり、友人などである場合は、
上から見下し、自分のプライドや自尊心を守ろうとするのは、
思い上がった傲慢な発想ではないでしょうか?
そんな愚かな発想に気付かない限り、
延々と理不尽な憤りを感じ続ける人生となります。
プライドや自尊心そのものが悪いことではありませんが、
思い上がった傲慢は、謙虚で素直になることを妨げ、
成長するチャンスを逃してしまうことになります。
徳を持ち、自信があって、心にユトリがある人は、
謙虚だし、妙なプライドや自尊心を感じさせませんが、
自らアピールしなくても、正当に高い評価を受けます。
逆に言えば…
自信の無い人ほど、自らをアピールしたがります。
私自身にも言えることですが…
根拠の無いプライドや自尊心… 思い上がった傲慢さ…
注意して戒めなければなりません。