もうじき(8月31日)、新月を迎えます。
毎回、新月の度に必ず… ではありませんが…
「新月には願い事を叶える神秘的な力が働くと言われ、
願いを込めると不思議な念力が宿ると考えらています」
という感じで… 「新月の願い事」を推奨するような内容を、
私はブログにし、次回の新月も、そうするつもりです。
ただ… 先日(8月22日)のブログ…
『
祈りや願掛けだけでは幸福になれない 』で綴ったように…
私は… 祈りや願掛け、祈祷や拝み… で、
願いや望みが叶って、幸福になれる… とは思っていません。
それは、私だけでなく… 冷静に考えれば…
多くの方々が、祈ったり、願ったり、拝んだりするだけで、
成就達成されるとは思っていないのではないでしょうか?
信仰(宗教)などでは、「ただ、祈り続けなさい」
「真剣に祈り、念じ続けるだけで、必ず幸せへと導かれます」
みたいな部分だけが強調され、
誤解されていることも多いように思います。
そんなことは有り得ません。
そして、つい目先の、現世利益的な事に目を奪われがちですが、
願望が成就達成されることのみが「幸せ」とは限りません。
では、なぜ?
祈ったり願ったり念じたり… が、願望を叶えるのではない… と、
言いながら、「新月の願い事」などを推奨するのかと言えば…
その部分(願望)を明確にすることで、
自分と向き合うことができ、自分を知ることができ…
それが、社会全体で本当に必要なことなのか?
自分本位で勝手な願望ではないか?
成就達成されることで何を得られ、何を手放すのか?
大袈裟な表現をすれば…
「幸せ」とは何か?或いは「生きる」とは何なのか?を、
真剣に考える機会が重要だからです。
また、先日(8月22日)のブログ…
『
祈りや願掛けだけでは幸福になれない 』では、
『物事』は、「心の働き」「物質の働き」「宇宙の法則?」などが、
複雑に絡み合って働いた結果… 願望が叶う…
そんな考えを綴りましたが、
この「心の働き」という部分では、真剣に願うことは重要です。
例えば…
「○○大学に合格したい!」と、懇願か渇望したとします。
その願いには、その大学で何を学びたいのか?
その大学を出た後に、社会的に何ができるのか?… など、
その意義を考えていなければ、せっかく合格できたとしても、
入学した意味が解らなくなります。
そして、当然ながら…
「心の働き」だけではなく、「物質の働き」という部分では、
合格できるだけの勉強をしなければなりません。
ろくに勉強もせず、ただひたすら懇願や渇望をしたところで、
合格できるはずもないのは、誰もが解ることだと思います。
「宇宙の法則?」と表現した部分については、
その神秘的な力を、私も旨く説明できませんが、
「新月」に限らず、「神仏」や「気の流れ」… などが、
これに該当するのではないかと捉えています。
例えば… 恋愛でも、同じことが言えると思います。
すでに、長い話しになってしまったので、
この続きは、後日ブログとしてアップします。